mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

昭和九年発行 邦樂 ビクターレコード 總目録 -12(作詞・作曲者及演奏者小傳-2)

昭和九年発行に発行された「邦樂 ビクターレコード 總目録」です。
何回かに分けて内容を紹介しています。
最終回の第12回目は 作詞・作曲者及演奏者小傳-2 です。


全部で58名のうち、後半の21名です。


作曲者及演奏者小傳 つづき


藤山 一郎、小林 千代子、小二三、荒木 古童

藤山一郎 - Wikipedia
(ふじやま いちろう、1911年(明治44年)4月8日 - 1993年(平成5年)8月21日)は、日本の歌手・声楽家・作曲家・指揮者。本名、増永 丈夫(ますなが たけお)。本名ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手として活躍した。東京府東京市日本橋区蛎殻町(現東京都中央区日本橋蛎殻町)出身。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。 東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。
藤山 一郎   僕の青春(はる)   佐伯 孝夫[作詞], 佐々木 俊一[作曲], 佐々木 俊一[編曲], 藤山 一郎, 日本ビクター・ジャズ・バンド (ビクター, 商品番号 : 52662, 1933)

僕の青春藤山一郎 Boku No Haru Ichiro Fujiyama 1933


小林千代子 - Wikipedia
(こばやし ちよこ、1910年7月30日 - 1976年11月25日)は、日本の戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。北海道小樽市出身。別名、金色仮面・小林伸江。東京府立第七高等女学校卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学。卒業後、新宿ムウランルウジュで初舞台を踏む。その後、松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)に入団、水の江滝子やオリエ津阪の相手役を務め、1936年に退団するまで、「タンゴローザ」「ウィンナワルツ」「蝶々夫人の幻想」等、多くの歌劇に出演する。
小林 千代子    涙の渡り鳥   西条 八十[作詞], 佐々木 俊一[作曲], 佐々木 俊一[編曲], 小林 千代子, 日本ビクター管絃楽団[伴奏] (ビクター, 商品番号 : 52462, 1932-09)

小林千代子 - 涙の渡り鳥 (1932)


小二三    春は花   小二三 (ビクター, 商品番号 : 52587, 1933-02) 収録時間 : 02'57''
春は花 - 歴史的音源  国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館の館内でご利用いただけます。


荒木古童 - Wikipedia
(あらき こどう)は琴古流尺八奏者の名跡。
三世 荒木古童  (明治12年 [1879年] 2月1日 - 昭和10年 [1935年] 5月2日)本名は荒木真之助。二世古童の長男。明治末期から昭和初期にかけて活躍。同門の初代川瀬順輔と共に明治末期からの尺八界中心人物。三曲合奏に力を注ぎ、名人とうたわれた。童窓会等を主催し多くの弟子を育てた。弟子には石見綱がいる。

残月/三世 荒木古童 尺八  昭和4年5月 ビクター

残月 不詳 作詞/峰崎勾当 作曲/三世 荒木古童 尺八/福田きく 三味線/河田登宇 箏【尺八 レコード】


荒木 古童 のつづき
西条 八十、佐藤 千夜子、佐伯 孝夫

西條八十 - Wikipedia
(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者。東京府東京市牛込区牛込払方町(現在の東京都新宿区払方町)出身。早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年(大正8年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早稲田大学文学部文学科教授。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年、日本芸術院会員。
西条 八十 作詞  東京行進曲   歌  佐藤 千夜子   西條 八十[作詞], 中山 晋平[作曲], 佐藤 千夜子, ビクター・オーケストラ[伴奏] (ビクター, 商品番号 : V-40826)

佐藤千夜子_東京行進曲 Tokyo March(1929)


佐藤千夜子 - Wikipedia
(さとう ちやこ、1897年(明治30年)3月13日 - 1968年(昭和43年)12月13日)は、日本初のレコード歌手。本名は佐藤千代。山形県東村山郡天童村(現:天童市)出身。中山晋平の歌謡曲を世に広め、古賀政男の才能を発見したことで、それ以後の日本大衆音楽史の発展に大きな功績がある。華々しくも浮き沈み激しい人生は、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」のモデルとなった。
佐藤 千夜子   旅人の唄   野口 雨情[作詞], 中山 晋平[作曲], 佐藤 千夜子, 中山 晋平[ピアノ伴奏] (ビクター, 商品番号 : 50502, 1928-12)

