mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

ヨーロッパ5ヶ国ツアー -7 ドイツ-2 フランクフルト、ハイデルブルグ

1973年(昭和48年)4月20日(金)~5月5日(土)(15泊16日)
ハノーバーメッセ 視察団


ドイツ 1973年(昭和48年)4月26日(木)午後~29日(日)午後
7回目は3泊4日滞在したドイツの後半フランクフルトとハイデルブルグです。
フランクフルトではアウトバーン、旧オペラ座(アルテ オーパー)、パウルス教会、ゲーテハウス、鉄の橋(アイゼルナー橋)などで、ハイデルブルグはハイデルブルグ城、ハウプト通り、学生牢です。


写真は色あせてセピア色になっています。


1973.4.29(日)ハンブルグ14:15発 LH705便 フランクフルト15:15着


フランクフルトに着きました
フランクフルト空港  Flughafen Frankfurt am Main  (google Map)
フランクフルト空港 - Wikipedia
ドイツのフランクフルト・アム・マインにあるドイツ最大規模の国際空港である。ライン=マイン空港およびライン=マイン空軍基地として1936年に開設された。フランクフルト空港が国際的なハブ空港として使われるようになるのは、1972年に乗客用の新ターミナル(現在のターミナル1)が開設されてからである。


フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main 市内に向います


フランクフルト・アム・マイン - Wikipedia  Frankfurt am Main
ドイツ連邦共和国ヘッセン州に属す郡独立市である。一般にフランクフルトと通称される。人口 72万人を超えるヘッセン州最大の都市(2016年現在)であり、ドイツ全体でもベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐ第5の都市である。

フランクフルト・ジャンクション  Frankfurter Kreuz   Google Street View
アウトバーン3号線と5号線が交差する

フランクフルト空港に近いフランクフルト・ジャンクションで連邦アウトバーン A5号線(ハッテンバッハ・ジャンクション - バーゼル)と A3号線(アーネム - リンツ)が交差している。このジャンクションは1日に約 32万台が通行するドイツで最も通行量の多いアウトバーン・ジャンクションである。


バスの車内


CARAVANS キャンピングトレーラー


駅のようですが、どこか不明


これも駅のような感じですが、どこか分りません


アルテ オーパー  Alte Oper Frankfurt  旧オペラ座

アルテ オーパー - フランクフルトのおすすめ観光地・名所 | 現地を知り尽くしたガイドによる口コミ情報【トラベルコ】
1880年に建築されたネオ・ルネサンス様式の歌劇場。建物の正面には"Dem Wahren Schoenen Guten" (真実、美、善良に)と刻まれており、ファサードとロビーは建設当時の様式を見事に復元しています。一方、ホールは近代建築で、大ホール(Große Saal)は2,500人、 モーツァルトホール(Mozart Saal)は700人まで収容できます。
旧オペラ座 (Google Street View)


パウルス教会  Paulskirche

パウルス教会の魅力・地図・行き方【JTB】
1833年に建てられた新古典主義様式の教会。1848年の第1回フランクフルト国民議会が開かれ、ドイツ国憲法の協議がなされたことから、ドイツ民主主義の象徴的な場所になっている。
パウルス教会  (Google Street View)


ゲーテハウス  Goethe-Haus

ゲーテの生家「ゲーテハウス」 ドイツ/フランクフルト特派員ブログ | 地球の歩き方
ゲーテがこの家で生まれたのは1749年のこと。青年期までを家族と子の家で過ごしたゲーテは、16歳の時に法学を勉強するためライプチヒへと旅立ちます。17世紀に建てられてた建物はゲーテの祖母が買い取り、その後ゲーテの父が現在のような4階建てに改装しました。第二次世界大戦では大きな被害を受けましたが、その後は修復され現在に至っています。
ゲーテハウス (Google Street View)


鉄の橋  Eiserner Steg から見た ドライケーニヒ教会  Dreikönigskirche, Frankfurt

鉄の橋  (Google Street View)

