mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

江東区12 水辺の散歩道~アオサギに会える道~ TOKYO Walking Map 2023.10.13

2023.10.13(金)晴  (1.0km)+4.2km=5.2km→(1.1km)+4.4km=5.5km
ルート:<木場駅>~深川北スポーツセンター→野鳥の島→和船→小名木川クローバー橋→猿江恩賜公園→住吉駅(A3出口)


前回のコース11と同じ、深川北スポーツセンターからのスタートです。今回はバスではなく約1.0kmを歩いて行きました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

江東区12 水辺の散歩道~アオサギに会える道~
和船に乗船体験もできて、お子様と一緒にボート遊びもできる横十間川親水公園、都会のオアシスです。
最寄駅:木場公園(都営バス) 清澄白河駅(都営地下鉄) 清澄白河駅(東京メトロ) 所要時間:約1時間3分 距離:約4.2km 消費カロリー:約189kcal 歩数:約6000歩


 10:09  <木場駅(3出口)>   連絡コースをスタートしました


木場五丁目交差点 左折 永代通りから三つ目通りへ  


都立木場公園前交差点 直進  


末広橋(仙台堀川)を渡って 左折    


深川北スポーツセンター入口  


10:26  深川北スポーツセンター   ここが本コースのスタート地点


出て左折  仙台堀川に沿った道  


三つ目通りを越えて木場公園へ

木場公園 テニスコート入口 から入ります


10月14日(土)・15日(日)は「江東区民まつり中央まつり」


木場公園 パークス 木場  


木場公園大橋をくぐります  江東区民まつりのテントが並んでいました


木場公園 ふれあい広場口 から出て 


崎川橋交差点 直進  


大栄橋(大横川)を渡り  

石住橋交差点 右折 


千石地蔵尊  

東京都江東区の歴史 千石地蔵尊
昭和20年(1945)3月10日未明、米軍機の大空襲により、我が郷土は焼野原と化し、堀割や路傍、学校などで、尊い瀬名が数多く奪われ殆ど肉親に逢うこともなく葬られました。杉岡桂治郎氏らの有志が、夥しい死者の霊を悼み、同年5月頃、当地に地蔵尊を祀り、供養を続けて参りました。


仙台堀川公園 に入ります

仙台堀川公園|江東区
「区民の森」をテーマに整備した、延長3.7km、面積10.4ha、都内最大の親水公園です。ふれあいの森、果実の森、科学の森、親子の森などの特色ある7つの森や、桜並木が続き、春の桜や新緑、夏から秋の果実や紅葉など、四季折々に目を楽しませてくれます。その他にも、釣堀、池、川遊びの出来る親水施設、陶壁や彫像などの芸術作品もあり、豊かな自然と文化の香りがとけあい、緑の下での散策には最適な公園です。


仙台堀川公園 観光高札 深川洲崎十万坪  

名所江戸百景 深川洲崎十万坪(えどめいしょ ふかがわすさきじゅうまんつぼ)
洲崎は古くは「深川洲崎十万坪」と呼ばれるほど広大な敷地を持ち、海を望むことのできる景勝地でした。初日の出、月見、潮干狩り、船遊びなど行楽の地として人気を集めましたが、寛政3年(1791)に起きた大津波によって甚大な被害を蒙り、幕府はこの地を居住禁止区域としました。 歌川広重(初代)画 安政4年(1857)刊

仙台堀川公園 千田橋 を越えると 


アオサギが通路を歩いていました  近づいても逃げません


仙台堀川  


仙台堀川公園 豊住橋   


仙台堀川公園 「しぶき」本陶壁  高さ2.0m 長さ20.0m  


仙台堀川公園 トーテムポール  1984年カナダから贈られた

仙台堀川公園 すっきり館  トイレ


仙台堀川公園 萩橋   


横十間川親水公園に出たら 左折  


10:57  野鳥の島  横十間川親水公園  野鳥の姿が見当りません

木々が生い茂る川の小島では、さまざまな鳥たちが羽を休めています。

千石・野鳥の島 | 江東区の情報サイト
野鳥の島(千石3-1-1)は、仙台堀川と横十間川が交差する場所に作られた人工島で、アオサギ、カワウ、カルガモなどの姿を間近に観察できます。


探していると、ようやく木の陰にいた一羽を見つけました


横十間川親水公園 ボート場  


横十間川親水公園 対岸に 空の彫刻  


横十間川親水公園 河童と千砂橋   

横十間川親水公園 「海の響」関根伸夫  


横十間川親水公園 海砂橋  


11:07  和船  横十間川親水公園  和船は見当りません

希望すれば櫓漕ぎ体験もできます。

和船友の会
和船友の会は1995年に失われつつある和船を動態保存してその操船技術を伝承するために江東区の呼びかけに応じて元漁師、船大工、地方での経験者などが集まり創設されたボランティア団体です。未経験者であっても練習して船頭になることができます。通常は、江東区海辺の横十間川親水公園で乗船体験や櫓こぎ体験など、お客様に無料で乗っていただく活動を通して和船の操船技術の維持継承の活動をしています。
海辺桟橋での、9月~11月の和船乗船体験・櫓漕ぎ体験は、毎週水曜日と第2・第4日曜日(受付時間)10:00~14:15


