mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

文京区06 希望の道 TOKYO Walking Map 2023.6.6

2023.6.6(火)曇  13.0km→15.8km
ルート:→江戸川公園→子育地蔵尊→江戸川橋駅→江戸川橋体育館→小日向神社→印刷博物館→同人社跡→飯田橋駅→小石川後楽園→野球殿堂博物館→水道橋駅→本郷給水所公苑・水道歴史館→日本サッカーミュージアム→麟祥院(春日局墓所)→文京総合体育館→本郷三丁目駅→講道館(柔道資料館・図書館)→文京区役所→後楽園駅→礫川公園→傳通院→高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡→嘉納治五郎像→占春園→教育の森→護国寺駅→目白台運動公園→永青文庫→肥後細川庭園→水神社→関口芭蕉庵→江戸川公園→


文京区5日目です。今日の2コースで、全10コースを歩き終えることになります。


有楽町線江戸川橋駅1a出口を出るとすぐ江戸川橋があります


東京都福祉保健局のサイト

文京区06 希望の道
最寄駅:護国寺駅(東京メトロ)、江戸川橋駅(東京メトロ)、飯田橋駅(JR)、飯田橋駅(東京メトロ)、飯田橋駅(都営地下鉄)、水道橋駅(JR)、水道橋駅(都営地下鉄)、本郷三丁目駅(東京メトロ)、本郷三丁目駅(都営地下鉄)、後楽園駅(東京メトロ)所要時間:約165分 距離:約13.0km 消費カロリー:約495kcal 歩数:約18643歩


9:11  江戸川公園  スタートしました


江戸川橋  音羽通り  


江戸川橋交差点  直進  江戸川橋通り


信号左折  


9:17  子育地蔵尊  

子育地蔵尊(火伏せ地蔵) | 文京つーしん
子育地蔵(火伏せ地蔵)は、江戸川橋通り沿いの地蔵商店街の入り口にある地蔵となっています。地蔵商店街の名前の由来となっているお地蔵様で、赤ん坊を抱いた姿をしています。


地蔵通り商店街へ入る 

 左折して 目白通りへ


9:26  江戸川橋駅  右側に4番出口があります


小日向神社入口交差点  直進  服部坂

profile/服部坂
坂の上には 江戸時代,服部権太夫の屋敷があり,それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には,明治2年(1869)に 小日向神社が移された。


9:29  江戸川橋体育館  


9:31  小日向神社  

文京区 小日向神社(こびなたじんじゃ)八幡さま
氷川神社と八幡神社を合祀して、明治2年小日向神社と改称された。天慶3年(940)の春、当時の常陸国の平貞盛が、この地方を平定して、現在の水道2丁目の日輪寺の上の連華山に建立した。

小日向神社入口交差点 へ戻り左折


小日向交差点  右折  


小桜橋手前  左折  


凸版印刷本社  


9:51  印刷博物館  

印刷博物館 Printing Museum, Tokyo
印刷博物館の魅力はなんといっても貴重な収蔵品の数々。現存する世界最古の印刷物と言われる「百万塔陀羅尼」をはじめ、古今東西の印刷物や活字、道具、機械約7万点のコレクションの中から約300点が展示されています。一般:400円 中学生以下および70歳以上の方無料


中に入りました  


印刷博物館は 10:00 開館なので、通路のベンチで待つことにしました



10:00 丁度に入館、先ずは1階無料エリア「P&Pギャラリー」へ

続いて地下1階の有料エリアへ下りていきチケットカウンターへ 

入館券


10:30  同人社跡  

都指定旧跡 同人社跡 水道一-二-八・十一 - Monumento(モニュメント)
中村正直(一八三二~九一・号敬宇)が明治六年、邸内に私塾『同人社』を開いた。この洋学塾は慶應義塾(福沢諭吉)攻玉社(近藤真琴)の三大私塾の一つで全国から多くの人材が集まった。明治五年大蔵省に入り明治六年同人社設立、明六社にも参加し啓蒙思想に力をつくした。東京女子師範学校長、東大教授、元老院議官、貴族院議員など歴任した。


