mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

大田区04 東京の100景/田園調布駅から多摩川台公園 TOKYO Walking Map 2021.2.8

2024.2.8(木)晴  3.8km→4.6km
ルート:田園調布駅西口→銀杏並木→宝来公園→秋葉の黒松→多摩川台公園→亀甲山古墳→浅間神社→区内最古のトンネル→六郷用水遊歩道→沼部駅


コース05のゴール武蔵新田駅から東急多摩川線に乗り、4つ目の多摩川駅で東急目黒線に乗換え1つ目の田園調布駅に着きました。


田園調布駅西口  


旧田園調布駅駅舎  改札を出て左側


噴水池  

田園調布の由来 

大田区ホームページ:田園調布
田園調布の住宅街は、渋沢栄一の計画により、大正7年(1918年)から建設された、日本で最初の住宅専用市街地です。駅東側は、主に商業地域として、また西側は、住宅地として分譲されました。特に西側は駅を中心に放射状道路と同心円状道路が設定され、街灯、街路樹、上下水道などが配置されました。また敷地と家屋の面積の割合、道路や隣家との間は生け垣を用いるなど、まちなみに自然との調和や、景観を保つための配慮がなされました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

大田区04 東京の100景/田園調布駅から多摩川台公園
田園調布は、豊かな自然と閑静な住宅街が調和した美しい景観のまちです。駅前から放射状に植えられた銀杏並木は、秋になると黄金色に輝き、実に見事です。この田園調布のまち並みは、国土交通省の「都市景観100 選」にも選ばれています。また全国的に有名になった「桜坂」がある地域です。自然に囲まれた道を歩きながら、気持ちの良い汗を流しましょう。
最寄駅:田園調布駅(東急電鉄) 田園調布駅(東急バス) 所要時間:約57(65)分 距離:約3.8km 消費カロリー:約171kcal 歩数:約5400歩


11:51  田園調布駅西口 噴水池前  スタートしました 

放射線状になった道の斜め左側


なだらかな上り坂の銀杏並木を進みます


突当りに宝来公園が見えてきました


11:56  宝来公園  

梅で有名な公園で、自然林を生かしており、カモがたわむれる池や噴水が設けられています。


コースルートは右側の道路になっていますが、中へ入ります

大田区ホームページ:宝来公園
田園調布駅から放射状に伸びるいちょう並木の南西の端に位置する自然林を生かし、武蔵野の面影をしのばせる閑静な公園です。この公園の前身は大正14年、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布会が街の一角の潮見台の地を広場としたことからはじまります。後の昭和9年田園調布会から東京市に寄付され、造成整備の後、昭和19年4月『宝来公園』として開園しました。区への移管は昭和25年10月1日です。

階段を下りていきます


宝来公園を出て 宝来公園前交差点 右折 宝来公園通りへ  


信号 左折


多摩川台駐在所前  

ここでミス  コースルートは右折でしたが勘違いして直進してしまいました
長い下り坂を行った所にあった「クウェート国大使公邸建築計画」平成32年4月完了予定 
→何があったのでしょうか

ここまで進んだところで気付き、抜け道がないか調べました


しかし抜けられそうにないため、多摩川台駐在所前まで戻ります


長い坂を上って


多摩川台駐在所前 を左折  ロスタイム7分

右を見ても左を見ても「ベンツ」だらけ・・・さすが田園調布


 馬坂手前 左折  またベンツ!


12:09  秋葉の黒松  やっと着きました

高さ約15m、幹の周囲約4m。樹齢約300年といわれ、都の天然記念物に指定されています。


多摩川台駐在所前へ戻り 直進  ここで2回目のミス 

本来の道は駐在所前を左折してすぐ右折
ルート線が真っすぐだったためのミス、本当にいい加減なコースマップにいら立つ


しばらく行って急坂の手前で気付き、今度は迂回するためにここを左折


突当りを右折してコース復帰  それほどのロスはありませんでした

12:31  多摩川台公園  北川の門  中へ入ります

多摩川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたり広がっています。 亀甲山古墳、宝莱山古墳、多摩川台古墳の上に位置します。


