mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

荒川区06 Fコミュニティバス「さくら」コース TOKYO Walking Map 2024.7.23

2024.7.23(火)晴   5.8km→6.0km
ルート:荒川区役所前→<荒川総合スポーツセンター>→<回向院>→南千住駅西口→<素盞雄神社>→町屋駅→<荒川公園>→荒川区役所前


荒川区三日目はコース06,09,13の3コースを歩きます。
このコースは南千住駅西口がスタート地点になっていますが、循環コースなので次の移動を考慮して荒川区役所前からスタートすることにしました。


トウキョー ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

荒川区06 Fコミュニティバス「さくら」コース
最寄駅:南千住駅(JR) 南千住駅(東京メトロ) 南千住駅(つくばEX) 南千住駅西口(都営バス) 南千住駅西口(さくら) 所要時間:約87分 距離:約5.8km 消費カロリー:約261kcal 歩数:約8286歩


10:03  荒川区役所前 都電停留所  スタートしました


停留所を出て右折 千住間道へ  


「露の季節」藤巻秀正 


10:10  <荒川総合スポーツセンター>  


「光影」橋本 次郎  


「春のうたが聞こえる」御正 進  


南千住警察署 


南千住警察署入口交差点(日光街道)直進  


第二瑞光小学校前交差点 左へ 

突当り 右折 コツ通り(旧日光街道)へ  


常磐線 手前右にある 回向院 へ寄ります


12:27  小塚原回向院 

回向院(小塚原回向院) - 荒川区立図書館
南千住駅すぐ側のコツ通り(東京都道464号)沿いにある回向院は、浄土宗のお寺で、正式名称は豊国山回向院です。現在の本堂は、昭和49年(1974)に建立されていますが、創建は寛文7年(1667)の江戸時代になります。本所回向院(墨田区)が、小塚原の刑場の地を持地とし、別院として常行庵(回向院下屋敷)を建てたのがはじまりです。


回向院 観臓記念碑  

明和8年(1771)に、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らが、ここで腑分け(解剖)を見学し、オランダ語版解剖書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をはじめ、『解体新書』を刊行した記念碑となります。この記念碑は、大正11年(1922)に建てられましたが、戦災により破損し、『解体新書』の扉絵をかたどった青銅板だけを移し、新たに再建されています。


回向院 小塚原の刑場跡  


回向院 カール・ゴッチの墓 

〝神様〟カール・ゴッチのお墓が南千住にできたワケ 回向院住職が激白「八方ふさがりでウチに来た」(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
2024/7/7(日)   ゴッチのお墓は没後10年たった2017年(平成29年)に建立された。ゴッチの遺骨は火葬された後、ゴッチの遺言で弟子たちによりフロリダ州タンパの北部にある湖に、亡きゴッチ夫人の遺骨とともに散骨されたが、分骨された遺骨を保管していたジョー・マレンコが日本に持参して一部を墓に納めた。

回向院 左から 鼠小僧の墓  直侍(片岡直次郎)の墓  高橋お傳の墓  腕の喜三郎の墓

鼠小僧(ネズミコゾウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
[1795~1832]江戸末期の盗賊。本名次郎吉。動作が敏捷(びんしょう)で、大名屋敷だけに忍び込んだことから、義賊との評判が高かった。天保三年(一八三二)処刑。小説・講談・歌舞伎などに多く取り上げられた。鼠小僧次郎吉。
片岡直次郎(かたおか・なおじろう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
江戸後期の小悪党。通称直侍。旗本渡り用人の次男として生まれた。河内山宗俊と共に悪事を働き入獄したが文政7(1824)年追放となった。再びゆすりたかりを行ったため召し捕られ,江戸千住小塚原で処刑された。買いなじみの吉原大口屋の遊女三千歳が死骸を引き取り回向院に墓を立てた。寛政5(1793) 生  天保3.11.23 (1832.12.14)没
高橋お伝(タカハシオデン)とは? 意味や使い方 - コトバンク
[1851~1879]夫殺しその他の悪事を重ね、明治初期に処刑された女性。群馬の生まれ。その行状は仮名垣魯文「高橋阿伝夜叉譚やしゃものがたり」、河竹黙阿弥「綴合於伝仮名書とじあわせおでんのかなぶみ」などに脚色された。
腕の喜三郎(ウデノキサブロウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
1642-1715 江戸時代前期の侠客。寛永19年生まれ。寛文のころ江戸神田で旗本奴(やっこ)と喧嘩。相手を数人きったが,自分も片腕をきられておちんばかりとなったので,その腕を鋸できりとらせたという。以来腕の喜三郎とよばれ,のち歌舞伎などに脚色された。正徳(しょうとく)5年12月死去。74歳。


