mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

2019.10.30 由緒ある社寺と多摩川の清流を巡って 小田急沿線自然ふれあい歩道1-13

2019.10.30 水 狛江駅~和泉多摩川駅 5.3km 晴
ルート:狛江駅~①泉龍寺~②弁財天の池~③むいから民家園(狛江市立古民家園)~④西河原自然公園~⑤兜塚古墳~⑥伊豆美神社~⑦万葉歌碑~⑧西河原公園~⑨五本松~⑩土手の植物:オギとススキ~⑪宿河原堰~⑫上総層群の地層~⑬河川敷の植物~⑭玉泉寺
~和泉多摩川駅


狛江駅起点3コース目は駅西側から多摩川に出て南下し、和泉多摩川駅へ行きます。


1-13 由緒ある社寺と多摩川の清流を巡って
狛江駅~和泉多摩川駅コース|小田急沿線自然ふれあい歩道|小田急電鉄
多摩川の下流上部左岸の広々とした河岸段丘面(立川段丘面)上の古墳や社寺、河川敷の植物や治水事業の跡を訪ねながら、川のもたらす「恵み」や「脅威」に思いをはせることのできるコースです。多摩川は山梨県笠取山(標高1,941m)に源を発し、東京湾に注ぐ延長138㎞、流域面積1,240平方キロメートルの1級河川です。武蔵野台地と多摩丘陵に挟まれた谷を流れ、流路を何度も変えながら上流からの土砂を大量に下流に運び込み、河岸段丘や平野をつくりだしました。この辺りの開放的な河川敷では、多摩川の水辺に特徴的な自然や動植物を見ることができるほか、サイクリングコースや、野球場、少年サッカー場など各種スポーツ広場が整備され、都市生活に潤いを与えるオアシス空間として多くの方に利用されています。


コースマップ

13:38  狛江駅北口、スタートしました


駅前にいるラグビーワールドカップ2019 日本大会 公式マスコット「レンジー」


古来より幸福を招き邪悪を退けるとされてきた想像上の聖獣、獅子は日本文化に能や歌舞伎の連獅子であったり、獅子舞であったり、狛犬であったりと様々な形で表れてきました。外見は、顔がラグビーボールの形になっていて、外見には連獅子や獅子舞に似た部分もある。信頼を元にチャレンジ(困難)を乗り越えるレンジーの姿は連獅子の物語、そしてラグビーに共通するものがあります。


同じく駅前にある乙女の像

万葉をしのぶ乙女像『たまがわ』狛江市
狛江駅前の乙女像の名称は「万葉をしのぶ乙女像『たまがわ』」です。・・・それは中和泉4丁目にある東京都指定旧跡の万葉歌碑「玉川碑」を親しく案内するためです。・・・
乙女像は、市の玄関口である狛江駅北口のシンボルとして鎮座し、市民に親しまれています。少しうつむき加減のその様は、多摩川の川面を見つめながら歌の内容に思いを馳せている乙女(少女)の姿をうまく表現しています。


狛江弁財天緑地保全地区

開放日以外は中へ入れません


昭和62年に狛江駅北口の緑地、泉龍寺境内、弁財天池が東京都から特別緑地保全地区に指定されました。


13:42  ①泉龍寺、正面に鐘楼が見えます

奈良の東大寺の建立に尽力した良弁僧正が開いた寺といわれ、江戸末期の二層造りの珍しい鐘楼があります。本堂の地蔵尊は、「子育て地蔵」として信仰されていました。境内には、弁財天の池など狛江市指定の文化財があります。
泉龍寺 本殿

珍しい二層式鐘楼


泉龍寺の本尊は釈迦如来です。曹洞宗に属し、永平寺および総持寺が大本山です。伝説によれば、奈良東大寺の開山として名高く、伊勢原の雨降山大山寺をも開いた良弁(ろうべん)僧正が天平神護元年(765年)、この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。天暦3年(949年)、廻国の増賀聖がこれを天台宗に改め、法道仙人彫刻の聖観世音菩薩を安置したということです。


泉龍寺 山門

泉龍寺山門は、安政6年(1859年)に再建されました。泉龍寺境内の欅材を用い、地元の大工棟梁が施工しました。平成18年(2006年)解体修理を始め、銅板葺となりました。平成19年(2007年)2月、完成して落慶の記念行事を行いました。


