mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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2019.10.9 烏山川緑道に沿った世田谷の社寺を訪ねて 小田急沿線 自然ふれあい歩道1-06

2019.10.9 豪徳寺駅~豪徳寺駅 5.8km 晴
ルート:豪徳寺駅~①ユリの木公園~②常徳院~③乗泉寺別院~④世田谷八幡宮~⑤豪徳寺~⑥世田谷城阯公園~⑦烏山川緑道~⑧勝国寺~⑨松陰神社~⑩若林公園~豪徳寺駅


小田急電鉄の小田急沿線自然ふれあい歩道ホームページに「各コースを紹介するチラシをコースの起点・終点となる駅に常設し・・・」と書かれています。
コース05を終え経堂から電車に乗り、豪徳寺に着いて構内の棚を探しましたが、チラシが見つかりません。改札口で駅員に尋ねると最初は白黒の簡単な地図をだしてきました。コース05のチラシを示して「こういうのがほしい」というと、奥のトレイから取り出し渡してくれました。


1-06 烏山川緑道に沿った世田谷の社寺を訪ねて
豪徳寺駅コース|小田急沿線自然ふれあい歩道|小田急電鉄
このコースは、「せたがや百景」の各地を巡り、かつて世田谷にあった風景・自然をかいま見、長い年月を経て培われてきた歴史や文化にふれあうことができるコースです。この辺りは武蔵野台地の南縁部に位置し起伏の少ない平坦な地形で、関東ロームと呼ばれる火山灰に覆われています。野川や仙川の周囲には谷底低地が広がり、古来から水田耕作の場として利用されてきました。水田の周りは畑や雑木林のほか、特に竹藪が多く、現地産のタケノコが四谷や新宿、日本橋へ出荷されていた記録が残っています。勝光院等の竹林には、その当時の名残がうかがえます。世田谷城や豪徳寺など、室町から江戸にかけて建立された寺社や史跡が、比較的近接した中で数多く残されており、古くからこの地において人々の生活活動が活発に営まれていたことを想像することができます。 せたがや百景: 「せたがや百景」は昭和59年に9万通を超える区民投票により選定された世田谷らしい風景をいい、本コースでも「ユリノキ公園」のほか、「豪徳寺」「世田谷城阯公園」「松陰神社と若林公園」「宮ノ坂勝光院と竹林」「世田谷八幡宮」が選定されています。


コースマップ

14:05  豪徳寺駅、スタートしました


豪徳寺駅改札を出たところにありました、豪徳寺は招き猫が有名です


世田谷線山下駅:踏切を渡ります


14:08  ユリの木公園はこの北沢川緑道そのものでした

北沢用水が地下化された北沢川緑道の、赤堤1丁目付近は「ユリの木公園」として、憩いの場となっています。約600mにわたるユリノキや四季折々の花木、そしてベンチもある、休憩しながら散策を楽しめる緑道公園です。

広場ではなく、北沢川緑道そのものがユリの木公園となっているようです


常徳幼稚園を左折したところ常徳院の裏の駐車場に出てしまい、あわてて戻ります


14:26  ②常徳院の入口です

本尊は十一面観音像菩薩(木像)とされ、8月20日の午前3時から本堂の開帳があるため、「明けの観音」といわれています。境内はスギやマツをはじめ、ケヤキなどがうっそうと茂り、山門近くには鐘楼や六地蔵があります。


14:29  ③乗泉寺別院、常徳院のすぐ隣にあります

乗泉寺別院にはクスノキの大径木があります。このクスノキは「世田谷区名木百選」に選ばれているほか、区の保存樹木にも指定されています。樹高・枝張りとも18mあり、推定樹齢でおよそ200年以上と考えられます。
高さ18mのクスノキ


14:38  ④世田谷八幡宮

1546年吉良頼康が建立したといわれています。境内にはクロマツ、アカマツ、クスノキ、ケヤキなどの大径木の社寺林が残り、その奥にある土俵では江戸三大相撲の一つとされる奉納相撲が行われます。
世田谷八幡宮 境内案内


世田谷八幡宮 参道


世田谷八幡宮 本殿


世田谷八幡宮 土俵


14:47  ⑤豪徳寺、山門は工事中でした

井伊直孝が1633年に菩提寺として再興しました。「山門辺りで雨宿りをしていた井伊直孝が猫の招きに応じて歩きだした途端、先ほどの場所に雷が落ち命を救われた」といった由縁が残され、招き猫でも有名です。
豪徳寺|世田谷区豪徳寺にある曹洞宗寺院、彦根藩井伊家の菩提寺、招き猫
曹洞宗寺院の豪徳寺は、大谿山と号します。世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、当寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号昌院殿豪徳天英大居士より豪徳寺と改号しました。


豪徳寺 三重塔、外国人が絵を描いていました


豪徳寺境内案内図


豪徳寺本堂


豪徳寺仏堂


招福殿(招き猫)と招き猫の奉納所、井伊直弼の墓などを見落としてしまいました
次回行ったときに見たいと思います


豪徳寺参道の松並木


15:00  ⑥世田谷城阯公園、城址公園の中に少しだけ入ってみました

世田谷城は吉良治家が1365年ごろに築城したといわれ、全盛期の七代目頼康の時には城の三方を烏山川の堀で囲んだ堅固な城郭でした。コナラやケヤキのほか、ウワミズザクラなども見られる東京都指定旧跡です。


15:05  ⑦烏山川緑道に入りました

玉川上水から分水し東京湾に注いでいた烏山用水が地下化され、1974年にその上部は四季折々の花木が楽しめる烏山川緑道となりました。アオイ科ハイビスカスの仲間であるムクゲとフヨウが見られます。

