mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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中野区02 哲学堂公園周遊コース(初級) TOKYO Walking Map 2024.3.30

2024.3.30(土)晴  0.86km→0.9km
ルート:(管理事務所)→哲理門→時空岡→さくらの広場→唯物園→唯心庭→菖蒲池→<管理事務所>


コース01の途中哲学堂公園管理事務所からこのコースに入り、一周してから再びコース01へ戻ることにしました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

中野区02 哲学堂公園周遊コース(初級)
最寄駅:哲学堂(関東バス)哲学堂(国際興業バス)新井薬師前駅(西武鉄道) 所要時間:13分 距離:860m 消費カロリー:39kcal 歩数:1230歩


コース01の前半で哲学堂公園管理事務所に着き、寺務所内を見学後コース02をスタートして
ゴール後コース01の後半に進みます。


哲学堂公園管理事務所   園内マップをもらいました

哲学堂公園公式ホームページ
哲学堂公園は明治37年に哲学者で東洋大学の創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園です。


9:37  哲理門  スタートしました  
右の柱には物質の世界の不思議を表す天狗像が、左の柱には精神の世界の不思議を表す幽霊像が配されています。軒丸瓦の“〇に「哲」マーク”も見どころ。

哲理門は、哲学の世界への正門にあたります。「哲理」とは、人生や世界の本質などに関する奥深い道理を意味して、それらを探究することが哲学であると言っています。哲学では、物質(物)ありきとする世界観(=唯物論)と精神(心)ありきとする世界観(=唯心論)の2つの考え方があり、その考えの中でも普通の道理では説明できない不思議「理外の理」があり、円了はその不思議を知ろうとすることが哲学の始まりであるとしています。門の両脇には、心の世界の不思議を表す「幽霊」と、物の世界の不思議を表す「天狗」をそれぞれ象った木像が置かれ、別名「妖怪門」と言われています。


哲理門 幽霊像 


哲理門 天狗像 


この「幽霊像・天狗像」は「3Dスキャンデータを元に製作され、塗料の分析も行い再現されたレプリカ」でした
本物はこの後行った山﨑記念中野区立歴史民俗資料館に保管され、丁度特別展示されていたため見学することができました
中野れきみんで保管している哲学堂哲理門の本物「天狗像・幽霊像」特別公開(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース


哲学堂碑 


常識門  

常識門から入らず直進します


宝珠と烏帽子瓦 


四聖堂の宝珠 (二代目)  


宇宙館の烏帽子瓦 (二代目)  


左折して時空岡 へ向います


髑髏庵・鬼神窟  髑髏庵・鬼神窟は、霊明閣(集会場)として、利用されています


霊明閣(集会場)


9:44  時空岡  
時空岡は、哲学堂公園の中心となるところです。時代や国・地域を超えて、西洋、東洋の哲学者を祀る四聖堂、東洋の賢人を祀る六賢台、日本の碩学を祀る三學亭があり、哲学を学ぶ師となる者を紹介しています。
さらに、77場の順序では最後の方に位置しますが、哲学の実践の場となる講義堂である宇宙館、図書館で閲覧室を提供する絶対城、井上円了が世界・国内を30年にわたって巡り得た蒐集品を展示する博物館といえる無尽蔵が配置され、真ん中に立つと哲学堂の主要な古建築物を全て見ることができます。


無尽蔵 【推定明治42年~45年頃建立】 

無尽蔵は、井上円了が22年間に行った3回の世界旅行と、30年、5,291回、130万人におよぶ人々に行った全国巡講したおりに蒐集した各地の品々を展示している建物で、博物館の機能を担っています。1階は[万象庫]、2階は[向上摟]と名づけられています。

六賢台 【明治42年11月建立】 

哲学堂を代表する建物のひとつ。東洋の賢人として、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の6人が祀られています。

朱塗り、三層六角形のこの建物は、哲学堂公園のシンボル的な建物です。東洋の六賢人として、中国から道教の代表者として荘子、朱子学の創始者である朱子、印度から仏教を体系化した龍樹、バラモン教の数論哲学の開祖である迦比羅仙、日本から仏教の普及に寄与した聖徳太子、中世の学識者として菅原道真が祀られています。


四聖堂 【明治37年4月建立】 

哲学堂の中心的な建物。四面のいずれも正面とされ、孔子、釈迦、ソクラテス、カントが祀られています。

四聖堂には、東洋哲学から孔子、釈迦、西洋哲学から古代西洋のソクラテス、近世西洋のカントが選ばれ、井上円了が最も影響を受けた哲学者四聖として祀られ、当初は、‟哲学堂”と呼ばれており、公園名の起源といえます。天井中央には、四聖の名前を記した装飾額が四面にそれぞれ置かれ、哲学の将来的発展を祈念したもので、創設者井上円了の意図を読み取ることができます。建物は、四方正面の建物で、堂内中央部には、「南無絶対無限尊」と刻んだ石柱、「唱念塔(しょうねんとう)」が置かれ、‟哲学は宇宙の真理を生涯かけて楽しみながら究明してゆくこと”を示しています。天井から下がる「球燈」は、心即ち精神を表し、その下にある「香炉」は、物即ち物欲を示し、物欲から立ち上がる煤で、心が穢されても、修養を積めば清浄な心を失うことはないことを表しています。



