mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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ヘンリー四世 演劇集団<砂>第二回公演

演劇集団<砂>第二回公演
長岡寿男プロデュース
Lピランデルロ作
ヘンリー四世
内村直也訳
一橋講堂
1965
11123


この年6月東京大学劇団駒場第18回公演「血の婚礼」に出演したのをきっかけに、またまた演劇に関わることになってしまいました。今度は大学の劇団ではなくセミプロのような集団で、後に有名になった俳優も出ています。スタッフ・キャストには「血の婚礼」のメンバーも何人かいました。


公演チラシ

ルイジ・ピランデルロ - Wikipedia
Luigi Pirandello (1867年6月28日 - 1936年12月10日)は20世紀のイタリアの劇作家、小説家、詩人。1934年のノーベル文学賞受賞者である。『ヘンリイ四世』(Enrico IV, 1922年初演)
エンリコ四世 (戯曲) - Wikipedia
『エンリコ四世』(イタリア語: Enrico IV)は、ルイジ・ピランデルロの作によるイタリアの戯曲。1921年に書かれ、1922年2月24日にミラノのテアトロ・マンゾーニにて初演された。喜劇と悲劇の要素をもって狂気を描く、自身のことをハインリヒ4世だと思い込む男の物語である。トム・ストッパードによる英訳が有名である。


パンフレットを見ていきます。


後に有名になった俳優というのは長塚京三(この時は長塚京)です。
長塚京三 - Wikipedia
(ながつか きょうぞう、1945年7月6日 - )は、日本の俳優。東京都世田谷区出身。早稲田大学第一文学部演劇科中退、パリ大学(ソルボンヌ)卒業。早稲田大学では演劇サークル劇団木霊に入り、当時の部の仲間には久米宏や田中真紀子がいる。のち、パリのソルボンヌ大学に入学した。1974年(昭和49年)ソルボンヌ在学中に仏映画ジャン・ヤンヌ監督作品『パリの中国人(原題:fr:Les chinois à Paris)』の主役オーディションに合格して俳優デビューを果たした。
長塚京三のプロフィール | ORICON NEWS :劇団「砂」のことが書かれています
長塚京三(ナガツカ キョウゾウ) 俳優。1945年7月6日生まれ、東京都出身。O型。早稲田大学在学中に劇団『砂』を結成。1968年に同大学を中退し、ソルボンヌ大学(パリ)に入学、文明講座や演劇史を学ぶ。在学中の1974年、フランス映画『パリの中国人』の主役オーディションに合格し、映画デビュー。同年に帰国すると、TBS系『樹氷』でドラマデビューを果たす。1992年、映画『ザ・中学教師』『ひき逃げファミリー』との2作で『毎日映画コンクール』男優主演賞を受賞。1995年、サントリー・ウイスキー『オールド』のCMが話題になり、“理想の上司”として一躍人気を得る。フジテレビ系『ナースのお仕事』シリーズ(1996年~)の外科部長、NHK大河ドラマ『篤姫』(2008年)の父親役などを好演。息子は俳優の長塚圭史。


この公演での役割
この公演では音楽を担当しました。劇中で使われる音楽の録音と、公演当日はシーンに合わせて音楽を流しました。パンフレットでは「演奏 アンサンブル・ド・ヌーボ」となっていますが、このメンバーは劇中で流す音楽を作曲してもらった桐朋学園大学の先生の教え子たちです。調布市仙川のキャンパスに録音機器を持込み、短いもので15秒、長いものだと70秒程度の曲を演奏してもらいました。序曲から第一幕まで5曲、第二幕4曲、第三幕4曲で合計13曲を録音しました。本番当日は台本片手に放送機器の操作をしました。


感想
公演は3日間全6回でした。東京大学劇団駒場の立見席が出るほどの満席と比べ、こちらはほど遠い状態でした。現在の一橋大学一橋講堂のアクセスを見ると
東京メトロ半蔵門線、都営三田線、都営新宿線 神保町駅(A8・A9 出口)徒歩4分
東京メトロ東西線 竹橋駅(1b 出口)徒歩4分

とでてきます。しかし当時は何れの地下鉄も開通してなく、最寄りの駅水道橋からでも1km以上離れています。観客が少なかったのはそれが全てではないにしても、かなり影響があったのではないかと思われます。
長塚京三は血の婚礼の後の東京大学劇団駒場第19回公演「木のぼり男爵」にも出演しています。テレビでもよく見る長塚京三と一緒に芝居をやったことは、ずっと後から友人に聞いて分りました。
この頃早稲田大学は大変なことになっていました。
早大闘争 - Wikipedia
第1次早大闘争:政治党派に属する活動家学生だけでない広範な一般学生も闘争に参加したこと、闘争主体が全共闘を名乗ったこと、全学バリケード封鎖という実力行使という方法など、後に全国で活発化する学園闘争、全共闘運動の先駆となった。この闘争は、後に起こる闘争と区別して第1次早大闘争と呼ばれる。
1965年 12月1日 学生が本部前で座り込みを開始(10日頃まで)。  8日 大隈小講堂で学館問題説明会(全共闘は団交と規定)が開催。説明会後の18:00すぎ、本部前抗議集会(200人)が行われ、本部2階の理事室前廊下に座り込み。 9日 本部前集会(500人)。学生3人がハンストに入る。・・・

結局ストライキ突入、バリケード、学校閉鎖、機動隊導入などが翌年3月まで続き、全学統一卒業式は中止、卒業証書は学部事務室に取りにいきました。
その後演劇に関わることは一度もありませんでした。


東京大学劇団駒場で第18回・第19回公演に出演していた斎藤正彦(当時東大1年生:別名 芥正彦)が4年後全共闘側の一人として公開討論会に参加して三島由紀夫と対決していたことを最近知りました。

三島由紀夫・伝説の討論会4/5 50年ぶり秘蔵映像発掘「VS東大全共闘」#4「芥正彦登場!」
三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました|「NEWS23」スタッフノート|note
芥正彦は1969年5月13日目黒区駒場の東京大学教養学部900番教室で公開討論会『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』に参加。
今年3月20日に公開された映画の予告編

映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予告編


以上です。
東京大学劇団駒場第18回公演 朝日生命ホール - mesetaのブログ