mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
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国分寺市03 野川源流と武蔵野コース TOKYO Walking Map 2021.9.10

2021.9.10 (金)   晴  6.4km→7.3km
ルート:国分寺駅~恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡~東山道武蔵路跡 恋ヶ窪地区~姿見の池~一葉松(東福寺境内)~西恋ヶ窪緑地「エックス山」~恋ヶ窪村分水~熊野神社~日立製作所中央研究所庭園~電車開通記念碑~本多八幡神社の力石~祥応寺のコノテガシワ~国分寺市民俗資料室~「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑~本町(国分寺村石器時代)遺跡~国分寺駅


国分寺市01コースのゴール国分寺駅南口から北口へ移動しました。


東京都福祉保健局のサイト

国分寺市03 野川源流と武蔵野コース~儚くも切ない物語に心惹かれる~
国分寺駅の北側は、夙妻太夫と小説・武蔵野夫人の女性二人にまつわる物語の舞台となったエリアです。「恋ヶ窪」という地名がものがたるロマンチックなまち歩きへ。
最寄駅:国分寺駅(JR) 国分寺駅(西武鉄道) 国分寺駅北口(立川バス) 国分寺駅北口(ぶんバス) 国分寺駅北入口(西武バス)   所要時間:約1時間36分   距離:約6.4km   消費カロリー:約288kcal   歩数:約9140歩


12:30  国分寺駅 北口駅前広場をスタートしました


12:36  花沢通り からこの道に入りました  ここからしばらくはコース01と同じです


本来なら花沢通りを右折して  恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡  へいくはずだったのですが、うっかり見落としました  そのため周回の途中で回り道をしようと思います


恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡 ぶらり国・府
縄文時代の中期末から後期にかけて、関東から中部地方で住居の床面に石(礫)を敷くことが流行しました。この住居跡は、出入口部が突出した様子から「柄鏡形敷石住居跡」と呼ばれています。型どりをして復元展示をしています。


日立中央研究所南側遊歩道  右は日立製作所中央研究所庭園、左は中央線と西武国分寺線


野川の水源 説明板  日立製作所中央研究所の中なので見学できません

散策マップ  南北が逆なので戸惑いましたが、見ている方向通りで納得しました


姿見の池 入口


12:50  東山道武蔵路跡 恋ヶ窪地区  説明板だけで何もありません

東山道武蔵路跡【国指定史跡】|国分寺市
東山道は都と各国府を結ぶ古代交通路である七道の1つで、武蔵路は武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)で、古代道路跡として学術上価値が高いものです。


12:50  姿見の池  今日2回目です

【東京の名湧水57選】遊女たちが池を鏡代わりに利用していたことから「姿見の池」と呼ばれるように。遊女の夙妻太夫が鎌倉武士・畠山重忠を慕ってこの池に身を投げたという「恋ヶ窪伝説」が残ります。

姿見の池【都名湧水】|国分寺市
姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。


恋ヶ窪用水  ここを右折するとすぐ東福寺があります  ここでコース01と別れます


12:55  一葉松(東福寺境内)  

姿見の池に身を投げた夙妻太夫を哀れんで村人たちが植えた松は、悲しみのためか一葉になっていました。言い伝えの一葉松は枯れてしまいましたが、現在、実生の松が東福寺境内に植えられ、わずかではありますが一葉を見ることができます。
コース01で一葉松を見たので今回はパスしました

【東福寺 公式】国分寺市 恋ヶ窪 のお寺|西国分寺駅より徒歩3分
開山は今から遡りますこと七百余年前の鎌倉時代初期と伝えられ  戦国時代の享禄元年(1528年)に中興 江戸時代前期の元和七年(1921年) 享保十年(1725年)に再興されました  現在の一葉松(ひとはまつ)は三代目となり境内の階段横にございます


武蔵野線のガードをくぐりますが、ここでルートマップと違うことに気が付きました

コースルートではエックス山を左回りに一周するのですが、どうやら右回りに来たようです
どちらでも同じ距離なのでこのまま歩き続けることにしました


西恋ヶ窪緑地に入ってきました


13:11  西恋ヶ窪緑地「エックス山」  

西恋ヶ窪緑地|国分寺市
この樹林地は、かつては西側にも広がっていて、その中を通る小道がX状に交差していたことから、「エックス山」という愛称で呼ばれるようになりました。