旅人の唄(佐藤千夜子)再録


佐伯孝夫 - Wikipedia
(さえき たかお、1902年11月22日 - 1981年3月18日)は、日本の作詞家。東京市出身。本名、和泉 孝夫(いずみ たかお)。早稲田大学文学部仏文科卒業。在学中西條八十に師事し、その主宰する雑誌『白孔雀』『愛誦』に詩を発表していた。1931年に国民新聞社(現在の東京新聞社)入社、1937年には東京日日新聞(現在の毎日新聞社)へと移る。1939年、ビクターレコード専属作詞家となる。戦前は、佐々木俊一と組み、多くを灰田勝彦や小畑実に作品を提供。戦後は、作曲家・吉田正とコンビを組み、『有楽町で逢いましょう』、『東京ナイト・クラブ』、『潮来笠』、『いつでも夢を』(第4回日本レコード大賞受賞曲)、『恋をするなら』など数々のヒット曲を生み出した。
佐伯 孝夫 作詞    路傍の花   小林千代子 歌   佐伯 孝夫[作詞], 加藤 しのぶ[作曲], 加藤 しのぶ[編曲], 小林 千代子, 日本ビクター管弦楽団[伴奏] (ビクター, 商品番号 : 52933, 1933-11)

路傍の花(小林千代子)


佐伯 孝夫 のつづき
佐々木 俊一、喜波 貞子、清元 延壽太夫、木村 友衛

佐々木俊一 - Wikipedia
(ささき しゅんいち、1907年9月27日 - 1957年1月27日)は戦前・戦後に活躍した作曲家。福島県双葉郡浪江町出身。本名は佐々木駿一(読みは同じ)。東洋音楽学校(現 東京音楽大学)でチェロを学ぶ。同期生に万城目正がいた。卒業後は万城目と共に浅草の映画館のオーケストラ・ボックスで働く。その後、レコードに興味を持ってからは、作曲家を目指す。レコード会社に就職するためにドラムを稽古し、日本ビクターにドラムとして入社。バンドの仕事の合間に作曲をしていた。そして1932年、作曲家第1作となった「涙の渡り鳥」が大ヒット。同年、小唄勝太郎が歌った「島の娘」が大ヒットし、・・・その後は作詞家・佐伯孝夫とタッグを組み、「僕の青春」、「無情の夢」、「燦めく星座」、「新雪」、「明日はお立ちか」、「月よりの使者」、「桑港のチャイナタウン」、「アルプスの牧場」、「高原の駅よ、さようなら」、「野球小僧」が戦前・戦後を通して、相次いでヒットする。
佐々木 俊一 作曲    涙の渡り鳥   小林 千代子 歌   西条 八十[作詞], 佐々木 俊一[作曲], 佐々木 俊一[編曲], 小林 千代子, 日本ビクター管絃楽団[伴奏] (ビクター, 商品番号 : 52462, 1932-09)

小林千代子 - 涙の渡り鳥 (1932)


喜波 貞子(キワ テイコ)とは - コトバンク
大正・昭和期の声楽家(ソプラノ)  国籍 オランダ  生年 1902年  没年1983年5月29日  出生地 神奈川県横浜市  本名 レティツィア・ジャコバ・ヴィヘルミナ・クリンゲン
経歴 祖父は来日したオランダ人薬学者・ゲーツで、父もオランダ人。1920年17歳で単身渡欧してオペラ歌手を目指し、ミラノでスカラ座の指揮者バーンゾに師事。’22年リスボンのサンカルロス座において「蝶々夫人」でデビュー。その後欧州各地で公演し、「蝶々夫人」はヨーロッパのオペラファンを魅了した。’31年に700回公演、’38年に1000回公演を開き、’53年ベルギーでの最後の舞台までほぼ2000回の「蝶々夫人」のプリマドンナとして「日本人」を演じきった。

喜波 貞子    美はしき天然   武島 羽衣[作詞], 田中 穂積[作曲], 喜波 貞子[ソプラノ], ベルリン大サロン管弦(楽)団[伴奏] (ビクター, 商品番号 : 13138, 1931-06)

美はしき天然 喜波貞子


清元延寿太夫 (5代目) - Wikipedia
五代目 清元 延寿太夫(ごだいめ きよもと えんじゅたゆう 文久2年8月13日(1862年9月6日) - 昭和18年(1943年)5月22日)本名は斎藤→岡村庄吉。東京都墨田区本所出身。現在の東京都墨田区本所の生まれ。生家は植木屋。叔父の妻が横浜の富貴楼お倉で成人までそこで過ごす。成人後創立間もない三井物産の社員となる。
1877年 15歳で清元菊寿太夫の門下になる。
1890年 十二代目守田勘彌の勧めで三井物産を辞め四代目清元延寿太夫の養子となる。
1891年 三代目清元榮壽太夫を襲名。
1897年 歌舞伎座で五代目延寿太夫を襲名。『青海波』『柏の若葉』等を奏でた。

