文京区05 文人の道 TOKYO Walking Map 2023.5.31
2023.5.31(水)曇 9.0km→11.9km
ルート:→東大前駅→旧伊勢屋質店(樋口一葉ゆかりの質屋)→宮沢賢治旧居跡→本郷三丁目駅→ 御茶ノ水駅→<湯島聖堂>→湯島天満宮→麟祥院(春日局墓所)→文京総合体育館→本郷三丁目駅→赤門(旧加賀屋敷御守殿門)→弥生式土器発掘ゆかりの地→根津駅→根津神社→千駄木駅→森鴎外記念館→夏目漱石旧居跡→東大前駅→
文京区4日目です。いつもより早めに家を出ました。順調に地下鉄を乗り継いだのですが、永田町駅で南北線に乗換えようとしたところ、「南北線は只今運転を見合わせています」というアナウンスが聞こえてきました。乗り入れている東急線の線路内点検のため全線が停まっていて、復旧まで30分程度かかるとのこと。せっかく早く出てきたのに、何にもなりませんでした。
実際30分後れで東大前駅に着きました。
遅延証明書 東大前駅発行
東京都福祉保健局のサイト
文京区05 文人の道
最寄駅:東大前駅(東京メトロ)、本郷三丁目駅(東京メトロ)、本郷三丁目駅(都営地下鉄)、御茶ノ水駅(JR)、御茶ノ水駅(東京メトロ)、根津駅(東京メトロ)、千駄木駅(東京メトロ)
所要時間:約105分 距離:約9.0km 消費カロリー:約315kcal 歩数:約12943歩
9:32 東大前駅 スタートしました
本郷弥生交差点 右折
清水橋 くぐります
菊坂下交差点 右折 菊坂
9:46 旧伊勢屋質店(樋口一葉ゆかりの質屋)
文京区 旧伊勢屋質店
樋口一葉(1872~1896)が菊坂の家に住んでいたときから、生活が苦しくなるたびに通った質屋。下谷区竜泉町に移ってからも通った。一葉が亡くなったときの香典帳に、伊勢屋から香典が届けられたことが記されている。
菊坂の途中右の階段を下ります
9:50 宮沢賢治旧居跡 階段の途中にありました
宮沢賢治旧居跡 ー 宮沢賢治が創作活動に励んだ長屋の跡地 | まっぷるトラベルガイド
賢治が大正10(1921)年に上京後、住んだ二軒長屋跡。案内板右手の建物2階に住んでいた。赤門前の印刷所で働きながら、布教と創作に励んだ。建物は平成2(1990)年に取り壊された。
菊坂通り
右折して本郷通りへ
9:58 本郷三丁目駅 本郷三丁目交差点 直進
かねやす 「本郷も かねやすまでは 江戸の内」
「本郷も兼康(かねやす)までは江戸の内」という川柳に出てくる「かねやす」とは何か。(2019年) - 江戸東京博物館
「かねやす」は地名と店名として知られる。地名としては本郷三丁目の兼康横町。『御府内備考』によると、兼康祐悦という口中医師(歯医者)が住んでいたことに由来する。店名としての兼康はこの地に祐悦が開いた店。享保年間(1716年頃)から乳香散という歯磨粉を売り始め、大いに流行、繁盛したという。現在、店は移転し、洋品店となった店舗(文京区本郷2-40-11)脇に説明プレートがある。
本郷通りを直進
サッカーミュージアム交差点 右折 サッカー通りへ
サッカーミュージアム は今年JFA移転とともに休館中
サッカー通り
左折して外堀通りへ
御茶ノ水交差点
10:16 御茶ノ水駅
聖橋 下をくぐる
相生坂
profile/相生坂
神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。「東京案内」に,「元禄以来聖堂のありたる地なり,南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい,相生坂より聖堂の東に沿いて,湯島坂に出るものを昌平坂という。
10:21 史跡 湯島聖堂 コース02で中へ入りました
史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
史跡湯島聖堂 斯文会館 前回見なかったので、入ってみました
史跡湯島聖堂 仰高門 ぎょうこうもん
鉄筋コンクリート造。平家建。切妻造り。延面積10.73m2、昭和10年(1935)4月竣工。
仰高門-仰高とは、「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」による。
史跡湯島聖堂を出てすぐ左折して 昌平坂へ この先は千代田区
profile/昌平坂
湯島聖堂と,東京医科歯科大学のある一帯は,聖堂を中心とした 江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂を,ひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで,昌平黌を今に伝える坂の名である。
左折して 中山道へ 通りの向うには 神田明神が見えます
湯島聖堂前交差点 右折
清水坂下交差点 直進 清水坂へ
profile/清水坂
嘉永6年(1853)の『江戸切絵図』を見ると,霊山寺(りょうざんじ)の敷地跡のうち,西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になって,その敷地は清水精機会社の所有となった。大正時代に入って, 湯島天満宮とお茶の水の間の行き来が不便であったため,, 清水精機会社が一部土地を町に提供し, 坂道を整備した。
10:41 湯島天満宮
表鳥居(東京都指定有形文化財)