和船乗船体験・櫓漕ぎ体験用の船と思われます


岩井橋手前は工事中  工事のお知らせによると平成29年から通行止めのようです

コースルートとおり清澄橋通りに出て 信号を渡り  


再び横十間川親水公園へ


横十間川親水公園 「風の舞」吉田誠  


横十間川親水公園 三島橋  


横十間川親水公園 水上アスレチック  


横十間川親水公園 水門橋マイクロ水力発電設備  

水流の落差1.5メートルでも発電、東京都心でLED街路灯をともす【スマート・ジャパン】 | 小水力発電 J-WatER 全国小水力利用推進協議会
東京23区で初めての小水力発電設備が運転を開始した。多くの川や運河が流れる江東区が再生可能エネルギーのシンボルとして導入したもので、親水公園にか かる橋の下に発電機を設置した。水流の落差は最大1.5メートル、発電能力は1.1kWながら、24時間運転で街路灯などに電力を供給する。 2015年03月25日

11:20  小名木川クローバー橋  横十間川親水公園

小名木川と横十間川の交差点にあり、橋の中央には四つ葉のクローバーが描かれています。
https://koto-kanko.jp/tourism/detail_spot.php?sid=S00120小名木川クローバー橋は、猿江・大島・北砂・扇橋の4地区を小名木川と横十間川の合流点で結ぶ、歩行者と自転車専用の橋です。橋の真ん中には四つ葉のクローバーが描かれています。地域社会に快適な生活と、人と文化の交流を提供できるランドマークとして計画され、平成6年(1994)12月に完成。現在はドラマのロケ地としても利用されています。


大島橋交差点 直進  


釜屋掘公園   

釜屋堀公園/大島<大島地区> | 東京都江東区の公園
勾配のある角地にある小さめの公園です。釜屋堀という名前は、江戸時代に太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門がこの付近で鋳物業を行い「なべかま」などを作ったことに由来するそうです。


釜屋堀公園 釜屋跡  


釜屋堀公園 化学肥料創業記念碑  

化学肥料製造の嚆矢 - 発祥の地コレクション
明治初年, タカジアスターゼの発明者 高峰譲吉が渋沢栄一の支援を得て東京人造肥料会社を設立し, 自ら 社長 兼 技師長となって 日本最初の化学肥料製造にあたった。 この工場は 大正時代まで続いたが, 関東大震災で壊滅した。


東京都立科学 技術高等学校  

新大橋通りに出て 左折  


本村橋   


11:33  猿江恩賜公園 に入ります

   

猿江恩賜公園 – 東京都東部7公園
猿江恩賜公園は新大橋通りをはさんで野球場、庭園のある落ち着いた雰囲気の南園とテニスコート、広場、遊具のある開放的な北園に分かれています。大正13年に昭和天皇の成婚を記念して、現在の南側地区が明治政府より東京市に下賜され昭和7年に旧猿江恩賜公園として開園し、北側地区は昭和21年の計画決定から38年、昭和58年に全園開園となりました。


猿江恩賜公園 じゃぶじゃぶ池  


猿江恩賜公園 桜並木  

  
猿江恩賜公園 さるえゴリオ像  


猿江恩賜公園 サービスセンター  

猿江恩賜公園 テニスコート  


猿江恩賜公園 休憩舎  


猿江恩賜公園 「りんご りんご」土屋 昌義  


猿江恩賜公園 「collecting view in the well」四方 謙一   


猿江恩賜公園 冒険広場  


猿江恩賜公園 芝生広場  


猿江恩賜公園 健康広場  


猿江恩賜公園正面入口 を出て新大橋通りを右折  


  住吉駅(A3出口) ゴールしました  海抜0.0m


次のコース04へ向うため今来た道を小名木川クローバー橋まで戻ります


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  (1.0km)+4.2km=5.2km→(1.1km)+4.4km=5.5km


江東区12 水辺の散歩道~アオサギに会える道~ のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
<木場駅(3出口)>   0.0km  0:00  10:09
 深川北スポーツセンター    1.1km   1.1km  0:17  0:16  0:01  10:25  10:26
野鳥の島   1.5km   2.6km  0:49  0:31  0:01  10:57  10:58
和船   0.5km   3.1km  0:59  0:09  0:01  11:07  11:08
小名木川クローバー橋   0.6km   3.7km  1:11  0:12  0:00  11:20  11:20
猿江恩賜公園   0.6km   4.3km  1:24  0:13  0:00  11:33  11:33 
住吉駅(A3出口)   1.2km   5.5km  1:49  0:25  11:58 
コース04へ
2023/10/13(金)晴   5.5km  1:49   1:46  0:03


