2019.12.15 世田谷のボロ市&豪徳寺&松陰神社
2019.12.15(日)晴
ルート:豪徳寺駅~豪徳寺~世田谷線上町駅~ボロ市通り~世田谷区立郷土資料館~世田谷代官屋敷~松陰神社~世田谷線松陰神社駅-山下駅~豪徳寺駅
今年10月15日小田急沿線自然ふれあい歩道の「世田谷に残る自然と歴史をたどって」コースで世田谷代官屋敷を通りました。
2019.10.15 世田谷に残る自然と歴史をたどって 小田急沿線 自然ふれあい歩道1-07 - mesetaのブログ
その世田谷代官屋敷の前がボロ市通りになっています。ボロ市は今から60年以上前に一度来ましたが、今日は久しぶりに行ってみることにしました。
小田急線からだと豪徳寺で東急世田谷線に乗換え、山下駅から二つ目の上町駅が最寄り駅になります。
しかし、前回豪徳寺へ行ったときに招き猫を見落としたため、電車には乗らず豪徳寺経由で歩いて行くことにしました。
2019.10.9 烏山川緑道に沿った世田谷の社寺を訪ねて 小田急沿線 自然ふれあい歩道1-06 - mesetaのブログ
9:55 豪徳寺駅改札前の招き猫
写真中央上の人が並んでいるところが東急世田谷線山下駅です
9:11 参道の松並木
豪徳寺山門
三重塔
ガイドをしている方から2階に猫の彫刻があると教えてもらいました
9:17 彦根藩主井伊家墓所 全体図:井伊直弼の墓は左の白抜きの枠のところです
墓所全体
井伊直弼の墓
井伊直弼墓説明板
招福殿の裏にある奉納所:ところ狭しと招き猫が並んでいます
灯籠の中にもあります
9:26 豪徳寺本堂
寺務所で招き猫を買いました
招福猫児(まねきねこ)の由来説明書
豪徳寺境内案内図
9:34 境内の様子
9:37 豪徳寺を後にして上町へ向います
上町駅前の東急世田谷線踏切
踏切の先世田谷通りを越えるとボロ市のお店が見えます
約700店の露店が並び、1日におよそ20万人もの人出で賑わうボロ市は12月(15日・16日)と1月(15日・16日)の年2回、2日間ずつ、代官屋敷を中心にしたボロ市通りで行われます。
9:52 ボロ市通りに入るとすごい人です
ここで前回休館だった世田谷区立郷土資料館に行ってみます
10:00 世田谷区立郷土資料館には初めて入りました、資料室は2階にあります
昭和52年(1977)新玉川線開通絵葉書
下列の3両は乗ったことのある車両です
下左昭和25年製デハ80形、下中昭和26年頃木造ボギー車1形、下右昭和30年製デハ200形
下右デハ200形は当時では珍しい丸みを帯びたボディーで「いもむし」と呼んでいました
この電車で通学していましたが、横揺れがひどく吊皮なしでは立っていられません
玉電車両模型 木造単車3号(明治40年製)
三軒茶屋と石橋楼:三軒の茶屋とは田中屋(北側)、角屋(南側)、信楽(西側)
江戸時代の茶屋 信楽(しがらき)は明治初年石橋屋になり、さらに明治31(1898)年総二階に造り替えて石橋楼と改めたと書かれています
右上図三叉路の右に「ソシ堂」と書かれた辺りが meseta の生まれ育った場所です
現在の国道246号線になります
ボロ市と代官見廻り
ボロ市今昔
代官屋敷 1/30縮尺模型
世田谷区立郷土資料館を出るとすぐ代官屋敷の敷地です
代官屋敷 主屋南面
茅葺きの修理が終ったばかりです
令和元年の保存修理(世田谷代官屋敷パンフレットより)
平成30年12月から令和12月にかけて、茅葺屋根の葺替えや耐震補強等の修理工事を行いました。屋根下地には竹が用いられていますが、破損していた部材を取替えて下地を健全にし、新たな茅葺きを葺き直しました。
世田谷代官屋敷パンフレット | 世田谷区ホームページ
世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20か村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在であり、そのことにより昭和27年11月3日、「都史跡」に指定されました。
また、昭和53年1月21日、大場家住宅主屋及び表門の二棟が、近世中期の代表的上層民家としての旧態を保存しているということで、住宅建造物としては都内で初めて国の「重要文化財」に指定されています。
ホームページのパンフレットは平成26年2月作成の古いものです
新しいパンフレットは世田谷区立郷土資料館1階の受付にありました
10:19 一旦ボロ市通りに出て、代官屋敷門から入り直します
ボロ市通りはますます混んできたようです
10:20 代官屋敷主屋北面の板の間
左手にあった防具類:そでがらみ、さすまた、つくぼう
主屋にかかっていたボロ市の由来
世田谷のボロ市 | 世田谷区ホームページ
【「ボロ市」の名の由来】
戦国時代に楽市として世田谷新宿に開かれた市は、徳川時代になって市町(いちまち)という名のもとに歳の市として開かれていましたが、明治20年代になって古着やボロ布の扱いが主流となっていき、いつしか農機具や正月用品が主だった「歳の市」は、その実態に合わせて「ボロ市」と呼ばれるようになりました。正式な名称となったのは第二次世界大戦後からですが、既に明治の終わり頃には世田谷の「ボロ市」が定着していました。
10:23 ボロ市通りに戻りました、ボロ市名物代官餅の横断幕を見ながら左折します