コースルート線は外側の道路を進むようになっています
それでどうやって<ビューポイント>にいけるのでしょうか  本当に不親切です


多摩川台公園 宝萊山古墳  

大田区ホームページ:宝来山古墳
この古墳は、多摩川流域最古の前方後円墳で、荏原古墳群の最初の首長墓です。最近の発掘調査から全長97メートルあまり、4世紀前半の築造と推定されます。昭和9年(1934年)の宅地造成工事で、埋葬施設が発見され、倣製四獣鏡(ぼうせいしじゅうきょう)、勾玉(まがたま)、ガラス製丸玉、鉄剣などが出土しました。


多摩川台公園 第二広場  

多摩川台公園 多摩川台古墳群第8号墳  

多摩川台古墳群 - 古墳マップ
多摩川下流域左岸の台地上に分布する古墳時代後期の古墳群。6世紀前半に円墳の2号墳、その後2号墳を前方部に利用した1号墳(全長39mの前方後円墳)、以降3~8号墳(直径15m前後の円墳)が7世紀中頃まで継続して築造された。調査が行われた古墳の石室からは装身具や武器・武具、馬具、土師器、須恵器などが出土、墳丘からは埴輪が発見された。都指定史跡、2000(平成12)年指定。


木々の間から多摩川が見えます


多摩川台公園 虹橋  


左の階段を上ります


多摩川台公園 多摩川台古墳群第6号墳  


多摩川台公園 多摩川台古墳群第5号墳


多摩川台公園 第一広場 へ下りてみました 


多摩川台公園 「愛し子」  

多摩川台公園 古墳展示室   この後行く龍子記念館に入る予定なので、ここはパスしました

大田区ホームページ:多摩川台公園古墳展示室
多摩川台公園内にある古墳に関する展示室です。室内はほぼ4世紀から7世紀にかけて造られた古墳という巨大なお墓を再現した展示となっており、6世紀後半に造られた横穴式石室をもつ前方後円墳の後円部の一部を切り取った状態をイメージしています。多摩川台公園に保存されている現在の古墳の姿と見比べていただき、皆様も古代人になった気分でご覧下さい。午前9時から午後4時30分  休館日 毎週月曜日 年末年始  入室料 無料


多摩川台公園 多摩川台古墳群第2号墳  


12:55  亀甲山古墳  

大田区ホームページ:亀甲山古墳
この古墳は、南武蔵を代表する多摩川流域最大の前方後円墳で、全長107メートルあまりあります。近年の多摩川流域の古墳研究から、4世紀後半の築造と推定されます。



多摩川台公園 水生植物園  

多摩川台公園 四季の野草園  


多摩川台公園 「展」谷村敬八郎  


多摩川台公園 アジサイ園  


いい加減なルート線で、描かれている道がありません
どこから出るのか分らず探しました
どうやらこの階段を降りるようです  紙のマップのルート線とは全く違います
webマップの線は合っていました


多摩川台公園バス停  階段を降りてきたところにあり、左折して多摩堤通りへ  


東急東横線・目黒線を越えて浅間神社を探しますが入口が見当りません
参道の入口に少し線を追加すれば分るのに、不親切なマップであきれてしまいます
次の信号を左折したところにありました 


13:08  浅間神社  中へ入ります 

浅間神社 白糸の滝  


浅間神社 小御岳石尊・大天狗・小天狗  


浅間神社 拝殿   


浅間神社 三峯神社・小御嶽神社・阿夫利神社  


浅間神社 神楽殿と夫婦銀杏  


浅間神社 子産石  


浅間神社 見晴台  

手前のカラフルな電車は東急目黒線、向うのステンレス車両は東急東横線


武蔵小杉の高層マンション群


浅間神社 食行身録之碑  


浅間神社 整地記念碑  


東急多摩川線踏切を越えて 右折


13:20  区内最古のトンネル  

六郷用水の跡  


13:22  六郷用水遊歩道  

江戸近郊農村の開発と徳川家の財政的な安定を目的に生まれた農業用水です。

大田区ホームページ:旧六郷用水散策路
旧六郷用水散策路は、江戸時代に開削された六郷用水の主要ルートを辿る散策路です。大田区では緑道整備計画延長約5.7kmの整備を進めるとともに、平成3年度から散策路や散策コース沿いに「六郷用水物語」のサイン整備を実施しました。


旧六郷用水脇 (東京の名湧水57選)    

