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2023 中野島稲荷神社例大祭 10.7大蔵流狂言 10.8御神楽

南武線中野島駅近くで中野島稲荷神社例大祭のポスターを見つけました。特に「伝統芸能(大藏流狂言)」と「御神楽(国指定重要無形民俗文化財)」に興味を持ち、出かけることにしました。


中野島稲荷神社例大祭ポスター


2023.10.7(土)晴  
中野島稲荷神社宵宮祭 伝統芸能(大蔵流狂言)  


16:30~ ということなので少し早めに行って境内を回ってみます


中野島稲荷神社 境内案内  

中野島稲荷神社 | nakanoshimainari-jinja
江戸幕府の昌平坂学問所で編纂された「新編武蔵風土記稿」(文化・文政期1804~1829年)及び明治時期に神社から国に提出した「神社明細帳」は創建の年代を不詳としていますが、「新編武蔵風土記稿」による限り、江戸の中頃以前には既に祀られていたことが確かです。・・・中野島稲荷神社は矢野口村國安明神(現穴澤天神社)の山本信継神主が兼務しました。この山本神主が明治4年に神奈川県御役所へ提出した「神社明細帳」の写しが残っています。武蔵國多摩郡中之嶌鎮座〔稲荷社〕と記すものです。そして末尾に「古今沿革不詳」「摂社・末社無之」と記しています。この時代には境内に末社は無かったようです。・・・現在の社殿については天保6年(1835年)の棟札があります。昭和40年代に大改修が行われました。拝殿・正面の彫刻などに当時の姿を見ることができます。


多くの屋台が出店しています


神楽殿前には既に何人か待っている人がいました


中野島稲荷神社  拝殿  

主祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)  ご神徳 商売繁盛・事業繁栄・乳幼児守護
相 殿 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)    ご神徳 合格・学業成就


中野島稲荷神社  聖徳太子堂   

【秋葉社】  

ご祭神 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)   ご神徳 防火


このお釜は何でしょう?


【水神社】  

ご祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)  ご神徳 水災防護


【照信明神社】  

ご祭神 瘡の神(かさのかみ)未詳   ご神徳 皮膚病治癒


【地神社】  

ご祭神 大地主神(おおとこぬしのかみ)  ご神徳 境内地守護


【川除稲荷社】  

ご祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)   ご神徳 水害防護


左 川除稲荷社  奥 聖徳太子堂  


境内の屋台


16:27  神楽殿で狂言の説明が始まりました


「わっ はっ はっ はっ はっ はー」と笑いの練習


舞台の壁


演目1  以呂波(いろは)  男子2名

以呂波・伊呂波|狂言・能楽の歴史|文化デジタルライブラリー
※大蔵流では『以呂波』、和泉流では『伊呂波』と表記します。
あらすじ:このあたりに住む祖父(おおじ)が、孫に「いろは」を教えようと思い、「いろはにほへとちりぬるを……」と吟ずると、孫は一字一字教えてくれと注文します。祖父が「い」と教えると、孫は「燈心(とうしん)」と答え、藺(いぐさ)を引くと燈心が出る*1と言います。「ろ」と教えると「かい」と答え、舟には櫓櫂(ろかい)があるといいます。「ちり」と教えると、お座敷にチリがあるので掃き集めて火にくべろと言います。祖父は、そういうのは走り知恵といって何の役にもたたぬと叱り、今度は自分の言う通り口真似をしろと命じますが、孫は祖父が叱る言葉までそっくり言い返します。ついに祖父が怒って孫を引き倒すと、孫も同様に祖父を引き倒し、立ち去ります。祖父は起き上がると怒って後を追います。

*1 藺のことを「い」と言い、その髄(ずい)を燈心に用いました。


演目2 盆山(ぼんさん)   女子2名

盆 山(ぼんさん) | 狂言共同社
登場人物  盗人・家主
近年世間では盆山が大流行。男も所有はしているものの今一つ気に入った盆山がありません。また知り合いの主人は豪華な盆山をいくつも所有しているとの事。男は一計を案じて、その知人宅の屋敷へ夜な夜な忍び込み、好みの盆山を無断で拝借することに・・・。
盆山とは平たいお盆を下地にして、盆栽に似た鉢植えや箱庭のような物で情景を象ったものです。狂言の基礎的な演出(特徴)が多く取り入れられていることから、学校公演などで部分解説を交えながら上演する事もあります。