江東区12 水辺の散歩道~アオサギに会える道~ の感想
今日は13日の金曜日です。何かが起きなければいいなと思いながら出かけました。ところが駅へ着いてホームに降りると、電車が10分以上遅れています。さらに途中で信号待ちとかでどんどん遅れが広がっていきました。おまけに乗換駅を間違えて行ったり来たりしたため、予定より一時間以上遅れてのスタートでした。
このコースの目玉は野鳥の島ですが、なんと全く見当らずまさかと思いました。それでもかろうじて木の陰に一羽だけいるのを見つけることができました。その代わり千田橋先の歩道にいたアオサギは近づいても逃げることなく、間近に見られたので満足しています。


以上です。
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  深川北                                清澄白河

2023 中野島稲荷神社例大祭 10.7大蔵流狂言 10.8御神楽

南武線中野島駅近くで中野島稲荷神社例大祭のポスターを見つけました。特に「伝統芸能(大藏流狂言)」と「御神楽(国指定重要無形民俗文化財)」に興味を持ち、出かけることにしました。


中野島稲荷神社例大祭ポスター


2023.10.7(土)晴  
中野島稲荷神社宵宮祭 伝統芸能(大蔵流狂言)  


16:30~ ということなので少し早めに行って境内を回ってみます


中野島稲荷神社 境内案内  

中野島稲荷神社 | nakanoshimainari-jinja
江戸幕府の昌平坂学問所で編纂された「新編武蔵風土記稿」(文化・文政期1804~1829年)及び明治時期に神社から国に提出した「神社明細帳」は創建の年代を不詳としていますが、「新編武蔵風土記稿」による限り、江戸の中頃以前には既に祀られていたことが確かです。・・・中野島稲荷神社は矢野口村國安明神(現穴澤天神社)の山本信継神主が兼務しました。この山本神主が明治4年に神奈川県御役所へ提出した「神社明細帳」の写しが残っています。武蔵國多摩郡中之嶌鎮座〔稲荷社〕と記すものです。そして末尾に「古今沿革不詳」「摂社・末社無之」と記しています。この時代には境内に末社は無かったようです。・・・現在の社殿については天保6年(1835年)の棟札があります。昭和40年代に大改修が行われました。拝殿・正面の彫刻などに当時の姿を見ることができます。


多くの屋台が出店しています


神楽殿前には既に何人か待っている人がいました


中野島稲荷神社  拝殿  

主祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)  ご神徳 商売繁盛・事業繁栄・乳幼児守護
相 殿 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)    ご神徳 合格・学業成就


中野島稲荷神社  聖徳太子堂   

【秋葉社】  

ご祭神 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)   ご神徳 防火


このお釜は何でしょう?


【水神社】  

ご祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)  ご神徳 水災防護


【照信明神社】  

ご祭神 瘡の神(かさのかみ)未詳   ご神徳 皮膚病治癒


【地神社】  

ご祭神 大地主神(おおとこぬしのかみ)  ご神徳 境内地守護


【川除稲荷社】  

ご祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)   ご神徳 水害防護


左 川除稲荷社  奥 聖徳太子堂  


境内の屋台


16:27  神楽殿で狂言の説明が始まりました


「わっ はっ はっ はっ はっ はー」と笑いの練習


舞台の壁


演目1  以呂波(いろは)  男子2名

以呂波・伊呂波|狂言・能楽の歴史|文化デジタルライブラリー
※大蔵流では『以呂波』、和泉流では『伊呂波』と表記します。
あらすじ:このあたりに住む祖父(おおじ)が、孫に「いろは」を教えようと思い、「いろはにほへとちりぬるを……」と吟ずると、孫は一字一字教えてくれと注文します。祖父が「い」と教えると、孫は「燈心(とうしん)」と答え、藺(いぐさ)を引くと燈心が出る*1と言います。「ろ」と教えると「かい」と答え、舟には櫓櫂(ろかい)があるといいます。「ちり」と教えると、お座敷にチリがあるので掃き集めて火にくべろと言います。祖父は、そういうのは走り知恵といって何の役にもたたぬと叱り、今度は自分の言う通り口真似をしろと命じますが、孫は祖父が叱る言葉までそっくり言い返します。ついに祖父が怒って孫を引き倒すと、孫も同様に祖父を引き倒し、立ち去ります。祖父は起き上がると怒って後を追います。