六郷用水復元水路は、昭和63年に建設省(現国土交通省)から「手づくり郷土賞」を受賞し、令和2年の第3回大田区景観まちづくり賞の表彰対象となっており、水に親しむ景観として高い評価を受けています。


ここを右折  


踏切手前 左折 


13:31  沼部駅  蒲田方面のりば  ゴールしました 


ゴールした沼部駅から東急多摩川線に乗り、5つ目の鎌田駅で東急バスに乗り換えてコース06の大田文化の森へ向います


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  3.8km→4.6km


大田区04 東京の100景/田園調布駅から多摩川台公園 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
田園調布駅   0.0km  0:00  11:51
銀杏並木   0.1km   0.1km  0:01  0:01  0:00  11:52  11:52
宝来公園   0.2km   0.3km  0:06  0:04  0:01  11:56  11:57
秋葉の黒松   1.0km   1.3km  0:27  0:19  0:02  12:16  12:18
多摩川台公園   0.8km   2.1km  0:41  0:13  0:01  12:31  12:32
亀甲山古墳   0.9km   3.0km  1:05  0:23  0:01  12:55  12:56
浅間神社   0.6km   3.6km  1:27  0:12  0:10  13:08  13:18
区内最古のトンネル   0.4km   4.0km  1:29  0:02  0:00  13:20  13:20
六郷用水遊歩道   0.1km   4.1km  1:31  0:02  0:00  13:22  13:22 
沼部駅   0.5km   4.6km  1:40  0:09  13:31 
コース06へ
 2024/02/08(木)晴    4.6km  1:40   1:25  0:15


大田区04 東京の100景/田園調布駅から多摩川台公園 の感想
田園調布駅は60年近く前に車で来たことがあるような気がします。でもこの辺を歩くのは初めてです。昔、「田園調布に家が建つ」と言ったくらい高級住宅街のイメージが強く残っています。広い敷地、立派な建物、高級外車が軒並み続いていました。さすが田園調布です。
相変らずコースマップに惑わされました。ルート線がいい加減なのもこれまでと同様です。特に多摩川台公園の中には一部たりとも線が引かれていません。それなのにビューポイントは公園の中にあります。分岐した道をどう進むのか、何の役にも立たないコースマップには本当に呆れてしまいます。多摩川浅間神社への入り方も少し工夫すればもっと分り易いルート線が引けるはずです。もうイライラが止まりません。


以上です。
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羽田の街                                 雑色駅

大田区05 歴史と自然を楽しめる街/雑色駅から武蔵新田駅 TOKYO Walking Map 2021.2.8

2024.2.8(木)晴  5.0km→5.8km
ルート:雑色駅→六郷神社→智山派 安養寺→多摩川土手→矢口の渡し跡→東八幡神社→十寄神社→新田神社→武蔵新田駅


大田区三日目で、今日は東急多摩川線沿線を中心にコース05~04~06と歩きます。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

大田区05 歴史と自然を楽しめる街/雑色駅から武蔵新田駅
六郷・矢口地域は多摩川に面し、豊かな自然が残されています。またこの地にゆかりある新田義興にまつわる史跡も多く、歴史を感じられます。その一方で様々な企業・工場や商店、古くからの住宅や新しいマンションが混在し、多彩な表情を持つ地域です。歴史と自然を楽しみながら歩き、気持ちのよい汗を流しましょう。歩いた後は、まち並みに溶け込む銭湯で体を休めてみませんか。
最寄駅:雑色駅(京急電鉄) 所要時間:約75(84)分 距離:約5.0km 消費カロリー:約225kcal 歩数:約7140歩


9:32  雑色駅  スタートしました


西口出入口 から第一京浜へ出て 右折


都立六郷工科高等学校  


日本橋から17km  


東六郷三丁目交差点   


コースマップのルート線はこの信号で右折するようになっています
交差点周辺には六郷神社の参道は見当りません
迷ったうえしばらく直進したところ、鳥居が見えてきました


9:46  六郷神社  

1月の都の無形民俗文化財に指定されている子ども流鏑馬では、白布に4対の目を描いた的に、男児が椿の弓に篠竹の矢をつがえて射ます。子どもの開運、健康、成長を祈る行事です。