13:45  ②弁財天の池

奈良時代の大かんばつの時に清水が湧き出したと言い伝えられていますが、1972年に涸れてしまい、現在では、給水で維持されています。この池周辺は緑地保全地区に指定され、アオギリ、シラカシなどの大木があります。



通りにもラグビーワールドカップ2019 日本大会のフラッグがありました


13:56  松原通りを横切ります


13:59  ③むいから民家園(狛江市立古民家園)、中に入ります

18世紀末ごろの民家が1棟保存されていますが、元は泉龍寺の南にあり、1991年に狛江市の文化財に指定され、2002年に園内に移設されました。名称は、わらぶき屋根に使う麦わら「むいから」から名付けられたとのことです。


狛江市立古民家園には、狛江市域に残された江戸時代の数少ない建物として、江戸時代後期の農家の面影を残す旧荒井家住宅主屋1棟と、江戸時代の終わり頃に建てられた旧髙木家長屋門1棟が移築・復元されています。


旧髙木家長屋門(狛江市指定文化財 指定:平成22年9月10日)

旧髙木家長屋門は、市内に唯一残る長屋門で、江戸時代中期から覚東村の名主を勤めた髙木家に、安政6年(1859)に建てられたものです。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年に古民家園内に移築・復元されたものです。


旧荒井家住宅主屋 (狛江市指定文化財 指定:平成3年11月12日)

旧荒井家住宅主屋は、元和泉一丁目の荒井家に残されていたものです。荒井家は、泉龍寺の表門の突き当たりにあったことから、屋号を「大門前(だいもんさき)」といい、江戸時代後期には、村方医師として医師、農業を家業としていました。


被爆榎2世


14:06  ④西河原自然公園、 むいから民家園のすぐ隣にあります

古民家園の西側には、約5000㎡の雑木林を生かした西河原自然公園があります。休憩所やトイレが整備され、中央部には、約70mほどのせせらぎが流れ、水辺の脇にはショウブ田があります。


自然豊かな公園で、水と緑で安らぎを与える憩いと集いの場所になっています。園内には、約10本の桜が植えられていて、春になると多くの人で賑わいます。


14:14  ⑤兜塚古墳、門が閉まっていましたが、鍵はなく扉を開けて中へ入りました

5世紀中ごろから6世紀半ばにかけ、多数築かれた古墳の中で今も残る10数基の中の一つです。直径36m、高さ5mの円墳で、狛江古墳群の中で原型を最も良くとどめていて、東京都史跡に指定されています。


兜塚古墳は、狛江古墳群の一つの円墳で、6世紀前半の築造ではないかといいます。築造年代から、亀塚古墳の次世代の盟主像だと推定されています。


14:19  ⑥伊豆美神社、ここの鳥居が関東三大鳥居の一つと言われてもピンときません

平安時代に創建されましたが、1550年の洪水で被害を受けたため現在地に移転したと伝えられています。鳥居は関東三大鳥居の一つ(ほかには日光東照宮、鎌倉鶴岡八幡宮)としても知られていて、市の指定文化財になっています。

かつては「六所明神」と称し、多摩川沿いに位置していましたが、多摩川の洪水によって、江戸時代初期、現在地に再建されました。長い参道の入口にある石造の鳥居は、慶安4年(1651)に寄進されたもので、狛江市の文化財に指定されています。


二の鳥居

井伊直弼公敬墓碑がありました

拝殿


14:33  ⑦万葉歌碑、うっかり通り過ぎたところで、あわてて戻りました

万葉集の14巻に収められている「多摩川にさらす手づくり さらさらに 何ぞこの児の ここだ 愛しき」の歌が刻まれています。カラムシの皮をはいで布に織り、棒でたたいて柔らかくしながら多摩川の水にさらす女性に対する恋歌です。


『万葉集』巻14の東歌の一首「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」が刻まれた歌碑で、松平定信の揮毫になります。文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方四丁目辺り)に建てられましたが、洪水によって流失しました。大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると、松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して、大正13年(1924)、旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。

