mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

国分寺市04 武蔵野新田・五日市街道コース TOKYO Walking Map 2021.9.15

2021.9.15 (水)  曇後晴  5.6km→6.4km
ルート:国立駅~国分寺市新幹線資料館~鉄道総合技術研究所~稲荷神社~川崎平右衛門及び観音寺中興開山供養塔(観音寺境内)~神明社(西町)~子育地蔵(高木八幡宮境内)~毘沙門堂(鳳林院境内)~川崎・伊奈両代官謝恩塔(妙法寺境内)~愛宕神社~神明社(北町)~恋ヶ窪駅


コース02のゴール西国分寺から中央線に乗り一つ目の国立駅で降りました。


国立駅  改札を出て北口へ向います


東京都福祉保健局のサイト

国分寺市04 武蔵野新田・五日市街道コース~現在につながる開発の苦労を偲ぶ~
武蔵野の地が約300年前に開発され、多くの人が移住して現在につながるまちづくりが行われました。開発の苦労が垣間見られる文化財をめぐります。
最寄駅:国立駅(JR) 国立駅北口(立川バス) 国立駅北口(ぶんバス) 国立駅北口(くにっこ)   所要時間:約1時間24分   距離:約5.6km   消費カロリー:約252kcal   歩数:約8000歩


  国立駅 北口   スタートしました


光町通りから国立駅を見たところ


11:27  国分寺市新幹線資料館  

パネルや模型などが展示され、新幹線の研究の歴史を知ることができる施設です。「光町」の町名は、新幹線「ひかり号」に由来してつけられました。


新幹線の車両が展示されているのはすぐ分ります  しかし資料館がどこか分らず写真右のドアを開けようとしました  でも閉まっています  そこで隣の国分寺ひかりプラザに入りました


国分寺ひかりプラザ

中にある見取図にも資料館はありません  受付で資料館の場所を尋ねると、表に出て右側にあるとの返事  今行ってきたけど閉まっている旨言ったところ男性の係員が一緒に案内してくれました


何と新幹線の車両そのものが資料館でした  よく見ると資料館開館中の看板もありました

係員に「これが資料館なんですか」というと「そうですね、資料館というと建物だと思いますよね」と慰められました  横にはこんな説明板が

脇から通り過ぎてひかりプラザに入ったのでこの説明板にも気が付きませんでした
新幹線資料館|国分寺市
ひかりプラザ北側に設置された新幹線試験車両951形は、平成3年12月7日、現在の公益財団法人鉄道総合技術研究所から国分寺市に無償譲渡されました。この車両は、昭和44年に製造され、昭和47年に開通前の山陽新幹線西明石から姫路間で時速286キロの当時世界最高記録をだした記念すべき車両です。車両は新幹線発展の歴史をパネル、模型等で紹介できるように改修し、新幹線資料館として開設したもので、運転席もあります。


という訳でようやく資料館の中へ

新型コロナウイルスの関係で入館人数は6人までと制限されています


新幹線運転室  すごく視野が狭いと感じました


この模型は運休中でした


11:40  鉄道総合技術研究所  新幹線資料館の目の前です

※一般公開していません 昭和34年に国分寺市に移転し、新幹線やリニアモーターカーなど鉄道の最先端の研究開発が行われています。
ホーム | JR 公益財団法人 鉄道総合技術研究所
設立の目的  日本国有鉄道改革法(昭和61年法律第87号)第11条第1項の試験研究に関する業務を引き継ぐ法人として、鉄道技術及び鉄道労働科学に関する基礎から応用にわたる総合的な研究開発、調査等を行い、もって鉄道の発展と学術・文化の向上に寄与することを目的とする。


11:48  稲荷神社  

平兵衛新田の鎮守。道に迷った名主を白狐が案内したという伝説にもとづいて建立されました。

[国分寺のおさんぽスポット] 国分寺稲荷神社 -【国分寺物語】
国分寺稲荷神社は、国分寺地区で行われた新田開発の鎮守の目的で建立された神社です。「平兵衛新田」の守り神として、古くから現在まで長い年月をかけて国分寺光町の発展を見届けて来た、歴史の深い場所として知られています。


ここは立川市です


12:03  観音寺  川崎平右衛門及び観音寺中興開山供養塔

境内にあるという川崎平右衛門及び観音寺中興開山供養塔を探します

福寿山無量聚院観音寺 | 東京都国分寺市の真言宗豊山派寺院の観音寺。
観音寺の起源:鎌倉後期(1185年~1333年)と伝えられています。北条氏滝山城(現八王子郊外、滝山城址)の鬼門(東北方)を護る寺として現武蔵村山市の地に創建されました。
創建の地にはまだ「観音寺」の地名が残されていますが、江戸中期新田開発に伴い現在の地に移築されました。享保年間(1716年~1736年)、およそ290年前であると伝えられています。

門の下に供養塔と書かれた石碑がありましたが探していた供養塔かどうかは不明です

帰ってから調べたら境内というよりは墓地にあったようです
川崎平右衛門及び観音寺中興開山供養塔(観音寺)【市重要有形文化財】|国分寺市
新田開発の苦労を偲んで、住職と農民が寛政7年(1795年)に建立しました。観音寺が中藤村から中藤新田に移転した時の住職大阿闍梨法印亮瑞と、移転に尽力した代官川崎平右衛門の供養塔で す。


12:08  国分寺崖線スポット(神明社の参道)  

参道の階段を登ると崖線上からの風景が望めます。


12:09  神明社(西町)  