演目3 ?               男2名


演目4 小舞 雪山   女子2名


出演者挨拶


全員で「わっ はっ はっ はっ はっ はー」


演目5 寝音曲(ねおんぎょく)     男2名

寝音曲(ねおんぎょく)|能楽の淵
あらすじ:主人に謡を謡えといわれた太郎冠者は、酒を飲まないと声が出ないとか、妻の膝枕でなければ謡えないなどともったいをつけます。主人は太郎冠者に酒をふるまい、自分の膝に寝かせて謡わせます。主人が寝ていないと声が出ないという太郎冠者の体を起こすと、やはり声がかすれて出ません。しかし、何度も寝かしたり起こしたりしているうちに、太郎冠者が取り違えて、寝かせると声がかすれ、起こすと声が出、しまいには調子に乗って立って舞い始めてしまうのでした。

左が 大藏教義大藏流能楽師狂言方 

大藏流 - Wikipedia
狂言の流派のひとつ。猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える唯一の流派。大藏流の歴史は、流祖玄恵法印(1269-1350)。二世日吉彌兵衛から二十五世大藏彌右衛門虎久まで700年余続く。
猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える能楽狂言最古の流派で、代々金春座で狂言を務めた。大藏彌右衛門家が室町後期に創流した。
現在大藏家では二十四世の長男、二十五世宗家・大藏彌右衛門虎久(基嗣)と、その弟の吉次郎(基義)、彼らの子である『大藏三兄弟』、大藏彌太郎(虎久の長男)・大藏基誠(虎久の次男)・大藏教義(吉次郎の長男)。大藏康誠(基誠の長男)、大藏章照(千虎の長男)の7人が大藏の名を名乗り東京を中心に活躍している。


ノリノリ狂言生活|大藏教義(おおくら のりよし)
能楽師狂言方大藏流。誰が見ても面白い狂言は、人を幸せにできると信じています!!!モットーは、明るく楽しく元気よく!!プロフィールの詳細や公演情報は【大藏流吉次郎狂言会公式WEB】kichijirou-kyougenkai.jpをご覧ください☆


大藏流吉次郎狂言会
大藏教義  昭和56(1981)年生まれ。2世大藏吉次郎の長男。駒沢大学文学部歴史学科卒。
第24世宗家故大藏彌右衛門及び、父に師事。4才で『業平餅』の稚児役で初舞台を踏み、今日までに狂言における大曲・秘曲、「末廣がり」「千歳」「那須」「三番三」「釣狐」を披く。

各能楽堂での活動の他、日本全国での学校狂言や海外公演・飛鳥Ⅱ船上狂言など多数参加。 また狂言界の窓口を広げるためにも「狂言教室」を開講し、狂言の魅力を紹介。


指導者・人材情報 演劇・舞踊その2 | 川崎市生涯学習財団
大藏 教義 (オオクラ ノリヨシ/1981年生/男性)  指導内容【能・狂言】
基本は古典演劇に準ずる「狂言」と舞踊「小舞」を覚えて頂きます。
それぞれに発声と形があり、指導者が手本を見せ、真似ることから動きや作法、発声を身につけていきます。訓練により美しく表現することができるようになります。狂言は喜劇ですので、舞台で演じること、台詞を覚えること、また大声を出すこと事態がたくさんの良い影響を及ぼします。


2013.10/12 中野島稲荷神社奉納狂言 奉納レポ - ノリノリ狂言生活


17:20  神社前の道路は狭いため屋台と屋台の間を通り抜けるのが大変です


2023.10.8(日)曇時々雨
中野島稲荷神社例大祭 御神楽(国指定重要無形民俗文化財)