六郷神社 社殿  

東京都大田区 六郷神社
社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。

すがすがしい檜の香りにみちています。拝殿、幣殿、本殿と続いています。


六郷神社 手水舎  


六郷神社 旧六郷橋親柱  



六郷神社 神楽殿  


六郷神社 手水石  


六郷神社 狛犬  

神社神楽殿の前庭に置かれている狛犬は、独特のユーモラスな姿をしており、その造形の豊かな芸術性とともに、区内でいちばん古い狛犬として、大田区の文化財に指定されています。
左側の呵形は耳を付け、高さ約45cm、胴の長さ約50cm。
右側の吽形は角を3つ付け、高さ約45cm、胴の長さ約52cmです。

少し戻り 東六郷三丁目交差点 左折  


京急本線を越え 直進  

斜め左折  


東海道線踏切   


西六郷三丁目公園先を右折  


西六郷諏訪神社  


左折  


10:18  智山派 安養寺  


安養寺・古川薬師道道標  

大田区ホームページ:安養寺・古川薬師道道標
延宝2年(1674年)に、東海道の雑色から多摩川道に入る分岐点に建てられた道しるべです。区画整理のため、安養寺の門前に移されました。

古川薬師安養寺|大田区西六郷にある真言宗智山派寺院
真言宗智山派寺院の安養寺は、医王山と号します。永伝法印(永禄11年1568年寂)が創建、栄伝が中興開山と伝えられます。境内の薬師堂は行基(667-749)の創建と伝えられ、安養寺は、薬師堂(古川薬師)の別当寺を務めていました。


安養寺 銀杏  


安養寺 銀杏折取禁制碑  

大田区ホームページ:安養寺・銀杏折取禁制碑
光明皇后が、ここの薬師に銀杏を奉納して祈願したところ、乳の出がよくなったという伝説があります。そこで銀杏の下垂の「乳」を削り取る者が多かったので、その行為を禁止するため、元禄3年(1690年)五世栄弁によって、この石碑が建てられました。


安養寺 百味供養塔 

古川薬師の百味供養塔
百味講とは、その信仰する寺院に信者たちが集まり、さまざまな食物を供えて、仏を回向するならわしをもつ講中のことを言う。特に江戸期から、江戸南郊の古刹として広く信仰を集めた当所の古川薬師にも、この講集団が存在したことがこの供養塔でわかる。建立年代が刻されていないが、おそらく明治初年と思われる。


安養寺を出て右折 


10:26  多摩川土手 に出ました  上流方面


コースマップはこの道路を渡ってまっすぐ河川敷に出るようになっています
横断歩道はなく、しかも土手の道から河川敷へ降りる階段もありません


下流方面  

しばらく進んで、ここから土手下の道へ  


10:42  多摩川土手  多摩川河川敷ブタ公園


多摩川大橋東ゲートボール場  


多摩川 防災船着場  


第二京浜 コースマップは土手を直進ですが横断禁止の標識があって渡れません
仕方なく階段を降りて多摩川大橋をくぐります 

コースルート線は「矢口の渡し跡」まで伸びていないので、探しました


10:52  矢口の渡し跡  

昭和24年(1949年)に多摩川大橋が完成するまで、この付近が区内で最後の渡船場として、利用されていました。この場所で新田義興が非業の死を遂げたと言われています。


土手上へいくコースルートの線は一直線になっていますが、実際はジグザグです


10:57  東八幡神社  

東八幡神社 / 東京都大田区 | 御朱印・神社メモ
矢口の古市町会地区の鎮守さまです。ご創建は建長2年(1250)と伝えられています。江戸期には湯坂八幡神社と呼ばれていました。もとは村内に西八幡神社(領家八幡宮)がありましたが、明治44年(1911)当社に合祀して東八幡神社と称するようになりました。現在のご社殿は昭和47年(1971)2月に竣功されたものです。


東八幡神社 矢口の渡し跡碑 


古市中央児童公園  

11:10  十寄神社  

矢口の渡しで新田義興とともに戦い、討ち死にした家来10人を祀ったと伝えられている神社です。社伝によると、正平十三年/延文三年(1358)に創建とされる。謀殺された新田義興と、同様に討ち死にした御家来衆を祀る神社として創建された。

十寄神社 / 東京都大田区 | 御朱印・神社メモ
旧社格は無格社で、新田義興公と近習の将兵(御家来衆)を祀る神社。「十寄神社」と書いて「とよせじんじゃ」と読む。現在は多摩川七福神の毘沙門天を担っている。当社を参拝してから「新田神社」へお詣りすると願い事が叶うと云われていた。


