mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

中央区04 日本橋コース TOKYO Walking Map 2023.2.16

2023.2.16(木)晴  6.2km→7.1km
ルート:東日本橋駅(B3出口)→神田川の船宿→新大橋→清洲橋→兜神社→ヤン・ヨーステン記念碑→日本橋駅(B6出口)


地下鉄都営新宿線馬喰横山駅と都営浅草線東日本橋駅は地下道でつながっていました。


東京都福祉保健局のサイト

中央区04 日本橋コース
「江戸」の風情と面影探し
最寄駅:浜町駅(都営地下鉄) 所要時間:約44分 距離:約3.0km 消費カロリー:約132kcal 歩数:約4300歩


9:39  東日本橋駅(B3出口)スタートしました


清杉通り を浅草橋方面へ 


浅草橋交差点  直進   


神田川に出たら右折  

  
9:45  神田川の船宿  

東京はその昔、世界有数の水運都市。今でもここには、隅田川や東京港に繰り出す屋形船が集まっています。

柳橋  

中央区ホームページ/中央区民文化財59 柳橋(やなぎばし)
神田川最下流の柳橋は、隅田川に合流する河口という立地から水上交通や船遊びの拠点となりました。周辺には、新吉原・向島通いの猪牙船や隅田川での船遊び客(月見・花火・川上りなど)に貸船を仕立てる船宿が集まり、川柳にも「柳橋川へ蒲団をほうりこみ」とうたわれるほどのにぎわいをみせていました。


隅田川テラス(隅田川散歩道)入口  


蔵前橋とスカイツリー 


隅田川テラスと両国橋  


何の扉でしょうか


両国橋を振返ったところ

ここにも不思議な扉が


浜町船着場(防災用) 


隅田川テラスギャラリー  
「東京開花名所 両国橋大川ばた 明治七年」(三代広重)
 隅田川左岸からの光景。富士山が見えます。


江戸旧蹟を歩く 隅田川ウォールアートギャラリー 浜町
<隅田川ウォールアートギャラリー>(新大橋西北端~両国ジャンクション) 中央区日本橋浜町2丁目 
 新大橋から高速の両国ジャンクションまで、日本橋地域の街並みなどの錦絵が展示されています。


「東都名所 両国橋納涼」(広重)


「東京名勝図会 柳橋の夜景」(三代広重)


「東京名所 駿河町三ツ井組 明治八年」  


「浜町公園」(版元不詳 昭和4(1929)年)  


「明治座開場之図」(香朝楼芳梅(三代歌川国貞))  

これは何の施設?


新大橋 


「東京名所之内 人形町通り水天宮 明治九年」(三代広重)  


「東京名所四十八景 小網町箱崎橋より湊橋遠景」(昇斎一景)  


警戒船  

岸辺の警戒船 - 中央区観光協会特派員ブログ
隅田川や晴海埠頭の岸辺に立って水上を見渡すと、旗を立て、ずっと停泊している船が有ります。旗には「警戒船」と表示が有ります。その船の周りを見ると、近くの岸辺では必ず工事が行われています。たとえば、橋をかけている、岸壁の工事を行っている、浚渫工事を行っているとか。いわば、陸地での工事中の道路で車両の流れを制御する、カードマンと同じ役目を担っています。


「新撰江戸名所 日本橋雪晴ノ図」(広重)  


「東海道五拾三次 日本橋朝之景」(広重)  


10:13  新大橋  

オレンジ色の主塔と白いケーブルは、シンプルなデザインの斜張橋に明るいイメージを与えています。


わんわん広場  


日本橋消防署浜町出張所(停船所)  


清州橋  


10:22  清洲橋  

優美な雰囲気の吊り橋は、ドイツ・ケルンの橋をモデルに建造されました。


箱崎防災船着場  


隅田川大橋  

永代橋手前を右へ  土手に上ります


隅田川大橋を振返ったところ


箱崎河岸緑道  


永代橋  


豊海橋 手前を右折 日本橋川に沿って進む


日本銀行創業の地  

日本銀行創業の地 - 発祥の地コレクション
明治十五年十月十日日本銀行はこの地で開業した 明治二十九年四月日本橋本石町の現在地に移転した  創業百周年を記念してこの碑を建てる 昭和五十七年十月