*1 藺のことを「い」と言い、その髄(ずい)を燈心に用いました。


演目2 盆山(ぼんさん)   女子2名

盆 山(ぼんさん) | 狂言共同社
登場人物  盗人・家主
近年世間では盆山が大流行。男も所有はしているものの今一つ気に入った盆山がありません。また知り合いの主人は豪華な盆山をいくつも所有しているとの事。男は一計を案じて、その知人宅の屋敷へ夜な夜な忍び込み、好みの盆山を無断で拝借することに・・・。
盆山とは平たいお盆を下地にして、盆栽に似た鉢植えや箱庭のような物で情景を象ったものです。狂言の基礎的な演出(特徴)が多く取り入れられていることから、学校公演などで部分解説を交えながら上演する事もあります。

演目3 ?               男2名


演目4 小舞 雪山   女子2名


出演者挨拶


全員で「わっ はっ はっ はっ はっ はー」


演目5 寝音曲(ねおんぎょく)     男2名

寝音曲(ねおんぎょく)|能楽の淵
あらすじ:主人に謡を謡えといわれた太郎冠者は、酒を飲まないと声が出ないとか、妻の膝枕でなければ謡えないなどともったいをつけます。主人は太郎冠者に酒をふるまい、自分の膝に寝かせて謡わせます。主人が寝ていないと声が出ないという太郎冠者の体を起こすと、やはり声がかすれて出ません。しかし、何度も寝かしたり起こしたりしているうちに、太郎冠者が取り違えて、寝かせると声がかすれ、起こすと声が出、しまいには調子に乗って立って舞い始めてしまうのでした。

左が 大藏教義大藏流能楽師狂言方 

大藏流 - Wikipedia
狂言の流派のひとつ。猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える唯一の流派。大藏流の歴史は、流祖玄恵法印(1269-1350)。二世日吉彌兵衛から二十五世大藏彌右衛門虎久まで700年余続く。
猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える能楽狂言最古の流派で、代々金春座で狂言を務めた。大藏彌右衛門家が室町後期に創流した。
現在大藏家では二十四世の長男、二十五世宗家・大藏彌右衛門虎久(基嗣)と、その弟の吉次郎(基義)、彼らの子である『大藏三兄弟』、大藏彌太郎(虎久の長男)・大藏基誠(虎久の次男)・大藏教義(吉次郎の長男)。大藏康誠(基誠の長男)、大藏章照(千虎の長男)の7人が大藏の名を名乗り東京を中心に活躍している。


ノリノリ狂言生活|大藏教義(おおくら のりよし)
能楽師狂言方大藏流。誰が見ても面白い狂言は、人を幸せにできると信じています!!!モットーは、明るく楽しく元気よく!!プロフィールの詳細や公演情報は【大藏流吉次郎狂言会公式WEB】kichijirou-kyougenkai.jpをご覧ください☆


大藏流吉次郎狂言会
大藏教義  昭和56(1981)年生まれ。2世大藏吉次郎の長男。駒沢大学文学部歴史学科卒。
第24世宗家故大藏彌右衛門及び、父に師事。4才で『業平餅』の稚児役で初舞台を踏み、今日までに狂言における大曲・秘曲、「末廣がり」「千歳」「那須」「三番三」「釣狐」を披く。

各能楽堂での活動の他、日本全国での学校狂言や海外公演・飛鳥Ⅱ船上狂言など多数参加。 また狂言界の窓口を広げるためにも「狂言教室」を開講し、狂言の魅力を紹介。


指導者・人材情報 演劇・舞踊その2 | 川崎市生涯学習財団
大藏 教義 (オオクラ ノリヨシ/1981年生/男性)  指導内容【能・狂言】
基本は古典演劇に準ずる「狂言」と舞踊「小舞」を覚えて頂きます。
それぞれに発声と形があり、指導者が手本を見せ、真似ることから動きや作法、発声を身につけていきます。訓練により美しく表現することができるようになります。狂言は喜劇ですので、舞台で演じること、台詞を覚えること、また大声を出すこと事態がたくさんの良い影響を及ぼします。


2013.10/12 中野島稲荷神社奉納狂言 奉納レポ - ノリノリ狂言生活


17:20  神社前の道路は狭いため屋台と屋台の間を通り抜けるのが大変です


2023.10.8(日)曇時々雨
中野島稲荷神社例大祭 御神楽(国指定重要無形民俗文化財)


