mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

2022.10.20 懐かしの通学路 早稲田大学と甘泉園へ

2022.10.20(木)晴 
ルート:高田馬場駅~茶屋町通り~高田馬場跡~堀部安兵衛之碑~水稲荷神社~甘泉園~早稲田キャンパス~11号館~大隈講堂~大隈庭園~大隈会館~早稲田大学歴史館


今日は久しぶりに同級生と会うため、早稲田大学へ行ってきました。早稲田大学に入学したのは1962年なので、今から丁度60年前のことです。
2~3年毎定期的に開いてきたクラス会が新型コロナウイルスの影響で開催できなかったため、4年ぶりに有志のみ4人で会うことにしました。


高田馬場駅から大学まで通学路を久しぶりに歩くため、早めに家を出ました。ついでに大学周辺をぶらついてみます。


高田馬場駅前バス停  早大正門行が停まっています
学生当時は歩くほうが多く、バスに乗る回数はそれほでもありませんでした

この路線は入学当時「学バス」と呼ばれ往復15円(現在は片道ICカード178円)でした
学バスは他にも東大~御茶ノ水駅、東大~上野駅、渋谷駅~日赤病院などがあり、通常料金15円に対して半額で乗ることができました
都営バスの運賃の変遷(都区内) | 都営バス資料館


高田馬場駅  


早稲田通り  高田馬場銀座商店街 


馬場口交差点  明治通りを越えます


インド大使館邸 前を通過 


西早稲田商店会 に変りました   


ワセダグランド商店会 に変ります


古書店  昔はこの辺りにもっと多くありました


戸塚囃子 解説板


西早稲田交差点  大学は直進ですが、甘泉園へ行くため左折します

茶屋町通りへ寄り道してみました   環状4号線へ出てすぐ左


旧跡 高田馬場跡 解説板 


水稲荷神社前  環状4号線の途中にあります


水稲荷神社 参道


堀部安兵衛之碑  入ってすぐ左

実際の堀部武庸加功遺跡之碑は解説板の右にある大きな石碑でした ほんの一部が見えます


水稲荷神社 拝殿


宮神輿  

水稲荷神社の御由緒によれば「天慶四年(941年)建立時は現在の早稲田大学の構内にあったが、昭和38年(1963年)早稲田大学との土地交換により現在地に御遷座された」となっていました
1962年入学ですので、まだ大学の構内にあったということになります


太田道灌  駒繋松  


新宿区立甘泉園公園 水稲荷神社方面出入口  参道の途中にあります

日本庭園出入口  

甘泉園公園(かんせんえんこうえん):新宿区
甘泉園公園は、区立唯一の回遊式庭園です。「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。この地は、江戸時代宝永年間(1704-1711年)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永三年(1774年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けました。昭和44年には区立公園となり、現在に至っています。


在学時はまだ早稲田大学の所有だったので何度か来ましたが、卒業後は初めて訪れました


下池   亀の甲羅干し


上池  


早稲田大学西門入口   西早稲田交差点に戻り、細い路地を入ります


早大西門通り商店会  

早稲田大学 体育館  


第二西門  


西門  


11号館 に入ります


掲示板  休講の案内などは昔と変りません


平沼淑郎像  11号館1階   第3代学長(1918年~1921年)平沼 淑郎 

沿革 – 早稲田大学 商学部
第2代商学部長平沼淑郎先生について:昭和10年、商学部校舎の老朽化を憂いた商学部OBが、平沼淑郎先生(第2代商学部長)を会長とした「商学部校舎改築促進会」を結成。商学部OBからの寄付金だけで、昭和13年10月に商学部校舎は新築。平沼先生はその完成を待たず昭和13年8月に亡くなり、彫刻家朝倉文夫氏の手により胸像が製作され、由来書とともに商学部校舎に設置。商学部校舎は2006年3月に約70年の役目を終え、新校舎が2009年4月に竣工したが、平沼先生の胸像は新校舎一階に移設された。


