大田区09 銀幕スターの街/梅屋敷駅から蒲田を歩く TOKYO Walking Map 2024.1.31
2024.1.31(水) 3.9km→4.5km
ルート:梅屋敷駅→鶴渡公園→妙典寺→薭田神社→椿神社→聖蹟蒲田梅屋敷公園→北野神社→夫婦橋親水公園→弾正橋→妙安寺・蒲田八幡神社→京浜蒲田公園→松竹橋(アロマスクエア)→JR 蒲田駅
コース02のゴール平和島駅から京急本線に乗り、2つ目の梅屋敷で降りました。
トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト
大田区09 銀幕スターの街/梅屋敷駅から蒲田を歩く
南北に第一京浜・京急・JR・第二京浜、東西に環八・東急が通っている蒲田地域は、大田区の中心地域の1つです。かつて「流行は蒲田から」と言われ、多くの映画スターやヒット作がこの地で生まれました。賑やかな商業地区、閑静な住宅街そして史跡と様々な雰囲気が融合するまち並みを、ゆっくり満喫してみませんか。
最寄駅:梅屋敷駅(京急電鉄) 梅屋敷(京浜急行バス) 所要時間:約59(56)分 距離:約3.9km 消費カロリー:約176kcal 歩数:約5570歩
13:36 梅屋敷駅 出入口2 スタートしました
京急本線に沿って進み
左折
13:44 鶴渡公園 中へ入ります
大田区ホームページ:鶴渡公園
中央に円形の水の広場があり、鶴の形をしたモニュメントが噴水となっています。この水の広場では夏水遊びもできます。また、多目的広場には子供たちに人気のある弓型をしたシーソーがあります。
梅屋敷通りに出て 左折
ぷらもーる梅屋敷 右折
右折
13:51 妙典寺
管内寺院紹介 | 日蓮宗東京都南部宗務所
創立年代不明。開山二位僧都日饒。もと天台宗で妙田寺と称したが、開山が日蓮宗に改宗し、以後妙典寺となる。戦災で焼失。柳島鈴木戒秀師、万治元年造の祖師像をおさめる。昭和27年本堂再建、庫裡は昭和29年再建、客殿は昭和46年建立。客殿・庫裡の一大改修工事が平成9年完成、山門を平成11年新築、寺観一新する。
妙典寺 浄行菩薩
左折
蒲田二丁目児童公園
右折
14:01 薭田神社
寛政12年(1800年)に北蒲田村の氏子によって寄進。区内の石鳥居の中で古いものの一つです。
薭田神社 - 蒲田八幡神社へようこそ
延喜式内社の「薭田神社」として、当社が正史にあらわれるのは貞観6年(864年)ということになりますが、社伝によると更に歴史は古く、次のように伝わっています。和銅2年(709年)、僧行基が天照・八幡・春日の三体神を造り、本社に安置しました。その後、弘安5年(1282年)に日蓮が池上宗仲の邸に入ったとき、村民の要請で、この三体は日蓮によって開眼されたといいます。
薭田神社 稲荷神社
薭田神社 薬祖神社
薭田神社 三十番神社
薭田神社 天祖神社
薭田神社 山野神社合祀碑
来た道を戻ります
日蓮宗 圓頓寺
14:09 椿神社
昔から咳止めに効く神社として知られ、お参りの際は線香をお供えするという神仏混交の珍しい風習があります。
椿神社 - 蒲田八幡神社へようこそ
創祀は不祥ですが、百日咳の治癒に御神験あらたかなりとして、古くより土地の人の信仰の厚い神社です。猿田彦命は道案内の神であり、道陸神と言われ、道祖神(塞の神・障の神)と習合して村の境を守る関の神となり、更に咳の神と信仰されるようになったものと思われます。
京急本線を越えます
大田区総合体育館交差点 右折 第一京浜へ
14:13 聖蹟蒲田梅屋敷公園 明治天皇行幸所 蒲田梅屋敷碑
文政年間(1818から1830年)和中散という道中常備薬を商う山本久三郎によって開かれ、明治以降も梅の名所として有名でした。現在の公園はその一部です。
大田区総合体育館
信号 左折
キネマ通りを横切ります
街てく。 | 今日も、ぶらっと商店街 — キネマ通り商店会
蒲田はかつて映画の街であった。大正時代から戦前にかけて松竹の蒲田撮影所があり、僕が子供の頃は、松竹、東映、東宝、大映、日活の各封切館と名画座など、憶えているだけでも8、9件の映画館があった。
天神橋(吞川) 渡って右折
14:31 北野神社
北野神社 - 蒲田八幡神社へようこそ
寛文元年(1661年)に杉原重右衛門の邸宅に諏訪神社を奉斎しました。呑川の洪水によって、池上の麓の天神山の森から、矢口村に祀られる天神様の御神体は度々流されて、北蒲田新宿南の杉原重右衛門宅前に留まることが再三にわたり、その都度天神森にお返ししましたが、七度目にいたり、嘉永2年(1849年)矢口村と交渉して、当地杉原家地内諏訪神社の傍らに社を建てて安置しました。
北野神社 末社 稲荷神社
吞川に沿って進みます
14:37 夫婦橋親水公園 工事中で通り抜けできませんでした
現在の夫婦橋は昭和58年(1983年)に新しく架け替えられたものですが、 昔の夫婦橋の親柱が公園内に保存されています。春は桜、秋はイチョウが楽しめます。
夫婦橋交差点(第一京浜) 見えるのは京急蒲田駅
コースマップのルートではここを右折後夫婦橋を渡り呑川に沿って進み、弾正橋を渡って京急蒲田駅西口に向うようになっています⇦ところがそんな道はありません