清元 延壽太夫    三社祭(弥生の花浅草祭)(一)~(六) 瀬川 如皐(二代目)[作詞], 清元 斉兵衛(初代)[作曲], 清元 延寿太夫(五世)[唄], 清元 栄寿太夫[三味線], 清元 正寿郎[上調子] (ビクター, 商品番号 : 5814~5816, 1932-06)

清元:三社祭(弥生の花浅草祭) 五世 清元延寿太夫【清元 レコード】


木村友衛 - Wikipedia
(きむら ともえ)は、浪曲の名跡。(1900年9月6日 - 1977年11月5日) 本名は高木民蔵。横浜長者町出身。幼少の頃から芸事が好きで、11歳の時に寄席・横浜寿亭の木村重友を生で見て感銘を受ける。そこで一席即興で浪曲を披露した(声調べ)ところ、重友に気に入られ弟子となり友衛の名を貰う。3日後の12歳で初舞台を踏む。1914年に師匠とともに渡米、1915年に真打昇進というスピード出世で、3ヵ月後には寄席を3軒掛け持ちするほど人気を得た。得意ネタは師匠譲りの関東節に独自の節調と豊かな声量・哀感で「塩原多助」「天保六花撰(河内山宗俊)」などを得意とした。
木村 友衛   浪花節:塩原多助   ビクターの音源が見つかりませんでした
木村 友衛 (コロムビア(戦前), 商品番号 : 25674, 1929-10)

浪曲 「塩原多助」 (木村友衛)


木村 友衛 のつづき
貴美子、宮城 道雄、三島 一聲


貴美子    関の五本松(民謡)  貴美子, 千代[三味線] (ビクター, 商品番号 : 52807, 1933-08)

関の五本松 唄 貴美子  民謡


宮城道雄 - Wikipedia
(みやぎ みちお、1894年〈明治27年〉4月7日 - 1956年〈昭和31年〉6月25日)は、日本の作曲家・箏曲家である。兵庫県神戸市生まれ。旧姓は菅(すが)。十七絃の開発者としても知られる。7歳の頃に失明。8歳で生田流箏曲の二代菊仲検校に師事するも、その後兄弟子菊西繁樹の紹介により二代中島検校に師事した。2年後に師匠が病没したため、以降は三代中島検校のもとに師事し11歳で免許皆伝となる。
宮城 道雄   春の海
宮城 道雄[作曲], 宮城  道雄[箏], 吉田 晴風[尺八] (ビクター, 商品番号 : 13106, 1930-12)

春の海 宮城道雄【箏曲 レコード】


三島一声 - Wikipedia
(みしま いっせい、1889年(明治22年) - 1974年(昭和49年)7月19日)は昭和初期の民謡歌手。本名は三野哲太郎。1889年(明治22年)京都に生まれる。1925年(大正14年)よりレコード吹込みを行う。山田耕筰に見出され、1927年(昭和2年)デビュー。1933年(昭和8年)に小唄勝太郎と吹き込んだ「東京音頭」がヒット。翌年、「さくら音頭」もヒットする。
三島 一聲  
西条 八十[作詞], 中山 晋平[作曲], 小唄 勝太郎, 三島 一声, 千代菊[三味線], 千代[三味線], 日本ビクター管弦楽団[伴奏] (ビクター, 商品番号 : 52793, 1933-07)

小唄勝太郎・三島一聲:東京音頭 A/B


三島 一聲 のつづき
松風軒 榮樂、弘田 龍太郎、平井 英子、平山 美代子

松風軒栄楽 - Wikipedia
松風軒 栄楽(しょうふうけん えいらく)は、浪曲の名跡。亭号は松尾芭蕉の「松風や軒をめぐつて秋暮れぬ」の句に由来する。初代 松風軒栄楽(1893年9月26日 - 1980年3月31日)本名、松内富弥。東京の生まれ、父である宝集舎栄楽の門人。元は栄嬉という、爵位を持つ金子堅太郎から松風軒という亭号を贈られて、松風軒栄楽となった。
ビクターの音源が見つかりませんでした
松風軒 榮樂    浪花節:国定忠治 
松風軒 栄楽(初代) (コロムビア(戦前), 商品番号 : 25577, 1929-06)
浪花節:国定忠治(一) - 歴史的音源