小雨模様でしたが昨日に続いて中野島稲荷神社例大祭へ出かけました。今日はお神楽と餅まきがあります。


18:30~ 開始の案内だったので少し前に行きました
雨が降っていたせいか幟は出ていません

境内には人がいっぱいいます


舞台の準備は整っているようです

今日の御神楽は4年前に稲城市の穴澤天神社で見たのと同じ山本社中でした
2019.8.25 小沢城址徹底散策&穴澤天神社大祭 - mesetaのブログ


昨日あった神楽殿前の御座はかたずけられていて、誰もいません


重要無形民俗文化財  江戸の里神楽山本社中  

江戸の里神楽|国指定文化財等データベース  重要無形民俗文化財  
指定年月日 : 1994.12.13(平成6.12.13)    東京都   保護団体名 : 若山社中,間宮社中,松本社中,山本社中
江戸の里神楽【さとかぐら】は、江戸時代から、神楽を専門に行う「神事舞太夫【しんじまいたゆう】」によって、随時、江戸や近隣の各地の神社祭礼で演じられてきたもので、その始まりは、江戸時代初期に伝わった鷲宮【わしのみや】神社(埼玉県)の「土師一流催馬楽神楽【はじいちりゆうさいばらかぐら】」とされる。文化文政期(一八〇四~三〇)に最も隆盛し、明治維新に際しその多くが四散したが、なお明治初期には江戸に三七家が存続した。その後さらに衰退し、現在、主要な社中として若山(台東区蔵前)、間宮(品川区東大井)、松本(荒川区西日暮里)、山本(東京都稲城市矢野口)の四社中が、それぞれ活動を継承している。
この里神楽は、一定の神社にのみ附属するものではなく、各地の神社の祭礼に、主として各神社の氏子などからの時々の依頼に応じて演じられてきたもので、近年、若山社中は、神田【かんだ】神社(千代田区)、浅草【あさくさ】神社(台東区)など三十数社の、間宮社中は品川神社(品川区)、奥沢【おくさわ】神社(世田谷区)など十数社、松本社中は日枝【ひえ】神社(千代田区)、湯島【ゆしま】神社(文京区)など二十数社、山本社中は穴澤天【あなざわてん】神社(稲城市)、大国魂【おおくにたま】神社(府中市)など十数社の、それぞれ例大祭などで、各神社の舞殿【まいでん】(神楽殿【かぐらでん】や神楽堂【かぐらどう】などともよばれる)で演じている。    


江戸の里神楽(山本頼信社中) | 神楽 | 日本伝統文化振興機構(JTCO)
山本頼信社中の「江戸の里神楽」は、初代の山本権律師弘信が室町時代初期の応安6年(1373年)に創始したといわれています。山本家の近くにあった国安神杜で神楽を舞ったのが始まりと言われ、『江戸名所図会』(天保7年刊)には、国安神社と仮殿・社人の建物が描かれ、この仮殿として描かれた建物が、祈祷殿としての機能をもち、諸事の祈祷や神楽を舞う場所として使われたのではないかと考えられます。
山本家には江戸時代中期の写本と思われる『神事式名録』という神楽の台本のほかに、明和6年(1769年)に記された『岩井神杜鈴森御神楽格式』という古文書(神楽の演目と持ち物・形相を記載)など数々の資料が残っています。これらの資料により、江戸時代から現在に至るまで里神楽が綿々と受け継がれてきたことがわかります。また江戸時代中期頃で50座の里神楽が演じられていたことが記録されています。


江戸の里神楽(さとかぐら)|稲城市
稲城の江戸の里神楽:山本頼信(やまもとよりのぶ)社中の江戸の里神楽は、初代の山本権律師弘信(やまもとごんりつしひろのぶ)が室町時代初期の応安(おうあん)6年(1373年)に創始したといわれ、現在の家元山本頼信氏は十九代に当たります。山本家の近くにあった国安神杜(くにやすじんじゃ)で神楽を舞ったのが始まりと言われ、『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』(天保(てんぽう)7年刊)には、国安神社と仮殿(かりでん)・社人(しゃじん)の建物が描かれ、この仮殿として描かれた建物が、祈祷殿(きとうでん)としての機能をもち、諸事の祈祷や神楽を舞う場所として使われたのではないかと考えられます。
山本家には江戸時代中期の写本と思われる『神事式名録(しんじしきめいろく)』という神楽の台本のほかに、明和(めいわ)6年(1769年)に記された『岩井神杜鈴森御神楽格式(いわいじんじゃすずがもりおかぐらかくしき)』という古文書(こもんじょ)(神楽の演目と持ち物・形相(ぎょうそう)を記載)など数々の資料が残っています。これらの資料により、江戸時代から現在に至るまで里神楽が綿々と受け継がれてきたことがわかります。また江戸時代中期頃で50座の里神楽が演じられていたことが記録されています。


予定の18:30が過ぎても始まる様子がありません
どうやら予定を変更して最初の演目は18:00から始められ、現在休憩中ということが隣にいた人同士の会話で分りました
しかし、変更になったことも、いつ始まるかもアナウンスは一切ありません
雨もあたっているので、中止になるのではないかと不安になりました