この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mです。
湯島天神公式サイト
湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、・・元禄十六年(1703)の火災で全焼・・明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。
湯島天満宮 宝物殿
この宝物殿には当社本社神輿や、町内神輿をはじめ当宮所蔵の宝物類を展示しています。拝観時間 午前9時~午後5時(入館は4:30迄) 現在、土曜、日曜日、祝日のみ 拝観料 一般 500円 シルバー(65才以上) 300円
湯島天満宮 本殿
湯島天満宮 狛犬 台座に梅の木
湯島天満宮 牛像(撫で牛)
道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
湯島天満宮 奇縁氷人石(きえんひょうじんせき)と 菅家遺戒碑
奇縁氷人石:この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されています。これは迷子がでたとき、子の名を書いた紙を右側に貼って探し、迷子がいた時、その子の特徴を書いた紙貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残りです。このことからも、境内が人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかります。
湯島天満宮 日時計
湯島天満宮 筆塚
「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
湯島天満宮 新派の碑
「新派」碑由来 この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。
湯島天満宮 文具至宝碑 と 瓦斯灯
文具至宝碑由来 中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた 今や文房具はOA器機にいたる迄その範疇を広げ四宝から至宝に至って戦後の日本国を世界の大国に復興せしめた教育の原動力となった十一月三日(文化の日)を文具の日として定め平成元年を迎えるに当たり先人に報恩感謝の念を捧げつつここ学問の神さま湯島天神の境内に文具至宝碑を建立する
湯島天満宮 天神石坂 (天神男坂)
湯島天満宮 女坂 右は梅園 ここを下りていきます
左折して 春日通りへ 切通坂
profile/切通坂
「御府内備考」には「切通は天神社と根生院(こんじょういん)との間の坂なり,是後年往来を聞きし所なればいふなるべし。本郷三,四丁目の間より池の端,仲町へ達する便道なり,」とある。湯島の台地から,御徒町方面への交通の便を考え,新しく切り開いてできた坂なので,その名がある。
湯島天満宮 参道 夫婦坂
石川啄木 歌碑 「二晩おきに 夜の一時頃に切通の坂を上りしも 勤めなればかな」
切通坂 の啄木歌碑 - たかしの啄木歌碑礼賛
東京の切通坂(きりとおしざか)は啄木が朝日新聞社に勤務していた時、夜勤の帰りに通った道です。ここには、切通坂に由来する啄木の歌が刻まれています。
湯島天神入口交差点 直進
麟祥院前交差点 右折
春日局之像 左奥が麟祥院
麟祥院(春日局墓所)
麟祥院(春日局の墓) | 東京とりっぷ
寛永元年(1624年)、3代将軍・徳川家光の乳母で、大奥をつくった春日局の隠棲所(いんせいじょ)として創建された寺で、春日局(かすがのつぼね)の菩提寺。墓地には春日局の墓があります。
臨済宗妙心寺派 天澤山 麟祥院 - rinshouin
開山:渭川周劉禅師 永禄八年野州小山に生まれ、宇都宮興禅寺の湛堂祥激和尚について得度、物外招播和尚(播揚大教禅師)について修行 局の特請により当院に住職 寛永十九年(1642)二月二十六日世寿七十八歳にして遷化
開基:春日局 幼名は福。父は明智光秀の重臣齋藤内蔵助利三、母は刑部少輔智道明の女 慶長九年(1604)三代将軍家光公の乳母として召出され3千石を賜る 寛永二十年(1643)九月十四日六十五歳で卒し、当院墓地に永眠
麟祥院 本堂入口
麟祥院 本堂
麟祥院 墓所入口
麟祥院 東洋大学発祥の地碑
麟祥院 春日局 墓所
春日局の墓石の四方及び台石には、夫々穴が穿ってあります。これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」と言う春日局の遺言に衆議して建立したものです。
春日局終焉の地碑
江戸史蹟散歩 春日局(春日局像/麟祥院)
春日局(天正7年?寛永20年・1579?1643)は、三代将軍徳川家光乳母で名はお福。稲葉正成との間に三児をもうけるが、離婚し江戸城大奥に入る。慶長9年(1604)家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり、生涯家光に仕えた。この麟祥院は、寛永元年(1624)春日局隠棲所として創建され、「報恩山 天澤寺」と称した。局の死後、寺は局び菩提寺となり、法名にちなみ「天澤山 麟祥院」と改めた。
本富士警察署前交差点 右折
11:14 文京総合体育館
春日通りに戻り 本富士警察署前交差点 右折
本郷消防署前交差点 直進
11:19 本郷三丁目駅 本郷三丁目交差点 右折 本郷通りへ
