mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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Caminante,Flamenco y Guitarra

千代田区05 東京まちさんぽ2017.7.8コース 後半 TOKYO Walking Map 2023.1.26

2023.1.26(木)晴 12.3km→15.1km  のうち5.4km
ルート:飯田橋駅(神楽坂下)→神楽坂界隈→靖國神社→気象科学館→深川不動堂→清澄庭園→芭蕉記念館→人形町商店街→水天宮前駅


距離があり見どころも多いため、2回に分けることにしました
前半 新宿区~千代田区~中央区  0.0km~ 9.7km      8:43~11:27
飯田橋駅(神楽坂下)→神楽坂界隈→靖國神社→気象科学館→永代橋

後半 江東区~中央区                    9.7km~15.1km  5.4km   11:27~13:42
永代橋→深川不動堂→清澄庭園→芭蕉記念館→人形町商店街→水天宮前駅


千代田区のコース03から07までは東京メトロの「東京まちさんぽ」のウォーキングマップを利用しています。コース05は東京まちさんぽ過去のコースの中から2017/7/8の分です。
メトロに乗って駅から楽しくウォーキング!東京まちさんぽ 2017/7/8


東京都福祉保健局のサイト

千代田区05 東京まちさんぽ2017.7.8コース
飯田橋駅から水天宮前駅へ。夏の訪れを楽しむウォーキング。


前半は新宿区~中央区までで、後半は江東区~中央区です


11:27  永代橋 の先、ここから江東区に入ります


佐久間象山砲術塾跡【江東区登録史跡】 江東区永代1丁目15−2

佐久間象山砲術塾跡  観光情報 | 江東おでかけ情報局
この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信州松代藩下屋敷があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。嘉永3年(1850)7月から12月までこの地で砲術を教え、のちに江戸木挽町に兵法や砲術を教える私塾を開いています。


渋沢栄一宅跡 【江東区登録史跡】 江東区永代2丁目37

深川と渋沢栄一宅跡【渋沢栄一9】
栄一は、明治9年(1876)に深川福住町(永代2)の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。明治21年(1888)には、兜町(中央区)に本邸を移したため、深川邸は別邸として利用されました。


門前仲町交差点 左折   清澄通りへ


深川公園   


石造燈明台  深川公園内  江東区富岡1丁目14−3

 

石造燈明台・明治31年在銘|江東区
以前は、深川不動堂境内の南東にありましたが、平成20年7月に現在地(深川公園へ移設されました)。高さは839.4cm、約370cm四方の燈明台です。日清戦争の戦勝を記念して明治28年(1895)に起工し、31年7月に竣工しました。設計者は工部大学校(現東京大学工学部)第1期生の1人である佐立七次郎です。


11:48  深川不動堂  

古くから「深川のお不動様」と親しまれ、旧本堂は江東区内最古の木造建築として指定文化財になっている。

成田山 東京別院 深川不動堂
深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。古くより「深川のお不動様」と親しまれて参りました。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まります。


清澄通りへ戻ります


深川一丁目交差点 直進


小津安二郎誕生の地  江東区深川1丁目8−8

小津安二郎誕生の地碑|世界的な名監督は深川で生まれ育った | はいかいちゃん、街をあるく
江東区の生んだ世界的映画監督小津安二郎は、明治三十六(1903)年十二月十二日、この地に生をうけました。生家は「湯浅屋(ゆあさや)」という屋号の肥料問屋でした。安次郎が十歳のとき、三重県松坂町に転居、中学校卒業後、尋常小学校の代用教員を一年間務めた後、大正十二(1923)年再び上京、深川和倉町に住み、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社しました。
  
採荼庵(さいとあん)跡  江東区深川1丁目9

採荼庵跡|江東区
採荼庵(さいとあん)は、江戸時代中期の俳人杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵室です。杉風は、名を市兵衛、または藤左衛門と称したほか、屋号を鯉屋(こいや)、俳号を採荼庵、五雲亭(ごうんてい)などとし、隠居したのちは一元(いちげん)と名乗りました。芭蕉は奥の細道の旅に出る前、住居としていた芭蕉庵を手放し、しばらくは採荼庵で過ごしました。門人たちと別れを惜しんだのち、舟で隅田川をのぼり、千住大橋のたもとから奥州へと旅立っていきました。

芭蕉俳句の散歩道  仙台堀川


海辺橋   仙台堀川


清澄庭園(児童公園)  


12:20  清澄庭園  中へ入ります

泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」。東京都の名勝に指定されている。

清澄庭園|公園へ行こう!
泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。入園料:一般 150円 65歳以上 70円


入園料は65歳以上 70円です


順路に沿って進みます


大正記念  

昭和3年(1928)、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したもの。しかし、最初の建物は戦災で焼失(1945)してしまったため、昭和28年(1953)に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建。平成元年(1989)4月に全面改築され、現在は集会施設として利用できます。

伊豆川奈石  

伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石。これらは庭園に置かれた多くの庭石のうち代表的なもの。これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全 国の石の産地から集めたものです。


大磯渡りから左に松島を望む


磯渡りから中の島方面

磯渡り:池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようにしたもの。広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。


芦辺の浜から涼亭方面  

涼亭:池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物。明治42年(1909)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの。震災や戦災をまぬがれ今日に至りましたが、昭和60年(1985)に全面改築工事を行い、現在集会施設として利用できます。


大泉水  

泉水:三つの中島を配した広い池。水面に島や数寄屋造りの建物、樹々の影を映し出すこの池は、庭園の要です。昔は隅田川から水を引いていました。現在は雨水でまかなっています。


