千代田区02 日本武道館コース TOKYO Walking Map 2023.1.6
2023.1.6(金)晴 6.5km→9.5km
ルート:九段下駅→日本武道館→千鳥ヶ淵緑道→小石川後楽園→安藤坂→小石川植物園→播磨坂→茗荷谷駅
コース01のゴール有楽町駅から半蔵門線に乗り、永田町駅で乗換え九段駅に着きました。
コース01に続いて「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会 ック競技大会会場付近を歩こう!」ということで、空手・柔道の会場になった日本武道館を通るコースです。
東京都福祉保健局のサイト
千代田区02 日本武道館コース
最寄駅:九段下駅(都営地下鉄) 九段下駅(東京メトロ) 九段下(都営バス) 九段下(風ぐるま) 所要時間:約1時間38分 距離:約6.5km 消費カロリー:約294kcal 歩数:約9290歩
12:18 九段下駅 スタートしました 九段坂を上っていきます
昭和館 前を通り北の丸公園へ
北の丸公園案内図
北の丸公園 入口
お濠を過ぎると田安門
田安門 をくぐります
スポット(田安門)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda
大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。田安門は、寛永13年(1636)福井藩初代藩主の松平忠昌らによって建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われました。北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。
12:25 日本武道館
日本武道館は、柔道をはじめとする日本の武道の聖地です。柔道がオリンピック競技として初めて実施されたのは1964年大会であり、この施設はそのときの会場です。富士山の裾野をひくような流線美の大屋根を持つこの建物は、1964年のオリンピックレガシー施設の1つです。現在は、武道だけでなく、コンサートその他のイベントなど多目的に利用されています。
日本武道館
創建の目的:日本武道館創建の目的は、我が国伝統の武道を、国民とくに青少年の間に普及奨励し、武道による心身の錬磨を通 じて健全な育成を図り、民族の発展に寄与するとともに、広く世界の平和と福祉に貢献することにあります。
田安門 を出ます
高燈籠(常燈明台) 田安門入口脇にあります
スポット(高燈籠(常燈明台))|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda
靖国神社正面の常夜灯として明治4年(1871)に建設されました。靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために建てられたといわれています。正式には高燈籠といいますが、常燈明台ともいわれています。
品川弥二郎像
スポット(品川弥二郎像)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda
上野の西郷隆盛像や皇居前の楠木正成像の制作で知られる高村光雲の監督。建設年月日は不明です。品川弥二郎は長門の国、松木船津の長州藩足軽、品川弥市右衛門の長男として生まれました。駐独公使、農商務大輔(次官)などを歴任。明治17年(1884)子爵に。明治24年(1891)年第一次松方内閣の内務大臣となりました。松方の命で強力な選挙干渉を行い引責辞任を余儀なくされました。
大山巌像
スポット(大山巌像)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda
大正8年(1919)11月3日の建設。原型作者は北の丸公園の北白川宮能久親王騎馬銅像を制作した新海竹太郎。大山巌は天保13年(1842)の生まれで薩摩藩出身。元帥陸軍大将日露戦争では陸軍司令官、初代の陸軍大臣となりました。その後参謀総長、内務大臣を勤め元老となりました。
12:37 千鳥ヶ淵緑道
皇居のお濠沿いに約700メートル続く、緑豊かな遊歩道です。春にはソメイヨシノを中心に緑道周辺で約260本の桜が薄紅色に染まります。お濠の水面に桜並木が映り、ひと際美しい風景が広がります。
千鳥ヶ淵緑道/東京の観光公式サイトGO TOKYO
九段下駅から徒歩3分、半蔵門駅から徒歩5分の「千鳥ヶ淵緑道」。ここは靖国通りから北の丸公園に沿って整備された、700メートルにも及ぶ遊歩道です。
桃花流水
挑花流水 によせて熊谷喜美子 - Monumento(モニュメント)
紀元四~五世紀、官職を捨てみずから農耕にたずさわった中国の詩人哲学者 、陶淵明 の著書「挑花源記 」より引用。大河の支流に道を見失った一人の漁夫 が、今を盛りと咲き香る美しい挑の林に迷いこみ、好奇心にかられて、なおも奥地の水源へと船を進せると、そこには、光り輝くユートピアがあった。広々とした土地、良回、美池、豪竹畑、栄しそうに働く男女の歌声、それは電れより五百年前、秦の始皇 の虐政を逃れた子孫が、美しい谷間、住みつき、世間との交渉を断ち、完全な調和と、平和の社会をなして安だに意していた姿だった。やがて、男は故郷へ帰るが、のちに二度とこの地を探しあてることはできなかった。
千鳥ヶ淵ボート場 ここで戻ります
千鳥ヶ淵緑道 入口に戻ってきました 靖国神社の大鳥居が見えます
九段坂
九段下交差点を直進 神保町方面へ
寿人遊星 爼橋児童遊園にありました
284/1000 俎橋児童遊園(東京都千代田区)-日本1000公園
1986年にハレー彗星が近づいてきた年に建てられ、像の下には次にハレー彗星が接近する2061年に開けられるタイムカプセルが埋まっているそうです。
今川小路共同建築跡
専大前交差点 左折 専大通りへ
私立専修学校跡 専修大学の前身
専修大学会館
水道橋駅
後楽園交差点 左折してすぐ右へ
13:28 小石川後楽園 東門 中へ入ります
小石川後楽園|公園へ行こう!
