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ウォーキングとフラメンコ
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目黒区05 目黒・下目黒エリア/江戸のレトロを歩く TOKYO Walking Map 2024.1.5

2024.1.5(金)晴  4.8km→5.4km
ルート:<メイン>目黒駅正面口→行人坂→大圓寺→蟠龍寺→五百羅漢寺→成就院(たこ薬師)→瀧泉寺(目黒不動尊)→目黒区美術館→茶屋坂→恵比寿駅西口


コース01のゴール目黒駅西口から正面口へ移動しました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

目黒区05 目黒・下目黒エリア/江戸のレトロを歩く
古地図や絵図に残る寺社 今も身近な観光地
最寄駅:目黒駅(都営地下鉄) 目黒駅(JR) 目黒駅(東急電鉄) 目黒駅(東京メトロ) 目黒駅前(都営バス) 目黒駅前(東急バス) 所要時間:約1時間12分 距離:約4.8km 消費カロリー:約216kcal 歩数:約6860歩


15:03  目黒駅正面口 スタートしました


目黒通り 左折 


15:05  行人坂  

この急坂は、かつては江戸市中から目黒筋に通じる道として賑わいました。
profile/行人坂
寛永の頃,出羽(山形県)の湯殿山の行人が,このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。次第に多くの行人が集まり住むようになったので,行人坂と呼ばれるようになったといわれています。


目黒川架橋勢至菩薩石像  

目黒川架橋勢至菩薩石像 区指定有形文化財(歴史資料) | 目黒区
台座97センチメートル、蓮華20センチメートル、勢至(せいし)菩薩52センチメートルから成り、勢至(せいし)菩薩は両手を合掌し、片膝を立てて座っています。銘文からは、宝永(ほうえい)元年(1704年)に僧の西運(さいうん)が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中で人々の報謝を受け、これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、石製の太鼓橋(たいこばし)を架けたことがわかります。



15:07  大圓寺  

出羽湯殿山の修験僧・大海法印が開いた寺院です。明和の大火を供養する石仏群があります。


大圓寺 本堂  

歴史を訪ねて 大円寺 | 目黒区
江戸の初期、元和年間(1615年から1624年)に湯殿山の行人、大海法印が建てた大日如来堂に始まると伝えられている。山門を入るとまず目につくのが、境内左手のがけに沿い幾段にも並ぶ石仏群である。初めてここを訪れる人はその数の多さに目を見張ることだろう。釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏像は、昭和45年、都有形文化財に指定されている。


大圓寺 阿弥陀堂  

大圓寺 西運の念仏行  

八百屋お七の情人吉三ゆかりの寺でもある。吉三は出家して西運を名乗り、大円寺の下(今の雅叙園の1部)にあった明王院に身を寄せたという。西運は明王院境内に念仏堂を建立するための勧進とお七の菩提(ぼだい)を弔うために、目黒不動と浅草観音に1万日日参の悲願を立てた。「お七吉三縁起絵巻」の一部、木枯らしが吹きすさぶなかを、念仏鉦を力一杯たたき、念仏を唱えながら、日参する西運の姿を刻んだ碑が境内に立っている。


大圓寺 道祖神   


大圓寺 釈迦堂  

この寺のご本尊、建久4年(1193年)に造られた清涼寺式釈迦如来立像(寄木造り・高さ162.8センチメートル)で昭和32年に国の重要文化財に指定されている。


大圓寺 石仏群  

大火犠牲者供養の羅漢像  振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火のひとつである明和9年(1772年)の行人坂火事は、この大円寺が火元といわれている。同寺から出た火は、折からの強風により、たちまち白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となった。特に城中のやぐらまでも延焼したので、大円寺は以後76年間も再建を許されなかった。
石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したといわれている。

大圓寺 とろけ地蔵  

石仏群の手前、本堂横に顔や手が溶けたような、一体の異様な地蔵が立っている。この地蔵は「とろけ地蔵」と呼ばれ、江戸時代に漁師が海から引き上げたもので、昔から悩み事をとろけさせてくれる、ありがたいお地蔵様として信仰されてきたとか。