18:57  待つこと30分、お囃子の人達が出てきました


19:09  ようやく歌舞伎の花道のようなところから演者が登場してきました


演目1  八幡山  
八幡山 : AmanoSagume
仲哀天皇の崩御を受けて、妃の神功皇后(息長垂比売)が夫に代わり三韓征伐へと向かう。その出陣の一場面です。神功皇后は家臣の武内宿禰を呼び寄せ出陣の準備を致します。
江戸流と大きく異なる点として、弓の舞は武内宿禰が舞います。連舞もなく、かわって陣固めの舞が含まれます。 江戸流が戦で指揮を振るう演出なのに対して、山本社中では戦の準備を整える演出となっています。


神功皇后(息長垂比売)(おきながたらしひめのみこと)

神功皇后 戦国武将を支えた女剣士/ホームメイト
神功皇后は、日本武尊(やまとたけるのみこと、以後ヤマトタケル)の第2子・14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で、15代応神天皇(おうじんてんのう)の母とされる人物。神と交感する能力を持つ巫女的な女性であったとされ、神功皇后についてのエピソードは、どれも非常に神がかっています。


武内宿禰(たけのうちのすくね) 登場

武内宿禰(たけしのうちのすくね)の姿と伝承|ご利益・神社
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の各天皇に仕えたとされる忠臣。実に三百六十歳という長寿を誇る伝説的な存在の神さまです。延命長寿や武運長久の神、宰相の神として崇敬されています。


19:42  花道を下がっていきます


ここで休憩になりました


20:08  次の演目のお囃子が舞台に登場
それまでガラガラだった舞台前はいつのまにかいっぱいになりました

恐らくこの後の「餅まき」が近づいてきたからだと思われます


演目2  勧進の舞  


20:10  演者登場


20:21  演じている途中に係の人が出てきて時間になった旨告げました


この後役員紹介があり、いよいよ「餅まき」が始まりました


みんな必死になって手を伸ばしてお餅をつかもうとしています
こっちにこないかなあと待っていたところ、丁度いい具合にお餅が飛んできました

ゲットした「お餅」


写真を撮るのを忘れるほど夢中になってしまいました


20:26  全てまき終わり、お開きです



2023 中野島稲荷神社例大祭 10.7大蔵流狂言 10.8御神楽 の感想
中野島稲荷神社の前は通勤で毎日通っていました。夜神楽殿に電気が灯り、子供たちの練習する声を何度も聞いています。きっと、今日見た大蔵流狂言の練習だったと思います。
例大祭の日は屋台で道が狭くなり、まともに歩けないため余り良い印象はなく狂言・御神楽も初めて見ました。
ポスターに御神楽(国指定重要無形民俗文化財)とあり興味を引かれたのです。まさか穴澤天神社で4年前に見たのと同じ江戸の里神楽山本社中だとは思いませんでした。翌年穴澤天神社例大祭へ行ったところ、新型コロナの影響により見られなかったのです。
中野島稲荷神社例大祭も久しぶりの開催で、活気を取り戻していました。狂言にしろ御神楽にしろ、伝統芸能の継承に地元の人達が協力し合っていることは素晴らしいことだと感じました。


以上です。

江東区01 下町亀戸ご利益・グルメ満喫 TOKYO Walking Map 2023.10.5

2023.10.5(木)晴時々曇  4.0km→4.7km
ルート:亀戸駅(北口)→亀戸梅屋敷→香取神社→江東天祖神社→龍眼寺→亀戸天神社→亀戸駅(北口)


江東区02を歩き終え亀戸水神駅から東武亀戸線に乗り亀戸駅に着きました。


亀戸駅(北口)


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

江東区01 下町亀戸ご利益・グルメ満喫
下町らしい風景の中を歩くコースです。スカイツリーをながめながら神社をめぐるという新旧のアンバランスが楽しいコースです。
最寄駅:亀戸駅(JR) 亀戸駅(東武鉄道) 亀戸駅前(都営バス) 所要時間:約1時間 距離:約4.0km 消費カロリー:約180kcal 歩数:約5720歩


13:47  亀戸駅(北口)  スタートしました

明治通り 亀戸駅北口交差点 直進
 
13:55  亀戸梅屋敷  

歌川広重の浮世絵をモチーフにした屋敷に、観光案内所やお店、寄席が集合。

亀戸梅屋敷 | Kameido Umeyashiki
いまなお人情と江戸の風情が色濃く残る亀戸に開館した「亀戸梅屋敷」。観光案内や名産品販売、各種イベント開催など、江戸・下町情報を愉しんでいただく、新しい観光スポットです。
福亀館:亀戸の見所案内と、名産物を販売する和風造りの空間です。
文芸館:地域住民・観光のお客様の交流の場として、どなたにもお気軽にご利用いただけるくつろぎ空間です。各種イベントや展示会も開催します。


