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ウォーキングとフラメンコ
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多摩区3旧津久井道と職人の街を歩く 川崎市各区の散策 2025.08.28

メセタ

2025.08.28()  6.0km→5.7km

ルート:①小田急線向ヶ丘遊園駅~②二ヶ領用水本川/小泉橋~③大道橋~④寿々木饅頭屋・麹屋~⑤多摩区役所~⑥丸山教本庁~⑦光明院~⑧登戸稲荷社~⑨善立寺~⑩せせらぎ館/宿河原堰~⑪リバーサイドポイント (柏屋)~⑫登戸の渡し~⑬吉澤石材店北向地蔵/馬頭観音 跡~⑭小田急線/南武線 登戸駅


多摩区三日目はコース3・5・6の3コースを歩きます


川崎市:ウォーキングのススメ

各区のウォーキングマップや散策コースを集めてみました!

<参考>

旧津久道と職人の街を歩く 多摩区観光協会

現在はない下駄、提灯、馬具などの職人の店が並んでいた津久井道、登戸宿の面影をたどるコース

水と緑と学びのまち!多摩区。多摩川と旧津久井道が交わる登戸は江戸時代より物流の拠点であり、多くの商人や職人が行き交う町でした。新しく生まれ変わる町並みから、昭和・江戸時代の面影をたどります。


多摩区3旧津久井道と職人の街を歩く


  ①小田急線 向ヶ丘遊園駅 北口 スタートしました  

昭和2年(1927)に小田急線が開通。当時の駅名は「稲田登戸駅」でしたが、向ヶ丘遊園の再整備に伴い、昭和30年(1955) に現在の駅名となりました。北口駅舎は建設当時のままの姿であり、昭和のレトロな雰囲気のある屋根の形が、懐かしい趣を醸し出しています。


向ヶ丘遊園駅 北口 は工事中で一般車は入れません 


一番左の道へ 


小田急線に沿って進みます  


突当り 右折 府中街道下 


登戸1号街区公園  


旧小泉橋の桁石・親柱  明治34(1901)年開通


榎戸の庚申塔  

榎戸の庚申塔は江戸時代に盛んだった富士講の一つ・登戸の丸山講(現在の丸山教)によって明治3年(1870) に建てられたものです。登山前に庚申塔の前で安全を祈願し、下山後も参拝する富士信仰の大切な場所だったと言います。庚申塔は中国伝来の庚申信仰に基づいて建てられたもので、外から災いが入りこまないように祈る信仰のよりどころでもありました。榎戸の庚申塔は周辺の改修工事で二度も仮移転しましたが、平成27年(2015)、もとの小泉橋そばに戻ってきました。


左折 


9:00  ②二ヶ領用水本川/小泉橋  

小泉橋は江戸時代につくられた「二ヶ領用水」にかかる橋で、豪農小泉利左衛門により天保15年(1844) に木造の橋から石造りの橋に架け替えられました。さらに明治33年(1900)、ひ孫の小泉弥左衛門によって旧い石材を生かして作られた県内最古級の歴史ある石橋でした。府中街道と交わる榎戸と呼ばれたあたりは、津久井道に繋がる交通の要所として栄えた場所です。 (登戸1号街区公園に旧小泉橋の銘文入の桁石と親柱展示)


信号(府中街道) 直進  


松本橋(五反田川)手前 右折  五反田川に沿って 

9:07  ③大道橋 


大道橋と「そくざし」  

大道橋とそくざし : 野遊人(のゆうじん)

大道橋付近は、津久井方面と菅生方面への追分。地の利を生かして繭の仲買人「そくざし」が店を構えたのは明治20年ごろ。東京から絹問屋が来て、荷車や馬車で絹を運んでいった。


道標  

向右  榎戸  登戸渡し舩を経て東京方面

                  溝ノ口を経て川崎方面

西              高石を経て柿生村 及 原町田方面

向左           稲〇〇〇を経て長澤 及 山内村方面


大道橋入口交差点 直進 津久井道へ  


信号  右折


9:12  ④寿々木饅頭屋・麹屋 

糀屋(こうじや)米店 


寿々木 菓子司 


突当り 左折して


信号(府中街道)と小泉橋を渡り 直進  


信号 左折  


9:22  ⑤多摩区役所 中入ります

多摩区役所 2階 多摩市民館 市民ギャラリー前  ちょこ涼10ポイント獲得 

川崎市 : 「かわさきちょこ涼(ちょこすず)」について

一時的に暑さをしのげる場所「かわさきちょこ涼」のうち、対象施設にて、アプリで二次元コードを読み取ると「かわさきTEKTEK」の特別ポイント(10P)が1日1回付与される、ポイントゲットイベントを、令和7年6 月16日~ 令和7年9 月30 日まで実施します。