江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。入園料 一般300円 65歳以上 150円
内庭
水戸藩書院のあったところです。唐門によって仕切られ、大泉水側の「後園」と分かれていました。
唐門
後楽園への正式な入口門で、後楽園の観賞動線の起点となる門。私的空間である内庭と、後楽園を隔てる役割を果たしていた。戦火により焼失したが、2020年末に復元が完了した。
赤門
丸八屋
松原
寝覚滝
木曽山
延段(のべだん)
大小の自然石と切石を巧みに組み合わせた中国風の素朴な石畳です。
大泉水と蓬莱島
大泉水:本園の中心的景観。徳川家光自ら泉水の形を描いたと伝わる。蓬莱島を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出した。また、本園を構成する4つの要素「海」「山」「川」「田園」のうち「海」を表す。
蓬莱島:大泉水に浮かぶ島。神仙思想に説かれる蓬莱山を表す工夫として、各地の庭園に設けられている。本園では、亀の形をとっており、亀頭石は「徳大寺石」と呼ばれる。島内には弁財天の祠がある。(渡島不可)
竜田川
西行堂跡
大泉水の向うには東京ドームが見えます
一つ松
丸屋
得仁堂(とくじんどう)
光圀の本意を現した堂。光圀18歳の時、司馬遷『史記』の「伯夷列伝」を読み、伯夷、叔斉の高義を慕い、泰伯の像とともに二人の像を安置した。堂名は、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁 (仁を求めて仁を得たり)」(『論語』述而第七の十四)と語ったことに由来する。建立当時の姿を残す園内唯一の建物。
通天橋
京都東福寺の通天橋を模して造られました。
大堰川から渡月橋を望む
屏風岩
大堰川(おおいがわ) 通天橋が見えます
徳川家光の好みであった山城国(現在の京都府南部)の大堰川を写したもの。家光が川の石に腰掛けて造成の指揮を執ったといわれる。川の上流には「通天橋」、下流には「渡月橋」がそれぞれ架かる。
西湖の堤
中国の西湖、蘇堤を写したもの。かつて白い蓮が植えられていた。日本の庭園で最初に西湖の堤が表現されており、本園を歴史的かつ景観的に特徴付ける重要な庭園構成要素の一つ。
渡月橋
この小さな土橋は嵐山の大堰川にかかる「渡月橋」を表す。
涵徳亭(かんとくてい)
玻璃(ハリガラス)障子紙を明り取りに用いていたため「ガラスノ茶屋」「びいどろ茶屋」と呼ばれていた茅葺の茶屋を、享保年間に林信篤が涵徳亭と名づけました。現在の建物は昭和61年に再建されたもので、集会施設として貸し出されています。
小石川後楽園 西門 から出ました
牛天神下交差点 右折
14:16 安藤坂 を上ります
牛天神北野神社 入口
萩の舎跡 説明板
塾主中島歌子(弘化元年〜明治36年・1844〜1903)は、幼名とせといい、日本橋に生まれた。水戸藩士の夫林忠左衛門が天狗党に加わって獄死したため、実家の旅人宿池田家にもどり、桂園派の和歌を加藤千浪に学び、実家の隣に歌塾萩の舎を開いた。
安藤坂 説明板
この坂は伝通院前から神田川に下る坂である。江戸時代から幅の広い坂道であった。傾斜は急であったが、1909年(明治42年)に路面電車(市電)を通すにあたりゆるやかにされた。坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで、戦前は「安藤殿坂」、戦後になって「安藤坂」とよばれるようになった。
伝通院前交差点 直進して伝通院前通りに入ります
傳通院
傳通院・伝通院
当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。
処静院跡の石柱
浪士隊結成の地 処静院跡(しょじょういんあと) - Monumento(モニュメント)
浄土宗処静院は伝通院 塔頭(たっちゅう)の一つであったが、明治に入り、現在の淑徳学園あたりに移り、その後廃寺となった。今は伝通院門前に「不許葷酒入門内(くんしゅもんないにはいるをゆるさず)」の文字が刻まれた、処静院の石柱 を残すのみである。
14:42 小石川植物園 中へ入ります