「多麻河伯爾 左良須弓豆久利 佐良左良爾 奈仁曽許能児乃 己許太可奈之伎」
    多摩川に    さらす手作り  さらさらに  何そこの児の  ここだ愛しき


右下にも羽場順承の歌碑があります。見落としがないよう・・・


羽場順承の歌碑


玉川碑跡:(略)碑文は、松平定信の筆によるものでした。碑は、24年後の文政12年(1829)に洪水で流されました。その後、大正11年(1922)に定信を敬慕する三重県人羽場順承が歌碑の拓本(復刻)を手に入れ、再建を計画し、渋沢栄一に協力を依頼しました。同年に東京府が碑の旧所在地を認定し、大正13年には再建された碑の除幕式が行われました。


14:42  六郷川水取り入れ口


六郷用水:慶長2年から14年(1597から1609)に小泉次太夫の指揮のもとに開さくされた全長24キロメートルの潅概用水である。多摩川住宅の南端のところに多摩川からの取入口があり、岩戸で野川を合流し、はるか大田区六郷方面の水田をうるおすのが最大の目的であった。恩恵を受けた流域35カ旧村の用水組合がこれを管理し、取入口の近くには水神社を祭っていた。


水神社


六郷用水と関わりがあり、祠は用水取水口の脇に位置し、用水工事に尽力した小泉次大夫が合祀されています。現在の水神の祠は、明治22年(1889)に、六郷用水の恩恵を受けた和泉村外13か村によって奉納されました。


14:45  多摩川土手、上流方面

下流方面


14:52 ⑧西河原公園、多摩川の土手に沿った細長い公園です

梨畑と水田が広がるのどかな田園風景を望む場所を、宅地化が進んだことにより、狛江市が公園として整備しました。噴水や池の周りにたくさんの樹木が植栽されていて、人々の憩いの場となっています。

西河原公園 | ココシルこまえ
桜の季節には土手に満開の花が咲き、大勢の花見客で賑わいます。テレビドラマのロケにも使われる狛江五本松周辺の多摩川岸に、細長い形で西河原公園はある。面積は6,000㎡であり、狛江市としては最大級の公園です。


14:55  ⑨五本松

多摩川の堤防を補強する目的で植えられた水害防備林の一部が残ったものです。現在はわずか11本しか確認することができませんが、通称「狛江の五本松」とも呼ばれ、多摩川の洪水を治めるための先人の努力がしのばれます。


14:57  ⑩土手の植物:オギとススキ
これはオギでしょうか、ススキでしょうか

ススキに似ているオギが、河川敷や水路沿いなどに群生しています。ススキは陸側の乾いたところに生え大きな株を持つのに対して、オギは茎1本1本が別々に立ちます。また、オギは葉しょうの部分に毛がたくさん生えています。


たま リバー 50キロ 案内図


多摩水道橋

初代「多摩水道橋」の碑

初代「多摩水道橋」の碑 - Monumento(モニュメント)
初代の多摩水道橋は、道路と水路が共用する橋として、多摩川 のこの地に昭和28年12月完成しました。以来、相模川の水を川崎市長沢の浄水場を経て都内に供給するための水道橋 として、また東京都(狛江市)と川崎市(多摩区登戸)とを結ぶ「登戸の渡し」に替わる道路橋として重要な役割を担ってきました。


小田急線鉄橋

鉄橋の手前で河原に下ります


鉄橋下、この辺りはバーベキュー花火等終日禁止


10.12の台風19号で流されてきたのでしょうか、鉄橋の下に転がっています


河原もかなり傷んでおり歩き難いです


木には流されてきた水草や木の枝がまつわりついています


左は宿河原堰の魚道です


15:24  ⑪宿河原堰

多摩川周辺の水田に水を引くため、1629年につくられました。1999年の改築後は、約220mのせきに6つのゲートが並び、水量の調整をしています。両側には魚道を整備し、アユなどが遡上できるようにしています。


手すりが見えなくなるほど水草がからみついています


15:28  ⑫上総層群の地層、台風の爪あとが生々しく残っています

宿河原堰下流の河床に露出している淡黄色の岩盤は、多摩丘陵や武蔵野台地の基盤を形成している地層まで多摩川が浸食した結果です。この地層は、約100万年前の浅い海に堆積した上総層群と称され、埋もれた貝が白く見えています。


