mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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Caminante,Flamenco y Guitarra

ヨーロッパ5ヶ国ツアー -4 ロンドン市内-1

1973年(昭和48年)4月20日(金)~5月5日(土)(15泊16日)
ハノーバーメッセ 視察団


ロンドン 1973年(昭和48年)4月24日(火)午前~26日(木)午後
4回目は2泊3日滞在したロンドンの市内観光前半です。


ロンドン前半はヒースロー空港、ウェストミンスター寺院、テームズ川、国会議事堂、ロンドン塔、ハイドパーク、ケンジントンなどです。


写真は色あせてセピア色になっています。


4月24日(火)パリー10:30発  ロンドン11:30着  AF808 


ヒースロー空港  Heathrow Airport に着きました

ロンドン・ヒースロー空港 - Wikipedia
イギリスの首都ロンドンの西部にあるイギリス最大の空港で、国際線利用者数では2013年まで世界一の空港だった。ヒースロー空港の名前の由来は、空港完成時に消滅した「ヒース・ロー(Heath Row、ヒース通り)」という道もしくは集落の名前からきている。


当時のロンドン(イギリス)案内


ロンドン中心部地図 (ロンドンで買ったLook at Londonより)


ウェストミンスター寺院  Westminster Abbey

ウェストミンスター寺院 - Wikipedia
イングランド国教会の教会。聖ペテロ修道教会。戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されている。墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースはもはやなくなっている。国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)が隣接している。

ウェストミンスター寺院 (Look at Londonより)


国会議事堂(ウェストミンスター宮殿) Palace of Westminster

ツアー参加者

ウェストミンスター宮殿 - Wikipedia
イギリスのロンドン中心部、テムズ川河畔に存在する宮殿。現在は英国議会が議事堂として使用している。併設されている時計塔(ビッグ・ベン)とともにロンドンを代表する景色として挙げられる。
国会議事堂(ロンドン)の観光スポット情報|地球の歩き方
国会議事堂は、正式名をウェストミンスター宮殿 The Palace of Westminsterという。1090年、ウィリアム征服王 William the Conquerorの時代に完成。審議の場として使われ始めたのは13世紀頃。1834年の大火災でその大部分が失われ、名建築家チャールズ・バリー Charles Barryの設計によりゴシック様式の風格ある建物によみがえったが、それも第2次世界大戦で再び被害を受けた。現在の物は3代目。


国会議事堂  Houses of Parliament (Look at Londonより)


タワーブリッジ   Tower Bridge

タワーブリッジ - Wikipedia
テムズ川に架かる跳開橋。1886年に着工、1894年に完成した。可動部分は初期は蒸気機関で水をパイプに通して跳開部の端に水圧を掛けシーソーの原理を利用して開閉していたが、現在は電力を利用している。橋の長さは244m、左右にあるゴシック様式の主塔の高さは65mあり、内部は展望通路・歴史博物館がある。主塔間の橋桁の長さは61m、上部橋の高さは44mである。


タワーブリッジ (Look at Londonより)


ロンドン塔  Tower of London

ロンドン塔 - Wikipedia
テムズ川岸、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。1066年にイングランドを征服したウィリアム征服王が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、約20年で現在のホワイト・タワーが完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。


ロンドン塔 (Look at Londonより)

ロンドン塔では中へ入り、世界最大のダイヤモンド原石「偉大なアフリカの星:カリナン、3106カラット(621.2g)」を見たのですが、写真はありませんでした。


ロンドンの宿泊はケンジントンクローズホテルです



ケンジントンクローズホテルの位置、ケンジントンガーデンの南西にあります


ヨーロッパ5ヶ国ツアー -4 ロンドン市内-1 の感想
イギリスの人口は当時の観光案内によれば 5,238万人となっています。ところが最新の人口統計2016年では 6,560万人で、これまでで最大数値となりました。イギリスでは過去60年常に出生数が死亡数をはるかに上回っていることが主な要因だそうです。それだけでなく、2004年から2016年まで年間平均25万1000人以上の人口が移民によって増加しており、自然増を上回ってきました。EU離脱により移民の動きに変化があるか注目されますが、日本の人口減少とあまりにも違うことに驚いてしまいます。
ロンドンに着いたのが11:30だったので市内で食事をしたあと、現地法人との打合せがありました。その後観光バスでウェストミンスター寺院を通り、テームズ川の対岸からビッグベンで有名な国会議事堂を眺めました。
タワーブリッジ(Tower Bridge)、ロンドン橋(London Bridge)、ロンドン塔(Tower of London)と紛らわしい名称ですが、それぞれ違うものです。跳ね橋でよく知られているのはタワーブリッジで、ロンドン橋は地味で普通の橋でした。江利チエミの「霧のロンドンブリッジ」が思い出されます。ロンドン塔が城跡だということと、世界一のダイヤモンド原石が展示してあるということは知りませんでした。


以上です。
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