紫陽花通り (本郷通り)
11:25 赤門(旧加賀屋敷御守殿門)
東京大学赤門( 旧加賀屋敷御守殿門) | 東京とりっぷ
加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷キャンパスの門として保存されています。
東大正門
東京大学 銀杏並木
東京大学 安田講堂
東京大学 濱尾新像
東京都文京区の歴史 濱尾新像(東京大学)
濱尾新(ハマオアラタ)1849~1925 明治・大正期の教育行政家。但馬国豊岡藩士の子として江戸藩邸で生まれる。慶応義塾、大学南校に学ぶ。1873年アメリカに留学し、翌1874年帰国して東京開成学校長心得になり、以後同校長補、東京大学法理文三学部綜理補として、東京大学創設初期に尽力する。総長在任は合計で11年間に及び、帝大総長を象徴する存在となった。土木総長とも称され、大学キャンパスの整備、とくに大学のシンボルとなる銀杏並木の植林を推進したとされる。1933年、遺功をたたえる濱尾像が建立された。
三四郎池 へ下りていきます
育徳園心字池 (三四郎池)
三四郎池 | 東京とりっぷ
東京大学本郷キャンパスにあるのが夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷だった地で、三四郎池もかつての大名庭園「育徳園」の一部。
東京大学 文学部の建物
東京大学 正門 から出ました
本郷弥生交差点 右折 言問通りへ
ドーバー海峡大橋
農学部キャンパス(弥生キャンパス) | 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
南門は、言問通りに面していて、根津や弥生坂からのアクセスに便利です。陸橋は、言問通りをまたいで本郷キャンパスと連絡します。陸橋周辺の言問通りは、学生から、通称「ドーバー海峡」と呼ばれています。
弥生式土器発掘ゆかりの地
文京区 「弥生式土器ゆかりの地」碑
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り「弥生式土器」と名付けられた。
言問通り
弥生坂
profile/弥生坂
かつて,このあたり一帯は「向ヶ丘弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃から,御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部,地震研究所)であった。隣接して,小笠原信濃守の屋敷があり,南隣は 加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。
12:05 根津駅 根津一丁目交差点 左折 不忍通りへ
根津神社入口交差点 左折
根津 金太郎飴
根津金太郎飴 | 文京ソコヂカラ公式サイト
昔ながらの手作り飴です。機械でつくったものとは違う柔らかさ、味です。
根津遊郭跡地の碑 左側の壁にあります
温泉と歴史探訪 根津遊郭の跡地ほか
根津神社表参道前新坂下の杉本染物舗の壁に、銅版プレート「根津遊郭の跡地」が掲げられています。
根津八重垣町(昔は門前町と言った)から根津神社まで遊郭があった そして昔根津は不寝と書かれていたようだ 小石川本郷と谷中の中間の谷間で 天保十有余年この根津に娼妓がいたことを記している
根津神社 表参道
12:18 根津神社 神橋 を渡ります
根津神社 楼門
根津神社 唐門
根津神社 社殿
根津神社
根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
根津神社 千本鳥居
徳川家宣胞衣(えな)塚
根津「根津神社 徳川家宣胞衣塚」|鈴木マイ
根津神社敷地内、千本鳥居の途中に、第6代将軍・家宣の胞衣(えな:胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた「徳川家宣胞衣塚」があり、十数個の割石が積み上げられている。この地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。
根津神社 透塀(すきべい)
根津神社境内の透堀(重文)|ふるさと文京百景
緑濃い社殿の周囲を囲んでいるのは透塀(国指定重要文化財)です。格子部より向こう側が透かして見えることからこの名が付きました。総延長は約200メートルもありながら、創建から300年を経てなお寸分の狂いも認められない当時の職人の徹底した仕事ぶりが近年の調査で判明しました。
根津神社 西口鳥居 から出て右へ
根津裏門坂
profile/根津裏門坂
根津神社の裏門前を,根津の谷から本郷通りに上る坂道である。根津神社(根津権現)の現在の社殿は,宝永3年(1706)5代将軍綱吉によって,世継ぎの綱豊(6代家宣)の産土神として創建された。
根津神社 北口
千駄木二丁目交差点 左折 不忍通りへ
12:36 千駄木駅
次の信号 団子坂下交差点 左折 団子坂 へ
profile/団子坂
潮見坂,千駄木坂,七面坂の別名がある。「団子坂」の由来は,坂近く団子屋があったともいい,悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。
団子坂上交差点 直進
12:40 森鴎外記念館 コース03で入ったので今回は行きません