東京大学大学院理学系研究科附属植物園 植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。面積は161,588㎡(48,880坪)の敷地内では、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されています。園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されています。(有料)9:00~16:30(16:00最終入園)
小石川植物園
この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。 約320年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。 大人(高校生以上)1回ごと入園料 500円
入園料500円を支払おうとすると、「温室が15:00までですが、それでもいいですか」と聞かれました。あと10分ちょっとあるので、真っ先に温室へ向うことにしました。
精子発見のソテツ
本館
温室が見えてきました
世界の熱帯植物
小笠原諸島の固有植物
乾薬場跡
精子発見のイチョウ
サネブトナツメ
針葉樹林
高台の上から
日本庭園
旧東京医学校本館
梅林
太郎稲荷
メタセコイヤ
出口です
植物園前交差点 を渡り播磨坂へ
環三通り桜並木の由来
15:38 播磨坂 播磨坂桜並木交差点から振返ったところ
小石川五丁目交差点 右折
春日通り
茗荷谷駅前交差点
15:50 茗荷谷駅 ゴールしました
Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 6.5km→9.5km
千代田区02 日本武道館コース のコースタイム
経由地 | 距離km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|
九段下駅 | 0.0km | 0:00 | 12:18 | ||||
日本武道館 | 0.4km | 0.4km | 0:08 | 0:07 | 0:01 | 12:25 | 12:26 |
千鳥ヶ淵緑道 | 0.8km | 1.2km | 0:27 | 0:19 | 0:00 | 12:45 | 12:45 |
小石川後楽園 一周1.4km | 2.2km | 3.4km | 1:49 | 0:43 | 0:39 | 13:28 | 14:07 |
安藤坂 | 2.1km | 5.5km | 2:03 | 0:13 | 0:01 | 14:20 | 14:21 |
小石川植物園 一周1.8km | 1.1km | 6.6km | 3:09 | 0:21 | 0:45 | 14:42 | 15:27 |
播磨坂 | 2.3km | 8.9km | 3:20 | 0:11 | 0:00 | 15:38 | 15:38 |
茗荷谷駅 | 0.6km | 9.5km | 3:32 | 0:12 | 15:50 | ||
2023/01/06(金)晴 | 9.5km | 3:32 | 2:06 | 1:26 |
千代田区02 日本武道館コース の感想
このコースもコース01と同様千代田区は半分くらいで、水道橋駅から先は文京区です。文京区に入ってから広い公園が二つあり、合わせると歩行距離3.2km、見学時間1時間24分になりました。
日本武道館は1964年の東京オリンピックでは柔道の会場でした。今回の東京オリンピックでは柔道と空手の会場になっています。近くまでは何回か来ていますが、中へ入ったことはありません。
小石川後楽園の面積は70,847.17m2(21,431坪)で、隣の東京ドームの1.5倍の広さです。入ったのは二回目でしたが、限られた時間のため一部回りきれないところがありました。
小石川植物園はこれまで来たことがなく、今回初めてです。面積は161,588m2(48,880坪)で小石川後楽園の二倍以上あり、さっと一周する程度でした。もっとも大半が林なので、見るべきものはそれほどなかったです。
以上です。
千代田区01 ⇦ 千代田区02 ⇨ 千代田区03
東京国際フォーラム 東京まちさんぽ2016.2.20
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