小雨模様でしたが昨日に続いて中野島稲荷神社例大祭へ出かけました。今日はお神楽と餅まきがあります。


18:30~ 開始の案内だったので少し前に行きました
雨が降っていたせいか幟は出ていません

境内には人がいっぱいいます


舞台の準備は整っているようです

今日の御神楽は4年前に稲城市の穴澤天神社で見たのと同じ山本社中でした
2019.8.25 小沢城址徹底散策&穴澤天神社大祭 - mesetaのブログ


昨日あった神楽殿前の御座はかたずけられていて、誰もいません


重要無形民俗文化財  江戸の里神楽山本社中  

江戸の里神楽|国指定文化財等データベース  重要無形民俗文化財  
指定年月日 : 1994.12.13(平成6.12.13)    東京都   保護団体名 : 若山社中,間宮社中,松本社中,山本社中
江戸の里神楽【さとかぐら】は、江戸時代から、神楽を専門に行う「神事舞太夫【しんじまいたゆう】」によって、随時、江戸や近隣の各地の神社祭礼で演じられてきたもので、その始まりは、江戸時代初期に伝わった鷲宮【わしのみや】神社(埼玉県)の「土師一流催馬楽神楽【はじいちりゆうさいばらかぐら】」とされる。文化文政期(一八〇四~三〇)に最も隆盛し、明治維新に際しその多くが四散したが、なお明治初期には江戸に三七家が存続した。その後さらに衰退し、現在、主要な社中として若山(台東区蔵前)、間宮(品川区東大井)、松本(荒川区西日暮里)、山本(東京都稲城市矢野口)の四社中が、それぞれ活動を継承している。
この里神楽は、一定の神社にのみ附属するものではなく、各地の神社の祭礼に、主として各神社の氏子などからの時々の依頼に応じて演じられてきたもので、近年、若山社中は、神田【かんだ】神社(千代田区)、浅草【あさくさ】神社(台東区)など三十数社の、間宮社中は品川神社(品川区)、奥沢【おくさわ】神社(世田谷区)など十数社、松本社中は日枝【ひえ】神社(千代田区)、湯島【ゆしま】神社(文京区)など二十数社、山本社中は穴澤天【あなざわてん】神社(稲城市)、大国魂【おおくにたま】神社(府中市)など十数社の、それぞれ例大祭などで、各神社の舞殿【まいでん】(神楽殿【かぐらでん】や神楽堂【かぐらどう】などともよばれる)で演じている。    


江戸の里神楽(山本頼信社中) | 神楽 | 日本伝統文化振興機構(JTCO)
山本頼信社中の「江戸の里神楽」は、初代の山本権律師弘信が室町時代初期の応安6年(1373年)に創始したといわれています。山本家の近くにあった国安神杜で神楽を舞ったのが始まりと言われ、『江戸名所図会』(天保7年刊)には、国安神社と仮殿・社人の建物が描かれ、この仮殿として描かれた建物が、祈祷殿としての機能をもち、諸事の祈祷や神楽を舞う場所として使われたのではないかと考えられます。
山本家には江戸時代中期の写本と思われる『神事式名録』という神楽の台本のほかに、明和6年(1769年)に記された『岩井神杜鈴森御神楽格式』という古文書(神楽の演目と持ち物・形相を記載)など数々の資料が残っています。これらの資料により、江戸時代から現在に至るまで里神楽が綿々と受け継がれてきたことがわかります。また江戸時代中期頃で50座の里神楽が演じられていたことが記録されています。


江戸の里神楽(さとかぐら)|稲城市
稲城の江戸の里神楽:山本頼信(やまもとよりのぶ)社中の江戸の里神楽は、初代の山本権律師弘信(やまもとごんりつしひろのぶ)が室町時代初期の応安(おうあん)6年(1373年)に創始したといわれ、現在の家元山本頼信氏は十九代に当たります。山本家の近くにあった国安神杜(くにやすじんじゃ)で神楽を舞ったのが始まりと言われ、『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』(天保(てんぽう)7年刊)には、国安神社と仮殿(かりでん)・社人(しゃじん)の建物が描かれ、この仮殿として描かれた建物が、祈祷殿(きとうでん)としての機能をもち、諸事の祈祷や神楽を舞う場所として使われたのではないかと考えられます。
山本家には江戸時代中期の写本と思われる『神事式名録(しんじしきめいろく)』という神楽の台本のほかに、明和(めいわ)6年(1769年)に記された『岩井神杜鈴森御神楽格式(いわいじんじゃすずがもりおかぐらかくしき)』という古文書(こもんじょ)(神楽の演目と持ち物・形相(ぎょうそう)を記載)など数々の資料が残っています。これらの資料により、江戸時代から現在に至るまで里神楽が綿々と受け継がれてきたことがわかります。また江戸時代中期頃で50座の里神楽が演じられていたことが記録されています。