大圓寺 金箔薬師如来   

金箔3枚セット500円 「お体の気になる箇所と同じ場所へ願いを込めてお貼りください」



大圓寺 行人坂敷石造道供養碑  

行人坂敷石造道供養碑 区指定有形文化財(歴史資料) | 目黒区
碑の高さ164センチメートル、上部には梵字(ぼんじ)と蓮華が彫り出されています。碑の下部には建立の由来が書かれています。建立は元禄(げんろく)16年(1703年)、摩滅していますが施主は、西運(さいうん)と推測されています。


大圓寺を出ました


目黒雅叙園  


太鼓橋(目黒川)  

山手通り 左折  下目黒歩道橋を渡ります


蟠龍寺入口  歩道橋のすぐ下です


15:26  蟠龍寺 (霊雲山 称明院) 

境内が「江戸名所図会」に描かれた寺院です。岩窟内に山手七福神の弁財天が祀られています。

おすすめスポット 「蟠竜寺」 | めぐる・めぐろ 〜めぐろ観光まちづくり協会〜
本堂にある本尊「木造阿弥陀仏如坐像」は、都指定文化財です。また、山手七福神の一つでもあり、石像弁財天と木造弁財天が安置されており、おしろい地蔵もあります。

蟠龍寺 木造阿弥陀仏如坐像  


蟠龍寺 岩窟弁財天  


蟠龍寺 辯天堂  


蟠龍寺 おしろい地蔵  

メイクアップおしろい地蔵&八臂弁財天『蟠龍寺』(目黒駅) | シマグニノシマタビ
かつて、顔にある痘痕(あばた)のせいで良縁に恵まれなかった娘がいました。この地蔵に願掛けしたところ、痘痕が消えて幸せに暮らすことができるようになったとの言い伝えがあります。それ以来、若い女性がお参りするようになったそう。

山手通りに出て 羅漢寺交差点 右折  


松雲禅師像  


15:39  五百羅漢寺  

元禄時代、松雲元慶禅師は500体以上の羅漢像を彫り上げました。305体が現存しています。

天恩山五百羅漢寺
「目黒のらかんさん」として親しまれている天恩山五百羅漢寺の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて彫りあげたものです。五百体以上の群像が完成してから三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存305体)天恩山五百羅漢寺は元禄八年(1695) 本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建されましたが、明治維新とともに寺は没落し、明治四十一年、目黒のこの地に移ってきました。長年の風雪に耐え、昭和五十六年に近代的なお堂が完成し、名実ともに「目黒のらかんさん」としてよみがえりました。午前9時 開門 午後5時 閉門  大人 500円  65歳以上 400円


順路の矢印の通りに進みました


左の羅漢堂に五百羅漢があります  中は撮影禁止でした  1月7日まで拝観料無料です

本堂に納めきれない146体のらかんさんが安置されています。


五百羅漢寺 聖宝殿  変った建物です  屋上に鐘楼が見えます

五百羅漢寺 再起地蔵尊 と本堂 

再起への希望の灯  失意の人の再起の願いを叶えてくれるお地蔵さま。身丈3.5メートル。
おだやかな顔でお参りの人に気力と勇気を与えてくれます。


五百羅漢寺 本堂  

本尊釈迦如来とその弟子であるらかんさんが一堂に会した本堂。お釈迦さまが説法している光景が再現されています。


五百羅漢寺 聖宝殿の中

当時の歴史を物語る史料 さくら隊原爆殉難者の写真などが展示されています。
江戸時代末期の絵師住吉内記画伯が2年間毎日描き続けた羅漢像の絵が保存されています。
浮世絵、元禄当時の羅漢像の『造立寄進者簿』は、五百羅漢寺が江戸の人びとに慕われていた頃をしのばせます。
魚梆(かいばん)は、これをたたいて儀式の刻限を知らせたものです。(現在の木魚の原形です。)

五百羅漢寺 羅漢会館 手前を左折 


15:54  成就院(たこ薬師) 