右は中の島、左の建物は涼亭


九重塔  


鶴島  と鳥

名石  


枯滝  その先は富士山

富士山:この庭園で最も高く大きな築山。関東大震災以前はこの築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキ・ツツジの灌木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています。


大泉水の丁度反対側から


自由広場  


松尾芭蕉「古池の句」碑  

「古池や かはづ飛び込む 水の音」。松尾芭蕉の最も有名なこの句を刻んだ石碑が、園内に立てられています。


石舞台  


清澄園記  

清澄園記碑|江東区
大正13年(1924)6月に岩崎久彌が清澄庭園を東京市へ寄付したことを称えた石碑で、昭和4年(1929)9月に建設されました。岩崎久彌は、明治から昭和にかけての実業家です。三菱の創業者る岩崎彌太郎の長男として生まれ、叔父の彌之助(やのすけ・彌太郎の弟)と設立した三菱合資会社の社長を勤めました。


右に涼亭、左は大正記念館

正面は鶴島、左に山燈籠が見えます


12:45  清澄庭園を出ました


中村学園北交差点 左折  清州橋通りへ


右に 横綱通り がありました

  
右折して万年橋通りへ  


万年橋 小名木川  


川船番所跡  江東区常盤1丁目2−5

東京都江東区の歴史 川船番所跡(かわふねばんしょあと)
川船番所は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。設置の年代は明らかではありませんが、正保4年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。

13:00  芭蕉記念館  中へ入ります

俳人・松尾芭蕉ゆかりの地。俳文学に関する資料を多数展示している。
芭蕉記念館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団
江東区芭蕉記念館は、芭蕉関係資料の収集及び展示をし、俳句等文学活動の振興を図ることにより区民の文化の向上に資するために設置された施設です。休館日 第2・4月曜日(ただし祝日の場合は翌日休館) 年末年始(12/29~1/3) 大人(高校生を含む) 200円
観覧券  200円

芭蕉記念館3階の常設展示では、俳聖・松尾芭蕉について、パネルなどにより、わかりやすく展示しています。
展示コーナー
1.松尾芭蕉は何をした人?
2.芭蕉の生涯と生きた時代
3.芭蕉はどんな顔だったの?
4.芭蕉と深川
(1)深川芭蕉庵
(2)深川での俳諧活動
(3)深川と作品
5.『おくのほそ道』の旅立ちの地・深川
6.旅とネットワーク
7.江東区内の句碑・史跡など


2階には「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)などを展示しています。


芭蕉遺愛の石の蛙

「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)は、大正6年(1917)9月の台風の高潮の後、常盤一丁目から出土したものです。同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。現在は芭蕉稲荷神社が祀られています。


13:21  芭蕉記念館を出ました


新大橋交差点  左折  新大橋通りへ


新大橋  


浜町中ノ橋交差点  直進


13:41  人形町商店街  


13:42  水天宮前駅  ゴールしました  右側が人形町商店街

水天宮 へ寄ってみました   中央区日本橋蛎殻町2丁目4−1

安産・子授け | 東京都中央区 | 水天宮
水天宮の発祥は九州の久留米藩(現在の福岡県久留米市)です。9代目久留米藩主の有馬頼徳が、1818年、自家で祀っていた水天宮を三田赤羽の上屋敷に分祀したのが、東京の水天宮の始まりです。
神社建築様式の社殿と現代建築を取り入れた参集殿は、高度な意匠によって融和し、時代に即した神社へと一新しました。そして境内地一面には、最新技術の免震構造を取り入れると共に待合室の環境改善も行いました。


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ 12.3km→15.1km


千代田区05 東京まちさんぽ2017.7.8コース のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
飯田橋駅(神楽坂下)    0.0km  0:00    8:43
神楽坂界隈(善國寺)    0.3km    0.3km  0:06  0:05  0:01    8:48    8:49
靖國神社    2.2km    2.5km  1:03  0:37  0:20    9:26    9:46
気象科学館(移転)気象庁前    2.7km    5.2km  1:35  0:32  0:00  10:18  10:18
深川不動堂    5.7km  10.9km  3:09  1:30  0:04  11:48  11:52
清澄庭園    1.4km  12.3km  4:02  0:28  0:25  12:20  12:45
芭蕉記念館    1.5km  13.8km  4:38  0:15  0:21  13:00  13:21
人形町商店街    1.2km  15.0km  4:58  0:20  0:00  13:41  13:41 
水天宮前駅    0.1km  15.1km  4:59  0:01  13:42 
2023/01/20(木)晴  15.1km  4:59   3:48  1:11


千代田区05 東京まちさんぽ2017.7.8コース 後半 の感想
このコースの後半は江東区の永代橋から始まり、中央区の水天宮前駅までです。千代田区はどこも通りません。次に回ろうとしている中央区のコースマップを見たところ、このコース05と06,07は中央区のコース11,12,13と重複して掲載されていました。どれも中央区の方が長いので、事前にチェックしていたらコース05は千代田区からはずしていたと思います。
後半には清澄庭園と芭蕉記念館という有料施設が2つあります。どちらも初めて訪ねました。これで都立庭園はコース01の浜離宮恩賜庭園、02の小石川後楽園に続いて4つ目になりました。さすがよく整備されていて、見どころ一杯です。
後から分ったのですが、深川不動堂のすぐ先に富岡八幡宮がありました。コースマップになく、立寄れなかったのは残念です。


以上です。
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     2017.7.8               東京まちさんぽ       2017.11.18