弘田龍太郎 - Wikipedia
(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)6月30日 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、日本の作曲家。1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。父の転任に従って3歳の時高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、三重県立第一中学校(現:三重県立津高等学校)を経て、1910年(明治43年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学する。代表作に『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『金魚の昼寝』『雨』『雀の学校』『春よこい』『靴が鳴る』など多数。他に歌曲『千曲川旅情のうた』、オペラ『西浦の神』、仏教音楽『仏陀三部作』、映画音楽『くもとちゅうりっぷ』など。
弘田 龍太郎 作曲  かもめ   荻野 綾子 歌   室生 犀星[作詞], 弘田 龍太郎[作曲], 荻野 綾子, コッポラ[指揮], 巴里交響管弦楽団 (ビクター, 商品番号 : 13260, 1933-03)
かもめ - 歴史的音源


平井英子 - Wikipedia
(ひらい ひでこ、1918年1月13日 - )は、大正末期から昭和初期にかけて童謡のジャンルで活躍した日本の歌手である。出生名は林 秀(はやし ひで)、現姓名は鈴木 英子(すずき ひでこ)、旧姓は平井。東京府(現:東京都)四谷区塩町出身。7歳で幸田露伴の妹幸田延子に師事しピアノを学ぶ。その頃、作曲家の中山晋平の門下生となり、1928年(昭和3年)、ニッポノホン(日本コロムビアの前身)から童謡歌手としてデビューする。ビクターの創立と同時に専属の童謡歌手となる。
平井 英子   キューピーピーちゃん
野口 雨情[作詞], 中山 晋平[作曲], 平井 英子, 管弦楽[伴奏] (ビクター, 商品番号 : V-40191)

平井英子 - キューピーピーちゃん (1931)


平山美代子 - Wikipedia
(ひらやま みよこ、1922年6月 - )は、日本の女性歌手・童謡歌手。本名:磐瀬ゆき(いわせ ゆき)。東京都千代田区出身。1933年に明仁親王(上皇明仁)が誕生した際に「皇太子さまお生まれになった」を歌い一躍スター歌手となった。父はプロダクトデザイナー/美術商の磐瀬友紀。伯父は香淳皇后の侍医を務めた東京大学医学部産婦人科教授磐瀬雄一。従兄弟に蝶類学の研究者磐瀬太郎がいる。
平山 美代子    南京ことば   野口 雨情[作詞], 中山 晋平[作曲], 平山 美代子, 日本ビクター・アンサンブル (ビクター, 商品番号 : J-30001, 1935-02)

童謡 南京ことば 平山美代子 野口雨情作詞・中山晋平作曲


關屋 敏子

関屋敏子 - Wikipedia
(せきや としこ、1904年3月12日 - 1941年11月23日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、作曲家である。・・4歳のころから琴や舞踊、長唄に親しみ、旧制・東京女子高等師範学校附属小学校(現在のお茶の水女子大学附属小学校)に入学、1912年(明治45年)、同校の3年生の時、皇后御前演奏(のちの昭憲皇太后に対する御前演奏)に独唱者として立ち、『春が来た』、『富士の山』を歌う。・・1927年(昭和2年)、イタリアに留学、翌1928年(昭和3年)、ボローニャ大学から日本人初のディプロマ(特別卒業証書)を取得する。
關屋 敏子   オー・ソレ・ミオ(O Sole Mio)
伊庭 孝∥訳詩, Eduardo di Capua[作曲], 関屋 敏子[ソプラノ] (ビクター, 商品番号 : 13076, 1930-08)

オーソレミオ-私の太陽-(關屋敏子)


