mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

2019.11.2 明治大学生明祭と登戸研究所資料館

2019.11.2  明治大学生田キャンパス  晴  


先日我が家の郵便ポストに生明祭のチラシとくじ引き券が入っていました。早速見に行くことにします。初日の今日は天気もよく、チラシを持って朝から歩いて出かけました。


生明祭のチラシとくじ引き券


生明祭はこれまでにも何回か来て、シクラメンなどの花を買ったことがあります。


登校路門にある明治大学生田キャンパス案内図


10:03  いつものように登校路門(西北門)から入りました。


10:00 開会なのに誰もいません
先ほど小田急線に沿った道を歩いていた時にはかなり人がいたのに不思議です
後を振返って見ると、みんなこちらの方ではなく地域産学連携研究センターという建物のほうに行ったようです


長い階段を上りきったところに見取り図がありました

どうやら建物の中のエスカレーター・エレベーター・連絡橋を利用すれば階段を上らなくて済んだようです、知りませんでした


10:07  登校路門側の受付で生明祭ガイドブックをもらいました


生明祭案内図


まずメインステージに行ってみました

開祭式をやっていましたが、人はまばらです


景品引換所でくじ引きを行い、タオル地の物入れが当りました
すると突然「写真を撮らせてもらってもいいですか」と言うのです
「スポンサーに写真を見せるため」ということで、学生と一緒に写真を撮りました


模擬店を通り過ぎて農学部エリアへ行くきます


図書館横芝生帯ではフリーマーケットをやっていました


一番賑やかだったのは生田キャンパス圃場で栽培したという野菜の販売所でした


この後キャンパス内にある登戸研究所資料館に行ってみました


10:30  明治大学平和教育登戸研究所資料館


登戸研究所は、戦前に旧日本陸軍によって開設された研究所です。秘密戦兵器・資材を研究・開発していました(詳しい研究・開発内容は各展示室のご案内をご覧ください)。正式名称は第九陸軍技術研究所ですが、研究・開発内容を決して他に知られてはいけなかったために、「登戸研究所」と秘匿名でよばれていました。
登戸研究所は、アジア太平洋戦争において秘密戦の中核を担っており、軍から重要視された研究所でありましたが、終戦とともに閉鎖されました。その後、1950年代に登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し、現在の明治大学生田キャンパスが開設されました。


登戸研究所資料館 設立趣旨

登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、きわめて貴重な戦争遺跡のひとつです。登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、そのため、その活動は、戦争の隠された裏面を示しているといえます。
登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材などは、時には人道上あるいは国際法規上、大きな問題を有するものも含まれています。しかし、私たちはこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています。
それは、私たち大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能をもってしまうことを強く自戒するためでもあります。


開館時間
水曜~土曜 10:00~16:00
※明治大学の夏季・冬季休業期間、7月・1月の定期試験期間及び12月~2月の入試実施に伴う入構制限期間等は、大学の事情により閉館することがあります。また,これ以外にも臨時で閉館することがあります。
※開館スケジュールについてはお問い合わせください。


展示室のご案内


第1展示室  登戸研究所の活動の全体像と歴史
陸軍登戸研究所の誕生


登戸研究所の運営体制


航空写真で読みとく登戸研究所の変遷


第2展示室
研究所のなかでも風船爆弾や電波兵器など、主に物理学を利用した兵器の開発をおこなっていた第一科の活動内容
風船爆弾の製造


風船爆弾の模型(1/10)


登戸研究所が開発した生物兵器


風船爆弾用和紙


第3展示室
化学を応用した生物化学兵器やスパイ用品などを開発していた第二科の活動内容
研究と開発


第二科の役割


第4展示室
主に中国大陸で展開された経済謀略活動のために偽札を製造していた第三科の活動内容
第三科の体制と役割


第三科の施設・建物の内部と構造   偽札はどう作られたのか


通貨戦争と偽札


偽札と真札


ニセモノ? ホンモノ?


暗室  当時の実際の暗室の様子を再現
クランク式入口


第5展示室  本土決戦体制下の登戸研究所と所員の戦後などについて
大本営移転計画と長野


登戸研究所の移転


そろそろジャズオーケストラの演奏が始まるので移動します


10:59  中央校舎に着きました


11:00  ぴったりに1階特設ステージで演奏が始まりました
New Wave Jazz Orchestra 1曲目はインザムードでした


アンコールに応えてラストは シング シング シング です


再び模擬店の前を通ります


11:45  西南門から外に出ました


出てすぐ三田団地で何かが起きたようです

右側の道には消防自動車2台と救急車が停まっていました

煙は出ていないので火事ではないようです。梯子を使って3階のベランダへ上り、名前を呼びながらしきりにガラス戸をこじあけようとしていました。
すぐ立ち去ったので何が起きたのか、その後どうなったかは分りません


生明祭のイベントスケジュールを事前に見て、ジャズオーケストラを目的に出かけました。曲ごとに各パートの一部が入れ替わります。最初はドラム、バリトンサックス、トロンボーン、トランペットと女性の多いバンドだと思いました。特にトロンボーンは全員、トランペットも一人を除いて女性でした。
大学のキャンパス内には異質ともいえる登戸研究所資料館があります。登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し生田キャンパスを開設したということなので、なるほどそういうことかと納得できました。


以上です。