中野区07 青梅街道~中野新橋コース(上級) TOKYO Walking Map 2024.4.11
2024.4.11(木)晴 7.2km→8.0km
ルート:東中野駅西口→中野氷川神社→<東部区民地域活動センター>→宝仙寺→多田神社→正蔵院→中野新橋駅
コース05のゴール新井薬師前駅から西武新宿線に乗り、4つ目の鷺ノ宮駅で降りました。
トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト
中野区07 青梅街道~中野新橋コース(上級)
最寄駅:東中野駅(JR)東中野駅(都営地下鉄)東中野駅西口(関東バス)東中野駅西口(西武バス) 所要時間:1時間48分 距離:7.2km 消費カロリー:324kcal 歩数:10290歩
8:53 東中野駅西口 スタートしました
駅前信号 左折 山手通りへ
9:02 中野氷川神社
旧中野村の総鎮守で、創建は長元3年(1030年)、 武蔵一宮である大宮氷川神社から勧請したのが起源と伝わります。境内には力石や7〜800年前の作といわれる狛犬など区指定の文化財が多く、毎年9月に行われる例大祭は区内最大級の規模です。
氷川神社【おひかわさま】 - 東京都神社庁
当社は、長元三年(1030年)後一条天皇の御宇、源頼信公が平忠常征討の際、武蔵国一宮大宮氷川神社より勧請したもので、旧中野村の総鎮守社である。
中野氷川神社 神楽殿
中野氷川神社 塩竃神社
中野氷川神社 御獄神社
宮下交差点 右折
コースルートは桃園川緑道へ入るのですが、中野区ウォーキングマップをもらうため寄り道します
9:12 <東部区民地域活動センター>
受付で話したら目の前のカウンターの上に置いてありました
桃園川緑道に入りコースに戻ります
桃園川緑道 塔の下橋跡
桃園川緑道 東雲橋跡 とその先 宮前橋跡
桃園川緑道 宝仙橋跡 左折
実践学園中学校・高等学校
宝仙学園
犬坂
profile/犬坂
江戸時代,将軍が遊猟した際に,猟犬が野犬に襲われることがあるため,野犬狩りをして現在の犬坂下あたりに拘束していたことに因む。(「東京の坂風情」による)
狭い路地をいくつか曲ります
9:28 宝仙寺 山門(仁王門) 阿・吽一対の仁王像が納められた山門。
中野区でも屈指の広大な寺院です。歴史は古く、平安後期の寛治年間(1087~1094年)源義家によって創建されました。寺院の中には忿怒形相の阿吽の仁王が立つ山門や、中野村名主堀江家の墓所、中野町役場跡など文化財が多くあります。
宝仙寺 本堂 鎌倉期の不動明王を中心に五大明王像が安置されている。
宝仙寺|真言宗豊山派(明王山 聖無動院)
『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されました。
宝仙寺 鐘楼 平成28年11月再建された鐘楼
中野町役場跡碑 明治28年から昭和の初期まで中野町役場が、また区役所が境内に置かれた。
宝仙寺 石臼塚 供養のため噴水として積み上げた石臼、頂上のものは昔し甘酒をすったもの。
宝仙寺 三重塔 再建された飛鳥様式の純木造建築の塔。
宝仙寺 御影堂 弘法大師の尊像が安置されているお堂。
宝仙寺 堀江家の墓所
宝仙寺 六地蔵と引導地蔵尊坐像(見送り地蔵) めずらしい見送り地蔵と六地蔵が並ぶ。
宝仙寺 大師堂
宝仙寺 を出ます
宝仙寺前交差点 右折 青梅街道へ
慈眼寺
鍋屋横丁交差点 左折 鍋屋横丁通りへ
十貫坂上交差点 左折 中野通りへ
中野区立本五ふれあい公園
本五ふれあい公園 木にはしごをかけ 鯉のぼりを吊り下げる準備をしていました
壽橋(神田川)
東京都立富士高等学校 ・附属中学校
五差路 信号 斜めに右折
みなみらいず 中野区南部スポーツ・コミュニティプラザ
急な下り坂を下り 信号 左折
東京メトロ中野検車区
信号渡り 右折
横断歩道橋先 左折
突当り 左折 国府道へ
寶福寺
10:35 多田神社
寛治6年(1092年)、源義家が大宮八幡宮(杉並区)に参詣した際、先祖多田満仲を奉祀したことに始まるといわれています。現在の南台地域は、かつては雑色と呼ばれており、多田神社は雑色村の鎮守として崇められ、現在に至っています。
多田神社 | 多田満仲公をお祀りしている神社
源満仲公の威力は関東に及び、特に雑色村の文化向上に尽くされた事蹟は尠少ではない。仍って時の里人の敬慕浅からぬものがあった。その第2子は歴史上著名な頼光公であり、第4子頼信公は平忠常を討ち関東を平定した。続いて頼義、義家の父子二公は前九年後三年の両役に大軍を率いて、奥羽の地に赴きその凱旋の帰途、寛治6年(1092年)祈願達成の報賽として大宮八幡宮に神鏡を献じ、別当宝仙寺を建立すると共に大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の地である当地に日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられてきたということが「武蔵名勝図会」に記されている。
多田神社 榛名神社・御嶽神社・阿夫利神社
多田神社 を出ました
南台三丁目公園
左折
南台商店街
南台三丁目交差点 直進
信号 左折 柳通りへ
南台いちょう公園 草地広場ゾーン
南台いちょう公園 運動広場ゾーン
当然北側の出口から出られると思ったら、出口がふさがれていました
仕方なく入ってきた南側に戻ります
出入りが出来ないのなら、案内図にその旨記載すべきです
改めて見直ししましたが何の説明もありません
原因は歩道が片側しかないためだと思われますが、不親切です