關屋 敏子 のつづき
水藤 錦穰、寿々木 米若

水藤錦穣 - Wikipedia
(すいとう きんじょう、1911年11月20日 - 1973年4月25日)は、大正から昭和時代にかけて活躍した琵琶演奏家・作曲家。錦びわ初代宗家。山号:錦櫻山 雅号:錦穰 旧姓:中村 本名:冨美。二代目宗家水藤五朗は次男。本所吾妻橋(現:東京都墨田区)生まれ。幼少の頃より兄の影響で錦心流薩摩琵琶を学ぶ。中村倭水として九歳で初舞台。その後、永田錦心(きんしん)の高弟、水藤枝水(しすい)の養女となり、水藤玉水を経て水藤錦穰となる。昭和の初めに永田錦心の発案を受け継ぎ五弦五柱の新楽器「錦琵琶」を考案、「錦琵琶」を用いた新流派「錦びわ」の初代宗家となり、広く演奏活動を行った。作曲数も多く、代表曲「曲垣(まがき)平九郎」「しぐれ曾我(そが)」ほか130曲以上。昭和48年(1973年)4月20日、三越劇場での演奏中に脳内出血により意識不明になり、そのまま帰らぬ人となった。享年61。勲五等瑞宝章受章。
水藤 錦穰   琵琶    石童丸   
四竃 訥治[作詞], 永田 錦心[作曲], 水藤 錦穣 (ビクター, 商品番号 : 52702, 1933-06)
石童丸(一) - 歴史的音源
水藤 錦穰   琵琶  「時雨曽我」 日本琵琶楽大系 CD復刻版(日本伝統文化振興財団)

「時雨曽我」 水藤錦穣


寿々木米若 - Wikipedia
(すずき よねわか、本名・野上 松平(のがみ まつへい)、1899年(明治32年)4月5日 - 1979年(昭和54年)12月29日)は、昭和時代の浪曲師。新潟県中蒲原郡曽野木村大字曽川(現新潟市江南区)出身。叔父は浪曲師の初代寿々木亭米造。農家の一家に育つ。1920年に上京、父の紹介で2代目寿々木亭米造に入門、寿々木亭米若(のちに寿々木米若)の名で前座ではなく二つ目からスタートした。1923年に真打昇進し一門を離れ独立。1928年に早くも渡米し巡業する。新作物を得意とし、佐渡おけさにヒントを得て創作し自ら口演したSPレコード「佐渡情話」が大ヒット。ビクター、テイチクといったレコード会社を跨いだ形で吹き込みされた演目であり、1930年代にレコードとして最も売れた浪花節の一つである。
寿々木 米若   浪花節   佐渡情話

佐渡情話 寿々木米若


佐渡情話 - Wikipedia
新潟県の佐渡島に伝わる島の娘と他国の男との悲恋の民話。 昭和時代に新潟県出身の浪曲師の寿々木米若がこの民話と民謡の佐渡おけさを元に浪曲台本「佐渡情話」を執筆して、自分で口演して吹き込んで発売されたレコードがヒットして米若の出世作になった。
主人公の女性・オミツ   恋仲の男性・ゴサク   柏崎の漁師・シチノスケ
むかしむかし佐渡国に漁師の娘でお弁という娘がいた。お弁は佐渡からちょうど向かいの越後国柏崎から来た、船大工の藤吉と恋に落ちた。藤吉が仕事で佐渡に来るたびにお弁と藤吉は会っていた。しかし、佐渡での仕事が終わり藤吉は佐渡へ来なくなってしまった。お弁は考えた末、夜に漁で使うタライ舟に乗って柏崎まで通う事にした。藤吉も最初は喜んだが、毎晩タライ舟に乗って自分の所へ来るお弁をだんだん恐ろしく感じてきた。おまけに藤吉は妻子がいてお弁とは不倫だった。これ以上は来て欲しくないと思った藤吉は、ある日お弁がタライ舟に乗って柏崎に向かう時間を狙って、お弁が目印にしている柏崎の岬にある常夜灯(灯台)を消してしまった。目印を失ったお弁はそれから海を漂いとうとう波にのまれた。それから朝になってお弁の亡骸が柏崎の浜に打ち上げられた。お弁を死なせてしまった藤吉は深く後悔して、藤吉も後を追って海に身を投げて命を絶った。


オルソフォニック  ビクトロラ

高級手提型 J2-5  金50圓
victor J2-5,J2-5B | 日本蓄音器カタログ
仕様    年代:昭和(1935年)  メーカー:ビクター  
           型番:J2-5(黒色),J2-5B(青灰色)  価格:50円   タイプ:卓上型


J1-91  金120圓
victor J1-91 | 日本蓄音器カタログ
本器はテーブル型蓄音器としての最高級品です。その性能も同価級の他品に比して絶対に優れております。即ちオルソフォニック・サンドボックス、オルソフォニックホーン、オルソフォニックトーンアームより生ずる再生音は原音そのままの音響を得られご家庭用蓄音器としてはまさに第一等の適品です。キャビネット用材はアフリカ及び中央アメリカ産の良質なマホガニーを使用し、その最新流行の意匠はお部屋の装飾品ともなります。内部構造としては強力なスプリングを使用し約8分間の演奏に耐えます。いずれのレコードにも働く無調節自動始動停止器、新旧両用の針壺等一目して本器の絶品たるを物語るものです。 キャビネットは高さ14 1/16吋、幅19 5/8吋、奥行18 3/16吋
仕様   年代:昭和(1920年代)  メーカー:ビクター
          型番:J1-91       価格:120円    タイプ:卓上型