アイゼルナー橋 Eiserner Steg, 旧市街 | エクスペディア 鉄の橋
車両が入らないこの鉄の橋は、マイン川をはさんで北側の旧市街から南側のザクセンハウゼンまで、全長 170 m (560 フィート) あり、上を通ると、摩天楼から北岸のムゼウムスウーファー (博物館河岸) や南岸まで美しい眺めが広がります。
ドライケーニヒ教会(福音協会)
1875年から1880年に建築家フランツ・ヨーゼフ・デンツィンガーよって建造されたネオゴシック様式のプロテスタント教会です。フランクフルトのザクセンハウゼンエリアのマイン側沿いにあります。


フランクフルト市内地図  (google Map)

右下にマイン川にかかる「鉄の橋」があり、左上に「ゲーテハウス」があります
パウルス教会は拡大すると右上に「パウロ教会」と出てきます


1973.4.28 宿泊
シティホテル フランクフルト


1973.4.29 ハイデルブルグ城を見学に行きます



ハイデルベルグ城  Heidelberger Schloss 
ハイデルベルク城の主要建造物のレイアウト図(Wikipediaより)


ハイデルベルク城 - Wikipedia
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルク市に遺る城趾である。ドイツで最も有名な城趾の一つであり、ハイデルベルクの象徴的建造物となっている。プファルツ継承戦争で破壊されるまで、この城はプファルツ選帝侯の居城であった。1689年にルイ14世の軍によって破壊され、1693年に一部だけが修復された。この城趾はアルプスの北側で最も重要なルネサンス建築の遺構を含んでいる。この城はケーニヒスシュトゥール(「王の椅子」)という山の北斜面、 ネッカー川の底から約80mの高さに位置し、旧市街の風景を決定づけている。


フリードリヒ館  Friedrichsbau

マンハイムの創設者である選帝侯フリードリヒ4世にちなんで名付けられた。フリードリヒ4世は1608年にプロテスタント同盟の盟主となり、これによりカトリック領主とプロテスタント領主の間の対立を激化させた人物である。フリードリヒ4世は、当時すでに崩れかけていた城内礼拝堂と居館の場所に1601年から1607年にかけてフリードリヒ館を建設した。
フリードリヒ館(Google Street View)

右へ回転するとアルタン(テラス)が見えます


アルタン(テラス)  Altan からの眺め  フリードリヒ館のすぐ前です

「アルタン (Altan)」は、古いアラビア語で「赤」を意味する "Al" と「朝夕」を意味する "tan" が合成されたものである。「選帝侯のバルコニー」と呼ばれるアルタン(現在の見学者テラス)は、ネッカー渓谷、ハイデルベルク市街、対岸の哲学の小径があるハイリゲンベルクが眺められる。アルタンの西端は大樽棟につながっている。アルタンはフリードリヒ館から8m以上の幅を持つスペースで、城の小径を通って市街へと通じている。


アルテ・ブリュッケ(古橋) Alte Brücke


ネッカー川


アルタン テラス(Google Street View)

左へ回転するとフリードリヒ館が見えます


アルタンでのツアー参加者


オットハインリヒ館  Ottoheinrichsbau

オットハインリヒ館は、1556年にプファルツ選帝侯となったオットー・ハインリヒによって建設された。この新しい宮殿はドイツの土地に初めて建設されたルネサンス建築であり、ドイツ・マニエリスムの重要な建築作品である。5階建てのこの建物のファサードは、選帝侯の統治理念を象徴する16体のアレゴリー像で飾られている。


オットハインリヒ館(Google Street View)

左の三角屋根はガラスの広間棟、さらに左はフリードリヒ館です


ガラスの広間棟  Gläserner Saalbau

3階にあったヴェネツィア・ガラスで飾られた鏡の広間にちなんで名付けられた。この建物は中庭に向かって大変にがっしりとしたルネサンス様式のアーケードを有しているが、その内部は後期ゴシック様式のヴォールトで構成されている。この建物の、市街地に向いた北側には全く装飾がなされていない。


ループレヒト館  Ruprechtsbau  左はイギリス館  Englischer Bau

プファルツ選帝侯ループレヒト3世にちなんで名付けられた。ループレヒト3世はプファルツ選帝侯ループレヒト2世の一人息子であった。1398年以降マインツ大司教とともに諸侯筆頭となり、1400年8月20日にドイツ王ヴェンツェルを退位させた。ケルンでの選挙で彼が選出された後、ケルン大司教によって戴冠が執行された。
ループレヒト館(Google Street View)