東大付属前交差点 左折 右に東京大学教育学部附属中等教育学校があります
栄町公園
通り抜けて 右折後すぐ左折
柳通りへ
川島通り入口交差点先 左折 正蔵院へ行ってここへ戻ってきます
正蔵院川嶋地蔵堂
正蔵院|中野区弥生町にある真言宗豊山派寺院
中央の地蔵尊は享保10年(1725)に建てられたもので、正面の台石には「川嶋村内の善男善女が一人も欠けず皆でこれを建てた」と刻まれています。
両脇の六地蔵は宝暦7年(1757)田口平四郎の妻が願主となり、川嶋村地蔵講中で建てたものです。
11:19 正蔵院
川住行教の墓所。境内には桜の木が植えられており、桜の季節の参拝がおすすめです。
正蔵院 | 中野区寺院仏事ガイド
当寺は圓通山・正蔵院・海章寺と号し、天文元年(1532年)法印賢盛によって開創された。真言宗豊山派に属し、以前は宝仙寺の末寺であった。また、明治の神仏分離以前は神明氷川神社の別当をつとめていた。境内には、享保10年(1725年)当時の川島村の人々が皆で建立した背の高い石の六地蔵尊があり、川島地蔵として知られている。
正蔵院 川住行教の墓所
当寺の墓地に川住行教の墓所があります。角柱杉の墓石に「真照院良誉行教」とあるのがそれです。行教は文政8年(1825)三河国西尾藩(現、愛知県西尾市)に生まれ、のち、藩主松平乗全、乗秋の二代に仕えました。江戸時代の末、幕府非常の際、乗全が老中の重職命ぜられ江戸に下ったおり、行教もこれに随行し万延元年(1860)3月井伊大老の暗殺事件がおき、乗全がその責を負い老中の職を辞して西尾藩に退いたとき、行教もまた帰藩しました。のち乗秋に仕えて大いに藩の改革につとめました。明治維新、新政府に選ばれて三河国の大参事に抜擢され、その名声は高かったと伝えられています。
川島通り入口交差点に戻り 左折してすぐ左折
中野区立コスモ君広場
川島商店街
向台子育地蔵尊
向台子育地蔵尊(中野区弥生町): ぼのぼのぶろぐ
この子育地蔵は、寛政8年(1796)に旧本郷村の念仏講の人々が、子供と旅人の安全を祈願して造立し、台座には「三界万霊本郷村念仏講中 右ぞうしき道 左はたがや道」とある。 地蔵信仰は中世から庶民の間に広がり、江戸時代にピークを迎えた。向台子育地蔵尊は現在まで地元のコミュニティの要になっている。
左折
左折
清春湯 直進しました
紙のコースマップではここを右折していますが、webマップでは直進となっています
右折して 柳通りへ
弥生町二丁目交差点 左折
11:45 中野新橋駅 ゴールしました
Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 7.2km→8.0km
中野区07 青梅街道~中野新橋コース(上級) のコースタイム
経由地 | 距離km | 見学km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東中野駅西口 | 0.0km | 0:00 | 8:53 | |||||
中野氷川神社 | 0.5km | 0.1km | 0.6km | 0:14 | 0:09 | 0:05 | 9:02 | 9:07 |
<東部区民地域活動センター> | 0.3km | 0.0km | 0.9km | 0:21 | 0:05 | 0:02 | 9:12 | 9:14 |
宝仙寺 | 0.7km | 0.2km | 1.8km | 0:44 | 0:14 | 0:09 | 9:28 | 9:37 |
多田神社 | 3.0km | 0.1km | 4.9km | 1:46 | 0:58 | 0:04 | 10:35 | 10:39 |
正蔵院 | 1.8km | 0.0km | 6.7km | 2:28 | 0:40 | 0:02 | 11:19 | 11:21 |
中野新橋駅 | 1.3km | 8.0km | 2:52 | 0:24 | 11:45 | |||
コース06へ | ||||||||
2024/04/11(木)晴 | 7.6km | 0.4km | 8.0km | 2:52 | 2:30 | 0:22 |
中野区07 青梅街道~中野新橋コース(上級) の感想
宝仙寺は一年前の2023年4月27日に「新宿区13 東京まちさんぽ2017.1.28コース」で訪れて以来です。それ以外は初めてのところでした。
南台いちょう公園は草地広場ゾーンと運動広場ゾーンに分かれた立派な公園で、南側入口近くと草地広場ゾーン前に公園案内図があります。そこには出入口マークが何ヶ所か描かれています。北側の運動広場ゾーンのマークめがけて進んだところ、なんと「危険!ここからの出入り禁止」の張り紙があり、ロープで塞がれていました。そういうことなら案内図にその旨記載するべきだと強く感じました。その間の距離は220m、所要時間約6分です。
これまで2週連続土曜日だったためもらえなかった「中野区ウォーキングマップ」を東部区民地域活動センターでようやく入手しました。2023年7月発行となっていますが、東京都保健医療局サイトの2018年3月に発行されたものと全く変っていないようです。区役所のホームページリンク先には2019年7月発行のマップがありますが、これも同様です。本来なら「2018年3月初版発行20XX年X月増刷」とするべきだと思いました。
以上です。
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朝日が丘公園~南部スポーツ 東中野~上高田
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