J1-50  金44圓
victor J1-50 | 日本蓄音器カタログ
本器はあらゆるラジオ受信器に連結して電気蓄音器に使用できる特異な装置の器械であります。構造としては好評嘖々たるイナーシャ・トーンアームを使用し、如何なる音響をも完全に再生する成功なピックアップが取り付けてあります。 十二吋回転盤、標準及び長時間両面レコードを演奏可能ならしむ強力な電気モーターを使用、自動始動停止器付、操作は至って簡易、お取り付けのために八呎(フィート)の電灯線及び二十呎のラジオ接続線が添えてございます。キャビネットは高尚な胡桃色ラッカー仕上げ、洋室等には特に趣ある外観を有しております。 高さ24 3/8吋、幅26吋、奥行16吋。
仕様   年代:昭和(1920年代)   メーカー:ビクター
          型番:J1-50      価格:45円      タイプ:卓上型


裏表紙


感想
作詞・作曲者及演奏者小傳 後半の21名の内訳は、歌手14名、作曲家2名、演奏家3名、作詞家2名、歌舞伎俳優0名でした。
前・後半合わせた58名の内訳では、歌手37名、作曲家9名、演奏家6名、作詞家4名、歌舞伎俳優2名となっています。
内訳は次のとおりです。

歌    手 作曲家 演奏家 作詞家 俳    優 総    計
古   典      11        1       6     18
歌謡曲        3        6       3     12
声楽家      11     11
童   謡        4        2       1       7
民   謡        4       4
浪花節        4       4
歌舞伎       2       2
総   計      37        9       6       4       2     58

箏曲、尺八、琵琶、小唄、長唄、義太夫、常磐津、清元、浄瑠璃などを古典としており、一番多く18名でした。
古典の作曲家1名は町田佳聲(まちだ かしょう)で「古典邦楽を研究し、新日本邦楽運動に参加、1931年「春信幻想曲」「ちゃっきり節」なども作曲、戦前は三味線の演奏家としても活動」ということなので、古典に分類しました。
藤山 一郎、徳山 璉、四家 文子、小林 千代子などは声楽家出身で、その後流行歌を歌っっていますがここでは声楽家に分類しました。
この頃は流行歌より古典的なものがまだまだ好まれていたと思われます。また童謡関連が多いのも目立ちました。


新型コロナウイルスの影響で外出自粛をしているため、小田急沿線自然ふれあい歩道も中断せざるを得ない状況です。仕方なくこの「昭和九年発行 邦樂 ビクターレコード 總目録」シリーズを始めました。最初は単に内容を紹介するだけのつもりでした。ところがやっていくうちにだんだん面白くなって、音源を探すようになりました、
国立国会図書館は1900年初から1950年頃までに国内で製造されたSP盤及び金属原盤等の音楽・演説等、約5万点の音源をデジタル化し、歴史的音源として2011年5月から2013年9月までに全音源を公開しています。うち著作権(著作隣接権)の保護期間満了が確認された音源約5千点は、インターネットに公開されているので、いつでも聞くことができます。


<参考にした資料>

国立国会図書館デジタルコレクション
国立国会図書館デジタルコレクション内の資料のうち、歴史的音源のみを検索・再生するためのものです。



明治~昭和初期の蓄音器レコード産業を調査し、目録やレーベル資料等を作成しています。歌手一覧、作曲家一覧、作詞家一覧、邦楽レコード目録、各社の歴史、その他資料、Twitter



流行歌一覧:戦前・戦後のレコード発売曲の一覧を参照できます。
デビュー曲一覧:歌手のデビュー曲を調べました。
流行歌製作者名簿:流行歌に関連する作詞家、作曲家、歌手の芸名等について。
全国流行歌歌碑:戦前から昭和35年までの流行歌の歌碑一覧。
懐かし写真集:若き日の歌手写真 懐かし旅紀行
異名同曲:メロディが同じでタイトル、歌詞が違う流行歌



国産が中心ですが、当時日本で入手できた蓄音器という意味で一部輸入品も掲載しています。


以上です。
                                                前ページ ⇦    レコード 總目録-12    END