予定の18:30が過ぎても始まる様子がありません
どうやら予定を変更して最初の演目は18:00から始められ、現在休憩中ということが隣にいた人同士の会話で分りました
しかし、変更になったことも、いつ始まるかもアナウンスは一切ありません
雨もあたっているので、中止になるのではないかと不安になりました


18:57  待つこと30分、お囃子の人達が出てきました


19:09  ようやく歌舞伎の花道のようなところから演者が登場してきました


演目1  八幡山  
八幡山 : AmanoSagume
仲哀天皇の崩御を受けて、妃の神功皇后(息長垂比売)が夫に代わり三韓征伐へと向かう。その出陣の一場面です。神功皇后は家臣の武内宿禰を呼び寄せ出陣の準備を致します。
江戸流と大きく異なる点として、弓の舞は武内宿禰が舞います。連舞もなく、かわって陣固めの舞が含まれます。 江戸流が戦で指揮を振るう演出なのに対して、山本社中では戦の準備を整える演出となっています。


神功皇后(息長垂比売)(おきながたらしひめのみこと)

神功皇后 戦国武将を支えた女剣士/ホームメイト
神功皇后は、日本武尊(やまとたけるのみこと、以後ヤマトタケル)の第2子・14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で、15代応神天皇(おうじんてんのう)の母とされる人物。神と交感する能力を持つ巫女的な女性であったとされ、神功皇后についてのエピソードは、どれも非常に神がかっています。


武内宿禰(たけのうちのすくね) 登場

武内宿禰(たけしのうちのすくね)の姿と伝承|ご利益・神社
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の各天皇に仕えたとされる忠臣。実に三百六十歳という長寿を誇る伝説的な存在の神さまです。延命長寿や武運長久の神、宰相の神として崇敬されています。


19:42  花道を下がっていきます


ここで休憩になりました


20:08  次の演目のお囃子が舞台に登場
それまでガラガラだった舞台前はいつのまにかいっぱいになりました

恐らくこの後の「餅まき」が近づいてきたからだと思われます


演目2  勧進の舞  


20:10  演者登場


20:21  演じている途中に係の人が出てきて時間になった旨告げました


この後役員紹介があり、いよいよ「餅まき」が始まりました


みんな必死になって手を伸ばしてお餅をつかもうとしています
こっちにこないかなあと待っていたところ、丁度いい具合にお餅が飛んできました

ゲットした「お餅」


写真を撮るのを忘れるほど夢中になってしまいました


20:26  全てまき終わり、お開きです



2023 中野島稲荷神社例大祭 10.7大蔵流狂言 10.8御神楽 の感想
中野島稲荷神社の前は通勤で毎日通っていました。夜神楽殿に電気が灯り、子供たちの練習する声を何度も聞いています。きっと、今日見た大蔵流狂言の練習だったと思います。
例大祭の日は屋台で道が狭くなり、まともに歩けないため余り良い印象はなく狂言・御神楽も初めて見ました。
ポスターに御神楽(国指定重要無形民俗文化財)とあり興味を引かれたのです。まさか穴澤天神社で4年前に見たのと同じ江戸の里神楽山本社中だとは思いませんでした。翌年穴澤天神社例大祭へ行ったところ、新型コロナの影響により見られなかったのです。
中野島稲荷神社例大祭も久しぶりの開催で、活気を取り戻していました。狂言にしろ御神楽にしろ、伝統芸能の継承に地元の人達が協力し合っていることは素晴らしいことだと感じました。


以上です。