武蔵野線と府中街道を越えます


エックス山一周の起点恋ヶ窪村分水に戻ってきました


13:14  恋ヶ窪村分水  水は流れていませんでした

【市重要史跡】玉川上水が完成した4年後の明暦3年(1657)に、国分寺村、恋ヶ窪村、貫井村(現小金井市内)の3ヶ村組合が、江戸幕府に願い出て水田用に分水した国分寺村分水の一部で、恋ヶ窪村分水と呼ばれています。市内の分水で最も古く、大きな堀は昔のままの姿を残しています。

恋ヶ窪村分水【市重要史跡】|国分寺市
明暦3(1657)年に国分寺村・恋ヶ窪村、貫井村(今の小金井市)の3つの村が幕府に願い出て開削した玉川上水の分水で、恋ヶ窪村へ水を引いた堀跡です。玉川上水の分水にしては規模が大きく、緑地内の堀の幅は上端部で約6~9m、堀底で約50センチメートル、深さは約5mで、堀底は北から南に向かって低く傾斜しています。
恋ヶ窪村分水脇の道


13:20  熊野神社  に入ります

[国分寺のおさんぽスポット] 熊野神社 -【国分寺物語】
分かっている範囲で最も古いと伝えられている社伝は元弘・建武年間の頃であり、なんと14世紀前半だといいます。境内に建立されている歌碑は、道興准后が奉納した歌額であると伝えられているなど、この土地に古くから根ざしている重要な神社なのです。

聖護院道興准后の御歌の碑


西武国分寺線の踏切を渡り、熊野神社通りを進みます


東恋ヶ窪でんしゃ公園  踏切を渡ったすぐ右側です


恋ヶ窪遺跡説明板  


13:32  日立製作所中央研究所庭園  北側入口  年2回の一般公開日以外入場できません

中央研究所の自然:研究開発:日立
東京・国分寺の日立製作所中央研究所。構内の数万本を数える樹木は、5月の淡い新緑から、6月いっせいに初夏の深い緑へと、その装いを変えていきます。


日立製作所中央研究所の塀沿いに進みます


13:38  日立製作所中央研究所 東側入口


ここで先ほど見落とした恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡へ行ってみます


13:44  恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡  

縄文時代の中期末から後期にかけて、関東から中部地方で住居の床面に石(礫)を敷くことが流行しました。この住居跡は、出入口部が突出した様子から「柄鏡形敷石住居跡」と呼ばれています。型どりをして復元展示をしています。

遺跡は本町四丁目 児童公園広場の中にあり、広場では幼稚園児が遊んでいました


14:00  電車開通記念碑  

大正11年11月21日の字が読み取れます

電車開通記念碑|国分寺市
明治22年(1889年)に、新宿・立川間で開通した甲武鉄道(現在の中央線)が政府に買収され、その後大正11年に国分寺駅まで電化が進み、電車が通ることになったのを記念して、同年11月21日に建てられた碑で す。


14:08  本多八幡神社の力石  

力石を探して神社を一周してしまいました

本多八幡神社の力石  ぶらり国・府
この縦48cm、横40cm、高さ34cmほどの河原石の表には「奉納 三拾貫目」、右側には「文久二戌八月十五日」、左側には「當所願主藤野栄治郎」と刻字があり、藤野栄治郎こと冨士野栄次郎が願主となり、江戸時代末の文久2年(1862)に本多新田の鎮守八幡神社へ奉納したもので、重量はおよそ100kgと推定されます。


入ってすぐ右にありました! 


