mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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2019.11.6 生田に残る水と緑を求めて 小田急沿線自然ふれあい歩道1-15

2019.11.6 水 向ヶ丘遊園駅(日向山) 6.5km 晴
ルート:向ヶ丘遊園駅~①善立寺~②登戸稲荷社~③丸山教~④長念寺~⑤二ヶ領用水(新川)~⑥紺屋前の堰~⑦多摩川梨 橋本橋~⑧明王山不動院真福寺~⑨東生田緑地~⑩根岸古墳群~向ヶ丘遊園駅


今日は快晴です、雲一つありません。絶好のウォーキング日和です。このコースは年何回か来る日向山を通ります。


1-15 生田に残る水と緑を求めて
向ヶ丘遊園駅(日向山)コース|小田急沿線自然ふれあい歩道|小田急電鉄
このコースは、多摩川と二ヶ領用水沿いにある社寺や水際を散策し、この地域の歴史や自然にふれながら、多摩丘陵の代表的な緑地の東生田緑地を目指すコースです。登戸のトは土地、ところを意味し、この土地がちょうど多摩川の平地から多摩丘陵へ登るところに位置しているのでこの地名が付いたといわれています。ここは江戸から津久井へ向かう津久井往還の一つにあたり、津久井の絹や黒川の炭、禅寺丸柿を運ぶ商人でにぎわい、多摩川の渡しの存在によりいろいろな産業が発展した土地でもありました。このコースでは、このような土地柄において、各時代に繰り広げられた人々の活発な生産活動の歴史と痕跡を垣間見ることができます。画期的な二ヶ領用水の開拓とそれを巡る水争いの記録、多摩川梨の開発による生産拡大の歴史。野鳥や昆虫など多様な生物のすみかとして重要な緑地となっている東生田緑地も江戸幕府の鷹場として利用されていました。


コースマップ

9:03  向ヶ丘遊園駅、スタートしました


9:08  ①善立寺 参道

847年、慈覚大使円仁(じかくだいしえんにん)が天に登り飛竜となった女性の勧めにより建立したのが始まりです。参道脇には「用悪水出入一件」の記録に残る、二ヶ領用水の分配争いの調停に奔走した井上弥兵衛が建てた妻の供養塔が建てられています。


日蓮宗寺院の善立寺は、龍燈山と号します。善立寺の創建年代は不詳ながら、天台宗寺院として慈覚大師が創建したと伝えられるといいます。日成(天正4年1576年寂)が日蓮宗寺院として開山、不受不施派に対する禁制により廃寺となったものの、日徳が再興したといいます。多摩川三十三ヶ所観音霊場9番です。


善立寺七面堂


善立寺三十番神堂


三十番神の由来


9:17  五社乃宮


川崎市多摩区登戸のJR南武線近くに五社乃宮が鎮座している。傍らに建つ「五社の宮碑」によれば、妙見大菩薩、大国尊天神、鬼子母尊神、三十番善神、毘沙門尊天である。


9:19  ②登戸稲荷社

登戸村の鎮守であり、宇賀の神が祭られています。数回の洪水にあい、社地を現在地に移したのは三代将軍徳川家光のころと文献に記されています。外壁と内法長押上の小壁に、しっくいによる龍やキツネなどのコテ絵が描かれています。


登戸稲荷社の創建年代については不詳ながら、武田家の家臣吉沢兵庫が当地で帰農の際に邸内鎮守として草創、登戸村小名東耕地の鎮守だったといいます。


9:26  光明院 カラフルなお寺です


稲荷山光明院は、もと王禅寺(おうぜんじ)(麻生区)の末寺で、大日如来を本尊とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院です。江戸時代に何度か火災に見舞われ古記録などは焼失してしまいましたが、寺伝では室町時代後期に源空法印によって開かれたと伝えられています。


仁王門の裏にはなぜか象がいます

光明院 太子堂

光明院 太子堂の由来


9:33    ③丸山教 です

境内には親交のあった北原白秋作詞の「多摩川音頭」の詩碑があるほか、その中でうたわれている「六尺藤」が今なお見事な花を咲かせます。このフジは、クスノキの大径木とともに川崎市「まちの樹50選」に選ばれています。

明治19年(1886)、登戸村に丸山教本庁がおかれました。
丸山教は、明治3年(1870)登戸村の農民であった伊藤六郎兵衛を教祖として、富士講の一派である丸山講を背景として興った、世直し的性格のつよい新興宗教です。


左は丸山幼稚園、園児の安全管理のため保育中は柵を閉めているそうです

中へは入りませんでした


9:43  ④長念寺 に着きました

1522年に法専大徳という僧によって創建された木像阿弥陀如来を本尊とする寺院です。山門は総ケヤキ造、四脚門で彫刻を多用し幕末期の特徴をよく示しており、本堂と庫裏とともに市の歴史記念物として指定文化財となっています。


浄土真宗本願寺派 永池山  長念寺:1522年(大永2年)法専坊によって当地に草庵が築かれたことに始まる。当初真言宗の寺院であったとの記録がある。山号は、開基の年に因んで「大永山」と名付けられたが、その後、「永池山」と改称された。