烏山川緑道は延長約7キロあり、千歳台にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いています。緑道の半ば、宮坂一丁目には万葉の小径があり、ここは、万葉集に詠まれた草花が植えられています。


15:11  品川橋を右折します:左の建物は城山小学校です


15:14  ⑧勝国寺

この寺は、本堂に目が金である不動明王が本尊として安置されていることから、目金不動と呼ばれています。境内には、世田谷区の保存樹木であるケヤキの大径木がそびえ立っています。


国士舘大学前を通ります


15:26  ⑨松陰神社です

安政の大獄により1859年に29歳でこの世を去った吉田松陰を祭り、門下生の高杉晋作と伊藤博文によって建てられました。境内には吉田松陰の坐像と山口県萩の松下村塾を模した家屋があります。
【公式】松陰神社
吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和二年から三年にかけて造営されたものです。


吉田松陰の坐像、参道の右側にあります

大熊氏廣作(鋳造:平成25年 ブロンズ)


松陰神社 社殿

神社創建時に伊藤博文、山縣有朋、井上馨、乃木希典、等の方々によって造営された社殿は現在本殿の内陣となっています。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて、明治の元勲や崇敬者の方々によって造営されました。


吉田松陰の墓


吉田松陰先生他烈士墓所

境内墓域には、吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。


15:32  松下村塾(模造):平日なので雨戸は開いていません

本神社にある松下村塾は山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。(土日祝のみ雨戸開放(午前9時から午後4時)但し風雨により開放しない場合があります。)


松下村塾(模造)の説明文


15:38  桂太郎 墓:松陰神社と若林公園の間にあります


桂太郎は弘化4年(1847年)、長門国萩町(現・山口県萩市)に生まれました。長州藩士として幕末の諸戦に参加し、維新後は近代的な軍事制度を学ぶためドイツに留学しました。陸軍大臣に就いたのちの明治34年(1901年)には第一次桂内閣を組閣し、明治37年(1904年)の日露戦争の開戦を決しました。大正元年(1912年)末に三度目の組閣、幾ばくもなく総辞職し、同2年(1913年)10月10日急逝しました。享年66歳。遺言により松陰神社に隣接するこの場所に葬られました。
桂太郎は、歴代内閣総理大臣の中で通算在任期間が最も長い政治家としても知られています。


15:39  ⑩若林公園、多くの子供たちが遊んでいました

1962年に開園した若林公園は「せたがや百景」に選定され、区民の憩いの場として親しまれています。園内には「せたがや区名木百選」にも選ばれたスダジイ林があり、秋にはコムラサキが紫色の実をつけ、目を楽しませてくれます。

安政の大獄で刑死した吉田松陰がまつられている松陰神社に隣接している公園で、昭和37年に開園しました。園内には世田谷百景と名木百選のスジダイ群があり、夏には涼しい木陰を作って、人々の憩いの場となっています。秋にはシイの実ひろいで子どもも大人も夢中になります。また、防災公園として災害用トイレ・かまどベンチ等が整備されています。


若林公園の真ん中を通り抜け再び烏山川緑道に出て、先ほどの品川橋方面に戻ります


国士舘大学の校舎の脇を抜けてきたところ

この場所には中学時代一番仲の良い友人が出た都立明正高等学校があったはずです
辺りを探してみましたが見当たりません
彼は残念ながら40代後半で亡くなってしまいました
調べてみると明正高校は2003年都立千歳高等学校と統合し都立芦花高等学校になり、旧千歳高校の世田谷区粕谷に移転していました
その場所に国士舘大学の校舎が建ったというのを初めて知りました


16:20  豪徳寺駅に戻って、ゴールです


コースタイム 1-06 烏山川緑道に沿った世田谷の社寺を訪ねて

経由地・日付・天気 距離 累計 総h 所要h 見学h 着t 発t
コース1-05より
豪徳寺駅        0m  0:00  14:05
①ユリの木公園    200m    200m  0:03  0:03  0:00  14:08  14:08
②常徳院    450m    650m  0:21  0:18  0:00  14:26  14:26
③乗泉寺別院    150m    800m  0:25  0:03  0:01  14:29  14:30
④世田谷八幡宮    500m  1300m  0:35  0:08  0:02  14:38  14:40
⑤豪徳寺    500m  1800m  0:53  0:07  0:11  14:47  14:58
⑥世田谷城阯公園    350m  2150m  0:56  0:02  0:01  15:00  15:01
⑦烏山川緑道    150m  2300m  1:00  0:04  0:00  15:05  15:05
⑧勝国寺    600m  2900m  1:10  0:09  0:01  15:14  15:15
⑨松陰神社    400m  3300m  1:30  0:11  0:09  15:26  15:35
⑩若林公園    200m  3500m  1:34  0:04  0:00  15:39  15:39 
豪徳寺駅  1900m  5400m  2:15  0:41  16:20 
2019.10.09(水)晴  5400m  2:15   1:50  0:25


1-06 豪徳寺駅~豪徳寺駅コース 感想
コースマップでは豪徳寺駅を出てすぐユリの木公園に行くようになっています。
北沢川緑道の並木通りに出て公園らしいものを探してみましたが、分りません。それもそのはずで、この並木通りがユリの木公園になっているとは思ってもみませんでした。
豪徳寺駅前の招き猫を見ていたのに、1000 体以上の招き猫が並んでいるという招福殿や奉納所を見落としてしまいました。
前半ではユリの木公園の北沢川緑道、後半の松陰神社を過ぎてからは烏山川緑道と、コース04に続いて二つの緑道を通りました。


以上です。
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