回向院 橋本左内(景岳)の墓と碑  

橋本左内(景岳) | 歴史あれこれ | 公益財団法人 歴史のみえるまちづくり協会
生没:天保5年(1834)~安政6年(1859)  幕末の福井藩士。天保5年(1834)福井城下の医師の家に生まれた。15歳のとき「啓発録」を著して、自らの生き方を明らかにした。嘉永2年(1849)、大阪の緒方洪庵に師事して蘭学、医学を学び藩医となるが、学問への志は強く、安政元年(1854)より江戸に遊学。藩主春嶽の右腕として、将軍継嗣問題や外交問題等の国事に奔走し、世界的な視野を持って、幕府や諸藩の有志と親交を結んだ。
井伊直弼が大老に就任すると、安政の大獄により幽閉され、安政6年(1859)10月7日、26歳の若さで斬首された。


回向院 吉田松陰の墓  

吉田松陰(ヨシダショウイン)とは? 意味や使い方 - コトバンク
幕末の尊王論者、思想家。長州藩士。杉常道の二男。名は寅次郎。吉田家の養子。ペリー浦賀再来の時海外密航を企て失敗し、萩の野山獄に入れられた。出獄後の安政三年(一八五六)玉木文之進が創設した松下村塾を継いで、尊王攘夷運動の指導者を育成した。安政の大獄で刑死。天保元~安政六年(一八三〇‐五九)


回向院 吉展地蔵尊 

吉展地蔵尊(小塚原回向院) - お地蔵さんブログ
1963年3月31日に台東区入谷町(現在の松が谷)で男児誘拐殺人事件が発生しました
日本で初めて報道協定が結ばれた事件であったこと、犯人が身代金奪取に成功したこと、事件が迷宮入りして解決まで2年以上要したことなどから、国民的な関心を集めた事件となりました
事件の被害者である村越吉展ちゃんの菩提寺である小塚原回向院入口近くに、供養の為に吉展(よしのぶ)地蔵尊が祀られるようになりました


回向院 を出ました 


常磐線 に沿って進みます 


10:36  南千住駅西口  


松尾芭蕉像 南千住駅駅前 

戻って回向院手前を 右折 コツ通り(旧日光街道)へ  


南千住交差点 日光街道を越えます


10:48  <素盞雄神社>  コース03で来ました


素盞雄神社 松尾芭蕉の碑 


素盞雄神社 天王宮 瑞光石 


素盞雄神社 富士塚 


素盞雄神社 社殿 修復中


素盞雄神社 を出ました

旧日光街道を進みます  


橋本左内墓旧套堂(さやどう) 先程回向院で見たのと同じ形です 

橋本左内の墓旧套(さや)堂/荒川区公式サイト
もともと回向院にあった「橋本左内の墓旧套堂」が荒川区に寄贈され、平成21年3月に荒川ふるさと文化館前に復元されました。套堂(鞘堂と同意)とは、本体の建物などを保護するために、それを覆うように建てられるものです。この旧套堂は、昭和8年(1933)に橋本左内の墓を保護するために造られたもので、伝統的な建築の意匠と近代的工法との折衷を図った、近代仏教建築の例と言われています。


荒川ふるさと文化館・南千住図書館  


都立荒川工科高等学校 を迂回するようにコの字に曲ります


南千住野球場  


南千住野球場 「昇華」重岡建治 


南千住野球場 「愛の変容」工藤健 

南千住野球場 「影」浦山一雄 


右折して 若宮八幡通りへ  


若宮八幡宮  

東京都荒川区の歴史 若宮八幡神社
若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家(源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことを推測させる。