代官餅を買うのに相当待つと聞いていたので、どうかなと思いつつ行ってみました
10:25 係の人が声をかけています、何~と五時間待ちです
最後尾ははるか向こうで見通せません、どこで売っているのかも分りませんでした
本当に5時間も待つのでしょうか、これを見てもまだ並ぶ人がいるのですからすごいことです、とても耐えられないということで、代官餅は諦めました
ボロ市名物 代官餅
機械ではなく、人の手によってついたお餅のため、コシがあってよく伸びる。
そのボリュームとおいしさは、発売開始当初からボロ市の代表的な名物として親しまれてきた歴史が証明しています。ボロ市にお越しの際はぜひ一度ご賞味ください。
10:31 ボロ市通りに戻りました
古着や衣類、道具だけでなく、こんな陶器類や
細工したクリスマスカードなどがありました、ベトナム製だそうです
16:40 ボロ市饅頭もありました、こちらはそれほど並んでいなかったです
ここで左折して世田谷駅方面に向います
道が狭くなったので身動きができなくなるほどです
この後とうとう動けなくなってしまいました
11:01 この狭い混雑した通りを地元中学生のブラスバンドが11:00の花火を合図に行進して行きました、そのため4~5分歩くことができずに待たされました
行進して行った後を振り返ると、たちまち人で埋め尽くされてしまいました
ボロ市を見終えてから駅一つ離れた松陰神社に向いました
11:38 松陰神社参道と鳥居
【公式】松陰神社/吉田松陰先生をお祀りする東京都世田谷区の神社 | 吉田松陰先生留魂の地/厄除け、合格祈願、家内安全、お宮参り、七五三参り、自動車祓、他、各種ご祈願を受付しております。
松陰神社境内案内
松陰神社 御社殿
神社創建時に伊藤博文、山縣有朋、井上馨、乃木希典、等の方々によって造営された社殿は現在本殿の内陣となっています。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて、明治の元勲や崇敬者の方々によって造営されました
松下村塾、前回来たときは平日だったので雨戸が開いていませんでした
松陰先生の教育道場であった松下村塾は、叔父の玉木文之進が天保13年(1842)寺子屋を開いて、松下村塾の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。
本神社にある松下村塾は山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。
(土日祝のみ雨戸開放(午前9時から午後4時)但し風雨により開放しない場合があります。)
11:47 吉田松陰の墓
境内墓域には、吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。 文久三年(1863)正月。高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三、白井小助、赤根武人等は、松陰先生の亡骸を千住小塚原回向院よりこの世田谷若林大夫山の楓(紅葉)の木の下に改葬し、先生の御霊の安住の所としました。
松陰神社入口の説明板
吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。
世田谷線松陰神社駅前で昼食を済ませ、駅に向かいます
松陰神社駅構内にあった周辺案内図
世田谷線運賃のご案内、全線均一でおとな150円
世田谷線標準時刻表:ボロ市開催期間は臨時ダイヤで運転
12:27 電車が入ってきました、赤・黄・青・紫・ツートンとカラフルな車体です
2両編成ですが、乗車は一番前と一番後ろしかできません、料金は乗車時に前払いです
但し、ボロ市の期間は世田谷駅、上町駅、山下駅は臨時改札ができるので、4ドア全てで乗り降りができるようです。
下り電車はボロ市へ行く人でほぼ満員です
世田谷駅で大勢の人が降り、
大勢の人が乗ってきました
12:37 世田谷線山下駅です、踏切を渡ると小田急線のりばがあります
小田急線に乗ってそのまま帰路につきました
2019.12.15 世田谷のボロ市&豪徳寺&松陰神社 の感想
今日の天気予報は晴ですが、最高気温が12度で風も少しあり、肌寒い感じでした。
前回見落とした豪徳寺の招き猫と、井伊直弼の墓もしっかり見てきました。
ボロ市は一日20万人の人出というので混雑は覚悟していましたが、予想通りの賑わいです。
初めて世田谷区立郷土資料館に入りました。生まれ育った三軒茶屋のことが詳しく紹介されていたので、大変興味深かったです。玉電の写真もあり、懐かしく感じました。
それにしても代官餅の5時間待ちには驚きました。話半分でも2時間以上の待ち時間です。どう考えても餅ごときにそれだけの時間をかけるのは割に合わないように思います。実際どれくらい待ったのか確かめてみたい気がします。
後で調べたところ、あんこ、きな粉、からみ(大根おろしと醤油、海苔)の3種類で、各700円(昨年実績)だそうです。ボロ市開催日のみの販売なので、他の日は食べられません。用意した数が無くなれば販売終了になるということです。夕方にはなくなるということですので、5時間待って売り切れだったらどうするのでしょうか。
以上です。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。