14:14  祥応寺のコノテガシワ  

境内図でコノテガシワの位置を確かめます


祥応寺のコノテガシワ ありました

祥応寺のコノテガシワ【市重要天然記念物】|国分寺市
祥応寺のコノテガシワは、ひのき科の常緑樹で、中国北西部を原産とし古い時期に渡来しています。本多新田が開発された時、祥応寺を旧国分寺村より引寺した際に移植したと伝えられてい ます。


14:27    国分寺市民俗資料室  入館は事前申し出制でした

民俗資料室|国分寺市
市内で使用されていた農具・民具、明治以降の市内の様子がわかる写真などを展示しています。


本多五丁目交差点  連雀通りを横切り国分寺街道を国分寺駅方面へ進みます


14:40  「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑  

昭和30年、糸川英夫博士率いる東京大学生産技術研究所が新中央工業跡地(現在の早稲田実業学校)で、日本で初めて長さ23cmの小型ロケット(ペンシルロケット)の水平発射実験を行いました。その記念として建てられた顕彰碑です。

「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑について|国分寺市
2005(平成17)年4月、ペンシルロケットの水平発射実験から50年を記念して、国分寺市内の多くの団体、JAXA、早稲田実業学校などの関係者により、「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰会が組織され、募金活動を開始し2006(平成18)年4月1日に顕彰碑の除幕式が行われました。


中央線殿ヶ谷戸立体 手前の階段を上ります


本町(国分寺村石器時代)遺跡の場所が分らず行ったり来たりしてようやく見つけました
工事中の先に見える中央左の看板です


14:51  本町(国分寺村石器時代)遺跡  

本町遺跡(国分寺村石器時代遺跡) - ぶらり国・府
明治27年(1894)、日本人単独による日本初の考古学の発掘調査が行われた遺跡です。考古学者の大野延太郎と鳥居龍造は、切り崩した崖の部分に石器などが噴出している層を発見し、『東京人類学雑誌』に発表しました。


14:56  国分寺駅  北口駅前広場  ゴールしました


国分寺駅から中央線で帰りました


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  6.4km→7.3km


国分寺市03 野川源流と武蔵野コース のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
国分寺駅 北口駅前広場  0.0km  0:00  12:30
恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡  0.4km  0.4km  0:05  0:05  0:00  12:35  12:35
東山道武蔵路跡 恋ヶ窪地区  0.8km  1.2km  0:20  0:15  0:00  12:50  12:50
姿見の池  0.0km  1.2km  0:21  0:00  0:01  12:50  12:51
一葉松(東福寺境内)  0.4km  1.6km  0:25  0:04  0:00  12:55  12:55
西恋ヶ窪緑地「エックス山」  0.6km  2.2km  0:42  0:16  0:01  13:11  13:12
恋ヶ窪村分水  0.6km  2.8km  0:49  0:07  0:00  13:19  13:19
熊野神社  0.0km  2.8km  0:52  0:01  0:02  13:20  13:22
日立製作所中央研究所庭園  0.4km  3.2km  1:02  0:10  0:00  13:32  13:32
電車開通記念碑  1.0km  4.2km  1:31  0:28  0:01  14:00  14:01
本多八幡神社の力石  0.4km  4.6km  1:43  0:09  0:03  14:10  14:13
祥応寺のコノテガシワ  0.0km  4.6km  1:46  0:01  0:02  14:14  14:16
国分寺市民俗資料室  0.6km  5.2km  1:58  0:11  0:01  14:27  14:28
「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑  0.6km  5.8km  2:11  0:12  0:01  14:40  14:41
本町(国分寺村石器時代)遺跡  0.4km  6.2km  2:22  0:10  0:01  14:51  14:52 
国分寺駅 北口駅前広場  0.2km  6.4km  2:26  0:04  14:56 
2021/09/10(金) 晴  6.4km  2:26   2:13  0:13


国分寺市03 野川源流と武蔵野コース の感想
恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡はコースルートから少し外れたところにあります。そのためうっかり見落としてしまいました。そのため日立製作所中央研究所東側門から花沢通りの坂道を下って本町四丁目児童公園広場まで足を伸ばしました。往復600mかかっています。
「エックス」山周回部分もよく確認しなかったため逆回りになりましたが、距離の変更はありません。
コースタイトルにある野川源流は日立製作所中央研究所庭園の中にあり、春と秋の年2回しか一般開放されていません。しかもここのところ新型コロナウイルスで中止になっています。常時見学できないところをコース名にするのはどうかと思います。
住居跡、一葉松、記念碑、力石、コノテガシワ、顕彰碑、遺跡など寺院や神社・施設を訪ねるのではなく、一点を見て回るのもこのコースの特徴ではないでしょうか。


以上です。
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武蔵国分寺跡                     武蔵野新田・五日市街道