高尾稲荷社(遊女高尾太夫を祀る神社)  

高尾稲荷神社 - 中央区観光協会特派員ブログ
高尾稲荷神社は、江戸時代の遊女高尾太夫の遺体が引き揚げられた当地に、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源とし、実態の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神としているとされています。



湊橋 交差点  直進したところ

歩道がなく通れません  仕方なく湊橋交差点まで戻り信号を渡りました


箱崎川第一公園  


左折して 茅場橋 を渡る  

  
茅場町交差点を右折   永代通りへ


東京証券会館  


兜町交差点 右折 平成通りへ  


山王日枝神社  


東京証券取引所  

証券取引発祥の地  
日本における市場取引の歴史② 明治から現代の流れ | キャリタスファイナンス
日本の株式市場は、1878年(明治11年)に、日本初の公的な証券取引機関である「東京株式取引所」の開設により歴史の幕を開けました。その後、全国11カ所に株式取引所が設置され、株式の売買などが積極的に行われるようになります。

鎧橋手前 左折


鎧の渡し跡  

沿革 | 日本取引所グループ
この地付近はその昔は入江が深く入り込んでいて、下総方面への渡し場となっていた。永保年間(西暦1081~84年)、源義家が東征の際してこの渡しに来た時、急に暴風雨に遭い、渡しが使えなくなってしまった。そこで、着ていた鎧を脱いで海神(龍神)に供え祈ったところ、暴風雨が収まり、渡ることができた。その後、この渡しを「鎧の渡」と呼ぶようになったそうです。


東京証券取引所の裏


  兜神社  

証券界の守り神とされる兜神社です。こちらの神社の御祭神は、主が商業の守護神の「倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)」で、合祀されている神様は、大国主命(大黒様)と事代主命(恵比寿様)です。

沿革 | 日本取引所グループ
東京証券取引所本館の北、道路を挟んで日本橋川の辺に小さな神社があります(日本橋兜町1-8)。これが証券界の守り神とされる兜神社です。こちらの神社の御祭神は、主が商業の守護神の「倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)」で、合祀されている神様は、大国主命(大黒様)と事代主命(恵比寿様)です。


江戸橋南交差点  昭和通りの横断歩道橋を渡って直進  


日本橋  

日本橋観光案内所 と タイムカプセル 


日本橋由来記の碑  

日本橋由来記
日本橋ハ江戸名所ノ随一ニシテ其名四方ニ高シ慶長八年幕府譜大名ニ課シテ城東ノ海濱ヲ埋メ市街ヲ營ミ海道ヲ通シ始テ本橋ヲ架ス人呼ンデ日本橋ト稱シ遂ニ橋名ト為ル翌年諸海道ニ一里塚ヲ築クヤ實ニ本橋ヲ以テ起點ト為ス當時既ニ江戸繁華ノ中心タリシコト推知ス可ク橋畔ニ高札場等ヲ置ク亦所以ナキニアラス舊記ヲ按スルニ元和四年改架ノ本橋ハ長三十七間餘幅四間餘

日本橋がはじめて架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603)と伝えられています。幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋とし、重要な水路であった日本橋川と交差する点として江戸経済の中心となっていました。橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名です。幕末の様子は、安藤広重の錦絵でも知られています。


Quiz Spot  ここには「日本橋の道路上にある物」の複製が置かれています。「ある物」の名前をお答えください。


日本国道路元標・道路元標地点碑  

日本国道路元標
日本国道路元標(Kilometer Zero)。その名の通り、道路の起点となるポイントを示したものです。日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したもの。


中央通り  


日本橋三越本店 ライオン像

重要文化財【 日本橋三越本店 】の魅力(1) 外観とライオン口玄関、地下コンコース by 夜行列車 | 中央区観光協会特派員ブログ
大正3年(1914)、当時の支配人日比翁助氏が、欧米視察中にイギリスで注文したものです。ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下の4体の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。このライオン像、戦時下の昭和16年海軍省に供出されるも、溶解を免れ、戦後東郷神社に放置されていたのを発見され、本館正面入り口に再び設置された経緯があり、“ 強運の像 ”としても有名です。