オブジェ設置:令和3年3月29日「日本神話ストーリー絵画パネル」、同年4月12日「ヤマタノオロチのオブジェ」、4月13日「茅の輪」を設置。

令和4年春には「火の見櫓への日本神話シンボルマーク創設」を実施。


亀戸四丁目交差点 左折 蔵前橋通りへ   信号を渡ったところ


すぐ右折  


香取神社商店街 へ  


14:04  香取神社  

古くから武道家達の崇敬を受けた神社。今は「スポーツ振興の神」として有名です。


香取神社 木遣音頭碑  

香取神社 亀戸大根之碑  


スポーツ振興の神 亀戸 香取神社
天慶の昔、平将門が乱を起こした際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願しました。乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、「勝矢」と命名されました。この古事により、1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられています。このような由来から、亀戸 香取神社は「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げています。


香取神社 勝石  


香取神社 恵比寿天大黒天像  


亀が井の由来  


香取神社 境内社  


香取神社を出ます  

明治通り 福神橋交差点 左折 浅草通りへ   


北十間川に沿って進みます  右側は墨田区で何度も通りました 


梅屋敷跡(臥龍梅跡)  通りの反対に見えました

梅屋敷跡|観光情報 | 江東おでかけ情報局
梅屋敷は、伊勢屋彦右衛門の別荘で、多くの梅の木が植えてあったことからこう呼ばれるようになりました。徳川光圀は、その中の一株の梅が、まるで龍が地を這うように咲いていたので臥龍梅と命名しました。江戸時代は、行楽地として有名でしたが、明治43年(1910)の水害により、すべて枯死し、廃園となりました。


境橋  直進


祐天堂  

東京都江東区の歴史 祐天堂
昭和41年(1966)に設けられた当時の説明板等に拠りますと、その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。その際に、これらの仏に戒名を与え祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。


木下川やくしみち道標  

東京都江東区の歴史 木下川やくしみち道標
高さ71センチのこの道標は、ここ境橋から、木下川薬師堂(葛飾区東四ツ木1丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居掘通り)を示すものです。



柳島歩道橋 階段を上り 歩道橋に  

                             


浅草通りを戻り すぐ右折  


14:29   江東天祖神社  

創建は推古天皇の時代、とのこと。現在の社殿は日本初の鉄骨筋コンクリート製。

江東天祖神社|亀戸七福神福禄寿
この地域は、埋め立てが進められる以前、湾の奥にあたり小島が点在する様な所でした。近所の地名に大島・京島・向島などの島の付く地名が多いのはこのせいで、そのひとつが柳島、その島の総鎮守が当社である。そんな訳で、往年度重なる大洪水大震災、先の大戦等で、文献等流失・焼失し現在の記録、古老の言い伝えの社殿に寄れば、創建は推古天皇御代(約千四百年前)、厩戸皇子(聖徳太子)作のご神像を御神体として祀る。

 

江東天祖神社  福禄寿  


江東天祖神社 太郎稲荷神社  


江東天祖神社 を出ました  


細い路地を進みます  


亀島小学校記念公園   

2078/1000 亀島小学校記念公園(東京都江東区)-日本1000公園
昭和56年(1981)、「江東区立亀島小学校」が地元の強い要望によりこの地に創立されました。以来21年を経過した平成14年(2002)、学童の減少により廃校となりました。小学校跡地の一部を公園として開園するにあたり、その名を後世に伝えるため、公園の名称を「亀島小学校記念公園」としました。

横十間川に出て左折  


14:42  龍眼寺  

「江戸名所図会」にも描かれた古寺。鯉&東京スカイツリーのコラボも!


龍眼寺 本堂  

【 龍眼寺 】 通称萩寺 -天台宗 錦糸町・押上の緑豊かなお寺- 龍眼寺公式ホームページ
天台宗 慈雲山 無量院 龍眼寺(萩寺) 龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。


龍眼寺 布袋堂  


龍眼寺 寺務所  


龍眼寺 不動堂  


龍眼寺 地蔵堂  

龍眼寺 境内


栗原橋  横十間川  直進

  
天神橋 左折 蔵前橋通りへ   


亀戸天神入口交差点 左折   

14:58  亀戸天神社  鳥居  

菅原道真公を祀る神社。太宰府天満宮を模した太鼓橋や心字池と藤棚などが見どころ。

亀戸天神社|公式ホームページ
菅原道真公をお祀りする当社は、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約360年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。


亀戸天神社 太鼓橋(男橋)   