webルートではこの信号を渡り直進して京急本線をくぐり、京急蒲田駅西口に出るようになっています⇦ところが写真のように工事中の塀で通ることができません
仕方なく信号を渡りすぐ左折しました
弾正橋 上記理由で不通過
京急蒲田駅 東口
京急蒲田駅前交差点 右折
14:53 妙安寺・蒲田八幡神社
妙安寺
妙安寺|管内寺院紹介 | 日蓮宗東京都南部宗務所
小田原北条氏の有力家臣弾正ゆかりの寺院である。『新編武蔵風土記』や寺伝等によると、永禄年間(1558~70)に地頭行方修理亮義安が戦死したのち、その側室円光院殿妙安日行大姉が兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのが当寺の始まりと伝える。
妙安寺 七面堂
蒲田八幡神社
トップページ - 蒲田八幡神社へようこそ
当社の創祀は不詳ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われます。この地は多摩川の河口に当たり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、都からの文化の伝播はもっとも早く、関東における文化の先進地でありました。したがって、縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。
蒲田八幡神社 境内末社 天祖神社
国民崇敬の精神的中心として仰がれる天照大御神は、日本人の心のふる里である伊勢神宮を総本宮として、全国一万八千社の御分社が天祖神社、または神明社となって各地に鎮座されています。
14:59 京浜蒲田公園
左折後 信号 右折
蒲田東口商店街 左折 さかさ川通りへ
さかさ川通り 噴水広場
15:12 松竹橋(アロマスクエア)
蒲田撮影所の跡地に建ったアロマスクエアの敷地内に、映画『キネマの天地』で使用された松竹橋の再現が残されています。
ここで「松竹橋の再現」を探しましたが分りませんでした
建物に向って右側で、植え込みが邪魔して見えなかったようです
ストリートビュー 松竹橋の再現
蒲田駅東口交差点 右折
15:18 JR 蒲田駅 ゴールしました
Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 3.9km→4.5km
大田区09 銀幕スターの街/梅屋敷駅から蒲田を歩く のコースタイム
経由地 | 距離km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|
梅屋敷駅 | 0.0km | 0:00 | 13:36 | ||||
鶴渡公園 | 0.5km | 0.5km | 0:08 | 0:08 | 0:00 | 13:44 | 13:44 |
妙典寺 | 0.3km | 0.8km | 0:16 | 0:07 | 0:01 | 13:51 | 13:52 |
薭田神社 | 0.5km | 1.3km | 0:29 | 0:09 | 0:04 | 14:01 | 14:05 |
椿神社 | 0.3km | 1.6km | 0:34 | 0:04 | 0:01 | 14:09 | 14:10 |
聖蹟蒲田梅屋敷公園 | 0.2km | 1.8km | 0:39 | 0:03 | 0:02 | 14:13 | 14:15 |
北野神社 | 0.8km | 2.6km | 0:56 | 0:16 | 0:01 | 14:31 | 14:32 |
夫婦橋親水公園 | 0.2km | 2.8km | 1:02 | 0:03 | 0:03 | 14:35 | 14:38 |
弾正橋←道がなく不通過 | 2.8km | ||||||
妙安寺・蒲田八幡神社 | 0.5km | 3.3km | 1:10 | 0:15 | 0:08 | 14:53 | 15:01 |
京浜蒲田公園 | 0.2km | 3.5km | 1:11 | 0:01 | 0:00 | 15:02 | 15:02 |
松竹橋(アロマスクエア) | 0.7km | 4.2km | 1:24 | 0:10 | 0:03 | 15:12 | 15:15 |
JR 蒲田駅 | 0.3km | 4.5km | 1:27 | 0:03 | 15:18 | ||
2024/01/31(水)晴 | 4.5km | 1:42 | 1:19 | 0:23 |
大田区09 銀幕スターの街/梅屋敷駅から蒲田を歩く の感想
梅屋敷というと江東区コース01で行った「亀戸梅屋敷」が思い浮かびます。亀戸梅屋敷は江戸時代の呉服商・伊勢屋彦右衛門別荘「清香庵」の庭に見事な梅の木々があり、水戸光圀や徳川吉宗が訪れ浮世絵の題材にもなっているとのことでした。
一方、蒲田梅屋敷は江戸時代に和中散(道中の常備薬)の売薬所の敷地3000坪に梅の木数百本と花木を植え東海道の休み茶屋を作ったことに始まり、明治時代には明治天皇が気に入られ5度も通ったということです。どちらも将軍や天皇に由来している恐れ多い場所でした。
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