エントランスホール  

11号館 14階建


11号館前から大隈重信銅像・大隈講堂方面


グランド坂方面  左が11号館


大隈重信銅像  

大隈重信銅像 | 一般社団法人新宿観光振興協会
早稲田大学の創立者である大隈重信の銅像です。高さ二九八センチの立像で、学者としてのガウン姿。昭和7年10月17日、大学創立五十周年記念祭と大隈の十回忌をかねてつくられました。制作者は彫刻家・朝倉文夫。朝倉は大隈の銅像を都合三回制作したが、これは二度目のもの。大学構内の中心にあって、同校のシンボルになっています。大隈は、店天保9年(1838)2月16日、佐賀鍋島藩の砲術師範の子として生まれました。


総長高田先生像  

初代学長・高田早苗の知られざる多面的・先駆的活動 – 早稲田大学
高田は東京専門学校の創設時から講師として教鞭を執るとともに学校運営の中核を担い、1902年に早稲田大学と改称した際に初代学長に就任した。1905年に文部大臣就任のために学長を辞し、その後「早稲田騒動」により学苑を一旦は離れるが、1918年に早稲田大学が大学令に基づく正式な大学に昇格し、1922年に大隈重信が没すると、高田は学苑を代表する総長として大学運営に復帰し、昭和初期まで学苑の発展に身を挺した。


演劇博物館  以前入ったことがあります


会津八一記念博物館  入ったことはありません


大隈講堂  観光バスが停まっていました


正門から見た大隈重信銅像方面


早稲田キャンパス構内案内図  

大隈庭園に行ってみます


旧大隈邸門衛所  早稲田大学で一番古い建物

なぜここにある!? 大隈庭園の銅像・建造物 – 早稲田ウィークリー
大隈庭園入口近くのUni.Shop & Café 125前に建つ旧大隈邸門衛所は、1902(明治35)年に完成した早稲田大学で一番古い建物です。木造1階建ての簡素な造りですが、1945(昭和20)年の空襲で全焼した邸宅唯一の現存遺構で、当時の門衛所がそのまま残されています。


大隈庭園 入口

キャンパスがミュージアム vol.2 《大隈庭園編》pdf
大隈庭園の由来は、井伊掃部頭・松平讃岐守の下屋敷にあった和様四条家風の名園を、早稲田大学創設者の大隈重信が自然律に従い文人風に改造したもので、当時は都下屈指の名園と言われました。没後、邸宅とともに大学に寄贈・公開され、東京の新名所となりました。1945(昭和 20)年 5 月の空襲で庭園は廃墟と化しましたが、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観どおりに復元され、今日に至っています。

5 稲友乃碑   6 稲工乃碑  

5 稲友乃碑:早稲田稲友会創立 75周年を記念して建立された。1911(明治 44)年に附属早稲田工手学校が開校され、稲友会はその教職員生徒の親睦組織であった。
6 稲工乃碑:早稲田稲工会創立 70 周年を記念して建立された。早稲田稲工会は、早稲田大学附属早稲田高等工学校の教職員学生卒業生の親睦組織であった。



15 エミレの鐘・韓鐘閣  

15 エミレの鐘・韓鐘閣:韓国・慶州国立博物館に国宝 32 号として指定・展示されている新羅の聖徳大王神鐘(通称:「エミレの鐘」)の1/2の複製品で、早稲田大学創立100周年記念として、1983 年に韓国校友会から寄贈されたものである。


13 孔子像  

13 孔子像:2008 年 6 月に中華人民共和国政府から早稲田大学に寄贈されたもので、中国政府が日本の大学に孔子像を寄贈するのは初めてのことであった。この孔子像の設計・製作は、山東省政府がおこなっている。


池の一部  

19 地蔵山  

19 地蔵山:大隈庭園には「地蔵山」といわれるなだらかな山が存在する。これは造園技法の「築山」(つきやま)であり、土を掘りあげたところが池になる。庭園中央の沓脱石からこの地蔵山山上が庭園の中心軸になっている。


