mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

世界遺産 熊野古道 2日目 高原熊野神社~熊野本宮大社

ブログを始める前に行ったところの振り返りです。


2014年10月21日(火)1日目 滝尻皇子~高原熊野神社
2014年10月22日(水)2日目 高原熊野神社~熊野本宮大社
2014年10月23日(木)3日目 那智の滝~熊野那智大社
3日間を3回に分けて記します


熊野古道 2日目です。
2014年10月22日(水)高原熊野神社~熊野本宮大社 
民宿霧の郷たかはらに泊り朝5:00に起床、朝食用のおにぎりをもらってまだ暗いうちに出発です。
今日はここから栗栖川バス停まで下り、7:11発の本宮大社行に乗って発心門王子まで行きます。熊野古道に沿うようにバスは走っているのですが、バス通りまでは30分近くかかります。そこから熊野古道を本宮大社まで歩いた後、バスで勝浦駅まで行って駅前の民宿に泊る予定です。


5:50  高原の展望台からみた雲海:霧の里無料休憩所前:標高約300m


6:07  幻想的な景色:さすが霧の里です、しばらく見取れていました


6:14  家が数件並んでいます


6:23  展望台の様子:栗栖川バス停まで1.8km


熊野古道から外れて山を下り、バス通りまで約30分歩きます


6:45  この坂道を下ってきました


6:47  富田川:下から見ても霧が幻想的です


6:49  栗栖川バス停

ここからショートカットして発心門王子までバスを利用します
7:11発ですがなかなか来ません、7:20にようやく来ました
バスの中で霧の郷たかはらでもらった朝食のおにぎりを食べました


8:23  なんと乗客は全て外人です


8:23  車窓からの眺め


途中乗降りが結構多いのですが、降りる人も乗る人もほとんどが外人です。こんなに多いとは思いませんでした。
バスは熊野古道の北側311号線を通りますが、近露王子手前で古道を横切り南側を走ります。小広峠の先で古道と大きく離れ、湯峰温泉を経由して本宮大社・道の駅奥熊野を通って発心門王子まで行きます
熊野古道の歩くコースを先に回り込んで行く感じです


8:48  約1時間半かかって終点発心門王子に到着
時刻表では8:38着なので、乗った時の9分遅れを取り戻すことはできませんでした

バス代は1,410円です


8:49  世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野参詣道中辺路 石碑

滝尻にも同じようなものがありました


8:49  発心門王子(ほっしんもんおうじ):標高314m、熊野本宮大社まで6.9km


明治の神社合祀後は「王子神社遺址」の石碑が立つだけでしたが、平成2年に朱塗りの社殿が建てられました。発心とは発菩提心(はつぼだいしん)、「仏道に入り、仏智を証する志をおこす」という意味の言葉です。中世、この発心門王子の近くに「発心門」と呼ばれた大鳥居がありました。この大鳥居「発心門」が本宮の聖域の入り口であり、参詣者はこの大鳥居の前で祓いをして、その後、鳥居をくぐり、発心門王子に参りました。


順路通りであればこのまま本宮大社へ向うのですが、まだ早いので滝尻方面へ少し戻って猪鼻王子まで行ってみることにしました。


8:58  発心門王子から0.4km、猪鼻王子まで0.4km


9:05  猪鼻王子跡:標高233m


9:07  猪鼻王子跡


三越峠(みこしとうげ)から下った谷の音無川の河畔にあります。熊野詣が廃れると、この王子も廃れ、江戸時代には廃絶し、跡地のみとなっていました。現在、猪鼻王子の周囲は桧の人工林。数十m上を林道が通ります。王子跡を後世に伝えるために1723年(享保8年)に紀州藩主徳川宗直が寄進した緑泥片岩の碑だけが往時を偲ばせます。