宇宙館 【大正2年10月建立】 

哲学は宇宙の真理を探究する学問であるとの観点から、哲学の講習の講義室として設けられました。

円了は、「哲学は、宇宙の真理を研究する学問である」とし、哲学上の講話や講習会を行うための講義室として、この宇宙館を建てました。内部には横斜めに皇国殿という八畳敷の一室を世界の中の日本を表すものとして設け、哲学は社会・国家の原理をも考究する学とし、世界で最も美しい国が日本としています。大正5年(1916年)には、日曜講演や夏季講習会などが開催され、井上円了の社会教育の実践の場所としての活用が始まりました。

三學亭 【推定明治42年~45年頃建立】  

三學亭は、日本古来の神道、儒教、仏教の中から最も著述の多い三人の碩学を祀った建物で、神道は平田篤胤、儒教は林羅山、仏教は釈凝然を選んでいます。「三學亭」は、三學と三角の発音が似ていることに因み、三角錐の築山の頂上部分に三角錐の屋根を三本の柱で支える構造の小亭として建てられています。天井の三面には、三碩学の肖像を描いた石額が置かれ、その中央から【神・儒・仏】と刻まれた三角錐形の石像物が吊るされていました。現在は、無尽蔵で展示されています。


硯塚 

絶對城 【大正4年10月建立】 

かつての図書館であり、真理への道を歩む人たちの苦闘の記録が集められていた所です。万物の書物を読み尽くせば、絶対の境地、つまり対立するものがない状態へと達する、との考えから命名されました。

万巻の書を哲学界の万象とみたて、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達できるという道理を示して、図書館機能を有する建物を絶対城と名づけました。当初より円了の蔵書を中心とした書籍を公開する図書館として設置されて、1階右側の書棚に国書・漢書を、左側に仏書を収蔵していましたが、現在は、蔵書が他所で保管されているため、図書館本来の目的は果たさず今日に至っています。


時空岡 から階段を下りて、さくらの広場へ向います


筆塚  


懐疑巷  


さくらの広場  一周します

お花見をしていました  開花したとはいえ花びらは殆どありません


妙正寺川   


客観廬  


10:07  唯物園  


神秘洞  


狸燈  

原子橋  


觀象梁  


獨斷峡  

  
心字池  


概念橋  

主観亭  


10:13  菖蒲池  


つつじ園の方に上っていきます

演繹観(傘型亭) 


さっき来た 絶対城 の前を通り  


哲理門をくぐり


10:21  管理事務所  ゴールしました


ここからコース01に復帰します


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  0.86km→0.9km


中野区02 哲学堂公園周遊コース(初級) のコースタイム

経由地 距離km 見学km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
コース01の前半より
哲理門   0.0km  0:00    9:37
時空間   0.1km   0.1km   0.2km  0:19  0:07  0:12    9:44    9:56
さくら広場   0.1km   0.1km   0.4km  0:29  0:06  0:04  10:02  10:06
唯物苑   0.1km   0.0km   0.5km  0:31  0:01  0:01  10:07  10:08
唯心庭   0.1km   0.0km   0.6km  0:35  0:02  0:02  10:10  10:12
菖蒲池   0.1km   0.1km   0.8km  0:37  0:01  0:01  10:13  10:14 
(管理事務所)   0.1km   0.9km  0:44  0:07  10:21 
コース01の後半へ
2024/03/30(土)晴    0.6km   0.3km   0.9km  0:44   0:24  0:20


中野区02 哲学堂公園周遊コース(初級) の感想
哲学堂公園の沿革によると、明治32年に井上圓了博士が土地を購入し明治37年に「四聖堂」を建設、明治39年精神修養を目的とする公園にしたそうです。その後明治42~45年に哲理門、六賢臺、三學亭、常識門、髑髏庵、無盡藏を建設、大正2~4年に宇宙館、絶對城、鬼神窟を建設、大正5~7年には星界洲、観象梁などや四聖堂に唱念塔が置かれほぼ完成しました。井上圓了博士は安政5年(1958)~大正8年(1919) 61歳没なので、出来上がってまもなく亡くなったことになります。
哲学という難解なテーマをよくもまあ公園にしたもんだと、感心してしまいます。


以上です。
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