九州太宰府天満宮の境内に習って造られ、心字池に架かる三つの橋は、それぞれ過去・現在・未来を表しています。橋を渡ることで心身を清め、御神前にお進みいただきます。


亀戸天神社 藤棚・心字池   


亀戸天神社 弁天社  

藤、太鼓橋、心字池などで当神社が江戸の新名所として有名になり、心字池畔に祭られているお社をその当時の文人が上野不忍池(しのばずいけ)に見立てて「弁天堂」「弁財天同」と称したことから「弁天社」と呼ばれるようになりました。


亀戸天神社 太鼓橋(女橋)  


亀戸天神社 五歳菅公像  

「昭和52年の道真公神忌1075年大祭記念とし奉納され、台座には5歳の時庭園の紅梅を詠まれた和歌を刻してあります。」  美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある

亀戸天神社 社殿  


亀戸天神社 琴柱燈籠  

大鳥居をくぐり、太鼓橋と平橋を渡ってすぐ左側に心字池から柔らかな曲線の脚で支えられた琴柱灯篭があります。この名前は、琴の弦を支える琴柱の形に似ていることに由来します。


亀戸天神社 文房至宝碑  


亀戸天神社 御嶽神社  

卯の神として知られ御本殿の東側に建てられています。菅原道眞公の学問の先生を祀ってあり、特に1月の初卯、二の卯、三の卯は卯槌、卯の神札が配られます。


亀戸天神社 太助灯籠  

塩原太助が氏神様である当神社に1781年に石灯篭二基を奉納しましたが今は、御嶽神社の脇に一基残っています。


亀戸天神社 歌川豊国の碑  


亀戸天神社 太鼓橋(女橋)  

亀戸天神社 松尾芭蕉句碑  

境内には100近くの石碑が点在していますが、その中に松尾芭蕉句碑が境内の東側の参道にあります。後年深川に住まいを構え、庭に芭蕉を植えたところから、芭蕉庵と称し俳号を芭蕉と称しました。「しばらくは花の上なる月夜哉」の句が詠まれ、芭蕉が吉野へ旅した時、満開の桜とその上に浮かぶ月を詠んだ句と言われます。



亀戸天神社 太鼓橋(男橋)  


亀戸天神社 筆塚  

道真公の筆跡を神筆と称し、空海と小野道風とに並ぶ能書家といわれたことに因み「書道の神」と仰がれておりました。そのことから、「筆塚祭」には書道上達、学問の向上を願う人々が、使い古した筆を納め、一層の上達を祈願します。


亀戸天神社 を出ます

  
蔵前橋通り 亀戸天神通り交差点 右折 すぐ左折  


明治通りへ出て右折 すぐ左折して水神通りへ  

水神通り 江東年金事務所手前を右折  


狭い道を進みます


亀戸駅が見えてきました


15:30  亀戸駅(北口)  ゴールしました


亀戸駅前公園(羽亀公園)に「四神・玄武(はね亀)」があるというので、見に行きます


四神・玄武(はね亀)   

江東区に四神降臨!街の発展を見守る霊獣たちを巡る【東京都江東区】 – ローカリティ!
【北】下町に、愛嬌たっぷりの「玄武」 亀戸駅前公園に設置されている翼を生やした三匹の亀の像。それが北を守護する「玄武」のモニュメントです。本来の玄武は尻尾が蛇の巨大な亀の姿をしているといわれますが、亀戸の玄武はとても愛嬌があり可愛らしくみえます。


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  4.0km→4.7km


江東区01 下町亀戸ご利益・グルメ満喫 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
亀戸駅(北口)   0.0km  0:00  13:47
亀戸梅屋敷   0.5km   0.5km  0:11  0:08  0:03  13:55  13:58
香取神社   0.4km   0.9km  0:23  0:06  0:06  14:04  14:10
江東天祖神社   1.2km   2.1km  0:48  0:19  0:06  14:29  14:35
龍眼寺   0.4km   2.5km  1:01  0:08  0:05  14:43  14:48
亀戸天神社   0.8km   3.3km  1:25  0:10  0:14  14:58  15:12 
亀戸駅(北口)   1.4km   4.7km  1:43  0:18  15:30 
 2023/10/05(木)晴時々曇    4.7km  1:43   1:09  0:34


江東区01 下町亀戸ご利益・グルメ満喫 の感想
このコースで来たことがあるのは亀戸天神社だけで、他は初めてのところばかりです。
香取神社の恵比寿神・大国神、天祖神社の福禄寿と龍眼寺の布袋尊は亀戸七福神に含まれています。同じエリア内に普門院の毘沙門天、東覚寺の弁財天、常光寺の寿老人がありますが、コースルート上ではなく残念ながら訪ねていません。
亀戸天神社は前回見なかったところも回ることができました。しかし奥の方にある新牛や燐寸塚、累卵塔、紅梅殿などを見落としたため、次の機会に回りたいと思います。


以上です。
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