白鳥橋交差点  直進  


新隆慶橋東詰交差点  直進  


べルサール 飯田橋ファースト  左折  


小石川運動場前交差点  右折  

左折して 外堀通りへ


10:42  飯田橋駅  


10:49  後楽園ブリッジ   


経由地に小石川後楽園 野球殿堂博物館 がありましたが、コース03で前まで行ったため今回はパスしました


東京ドームホテル  


10:54  水道橋駅  交差点を直進  


東京都立工芸高等学校  


文京区立元町公園   工事のため休園中

順天堂大学センチュリータワー手前を左折  


11:09  本郷給水所公苑  スロープ入口


本郷給水所公苑  遊具  


本郷給水所公苑  洋風庭園  

本郷給水所公苑 | 東京とりっぷ
東京都水道局の本郷給水所の配水池の上を公園化したのが、本郷給水所公苑。南側は、武蔵野の雑木林をイメージした和風庭園、北側がシンメトリー(左右対称)にデザインされた洋風庭園で、バラ園もあり、春バラ、秋バラの際には300株のバラが咲き誇ります。


カルメン  


地球儀   

和風庭園  


「道標・鳩」柳原義達   


神田上水石樋  


東京都水道歴史館 方面へ


11:21  東京都水道歴史館  

東京都水道歴史館 | 東京とりっぷ
東京都水道局本郷庁舎2号館にある施設で、西新宿から移設され、平成7年4月15日開館。徳川家康の関東入封に始まる江戸・東京の水道の歴史、近代水道の重要性を詳しく解説しています。9:30~17:00 休館日:毎月第4月曜日 入館料: 無料


順天堂横交差点  左折  


本郷通りに出て右折  


  日本サッカーミュージアム入口交差点   左折  


サッカー通り  傘谷坂へ

profile/傘谷坂
傘谷をはさんで,向き合う二つの坂をいう。改撰江戸志という書物によると,傘谷は,金助町(旧町名)の北の方にあって,傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで傘谷,傘坂の名がついた。

11:44  日本サッカーミュージアム   2023年6月JFAハウス移転

日本サッカーミュージアム | JFA|公益財団法人日本サッカー協会


サッカー通り


麟祥院前交差点  左折  春日通りへ


11:51  麟祥院(春日局墓所)  春日局之像  コース05で中へ入りました

麟祥院(春日局の墓) | 東京とりっぷ
寛永元年(1624年)、3代将軍・徳川家光の乳母で、大奥をつくった春日局の隠棲所(いんせいじょ)として創建された寺で、春日局(かすがのつぼね)の菩提寺。墓地には春日局の墓があります。


11:53  文京総合体育館  


11:57  本郷三丁目駅  交差点左折  本郷通りへ


本郷通り  右折  大横丁通りへ

東洋学園大学  壱岐坂  

profile/壱岐坂
「壱岐坂は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。按に元和年中(1615~1623)の本郷の図を見るに,此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)


壱岐坂下交差点  右折  白山通りへ


東京ドームシティラクーア


12:16  講道館(柔道資料館・図書館)  コース10で入りました

講道館柔道資料館・図書館 | 講道館
講道館の発展のあとを伝える当時の資料や写真などを展示しています。開館日時:月〜金 10:00〜17:00


春日町交差点  左折  春日通りへ 春日駅


12:19  文京区役所  後楽園駅  

19:21  礫川公園  素通りしてしまいました
Google ストリートビュー  

文京区 礫川公園
小石川台地の東端に造られた公園で、かつてこの一帯は軍用地でしたが、戦後、都営住宅・中央大学・戦没者慰霊堂・公園用地に分割されました。昭和39年、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。


富坂   

profile/富坂
「とび坂は小石川水戸宰相光圀郷の御屋敷のうしろ,えさし町より春日殿町へ下る坂,元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので,鳶坂,転じて富坂となった。


伝通院前交差点  直進


12:32  傳通院  

傳通院・伝通院
当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。


小石川五丁目交差点  右折  


播磨坂さくら並木案内図  

播磨坂 さくら並木 | 文京区観光協会
第二次世界大戦後の区画整理によりできた「環状3号線」の一部として整備。かつてこの地にあった松平播磨守上屋敷にちなみ、「播磨坂」と名付けられました。1960年に桜の木が地元の人々の手により約150本植えられ、今では立派な桜並木に成長しています。