突当り 左折  


若宮八幡児童遊園  板紙発祥の地 

板紙発祥の地 - 発祥の地コレクション
明治21年8月10日 東京板紙会社 社長佐久間貞一が, この地に工場を設立し, 翌22年(1889)6月新式抄紙機を英国から輸入するとともに外国人技師を 雇い, 稲藁を原料としてボール紙の生産を開始した。


突当り 右折 

隅田川手前 左折  


左は 三河島水再生センター その奥がコース07で行った荒川自然公園です


京成本線手前 左折  


京成本線に沿って  


荒川自然公園 入口 


藍染川通り  


都電荒川線踏切 と 京成スカイライナー 


11:38  町屋駅  

花の木交差点 斜め左へ  


信号 左折 荒川西中央通りへ  


第二峡田小学校前交差点 右折 荒川中央通りへ  


荒川三丁目交差点 左折 明治通りへ 


荒川区役所 入口


12:01  <荒川公園> 


荒川公園 「夢」北村 西望 

 荒川区役所 


荒川公園 「ふたり」天野浩子 


荒川公園 「信じていること」中澤 安奈 


荒川公園 トルハルバン 


荒川公園 「青年の肖像」今井亮介 


荒川公園 「パレス」菊池言美 


荒川公園を出ました 


サンパール荒川前交差点 斜め左へ


サンパール荒川 

荒川区民会館(サンパール荒川)|東京都荒川区
サンパール荒川は、地域文化の高揚を図るため、区民の文化活動の拠点として設けられた施設です。大小のホールや、会議室としてご利用いただける集会室を備えています。


荒川一丁目 


 12:15 <荒川区役所前> 都電停留所 ゴールしました


ゴールした場所から次のコース09へ向います


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ 5.8km→6.0km 


荒川区06 Fコミュニティバス「さくら」コース のコースタイム

経由地 距離km 見学km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
荒川区役所前   0.0km  0:00  10:03
<荒川総合スポーツセンター>    0.4km   0.0km   0.4km  0:07  0:07  0:00  10:10  10:10
<回向院>   0.8km   0.1km   1.3km  0:30  0:17  0:06  10:27  10:33
南千住駅西口   0.2km   0.0km   1.5km  0:33  0:03  0:00  10:36  10:36
<素盞雄神社>   0.5km   0.1km   2.1km  0:49  0:12  0:04  10:48  10:52
町屋駅   2.1km   0.0km   4.2km  1:35  0:46  0:00  11:38  11:38
<荒川公園>   1.3km   0.1km   5.6km  2:05  0:23  0:07  12:01  12:08 
荒川区役所前   0.4km   6.0km  2:12  0:07  12:15 
コース09へ
2024/07/23(火)晴   5.7km   0.3km   6.0km  2:12   1:55  0:17


荒川区06 Fコミュニティバス「さくら」コース の感想
朝出がけに千代田線運休中のニュースが飛び込んできました。乗り入れている常磐線が信号確認のため遅延している影響ということです。千代田線に乗り入れている小田急線も同様遅延しているようです。当初千代田線町屋経由で行く予定だったのを、急遽大塚駅から都電で荒川区役所前へ向うように変更しました。小田急線に乗ってすぐは順調に走行していましたが途中で停車すると全く動かなくなり、通勤時間で混み合っているなか通常の倍以上かかってしまいました。かなり遠回りしたこともあって、スタート時間は予定よりも1時間近く遅くなっています。
回向院はたまたま立ち寄ったところ、多くの著名人の墓があって驚きました。
これまで行ったところに同じ人の墓所があったので、調べてみました。
鼠小僧(1795~1832):墨田区13の両国回向院の墓は明治時代に建てられた供養墓
高橋お伝(1850~1879):台東区05谷中霊園の墓は供養簿で遺骨は納められていない
吉田松陰(1830~1859):萩市松陰誕生地に隣接した団子岩とよばれる小高い風光明媚な場所にある墓は遺髪を埋めて造られた、また世田谷区松陰神社の墓は墓碑で亡骸は千住小塚原回向院より世田谷若林大夫山の楓(紅葉)の木の下に改葬された
ということらしいです。


以上です。92
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