室町二丁目交差点 左折 江戸桜通り


日本銀行本店  


貨幣博物館   

新型コロナウイルス感染症に関連した対応について - 貨幣博物館
貨幣博物館の常設展示は、日本のお金の歴史について、所蔵資料の調査研究を踏まえ、分かりやすく展示しています。何が「お金」として選ばれ、どのように使われてきたか、といったことを本物の資料を通して見て頂くことができます。豊臣秀吉や徳川家康がつくらせた金貨(大判)の実物を見た後、その重さを体感したり、明治時代に発行された最初の日本銀行券を見た後、現在の日本銀行券の偽造防止技術について体験したり、楽しみながら学ぶことができます。


常盤橋(震災復興橋) 手前左折 外堀通りへ


一石(いちこく)橋  


呉服橋交差点 直進


東京駅 八重洲中央口前交差点 左折

11:46  ヤン・ヨーステン記念碑  

ここに住んでいたオランダ人通訳の名前が訛り、「耶楊子(やようす)」→「八重洲」となりました。
ヤン・ヨーステン記念碑|中央区八重洲|東京都|三浦按針ゆかり
2つの羅針盤の輪が天球儀の形に組み合わされています。羅針盤は、当時世界をリードしていたオランダの航海技術の象徴であり、また天球儀は”時”の象徴でもありす。左側の頭部がヤン・ヨーステン像、右側の帆船が日本漂着の際、彼が乗り組んでいたとされるオランダ船リーフデ号です。


 平和の鐘 

日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。1609年(慶長14年) 平戸にオランダ商館が設立され (後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口になり続けた。とくに中央区とオランダとの歴史的な関係も深く、日蘭修好380周年を記念してここにモニュメントを設置し、永久にこの友好を保存するものである。


日本橋三丁目交差点 左折  


高島屋  


12:01  日本橋駅(B6出口)  ゴールしました


次の08コースへ向うため日本橋駅から銀座線にのりました


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  6.2km→7.1km


中央区04 日本橋コース のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
東日本橋駅(B3出口)  0.0km  0:00    9:39
神田川の船宿  0.4km  0.4km  0:07  0:06  0:01    9:45    9:46
新大橋  1.2km  1.6km  0:34  0:27  0:00  10:13  10:13
清洲橋  0.5km  2.1km  0:43  0:09  0:00  10:22  10:22
兜神社  2.2km  4.3km  1:30  0:46  0:01  11:08  11:09
 ヤン・ヨーステン記念碑   2.0km  6.3km  2:09  0:37  0:02  11:46  11:48 
日本橋駅(B6出口)  0.8km  7.1km  2:22  0:13  12:01 
コース05へ
2023/02/16(木)晴  7.1km  2:22   2:18  0:04


中央区04 日本橋コース の感想
このコースでは神田川・隅田川・日本橋川と3つの川沿いを歩きました。なかでも隅田川テラスが一番長く、2km以上続いています。上流方面から両国橋・新大橋・清州橋・隅田川橋と4つの橋の下をくぐりました。
橋の下側はめったに見ることができませんが、パイプがむき出しのものや、対岸まで見通せるものとそうでないものなどの違いを改めて感じました。時間が早いせいか東京都観光汽船(TOKYO CRUISE)の「エメラルダス」や水上バスは見かけませんでした。
日本橋川は土手のようなものがないので、川に沿った道路を進むため川面を直接見ることができません。途中茅場橋と日本橋を渡るときだけ川面を見ることができました。
日本銀行本店すぐそばにあった貨幣博物館は時間の関係で寄ることができませんでした。豊臣秀吉や徳川家康がつくらせた金貨(大判)の実物や、現在の日本銀行券の偽造防止技術についての体験コーナーがあるようなので、別途訪れてみたいと思います。


以上です。
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