階段上からの眺め  木が邪魔で見通せません

[国分寺のおさんぽスポット] 国分寺神明社 -【国分寺物語】
国分寺神明社が位置しているのは、立川崖線西縁、観音寺の北側になります。正面の崖下には古道が走っており、歴史を感じさせてくれます。また、境内地は崖線の高低差を利用して西面となっています。


12:22  子育地蔵(高木八幡宮境内)  

子育地蔵(高木八幡宮境内)ぶらり国・府
高木八幡宮は、野中新田六左衛門組の小字高木の鎮守です。新田開発の直後、元文4年(1739)造立の子育地蔵は市内の石造物の中でも古い部類に属します。


12:45  毘沙門堂(鳳林院境内)  

鳳林院|国分寺市並木町にある黄檗宗寺院
鳳林院は、上谷保にあった円成院境内に矢沢大堅(享保元年1716年寂)が正徳3年(1713)創建、円成院は北野中新田(小平市)へ、当寺は享保10年(1725)に南野中新田(当地)へ引寺されたといいます。毘沙門堂。本堂の北にあり。堂六尺に七尺。毘沙門木の立像長八寸、厨子入南向。此当院の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
毘沙門堂


並木町公園  鳳林院のすぐ前です


12:50  川崎・伊奈両代官謝恩塔(妙法寺境内)   五日市街道の先です

【市重要有形文化財】新田農民援助策を立案した川崎平右衛門とその後任伊奈半左衛門に感謝して建てられた宝篋印塔。新田開発の際に生まれた畑は、現在も数多く残り、当時の姿を垣間見ることができます。

川崎・伊奈両代官感謝塔(妙法寺)【市重要有形文化財】|国分寺市
享保年間(1716年から1735年)に行われた武蔵野の新田開発の際に、干ばつなどによる不作で農民が困ったとき、夫食(食料のこと)貸付など各種の農民保護、営農指導等に 尽力した川崎平右衛門、伊奈半左衛門の両代官に感謝して、武蔵野新田の人々が造立した宝篋印塔です。大正12年の関東大震災により倒壊し ましたが、昭和26年に再建されました。


13:00  愛宕神社  

[国分寺のおさんぽスポット] 愛宕神社 -【国分寺物語】
愛宕神社は、榎木戸新田が開発されたといわれている1725年に創建されており、明治6年村社に列格したとされています。狛犬が2頭、境内の中もいたってオーソドックスなものとなっており、心を落ち着かせてくれます。


13:07  神明社(北町)  

神明社(北町)ぶらり国・府
野中六左衛門組の鎮守です。野中新田の発願は享保7年(1722)で、元文元年(1736)に鎮守となりました。境内には用水路が残っています。祭神は天照大御神で、神殿は神明造りです。


市民戸倉野球場 前を通過


西武国分寺線踏切手前を右へ


恋ヶ窪駅が見えてきました


13:28  恋ヶ窪駅  ゴールしました


恋ヶ窪駅から西武国分寺線に乗り、次のコース起点国分寺駅へ向います。


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  5.6km→6.4km


国分寺市04 武蔵野新田・五日市街道コース のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
国立駅  0.00km  0:00  11:16
国分寺市新幹線資料館  0.60km  0.60km  0:24  0:11  0:13  11:27  11:40
鉄道総合技術研究所  0.00km  0.60km  0:24  0:00  0:00  11:40  11:40
稲荷神社  0.40km  1.00km  0:33  0:08  0:01  11:48  11:49
観音寺(供養塔)  0.80km  1.80km  0:51  0:14  0:04  12:03  12:07
神明社(西町)  0.00km  1.80km  0:55  0:01  0:03  12:08  12:11
高木八幡宮(子育地蔵)  0.60km  2.40km  1:08  0:11  0:02  12:22  12:24
鳳林院(毘沙門堂)  1.20km  3.60km  1:32  0:21  0:03  12:45  12:48
妙法寺(川崎・伊奈両代官謝恩塔)  0.20km  3.80km  1:37  0:02  0:03  12:50  12:53
愛宕神社  0.40km  4.20km  1:45  0:07  0:01  13:00  13:01
神明社(北町)  0.20km  4.40km  1:52  0:06  0:01  13:07  13:08 
恋ヶ窪駅  1.20km  5.60km  2:12  0:20  13:28 
コース05へ
2021/09/15(水) 曇後晴  5.60km  2:1 2  1:41  0:31


国分寺市04 武蔵野新田・五日市街道コース の感想
今回念入りな事前調査をしていなかったため、国分寺市新幹線資料館がどのような姿をしているのか分らずに、館というからには建物だと思い込んでいました。辞書では「館」:1 大きな建物・屋敷。「館舎/帰館・公館・商館・洋館」2 宿屋。「旅館」3 役所。「大使館」4 公共の建物・施設。「映画館・図書館・博物館」5 学校・道場などの名に添える語。「弘道館・明倫館」となっていました。確かに公共の施設には違いませんが、新幹線そのものを資料館というには無理があるような気がします。
コースタイトルにある武蔵野新田というのは初めて聞く言葉です。日本大百科全書(ニッポニカ)「武蔵野新田」の解説では「関東平野西部の武蔵野台地に開かれた新田。玉川上水の開削などを契機に享保(きょうほう)(1716~1736)ころから台地中央部に畑作新田が開発され、80余の新田が成立した。それ以前の前期新田は、台地北部、南東部が中心であった。」とあります。どうやら国分寺界隈ということではなく、もっと広い地域を指していると思われます。
川崎平右衛門の名前は小金井市でも「平右衛門橋」や真蔵院の「川崎平右衛門供養塔」などを見ており、武蔵国押立(おしだて)村の名主から代官になったこの辺りでは有名人のようです。


以上です。
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