多摩区役所 2階から1階アトリウムを見たところ  


信号 右折 津久井道へ  


登戸交差点 左折  


順番を入れ替えて先に光明院へ寄りました


9:37   ⑦光明院 仁王門 

光明院 | 多摩区観光協会

稲荷山、真言宗豊山(ぶざん)派。1500年代に源空和尚による開山。室町時代、天文22年(1553年)の製作、不動明王および二童子像(川崎市重要歴史記念物)が所蔵されている。境内の太子堂には建築職人の信仰する聖徳太子像が祀られており、職人の町・登戸の歴史を伝えている。


光明院 本堂 


光明院 本堂のカラフルな装飾 


光明院 境内 


光明院 太子堂 


光明院 北向地蔵 

光明院 五葉松  


光明院 仁王門の裏 


光明院 五重塔  現在新築中のようです


光明院 を出て 右へ


9:48  ⑥丸山教本庁  

丸山教 | 丸山教のホームページ

川崎市教育委員会 : 丸山教本庁

明治19年(1886)、登戸村に丸山教本庁がおかれました。丸山教は、明治3年(1870)登戸村の農民であった伊藤六郎兵衛を教祖として、富士講の一派である丸山講を背景として興った、世直し的性格のつよい新興宗教です。


丸山教 大教殿 


丸山教 松霊殿 


丸山教 丸山会館 


丸山教 文学碑 


丸山教 北原白秋作 多摩川音頭の碑 


丸山教 静修校記念碑 


丸山教 丸山幼稚園 

光明院脇へ戻り


右折 


登戸稲荷社へ 


10:00  ⑧登戸稲荷社  


登戸稲荷社 稲荷社と職人 

【登戸】拝殿の彫刻や左官職人による鏝絵(こてえ)が見事な「登戸稲荷社」 | 小田急のくらし | 小田急不動産株式会社

登戸稲荷社の社殿は、江戸時代の建築技術と美術の融合を示す貴重な文化財です。特に本殿覆屋の漆喰壁に描かれた「鏝絵(こてえ)」は、江戸時代の左官職人による技術の粋を集めた作品として評価されています。鏝絵は漆喰を使用した立体的なレリーフで、稲荷社の本殿には龍や狐などが描かれています。


津久井道のガード くぐり 右折  


津久井道に出て 左へ  先ほど行った光明院の五重塔が見えます


信号 左折  


左折  


10:15  ⑨善立寺  

善立寺は、明治5年(1872) 明治政府より 「小学校則」が発布されると。翌6年(1873)には早くも「登戸学舎」として本堂で小学校教育をスタートさせたという、「小学校教育」発祥の場です。また、江戸時代後期に、二ヶ領用水の水利権争いが40年にわたり続いたとされる記録「用悪水出入一件」(古文書)が今でも残っており、また名主や年寄りと共にこの争いの調停に奔走した玉川屋敷井上弥兵衛が建立した妻の供養塔も境内に建てられています。


善立寺 本堂 


善立寺 登戸小学校発祥の地  

善立寺 七面堂 


善立寺 三十番神堂 


善立寺 玉川屋敷井上弥兵衛が建立した妻の供養塔 


登戸つくりと公園  善立寺前にある再開発でできた新しい公園


登戸宿と柏屋  右が柏屋跡地


右折 


左折して 南武線踏切を越え 

突当り階段を上って 右折 多摩川土手へ 


ポンプ場  右の石柱が「登戸の渡し碑」 です

コースルートでは⑫番となっており見落としました

10:40  ⑫登戸の渡し  

登戸の渡しと多摩水道橋  昭和28年(1953)に多摩水道橋が完成するまで、この場所には橋がありませんでした。多摩川に橋がかかるまで、川崎と東京を結んでいたのが渡し船で、下流から六郷・矢口丸子・二子・そして登戸・菅にありました。多摩水道橋は東京都に水を送るためにできた水道との併用橋とされ、この橋の完成によって「登戸の渡し」はその長い歴史に幕を閉じました。