十寄神社 十騎神社 


矢口南交差点 直進 


武蔵新田商店街  


11:18  新田神社  

新田神社は、矢口の渡しで謀殺された新田義興の霊をまつったのが起源と伝えられています。神木のケヤキは、かつて雷で真っ二つに割れたものの、今も新緑の季節には濃い緑をたたえています。

破魔矢発祥の地 新田神社
この新田神社にまつられている新田義興公は、中世における戦乱期に非業な最後を遂げた勇猛果敢な著名武将であり、それは菅原道真公と同様に一般民衆の同情と支援を受け、怨霊神=火雷神=御霊神という神格化の過程をたどり、その御神徳は義興公の人格や勇気ある行動を尊敬するところから生まれ、・・・

新田神社 御塚(禁足地)   


新田神社 矢口新田神君之碑  


新田神社 力石  

新田神社 新田大明神道標  


新田神社 うなる「狛犬」  


新田神社 石の卓球台  


新田神社 新田大明神大鳥居由来記  

新田神社 末社 稲荷神社  


新田神社 御神木(欅)  


武蔵新田商店街 むさしにった 未来門  


五差路を斜め右へ 


11:30  武蔵新田駅  ゴールしました


ゴールした武蔵新田駅から東急多摩川線に乗り、4つ目の多摩川駅で東急目黒線に乗換え1つ目の田園調布駅へ向います


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  5.0km→5.8km


大田区05 歴史と自然を楽しめる街/雑色駅から武蔵新田駅 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
雑色駅   0.0km  0:00    9:32
六郷神社   0.8km   0.8km  0:25  0:14  0:11    9:46    9:57
智山派 安養寺   1.6km   2.4km  0:51  0:21  0:05  10:18  10:23
多摩川土手   1.1km   3.5km  1:10  0:19  0:00  10:42  10:42
矢口の渡し跡   0.6km   4.1km  1:20  0:10  0:00  10:52  10:52
東八幡神社   0.2km   4.3km  1:27  0:05  0:02  10:57  10:59
十寄神社   0.8km   5.1km  1:40  0:11  0:02  11:10  11:12
新田神社   0.3km   5.4km  1:54  0:06  0:08  11:18  11:26 
武蔵新田駅   0.4km   5.8km  1:58  0:04  11:30 
コース04へ
 2024/02/08(木)晴    5.8km  1:58   1:30  0:28


大田区05 歴史と自然を楽しめる街/雑色駅から武蔵新田駅 の感想
六郷神社はコースルートの線が参道迄描かれていないため、どこから入るのかよく分りませんでした。それは神社やお寺だけでなく、多摩川の土手と河川敷でも同様です。河川敷まで一直線に引かれていますが、実際は道路を横切ってから土手をしばらく進み、そこから階段を降りていくことになります。矢口の渡し跡も場所がはっきりしません。線を少し伸ばせばどの位置にあるのか理解できるはずです。
多摩川大橋のところもルート線に沿ってすすんだところ、信号がなく横断禁止の標識がありました。矢口の渡し跡から東八幡神社までも一直線ですが、実際はジグザグに土手を越えないとたどり着きません。
不親切なマップに悩まされました。大田区のコースマップ全てに共通していますが、地図そのものが粗すぎること、さらにルート線がいい加減で本当に使いづらいです。


以上です。
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田園調布駅                          大田文化の森

2024.2.3 菅薬師堂 節分会 & 2024.2.4 五反田神社 節分祭

地元の節分会に行ってきました。両方とも4年ぶりの開催だそうです。どちらも初めての参加でした。


菅薬師 節分会 
2004年2月3日(土)午後3時から  晴
菅薬師堂には昨年9月10日に「菅の獅子舞」を見に来ています。
川崎市 菅の獅子舞 2023.9.9 子之神社揃い獅子 9.10 薬師堂 本獅子 - mesetaのブログ