滝尻からここまでは30.4kmありますが、昨日歩いた滝尻~高原熊野神社の3.7kmを差引くと26.7kmをショートカットしたということになります。
従ってその間の大門王子、 十丈王子、 大坂本王子、 近露王子、 比曽原王子、 継桜王子、 中川王子、 小広王子、 熊瀬川王子、 岩神王子、 湯川王子は通っていません。
ここから発心門王子経由で、熊野本宮大社までの7.7kmを目指します


9:22  中辺路61:61ということは滝尻から30.5kmです


9:27  発心門王子に戻ってきました


9:29  発心門王子:朱塗りの社殿は平成2年に建てられたものです


9:37  発心門王子から0.2km、水呑王子まで1.5km


9:39  中辺路62


9:42  紀伊山地の霊場と参詣道、熊野本宮大社まで約150分


9:43  発心門王子から0.3km、水呑王子まで1.4km


9:43  向うの山は雲に覆われています


9:44  仲睦ましい案山子


9:46  お地蔵さん


9:51  発心門王子から0.8m、水呑王子まで0.9km


9:52  発心門王子から0.9m、水呑王子まで0.8km


9:56  中辺路64


10:02  日本人のグループに出会いました、中央の人はガイドさんです


10:02  中辺路65


10:05  発心門王子から1.7m、伏拝王子まで1.9km


10:05  水呑王子:標高254m、発心門王子から1.7km


10:06  先ほどのガイドさんが熱心に説明をしています
石像の腰から上を持ち上げてお賽銭をあげると腰痛が治るというようなことを言っていました


中世には、大門王子(田辺市中辺路町高原)付近に「水飲」があったので、それと区別するために「内水飲」と呼ばれてました。・・・・・熊野詣が廃れると、この王子も廃れ、江戸時代には廃絶し、跡地のみとなり、王子跡を後世に伝えるために1723年(享保8年)に紀州藩主徳川宗直が緑泥片岩の碑を寄進しました。


10:08  蘇生の森 熊野古道


10:14  中辺路66


10:22  中辺路67


10:23  発心門王子から2.8m、伏拝王子まで0.8km


10:26  何を祀ってあるのか分りませんでした


10:34  本宮大社まで4km


10:36  果無(はてなし)山脈


果無山脈は、紀伊半島の中央部に位置する。広義には、田辺市から北東に向かい西牟婁郡と日高郡の境の虎ヶ峯山脈の山々(行者山、三里ヶ峰など)を含むが、一般には笠塔山より東に転じ、和田ノ森から、安堵山を経て、東端で熊野川まで東西18kmにわたって列なる山脈をいい、古くは大和国と紀伊国の国境であった。また、この間、熊野川・日置川・富田川・日高川の4つの分水嶺を分け、地質は中生代日高川層群丹生川層に属する。


10:38  発心門王子から3.5m、伏拝王子まで0.1km


10:40  伏拝王子(ふしおがみおうじ)跡:標高244m、水呑王子から1.9km


10:41  発心門王子から3.6m、熊野本宮大社まで3.3km

伏拝王子跡はこの階段の上にあります


10:42  伏拝王子跡


熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子があり、ここから本宮方面に展望が開きます。 ここは中辺路を歩いてきた参詣者が初めて熊野本宮の森(旧社地)を遠望できた場所で、ここから本宮の森を伏し拝んだといわれます。伏拝王子には石祠と和泉式部供養塔と伝わる卒塔婆があります。もともとはそれぞれに別の場所にあったものですが、昭和48年(1973年)に現在地に移され、並べられて置かれました。