長念寺 山門の彫刻


9:53  ⑤二ヶ領用水(新川)に出て右折します

小泉次大夫の尽力により1611年に完成した、全長32㎞に及ぶ多摩川水系最古の農業用水路です。水は上河原取入れ口から取水され、石を詰めた竹製の籠を並べてせきにする構造でした。川沿いにはミクリが生育しています。


9:58  台和橋


水は濁っていますが魚が泳いでいました


台和橋の欄干にある小泉次太夫の顔を彫ったレリーフ


10:02  ⑥紺屋前の堰

二ヶ領用水沿いに「紺屋前の堰」の記念碑があります。上河原取入れ口から取り入れた水をいくつもの堀に分けて、登戸一帯の耕地を潤していたせきです。前に染物屋(紺屋)があったことが、このせきの名前に由来しているそうです。



川辺に下りました


コースマップに書かれているようにカルガモがいました


橋本橋が見えてきました


10:17  ⑦多摩川梨 橋本橋 を渡り、対岸を折り返します

春には、白い花が一面に広がる梨畑があちこちに点在しています。江戸時代に美濃(岐阜)や下総(千葉県北部、茨城県南西部)から移植されたのが始まりといわれ、1893年に長十郎梨が発見され、一層盛んになりました。


橋本橋の脇にある道標:土淵ヲ経テ髙石柿生村方面


多摩川梨の畑、河原を歩いたため見ることができず、対岸から撮りました


台和橋に戻ってきました


府中街道 明王交差点を横切ります


10:39  ⑧明王山不動院真福寺

1639~1669年ごろの開山といわれ、一度荒廃しましたが、その後1897年に再建し、1972年にも一部が改修され現在に至っています。背後にあるシラカシの社寺林は、荘厳な雰囲気を漂わせています。


10:42  東生田緑地入口です

クヌギ、コナラなどの雑木林やマツ、竹林といった貴重な緑が残り、多様な動植物のすみかとなっています。「多摩区市民健康の森」や「日向山(ひなたやま)の森」とも呼ばれており、区民の手によりきれいに整備されています。


タヌキ出没 注意!


10:53  ⑨東生田緑地 日向山山頂


10:57  根岸神社、かわいらしい祠です


11:01  根岸稲荷歩道橋を渡ります


11:03  三峰神社


11:06  ⑩根岸古墳群 と書かれた木柱は朽ちていました

三峰神社を過ぎた竹林内の散策路から見える五つの根岸古墳群は、7世紀後半から8世紀にかけて築かれた古墳と推定されています。また、古墳の周囲にある竹林は生田榎戸緑地保全地区に指定されています。


11:13  津久井道へ出ました


11:18  五反田川の松本橋を渡ります


小田急線踏切を通り左折します


11:29  向ヶ丘遊園駅、ゴールしました


コースタイム:1-15 生田に残る水と緑を求めて

経由地・日付・天気 距離 累計 総h 所要h 見学h 着t 発t
向ヶ丘遊園駅        0m  0:00    9:03
①善立寺  0:08  0:05  0:03    9:08    9:11
②登戸稲荷社  0:19  0:08  0:03    9:19    9:22
③丸山教(光明院経由)  0:31  0:04  0:08    9:26    9:34
④長念寺  1620m  1620m  0:44  0:09  0:04    9:43    9:47
⑤二ヶ領用水(新川)  0:50  0:06  0:00    9:53    9:53
⑥紺屋前の堰  1:00  0:09  0:01  10:02  10:03
⑦多摩川梨 橋本橋  1370m  2990m  1:14  0:14  0:00  10:17  10:17
⑧明王山不動院真福寺  1:37  0:22  0:01  10:39  10:40
⑨東生田緑地(日向山)  1710m  4700m  1:51  0:13  0:01  10:53  10:54
⑩根岸古墳群    450m  5150m  2:03  0:12  0:00  11:06  11:06 
向ヶ丘遊園駅  1350m  6500m  2:26  0:23  11:29 
コース1-16
2019/11/6(水) 晴  6500m  2:26   2:05  0:21


1-15 向ヶ丘遊園駅(日向山)の感想
今回も地元に近いコースです。よく通る道でも神社やお寺の中に入ることはめったにありません。善立寺、登戸稲荷社、光明院、長念寺などは前回歩いた時にも来ていますが、ほとんど素通りでした。中へ入り由緒や文化財の説明を読んでいると、しみじみ歴史を感じます。また、何気なく通っている台和橋の欄干に、小泉次太夫の顔を彫ったレリーフがあるということに気がつきませんでした。次太夫の名前は10コース目に次大夫堀公園があり、六郷用水を完成させた人として記憶していました。なんと川崎の二ヶ領用水も手がけていたとは驚きです。しかもレリーフには「川崎の育ての親 二ヶ領用水 二ヶ領用水は『次太夫堀』とも呼ばれ慶長16年(1611年)に完成しました」と書かれています。何せ徳川家康の命を受け1597年59歳の時に開削に着手したというのですから、これまた驚きです。
次太夫は64歳の時に稲毛・川崎の代官に任命、74歳に退官しましたが、77歳で復帰、81歳に辞して85歳で亡くなったそうです。
<参考>
多摩川の用水奉行 小泉次太夫吉次 | 国土交通省 関東地方整備局


以上です。
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