菅薬師節分会のポスター


坂の途中を右折します


14:46  菅薬師堂に着きました


階段を上っていきます


途中右側にある土俵は「幼児から小学三年生まで」の会場です

既に多くの子供たちが待機しています


本堂前は係の人が忙しそうにしていました

菅北浦1 菅薬師堂【32】 - 菅町会公式サイト
北浦という地名の由来は多摩丘陵の北側にあたるとか、北を向いた浦だったからと言われます。浦というのは川や海の浦以外に平地の湾曲して入り込んだところという意味もあります。現在の菅北浦は以前の北浦耕地、馬場耕地、北浦谷(きたうらやと)、小谷(こやと)からなります。
「薬師堂」は、この地域の領主であった稲毛三郎重成が建久6年(1195)に建立しました。重成は鎌倉時代初めの武将で、源頼朝の平家との戦さで数々の武功がありました。頼朝からの信頼はあつく、頼朝の妻・政子の妹君の綾子を重成は妻にもらいます。将軍・頼朝と義兄弟になった重成はいよいよ主君につくしますが、建久6年(1195)に妻は亡くなりました。悲嘆にくれた重成は出家して、菅に極楽寺という寺を建てて妻を手厚く葬りました。この寺の一部が「薬師堂」といわれます。その後、極楽寺は戦乱で焼失しますが天文2年(1533)に極楽寺と法泉寺が合併されました。今は法泉寺が管理しています。


本堂右側の会場には多くの人でごった返しています

会場は「コ」の字型で三方から豆・菓子やご縁(五円)玉がまかれます


14:58  地元選出の国会議員・県会議員・市会議員らが登壇


15:00  開始時間になり司会者から「段ボール・紙袋は頭から上には持ち上げないように」などの注意事項などが告げられました
神社関係者の挨拶、豆をまく人の紹介などが続きます


獅子舞の時のようにほら貝の合図で豆まきが始まりました

大きな紙袋を持っている人が多くいました

15;04  手持ちの豆・菓子がなくなり、早くも休憩です


数分後同じメンバーで2回目が行われました


ビニール袋や菓子箱が飛んできますが、最初はなかなかつかめませんでした
要領が分ってきて、すこしづつキャッチできるようになりました
後から手が伸びてきて顔に当たったりなどしているうち夢中になって、写真を撮っているどころではなくなりました


15:11  豆まきが終って階段へ向う人たち


わずか10分ちょっとで獲得した「豆・菓子・ご縁(五円)玉」

五反田神社 節分祭 甘酒まつり
2004年2月3日(日)午後1時から 曇
今朝はみぞれから雨に変り10時過ぎまで降っていました
開催するのかどうか分からないまま出かけました


五反田神社節分祭のポスター


小田急線生田駅近く 線路の向うの崖上に五反田神社が見えてきました


12:41  五反田神社参道 

ここで上の方から「午後1時から豆まきを行います」のアナウンスが聞こえてきました
予定通りなので、早速階段を上ります


武蔵御嶽神社  階段の途中にあります


境内は思ったより人が少ない感じです


お詣りを済ませ、

五反田神社。川崎市多摩区三田の神社
五反田神社は、川崎市多摩区三田にある神社です。五反田神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と言い伝えられ、山王社と号して上菅生・下菅生・五段田村の総鎮守だったといいます。江戸期に村内での争いにより、当社は上菅生のみの鎮守となったといいます。明治元年祭神を素盞鳴尊に改め八雲神社と改号、小田急線開通に伴い昭和元年当地に遷座、昭和34年杉山社を合祀して五反田神社と改号したといいます。


いつも(正月に毎年来ています)の甘酒をいただきます

12:46  こちらが拝殿左の豆まき会場です


後にいた係の人から「今日は雨がふったから、人が少ないなー」という声がしました


12:49  司会者が出てきて「早めだけど始めます」と言っています

3回に分けて豆をまくとのことです


神社関係者の挨拶が始まりました


1回目  全員が年男・年女で自己紹介後豆まきが始まりました


2回目  神社関係者と信用金庫のみなさん


3回目  地元選出の国会議員・県会議員・市会議員たち7名


13:07  豆まき終了


時間が短かったせいかキャッチで来たのは2つだけでした


終了後子供たちにはお菓子とスケッチブック(信用金庫提供)が配られました


甘酒にも長い列ができています


焚火にあたりながら甘酒を飲む人たち


五反田神社を出たところ


長い階段を下って帰路につきます


これからも地元の行事に出来るだけ参加したいと思いました。


以上です。