「たこ薬師」の名は、慈覚大師作と伝わる本尊の薬師如来が三匹の蛸に支えられる姿に由来します。

たこ薬師成就院
天台宗の宗祖、比叡山開山伝教大師最澄の高弟、慈覚大師円仁は栃木県壬生町生まれ、幼くして伝教大師をしたって比叡山に登り、学問修行に励まれました。承和5年(832)唐に渡り、同14年帰国されるまでいろいろと苦学して、唐各地をまわり、たくさんの仏法を伝えて帰国されました。40歳のとき、自ら薬師さまの小像を刻み、御入唐の時もこれを肌身につけて行かれましたが、お帰りの海路、波風が荒れましたので、その御持仏を海神に献じて、危急をのがれ、無事に筑紫の港に帰り着かれました。その後大師、諸国巡化のみぎり、肥前の松浦に行かれますと海上に光明を放ち、さきに海神にささげられたお薬師さまのお像が、蛸にのって浮かんでおられました。大師は随喜の涙にむせび給い、その後東国をめぐり天安2年(858)目黒の地に来られました時、諸病平癒のためとて、さきに松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して、一刀三礼、霊木にきざみ、護持の小像をその胎内に秘仏として納め、蛸薬師如来とたたえまつられました。


成就院 お静地蔵尊 

この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室 お静の方の発願で奉納されたものです。


目黒不動商店街 右折   


瀧泉寺 比翼塚  


16:00  瀧泉寺(目黒不動尊) 仁王門 

江戸近郊の不動霊場です。境内にある独鈷の瀧からは開山以来、涸れずに水が流れています。

目黒不動尊
当山の開基は、今から一千百余年前の平安時代(八〇八)にさかのぼります。十五歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。

瀧泉寺 男坂  


瀧泉寺 水かけ不動明王  


瀧泉寺 独鈷の瀧  


瀧泉寺 山王鳥居  


瀧泉寺 本堂  


瀧泉寺 延命地蔵尊  


瀧泉寺 護衛不動尊  


瀧泉寺 八大童子の山  

瀧泉寺 女坂 へ 


瀧泉寺 銅造奇像銅造役の行者奇像  女坂の途中にあります


瀧泉寺 地蔵堂  


瀧泉寺 本坊阿弥陀堂  


瀧泉寺 池と三福堂  


瀧泉寺 野村宗十郎像  

銅像 野村宗十郎
長崎に生まれる。のち、父の従兄野村全吉の養子となったが、全吉は函館戦争で幕府軍艦朝陽搭乗士官として戦死。本木昌造の新街私塾に入り英語を学んだ。明治5年大阪に出て開成学校に入学、さらに東京英語学校及び大学予備門に学んだ。明治22年東京築地活版製造所に入社。和文ポイント活字を創製し、これが新聞印刷で採用されるなど、印刷技術の革新に寄与した。


右折して 三折坂 へ 

profile/三折坂
三つに折れ曲った形状から 三折坂とよばれるようになった。また,目黒不動への参詣者が,この坂を降りていくので,「御降(みおり)坂」とよんだともいわれる。


不動公園 手前右折

コースルートは不動公園の手前を右折ですが、青木昆陽墓へ行くため手前を右折しました


瀧泉寺境内墓地 (飛地)  


青木昆陽墓  

青木昆陽は江戸時代中期の蘭学者・儒学者です。飢饉対策として甘藷(かんしょ=サツマイモ)の栽培・普及に努め、その功績から甘藷先生と呼ばれるようになりました。昆陽の墓がある瀧泉寺では、毎年10月28日に「甘藷祭り」が行われます。