12:48  高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡  

高橋泥舟(でいしゅう)(1835~1903) 山岡鉄舟(てっしゅう)(18... - (モニュメント)
泥舟は槍術の大家山岡静山 の弟で、母方の実家である高橋家を継ぎ、25歳のとき幕府講武所師範となる。鉄舟は剣術を北辰一刀流の千葉道場に通い、槍を静山に習った。鉄舟は旗本小野家の出身であるが、静山の妹英子(ふさこ)と結婚し、山岡家を継いだ。


コースから外れて 石川啄木の終焉地 へ寄ってみました 

文京区 石川啄木終焉の地
歌人・詩人・評論家として知られる石川啄木(1886~1912)の終焉の地。明治44年、啄木は家族と共に本郷の喜之床(きのとこ)からこの地に移った。啄木も母も病身であり、翌年3月には母が亡くなった。そして明治45年4月13日、肺結核で啄木は26歳で生涯を終えた。


コースへ復帰して 播磨坂さくら並木 を下ります

植物園前交差点  左折  この先に小石川植物園があります


 久保町東公園交差点  左折 


 湯立坂の途中にある 窪町東公園 へ入ります


正面が 占春園(せんしゅんえん)入口

占春園 | 文京区観光協会
徳川光圀の弟・松平頼元が、1659年に屋敷を構えた庭園の名残。かつてはホトトギスの名所としても知られていました。教育の森公園側の入口に、日本では珍しいシロマツやダイオウショウがあります。


占春園 旧守山藩邸碑文  

137 文京区の石碑-13-占春園碑その2(大塚3-29) - 石仏散歩
この碑は、延享三年(西暦一七四六年)春三月に建てられたといわれるから、今から二百三十年ほど前になる。ここ吹上邸を上屋敷とされた守山藩主松平頼寛(三代目)が、その臣岡田宜汎に命じて記させたもので、高さ一.四米、幅〇.七七米の鉄平石に刻まれた碑である。


13:18  占春園 嘉納治五郎像  

銅像 嘉納治五郎
嘉納治五郎:摂津国御影村(神戸市)生まれ。東京大学在学中から天神真楊流、起倒流の柔術をまなんで柔道を創始し、明治15年,東京下谷北稲荷町永昌寺の書院を借りて講道館を開設。学習院教授、第五高等中学・第一高等中学の校長をへて高等師範(のち東京高師)校長をつとめる。

占春園・窪町東公園を出ました  


湯立坂 を上っていきます

profile/湯立坂
「里人の説に 往古はこの坂の下は大河の入江にて 氷川の明神へは河を隔てて渡ることを得ず。故に 此所の氏子ども 此坂にて湯花を奉りしより 坂の名となれり。」(江戸志)


旧磯野家住宅(銅御殿)  湯立坂の上にあります

文京区 旧磯野家住宅(銅御殿)
実業家の磯野敬が建設した近代和風住宅であり、主屋の屋根と外壁に銅板が張り巡らされている外観から「銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれている。明治末から大正初期にかけての和風建築の粋を凝らした技術の高い建築作品である。


湯立坂上を右折  


13:26  教育の森  コース01で中へ入りました

教育の森公園(文京区)は池や森、広場がある散策も楽しい公園 | るるぶKids
旧東京教育大学(現在の筑波大学)の跡地に1986年に開園しました。約2万㎡の公園は、遊具エリアのほか広場や樹林帯、スポーツセンターなどがある区民の憩いの場。園内には3つの彫刻が展示され、散策しながらアートにも触れられます。

文京区スポーツセンター  


突き当りを左折  


大塚一丁目交差点  直進  春日通りを横切ります


文京区立新大塚公園  

お茶の水女子大学 南門    


付属横坂  

profile/付属横坂
美しく環境に恵まれている坂に,どうしてこんな不粋な坂名がついているのか。右にお茶の水女子大,左にこの坂名の由来と推察される筑波大(旧教育大)付属中学・高校がある。かなりの勾配だが,道幅が広いので見た目にはそれほどには感じられない。(「今昔東京の坂」より)


13:43  護国寺駅  大塚警察署前交差点  直進  有楽町線護国寺駅は右側


三丁目坂  

profile/三丁目坂
旧音羽三丁目から,西の方目白台に上る坂ということで 三丁目坂とよばれた。坂下の高速道路5号線の下には,かつて弦巻川が流れていて,三丁目橋(権三橋)がかかっていた。