駒込学園前交差点 左折
12:51 夏目漱石旧居跡(猫の家)
夏目漱石旧居跡(猫の家) | 文京区観光協会
文豪・夏目漱石が、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ場所。ここで、処女作「我が輩は猫である」を執筆し、旧居は作品の舞台となりました。「倫敦塔」や「坊ちゃん」、「草枕」などの大作もここで執筆されました。現在は、日本医大同窓会館の敷地となっています。
日本医科大学
日本医大前交差点 右折 根津裏門坂通りへ
向丘一丁目交差点 左折 本郷通りへ
文京学院大学
13:03 東大前駅 ゴールしました
東大前駅から南北線に乗り、次のコース09のスタート地点本駒込駅へ向います。
Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 9.0km→11.9km
文京区05 文人の道 のコースタイム
経由地 | 距離km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|
東大前駅 | 0.0km | 0:00 | 9:32 | ||||
旧伊勢屋質店(樋口一葉ゆかりの質屋) | 0.8km | 0.8km | 0:15 | 0:14 | 0:01 | 9:46 | 9:47 |
宮沢賢治旧居跡 | 0.3km | 1.1km | 0:18 | 0:03 | 0:00 | 9:50 | 9:50 |
本郷三丁目駅 | 0.5km | 1.6km | 0:26 | 0:08 | 0:00 | 9:58 | 9:58 |
御茶ノ水駅 | 1.1km | 2.7km | 0:44 | 0:18 | 0:00 | 10:16 | 10:16 |
<湯島聖堂> | 0.3km | 3.0km | 0:53 | 0:05 | 0:04 | 10:21 | 10:25 |
湯島天満宮 | 1.4km | 4.4km | 1:20 | 0:16 | 0:11 | 10:41 | 10:52 |
麟祥院(春日局墓所) | 0.9km | 5.3km | 1:39 | 0:12 | 0:07 | 11:04 | 11:11 |
文京総合体育館 | 0.4km | 5.7km | 1:42 | 0:03 | 0:00 | 11:14 | 11:14 |
本郷三丁目駅 | 0.3km | 6.0km | 1:47 | 0:05 | 0:00 | 11:19 | 11:19 |
赤門(旧加賀屋敷御守殿門)東大構内 | 0.4km | 6.4km | 2:13 | 0:06 | 0:20 | 11:25 | 11:45 |
弥生式土器発掘ゆかりの地 | 1.9km | 8.3km | 2:28 | 0:15 | 0:00 | 12:00 | 12:00 |
根津駅 | 0.3km | 8.6km | 2:33 | 0:05 | 0:00 | 12:05 | 12:05 |
根津神社 | 0.6km | 9.2km | 2:55 | 0:13 | 0:09 | 12:18 | 12:27 |
千駄木駅 | 1.0km | 10.2km | 3:04 | 0:09 | 0:00 | 12:36 | 12:36 |
森鴎外記念館 | 0.2km | 10.4km | 3:08 | 0:04 | 0:00 | 12:40 | 12:40 |
夏目漱石旧居跡 | 0.7km | 11.1km | 3:20 | 0:11 | 0:01 | 12:51 | 12:52 |
東大前駅 | 0.8km | 11.9km | 3:31 | 0:11 | 13:03 | ||
コース09へ | |||||||
2023/05/31(水)曇 | 11.9km | 3:31 | 2:38 | 0:53 |
文京区05 文人の道 の感想
電車の遅延で一時はどうしようかと思いましたが、何とか30分後れで済みスタートすることができました。何ヶ所かこれまでのコースと重複していますが、前回見なかったところを中心に回っています。
東京大学本郷キャンパスに初めて入りました。駒場キャンパスは学生時代劇団の稽古や大道具作成の手伝いなどで通ったことがあります。
<参考>東京大学劇団駒場第18回公演 朝日生命ホール - mesetaのブログ
正門から安田講堂までのいちょう並木は駒場キャンパスの並木より短い感じがしました。一番行きたかったのは三四郎池です。駒場キャンパスには一二郎池というのがあり、三四郎池から名づけられたと聞きました。以前は荒れた池で中へ入れませんでしたが、20年くらい前に遊歩道を整備して散策できるようになっています。三四郎池はさすが先輩だけあって遊歩道やベンチがあり、くつろいでいる人も何人か見かけました。
以上です。
文京区04 ⇨ 文京区05 ⇨ 文京区06
みどりの道 希望の道

































































































































































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