山手通りに出て 左折  


ここでコース復帰  


大聖院  


大鳥神社交差点 右折 目黒通りへ  

山手通り


かなり暗くなって明りがつき始めました


目黒新橋手前 左折  

目黒川に沿って  


目黒区民センター公園  


目黒区民センター  


ふれあい橋 に上り 左折 目黒区民センターの中を抜けます


図書館 脇をとおり


16:42  目黒区美術館  展示替えのため休館中

近現代の絵画などの展覧会を開催します。区民が利用できるギャラリーを設けています。

目黒区美術館
目黒区美術館は1987年11月に開館しました。多くの展覧会、多彩な情報のあふれる東京の中で、当館は地域に息づく身近な美術館、気軽に美術に親しめる憩いの場、さらには美術を媒介とした都市生活者の自己再発見の場として機能しています。10時00分~18時00分 休館日 月曜日・展示替え中 
「めぐろの子どもたち展」2024年1月20日(土)から2024年2月4日(日)

ふれあい橋かららせん階段を下り目黒川沿いに進みます


田道(でんどう)橋(目黒川) 右折  


目黒区エコプラザ  


目黒清掃工場  


突当り 左折  


目黒清掃工場緩衝緑地  


ここを右折  

茶屋坂街かど公園   左の道へ

茶屋坂の清水と碑によせて - Monumento(モニュメント)
落語で有名な「目黒のサンマ」の話のもととなったといわれている爺々ヶ茶屋は、現在の三田二丁目に位置する茶屋坂 の途中に、その由来を示す説明板があります。この爺々ヶ茶屋は、江戸時代、徳川歴代の将軍、三代家光公、八代吉宗公が、鷹狩りにおなりのさい、背後にそびえる富士の絶景を楽しみながら、湧き出る清水でたてた茶で喉を潤したと云われています。


16:56  茶屋坂  

江戸から目黒に入る道の一つで、つづら折りの坂からは富士山が見えたと言われています。
profile/茶屋坂
この坂の近くに一軒茶屋があったので,茶屋坂とよぶようになった。この茶屋は「じじが茶屋」ともよばれ,江戸時代に将軍が目黒へ狩りに来た時,よく立ち寄ったところである。


新茶屋坂通りに出て 右折   


茶屋坂児童遊園   


恵比寿南一公園交差点 左折  ここは渋谷区です


信号 右折 


坂道を下ると電車が見えてきました


恵比寿駅前ロータリー  


17:14  恵比寿駅西口 ゴールしました


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  4.8km→5.4km


目黒区05 目黒・下目黒エリア/江戸のレトロを歩く のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
目黒駅正面口   0.0km  0:00  15:03
行人坂   0.1km   0.1km  0:02  0:02  0:00  15:05  15:05
大圓寺   0.1km   0.2km  0:13  0:02  0:09  15:07  15:16
蟠龍寺   0.5km   0.7km  0:31  0:10  0:08  15:26  15:34
五百羅漢寺   0.5km   1.2km  0:48  0:05  0:12  15:39  15:51
成就院(たこ薬師)   0.2km   1.4km  0:53  0:03  0:02  15:54  15:56
 瀧泉寺(目黒不動尊)   0.3km   1.7km  1:05  0:04  0:08  16:00  16:08
目黒区美術館   2.0km   3.7km  1:40  0:34  0:01  16:42  16:43
茶屋坂   0.6km   4.3km  1:53  0:13  0:00  16:56  16:56 
恵比寿駅西口   1.1km   5.4km  2:11  0:18  17:14 
2024/01/05(金)晴   5.4km  2:11   1:31  0:40


目黒区05 目黒・下目黒エリア/江戸のレトロを歩く の感想
今日の3コースのうち前2つは予定通りに回ってきました。このコーススタート時間も予定通りだったのですが、見どころが多くそれぞれに時間がかかったため大幅な時間超過になってしまいました。
以前何回か行人坂を通って目黒雅叙園に行ったことがあります。途中にある大圓寺のことは気が付きませんでした。
五百羅漢寺の羅漢会館には葬儀で来ましたが、五百羅漢を見学するのは初めてです。7日まで拝観料無料のせいか多くの参拝者がいました。
瀧泉寺(目黒不動尊)は品川区のコース11で来ましたので、前回見なかったところを中心に見学しています。
3コースの合計歩行距離は22.5kmでした。この季節17:00を過ぎると真っ暗になってしまい、焦ってしまいました。


以上です。
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碑文谷・目黒本町                    八雲・緑が丘