15:31  ⑬河川敷の植物、狛江水辺の学校は濁流が大量に流れ込んだようです

ニセアカシアが形成している河畔林があります。日本では「アカシア」と呼びますが、本当のアカシアはオーストラリア原産のフサアカシアやギンヨウアカシアなどのことで、日本ではそれらを「ミモザ」と呼んでいます。


15:35  土手の道を越えます


15:38  供養塚公園、大勢の子供達が元気に遊んでいました


昭和42年に開園された公園で、大小の滑り台、ダイヤモンドジャングルジム、ブランコ、鉄棒、砂場、リンク遊具などの遊具があります。四方のどこからでも入れるようになっており、開放感が味わえます。


15:55  ⑭玉泉寺、門が閉まっていて中へ入れませんでした

かつて和泉多摩川駅の西側辺りにあったものが、洪水により移転したと伝えられています。お堂にあるおしゃもじ様にお参りすると、風邪などが治るといわれています。境内にあるボダイジュは、狛江市の天然記念物です。

玉泉寺は、 多摩川の清流と深い緑の中に、歴史を物語る多くの古墳を持つ狛江市で、一大住宅街中のオアシス的境内を持つ寺院です。当山、大古は大輪寺と云い、多摩川の対岸に在り、人皇第34代舒明天皇六甲午年(634)10月浄慶法印の開創にて、薬師文殊の両像を安置しました。


15:59  和泉多摩川駅、ゴールしました


コースタイム:1-13 由緒ある社寺と多摩川の清流を巡って

経由地・日付・天気 距離 累計 総h 所要h 見学h 着t 発t
狛江駅        0m  0:00  13:38
①泉龍寺    150m    150m  0:06  0:04  0:02  13:42  13:44
②弁財天の池      50m    200m  0:08  0:01  0:01  13:45  13:46
③むいから民家園  0:27  0:13  0:06  13:59  14:05
④西河原自然公園    600m    800m  0:29  0:01  0:01  14:06  14:07
⑤兜塚古墳    200m  1000m  0:37  0:07  0:01  14:14  14:15
⑥伊豆美神社    300m  1300m  0:48  0:08  0:03  14:23  14:26
⑦万葉歌碑    550m  1850m  1:01  0:07  0:06  14:33  14:39
⑧西河原公園    100m  1950m  1:15  0:13  0:01  14:52  14:53
⑨五本松  1:17  0:02  0:00  14:55  14:55
⑩土手の植物:オギとススキ  1:19  0:02  0:00  14:57  14:57
⑪宿河原堰  1600m  3550m  1:46  0:25  0:02  15:22  15:24
⑫上総層群の地層  1:50  0:04  0:00  15:28  15:28
⑬河川敷の植物  1:53  0:03  0:00  15:31  15:31
⑭玉泉寺  1600m  5150m  2:17  0:24  0:00  15:55  15:55 
和泉多摩川駅    100m  5250m  2:21  0:04  15:59 
2019/10/30(水) 晴  5250m  2:21   1:58  0:23


1-13 狛江駅~和泉多摩川駅の感想
狛江駅北口前にはラグビーワールドカップ2019日本大会の公式マスコット「レンジー」がおり、通りの各街灯にはフラッグがぶら下がっています。
このコースは神社やお寺に加え古墳・古民家・万葉歌碑・公園など見どころが一杯ありました。駅を出てすぐ目についたのが「狛江弁財天緑地保全地区の管理について」の看板です。入口方面の矢印に従っていくと「次回の開放日は11月10日(日)です」と書かれた張り紙があり、入ることはできませんでした。てっきりコースマップの弁財天池はこの中にあると思い込み、塀の外から観音様と池の写真を撮りました。ところが、泉龍寺を出て左へ行くと泉龍寺弁天池の説明板あり、池の縁まで行くことができました。ようやく泉龍寺の順番が①で弁財天の池が②になっている訳が分りました。
前のコースの稲荷塚古墳に続いて、このコースでは兜塚古墳があります。こちらは門があり、閉まっていました。入れないのかと思ったら、よく見ると鍵がかかっていません。きしむ音をたてながら門を開けて中へ入りました。
多摩川の河原に下りると、10月12日関東地方を直撃した台風の影響による流木と枯れ草が目に飛び込んできます。コースタイトルにある「多摩川の清流を巡って」という言葉が何だか空しくなってきます。


以上です。
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