2 大隈綾子銅像  

2 大隈綾子銅像:大隈綾子(1850-1923 年)は、大隈重信の夫人である。旗本三枝七四郎の次女として生まれ、19 歳で大隈と結婚した。以来 50 余年、公私ともに大隈を支えた。銅像は大隈銅像と同じ彫刻家朝倉文夫の作で、1927(昭和 2)年の創立 45 周年にあたり、嗣子大隈信常氏より寄贈・建立された。


3 田中穂積銅像  

3 田中穂積銅像:田中穂積(1876-1944 年)は、早稲田大学第4代総長。財政学者、法学博士。理事、常任理事を経て、第4代総長となる(在任期間は 1931-1944 年)。1939 年に貴族院議員に勅撰された。銅像は大隈重信銅像と同じ彫刻家朝倉文夫作で、1957(昭和 32)年に早稲田大学創立 75周年記念として、校友会により建立された。


18 完之荘  

18 完之荘:「完之荘」(かんしそう)は、1952(昭和 27)年校友の小倉房蔵氏から早稲田大学へ寄贈された建物で、その名称は氏の雅号「完之」に因んだものである。建物の来歴は、氏が六十数年前、飛騨の山村に残っていた 600 ~ 700 年前と推定される古屋を渋谷の邸内に移築し日常静閑の座所として愛用したもので、現在は広間に一室と土間とがついた構えになっている。



大隈会館 へ向います

8「紺碧の空」記念碑  

8「紺碧の空」記念碑:応援歌「紺碧の空」(住治男作詞・古関裕而作曲)は、1931(昭和 6)年から歌い始められた応援歌である。慶應の応援歌「若き血」に対抗してのことである。歌碑は「紺碧の空」が 45 年目を迎えたことを記念して、1976(昭和 51)年、大隈会館前庭に建立された。


大隈会館  中へ入りました


WASEDA BEAR  大隈会館1階のワセダベアは、正確な縮尺で作られた大型のぬいぐるみ

20歳を迎えたワセダベア 生みの親・弘兼憲史さんに聞く誕生秘話 – 早稲田ウィークリー
早稲田大学創立125周年記念キャラクターとして2000年に誕生した「WASEDA BEAR(以下、ワセダベア)」。2007年の125周年以降もさまざまな場面で活躍し、2020年10月に晴れて20歳を迎えました。


早稲田大学校友会事務局 受付  


再びキャンパスに戻りました


早稲田大学歴史館  1号館にあり、初めて入ります

早稲田大学歴史館 – 早稲田文化
早稲田大学ではキャンパスそのものをミュージアム化することを目標の一つにしており、その具現化として、既存の坪内博士記念演劇博物館、會津八一記念博物館等に加え、早稲田キャンパス1号館1階に3つ目のミュージアム「早稲田大学歴史館」を2018年3月20日に開館いたしました。


エントリールーム  


常設展示3エリア(「久遠の理想」「進取の精神」「聳ゆる甍」エリア)


大隈重信石膏像  


この後同級生4人で会食をして、久しぶりの会話を楽しみました。


懐かしの通学路 早稲田大学と甘泉園へ の感想
60年前に通い始めたころ高田馬場駅前~早大正門都営バスは往復15円でした。都営バスの運賃の変遷(都区内)によると学バスが運行開始したのはS24. 7. 1からで、片道しかなく5円(1区10円)だったようです。S26.12.25からは往復15円(1区15円)に改定されています。その後S40. 1.16に片道10円(1区20円)となり、往復券はなくなりました。現在は現金180円(ICカード178円)です。
甘泉園は57~58年ぶりでした。当時グランド坂にあった安部球場(1987年東伏見キャンパスに移転、2015年安部磯雄記念野球場に改称)へ行ったついでに寄ったことがあります。今回安部球場の裏側に環状4号線ができていて、甘泉園入口を探すのに戸惑ってしまいました。まさか水稲荷の参道に入口があるとは思わなかったからです。
キャンパス内もかなり変ってしまいました。「早稲田大学ではキャンパスそのものをミュージアム化することを目標の一つにしており・・」とあるように、博物館や歴史館がいくつもできています。今回早稲田大学歴史館を見学したので、次は會津八一記念博物館を訪ねたいと思いました。


以上です。