ここを左折 

13:54  目白台運動公園   目白通りに出て左へ


和敬塾  

和敬塾 | 東京・目白の男子大学生寮 和敬塾
昭和30(1955)年。終戦後の日本を立て直すには若者の教育が重要だと考えた前川喜作は、和敬塾を創立。「共同生活を通した人間形成」で「和と敬」の心を磨く場所をつくりました。60年を超える歴史の中で、5,000人以上の卒塾生がさまざまな分野で活躍しています。


ここを右折  


14:01  永青文庫  入口  コース01の時は展示替え臨時休館中のため門が閉まっていました


永青文庫 本館   

永青文庫
江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫です。その名称は藤孝の養家の始祖細川頼有以後8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の「永」と藤孝の居城青龍寺城の「青」の二字をとって護立公が名付けたものです。


永青文庫 別館  

肥後細川庭園へ通り抜けられます  


14:04  肥後細川庭園  

肥後細川庭園 – 肥後細川庭園ホームページです。
肥後細川庭園は、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月に「肥後細川庭園」に名称変更しました。


14:08  水神社  

胸突坂  

文京区 胸突坂(むなつきざか)
長さ:約65m 目白通りから、椿山荘と和敬塾の間を神田川に向かって下る急な坂です。神田川にかかる駒塚橋から見ると、左手の水神社の白い鳥井と、右手の関口芭蕉庵の塀に挟まれた細い道が、生い茂る木々の間を上っていくのが見えます。


14:10  関口芭蕉庵  ここからは入れません

関口芭蕉庵 | 文京区観光協会
江戸時代の俳人・松尾芭蕉が、1677年から3年間暮らした場所。二度目の江戸入りの後、神田上水の改修工事に携わり、この地にあった水番屋「龍隠庵」に住んだとされています。後に芭蕉を慕う人々によって「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。現在のものは戦後の建築です。


椿山荘 冠木門   閉門


江戸川公園 みんなの広場  


神田川 桜の木の上にいた サギ


14:23  江戸川公園  ゴールしました


次のコース07もここがスタート地点です


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  13.0km→15.8km


文京区06 希望の道 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
江戸川公園    0.0km  0:00    9:11
子育地蔵尊  0.3km    0.3km  0:07  0:06  0:01    9:17    9:18
小日向神社  0.7km    1.0km  0:22  0:13  0:02    9:31    9:33
印刷博物館  1.1km    2.1km  1:16  0:18  0:36    9:51  10:27
飯田橋駅  1.6km    3.7km  1:31  0:15  0:00  10:42  10:42
本郷給水所公苑・水道歴史館  1.7km    5.4km  2:22  0:27  0:24  11:09  11:33
日本サッカーミュージアム  1.1km    6.5km  2:34  0:11  0:01  11:44  11:45
本郷三丁目駅  0.9km    7.4km  2:47  0:13  0:00  11:58  11:58
傳通院  2.0km    9.4km  3:20  0:33  0:00  12:31  12:31
高橋泥舟・山岡鉄舟旧居跡  1.0km  10.4km  3:37  0:17  0:00  12:48  12:48
占春園 嘉納治五郎像  1.4km  11.8km  4:10  0:26  0:07  13:14  13:21
護国寺駅  1.7km  13.5km  4:32  0:22  0:00  13:43  13:43
 永青文庫 肥後細川庭園 水神社   1.1km  14.6km  4:58  0:18  0:08  14:01  14:09 
江戸川公園  1.2km  15.8km  5:12  0:14  14:23 
コース07へ
2023/06/06(火)曇  15.8km  5:12   3:53  1:19


文京区06 希望の道 の感想
経由地の設定がとにかく多く、32ヶ所もあり過去最高のコースでした。コースタイムの表では一部カットやまとめたりして14ヶ所にしました。
スタートとゴールが同一のいわゆる周回コースの場合、どこからスタートしてもよいというのは他にはない文京区独特の設定です。コースルートを検討するにあたり、次のコース起点を考慮して江戸川公園をスタート地点にしました。
これまで何回か通っている場所も含まれているため、行ったことのある施設はパスしています。今回初めて入ったのは印刷博物館、本郷給水所公苑、水道歴史館、占春園などでした。


以上です。
文京区05  ⇨  文京区06  ⇨  文京区07
文人の道                               河川沿い