10:48  熊野本宮の森(旧社地)方面です


10:51  中辺路69


10:59  中辺路70


11:00  道が狭くなってきました


11:06  中辺路71:橋の向うが三軒茶屋跡の休憩所です


11:08  伏拝王子から1.2m、熊野本宮大社まで2.1km


11:08  三軒茶屋跡の休憩所::標高158m、伏拝王子から1.2km


11:25  中辺路73


11:26  ちょっとより道・・・・しませんでした


11:31  ちょっとよりみち展望台


11:40  中辺路74:下り坂です


11:45  伏拝王子から3.0km、熊野本宮大社まで0.4k


11:47  伏拝王子から3.1m、熊野本宮大社まで0.3k


11:51  中辺路75:祓戸王子(はらいどおうじ)跡:標高100m、三軒茶屋跡から1.9km


熊野本宮大社の裏の鳥居、50mほどの所に小さな小さな森があります。そこが祓戸王子です。小さな森の中には、近世の石祠が祀られています。


11:55  熊野本宮大社の裏の鳥居


11:58  黒いポスト:八咫(やた)ポスト


当社の社務所前にある、多羅葉(たらよう)のご神木の下に、黒い八咫烏ポストが設置されています。黒は全ての色を合わせた尊い色であり、神の遣いである八咫烏の色、本宮の大地を象徴する神聖な色でもあります。また多羅葉の木は、葉の裏に爪などで文字を書いていたことが葉書の語源となり「葉書の木」「手紙の木」とも呼ばれています。


11:59  熊野本宮大社拝殿


12:00  拝殿脇の天地人


12:07  お守り各種


12:09  熊野本宮大社神門

中には第一殿から第四殿と結びの神が祀られています、御参りの仕方と順番が入口に示されていました
神殿内の参拝順序は、次の通りです。
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)


12:10  八咫烏の由来

熊野では、八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎木)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素戔嗚尊)の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。烏は一般に不吉とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や、遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇御東征の砌(みぎり)、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏がお導き申し上げたという意があります。又、歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折、那須与一出身地(栃木県)烏山城は烏が金の御幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したと言われています。


12:10  中に入ってみます


12:14  熊野本宮大社社殿:標高43m


 12:22  お札とお守り


12:30  祓戸大神(はらえどのおおかみ)


12:32  「熊野大権現」の奉納幟が立ち並ぶ158段の石段


12:33  


12:33  参道入り口の鳥居


12:50  世界遺産熊野本宮館


「世界遺産熊野本宮館」は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を含む和歌山県・奈良県・三重県の三県を結ぶ本宮地区に立地します。熊野本宮大社や旧社地「大斎原」を望む地で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)を訪れる皆様に、観光情報や地域情報を発信する拠点として整備いたしました。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」や熊野地域の観光拠点としてお立ち寄りください。


12:52  館内の山伏と記念撮影


12:52  JFA日本サッカー協会の展示品コーナー


12:53  JFA日本サッカー協会のマークには八咫烏が使われています


JFA旗に描かれた三本足の烏は、日の神=太陽を表しています。光が輝いて四方八方を照らし、球を押さえているのは私たち日本のサッカー界を統制・指導することを意味しています。准南子(えなんじ)という中国の古典や芸文類聚五経正義という本に、太陽の中に三本足の烏がいると書かれています。また、日本神話にも、神武天皇御東征の際に、タカミムスビ(日本神話の神)によって三足烏が神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたと言われています。


12:53  日本代表のユニフォーム


13:04  旧社地大斎原(おおゆのはら)日本一の大鳥居


大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。熊野本宮大社から徒歩10分ほどなので、ぜひ訪れてみてください。


13:05  途中の伊邪那美命の荒御魂がお祀りされている産田社:産守り


13:12  大鳥居の下:鹿が侵入し水田を荒らす為、防獣網を設置しています


13:13  日本第一大鳥居建立の意義:幅約42m、高さ約34m

かつて熊野本宮大社があった大斎原には二基の石祠が建てられ、左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊をお祀りしています。


13:14  世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 熊野本宮大社 旧社地大斎原 石碑


13:16  大鳥居の裏から


13:35  一遍上人と熊野本宮の関係


説教説いう中世の口承芸能によって広まったとされている「小栗判官と照手姫」の物語。開祖、一遍上人は熊野本宮のに証誠殿(しょうじょうでん)にて熊野権現の神勅を受ける。それから「一遍」を名乗り、鹿児島から青森あたりまで念仏を唱えながら全国各地を遊行したといわれている。



熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。


この後裏手に流れる音無川へ行ってみました、砂利を踏みながら水辺まで行くことができます


13:39  旧社地大斎原から0.2km、熊野本宮大社まで0.8km


13:59  途中の花あそびという店で梅若そば¥730を食べました、さすが紀州、梅干が入ったおそばです


14:33  バスの時間があるので、世界遺産熊野本宮館に寄ったり


14:35  熊野本宮大社の入口まで行ったりしたあと

からす屋へ寄ってお土産のからすまんじゅうを買いました

「からすまんじゅう」は八咫烏の御神徳をたたえ、真心と独特の製法を似て、よもぎ、蜂蜜、卵、小麦粉の生地で小豆こしあんを包み、丹念に焼き上げております。中にはこしあんがぎっしり詰まっています!


14:54  まだ時間があるので、近くのB&Bカフェほんぐうという喫茶店に入りました

やはり外人が多いです


14:59  B&Bカフェほんぐうの外観

店を出てからバス停のほうに歩いていると、店の人が追いかけてきました。さっき買ったばかりのからすまんじゅうを忘れてきたのです。すぐ気がついてもらって助かりました。


本宮大社前から15:20発勝浦駅行のバスに乗りました


バスの中の広告:瀞峡観光ウォータージェット船の案内、途中の志古から出ています


熊野川が「川の熊野古道」として、世界遺産に登録されました。「川の駅:志古乗船場」は、その“熊野川”に位置しています。「川の熊野古道」から瀞峡へ!! 是非お越しください。お待ちしております。


バスの経由地 


16:12  新宮駅


16:32  JRきのくに線に沿って42号線を南下します


16:39  JR那智駅


16:46  勝浦駅に到着、本宮大社前から約1時間半、1,950円でした


16:53  勝浦駅前


16:54  JR紀伊勝浦駅


16:54  勝浦駅前の営業所で明日乗る那智山往復乗車券1,000を購入、営業時間の17:00に何とか間に合いました


16:55  マグロと温泉のまち・那智勝浦町


16:56  那智勝浦町周辺案内図


18:02  民宿わかたけの夕食


18:06  わかたけの大広間


18:53  食事後夜の散歩に出かけました:街中散歩案内MAP


19:04  大辺路街道の駿田峠案内


19:11  紀の松島めぐりのりば


19:13  那智勝浦港


19:19  バスターミナル:横浜・池袋・大宮行


2014年10月22日(水)2日目 高原熊野神社~熊野本宮大社の感想
中辺路の滝尻王子~熊野本宮大社までは38.1kmあります。昨日高原熊野神社までの3.7kmを歩いたので残りは34.4kmですが、全て歩くには日数が足りません。そこでバスを利用してショートカットすることにしました。バスの経路を調べると熊野本宮大社を経由して発心門王子へ行くようになっています。当初は歩くのもその順序だと思って時刻表をみていました。ところが熊野古道の地図を見ると発心門を通って本宮大社へ行くようになっているのです。バスは道路を回りこんで発心門王子へ行くということを理解するのに時間がかかりました。
バスの本数が少ないので早めに宿を出ました。栗栖川バス停には誰もいません。遅れてきたバスに乗ったところ、外人ばかりなのでびっくりしてしまいました。アジア系は一人もいなくて、全て欧米系でした。しかも出入りが激しいのです。数人のグループで、ガイドさんらしい人は見当りません。バカンスを利用してゆったり旅を楽しんでいる感じでした。
熊野本宮大社はさすがに観光客が多く、大勢の参拝者で賑わっていました。


以上です。
                    1滝尻皇子~高原熊野神社    2高原熊野神社~熊野本宮大社    3那智の滝~熊野那智大社