左奥に城門塔が見えます


左からイギリス館、  図書館棟、城門塔、右手前は牢獄塔(Google Street View)

イギリス館  Englischer Bau
フリードリヒ5世の妃で冬の王妃とも呼ばれる、イギリス王女エリザベス・ステュアートに由来する。現在は廃墟となっているイギリス館はハイデルベルク城最後の大規模な建築であった
 図書館棟  Bibliotheksbau
ループレヒト館と婦人部屋棟との間に位置する。この建物は後期ゴシック様式の建築、ルートヴィヒ5世によって1520年から1544年の間に建てられた。現存する最も重要な箇所は上階の中庭に向かう張り出し部である。
城門塔  Torturm
この塔には時計がはめ込まれており、時計塔 (Uhrenturm) とも呼ばれる。城門塔は1531年から1541年に選帝侯ルートヴィヒ5世によって建設された防衛施設の一つである。現在もこの塔は城の主要な入り口となっている。
牢獄塔  Seltenleer
ゼルテンレーア (Seltenleer)(またはニンマーレーア (Nimmerleer) とも呼ばれる)という名前は1603年から使われるようになったことが分かっている。これは牢獄として使われていたこの塔が滅多に空にならない(setlen = 「滅多に...ない」、leer = 「空っぽの」。ニンマーレーアも同じ意味で niemals = 「決して...ない」が語源)ことから名付けられた。


ハウプト通り  Haupt Strasse  通りの左に見えるのは聖霊教会 Heiliggeistkirche

1966年から1990年に旧市街が改修され、ハウプト通りは1.6kmの歩行者専用道となった
ハウプト通り(Google Street View)


聖霊教会 Heiliggeistkirche
ハイデルベルク・アルトシュタット(旧市街)福音主義教会共同体に属する福音主義教会である。同時にバーデン福音主義州教会のハイデルベルク教会地区に属している。教会堂は、ゴシック様式である。高さ 82 メートルの塔をもつ。マルクト広場 (de:Marktplatz (Heidelberg)) に面して建っている。ループレヒト3世の命令によって、1398年にゴシック様式による大規模な教会建築に取って変わった。この年が、この教会の創設年とされている。


旧市街から見たハイデルベルク城

ハイデルベルク城(Google Street View)


コルンマルクト広場  kornmarkt から見たハイデルベルク城

ハイデルベルク城(Google Street View)


学生牢  Studentenkarzer 入口

学生牢  扉の色が変っています(Google Street View)

学生牢の中

学生牢の壁(Google Street View)

ハイデルベルク大学 学生牢
大学広場から少し入った細い小路、アウグスティーナー・ガッセに学生牢がある。1778年から1914年まで、大学当局が"微罪"を犯した学生を拘束していた場所。壁や天井には何代にもわたり水彩やロウソクの煤を用いて描いた絵や文字が残っていて、当時を偲ばせる。


1973.4.29  フランクフルトに戻り、夕方オーストリアのウィーンに向け出発です。


ヨーロッパ5ヶ国ツアー -7 ドイツ-2 フランクフルト、ハイデルブルグ の感想
フランクフルト市内の建物は古いものが多く、歴史を感じます。アルテ オーパー(旧オペラ座)は1880年の建設、パウルス教会が1833年、ゲーテハウスが建てられたのは17世紀というのですから驚きです。ゲーテ(1749.8.28 - 1832.3.22)の家は第二次世界大戦で破壊され復元した建物ですが、当初は3階建てでその後ゲーテの父が現在のような4階建てに改装したそうです。250年も前に4階建ての住まいがあったというのもすごいことです。
マイン川にかかる鉄の橋(アイゼルナー)は歩行者専用ですが、眺めも良く観光客で賑わっていました。
ハイデルベルグ城はさらに古い1225年の記録が残っているとのことです。何回もの戦争で度々破壊と再建が繰り返されてされてきたようです。山の中腹に複雑な形で何層にも築かれています。しかし近くで見ると建物の壁だけが残っていたり、半分崩れた塔などが多く、苦難の歴史が偲ばれます。


以上です。
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