Googleストリートビュー 


⑪リバーサイドポイント (柏屋)  を土手の上から見たところ


かわさき水辺の学校  


二ヶ領用水 取水口 


10:52  ⑩せせらぎ館/宿河原堰  

せせらぎ館 

宿河原堰  


今度は土手下の道を戻ります 


11:05  ⑪リバーサイドポイント (柏屋)   (区画整理事業の為、善立寺そばから移転) 

登戸は、小杉や溝の口に比べ、居酒屋・煮売りやが多い、さかり場的な賑わいのある宿場でした。その中で柏屋は、旅人を泊めていた登戸宿場時代からの老舗です。明治の末には料理屋を兼ねるようになり、多摩川行楽客に鯰料理等を振る舞い、喜ばれたとされています。現在も「鯰のスッポン煮」を食べた巌谷小波の句碑や飯田九一の鯰の絵が残っています。


左折 


突当り 左折 


11:10  ⑬吉澤石材店/北向地蔵/馬頭観音 跡  

「北向地蔵/馬頭観音 跡」は見つかりませんでした


登戸駅北側交差点 左折 


左折 


11:19  ⑭小田急線/南武線 登戸駅 中央口  ゴールしました 


ゴールした中央口から多摩川口へ移動してコース5へ向います


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dの標高グラフ  6.0km→5.7km


多摩区3旧津久井道と職人の街を歩く のコースタイム

経由地 距離km 見学km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
①小田急線向ヶ丘遊園駅  0.0km  0:00    8:47
②二ヶ領用水本川/小泉橋  0.6km  0.0km  0.6km  0:13  0:13  0:00    9:00    9:00
③大道橋  0.3km  0.0km  0.9km  0:21  0:07  0:01    9:07    9:08
④寿々木饅頭屋・麹屋  0.2km  0.1km  1.2km  0:27  0:04  0:02    9:12    9:14
⑤多摩区役所  0.4km  0.2km  1.8km  0:45  0:09  0:09    9:23    9:32
⑦光明院  0.2km  0.1km  2.1km  0:58  0:05  0:08    9:37    9:45
⑥丸山教本庁  0.1km  0.1km  2.3km  1:06  0:03  0:05    9:48    9:53
⑧登戸稲荷社  0.4km  0.0km  2.7km  1:17  0:07  0:04  10:00  10:04
⑨善立寺  0.5km  0.0km  3.2km  1:34  0:11  0:06  10:15  10:21
⑫登戸の渡し  0.8km  0.0km  4.0km  1:53  0:19  0:00  10:40  10:40
⑩せせらぎ館/宿河原堰  0.5km 0.1km  4.6km  2:11  0:12  0:06  10:52  10:58
⑪リバーサイドポイント (柏屋)  0.4km 0.0km  5.0km  2:18  0:07  0:00  11:05  11:05
⑬吉澤石材店/北向地蔵/馬頭観音 跡   0.2km 0.0km  5.2km  2:23  0:05  0:00  11:10  11:10 
⑭小田急線/南武線 登戸駅  0.5km  5.7km  2:32  0:09  11:19  
コース5へ
2025/8/28(木) 曇  5.1km  0.6km  5.7km  2:32   1:51  0:41


多摩区3旧津久井道と職人の街を歩く の感想

このコースは距離の割には経由地が多く、時間もそれなりにかかりました。

⑦光明院を⑥丸山教本庁より前にしたのは意識的だったのですが、⑫登戸の渡しは明らかに順番がおかしいと思います。⑫登戸の渡しは⑩せせらぎ館へ行く前の土手の上にあるにもかかわらず、順番が後になっています。

⑬吉澤石材店/北向地蔵/馬頭観音跡は肝心の北向地蔵/馬頭観音跡がどこにあるのか全く分かりませんでした。帰ってから調べたら、なんと⑦光明院でみた北向地蔵/馬頭観音がそれそのものということでした。2019年7月に移転したとのことです。

<参考>登戸の北向地蔵と馬頭観音。無事に移設が完了しました。| 神奈川県川崎市のお墓は吉澤石材店


以上です。 116

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