昭和32年9月 大相撲秋場所の番付と取組
古い資料を整理していたら、こんなものが出てきました。
中学2年生のとき、相撲好きな親しい友人に誘われて蔵前国技館に行きました。
相撲を見たのはこれが初めてでした。その後はなく、結局これ一回限りです。
昭和32年秋場所の初日で、63年前の1957年9月15日のことでした。
入場時にもらった昭和32年秋場所の番付表です。
和紙に印刷されたA2版に相当する大きなものなので、4分割しました。
・右上:東 上
東
横綱 栃錦、張出横綱 吉葉山、大関 若乃花、張出大関 松登、関脇 時津山、小結 北ノ洋
・左上:西 上
西
横綱 鏡里、張出横綱 千代の山、大関 朝汐、関脇 安念山、張出関脇 琴ヶ濱、小結 若羽黒
注:「西 上」の右下に緑枠で囲んだのは後の横綱 柏戸(当時 富樫 剛)です。
初土俵から2年後で当時は幕下1枚目でした。
柏戸剛 - Wikipedia
(かしわど つよし、1938年11月29日 - 1996年12月8日)は、山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身の元大相撲力士。第47代横綱。本名は富樫 剛(とがし つよし)。1938年に山形県で果樹園などを経営する豪農の次男として生まれた。小学生からのちに活躍する相撲を始め、バスケットボールやサッカー、陸上競技などで万能選手として活躍し、中学校に入学した時には既に身長が180cmに達していた。1954年の蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏んだ。・・1957年11月場所で新十両昇進を果たすと、トントン拍子のまま1958年9月場所で新入幕を果たす。当時19歳での入幕はスピード出世で、若秩父高明・豊ノ海義美と「ハイティーン・トリオ」と呼ばれた。1959年3月場所から伊勢ノ海部屋で伝統の四股名「(11代)柏戸」を襲名した。・・1961年9月場所では12勝3敗で優勝決定戦に進むが、明武谷力伸は倒したものの大鵬幸喜に敗れて優勝を逃し、星数も直前3場所で33勝と力不足だったものの、場所後に大鵬幸喜と共に横綱昇進が決まった。
・右下:東 下
・左下:西 下
注:「西 下」の左上に赤枠で囲んだのは後の大横綱 大鵬(当時 納谷 幸喜)です。
初土俵から1年後で当時は三段目71枚目でした。
大鵬幸喜 - Wikipedia
(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)出身の元大相撲力士。第48代横綱。本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。1956年9月場所にて初土俵を踏んだ。同期には後の大関・清國や小結・沢光、前頭の大心、玉嵐らがいる。入門当初より柏戸と共に横綱確実の大器と評されており「ニ所ノ関部屋のプリンス」「ゴールデンボーイ」などの愛称を与えられた。序ノ口時代から大幅な勝ち越しで順調に番付を上げていき1958年3月場所では三段目で優勝、・・・
昭和32年9月15日秋場所初日取組
ボロボロですが何とか読めます。取組開始は午前5時半(初日に限り)です
取組三列目右側に納谷(後の大鵬)がいます。初日は美乃錦に勝ちました。
赤丸を付けているので、この勝負を見ていたはずです。
勝ち力士に丸印を付け始めたのは取組二列目右 越後山(東序二段12枚目 )対 鶴の里(東序二段13枚目 )戦からでした。鶴の里が勝っています。
取組下から二列目 「十枚目土俵入り」後、富樫(後の柏戸、西幕下1枚目)が能登ノ山(西十両23枚目)に勝ちました。富樫にも赤丸印を付けています。
相撲に関するすごいサイトを見つけました。
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この日の勝敗も分りました。
昭和32年秋場所1日目の取組結果
昭和32年9月15日 蔵前国技館(東京)
幕内
西小結1 | 若羽黒 | 〇 | 寄り切り | ● | 東横綱1 | 栃錦 |
西横綱1 | 鏡里 | 〇 | 上手投げ | ● | 東前7 | 信夫山 |
東小結1 | 北ノ洋 | 〇 | 下手投げ | ● | 東横綱2張出 | 吉葉山 |
東前3 | 時錦 | 〇 | 下手投げ | ● | 西横綱2張出 | 千代の山 |
東大関1 | 若乃花 | 〇 | 切り返し | ● | 西前2 | 大内山 |
西大関1 | 朝汐 | 〇 | 押し倒し | ● | 西前3 | 海山 |
東前2 | 三根山 | 〇 | 押し出し | ● | 東大関2張出 | 松登 |
東前6 | 栃光 | 〇 | 寄り切り | ● | 東関脇1 | 時津山 |
西関脇1 | 安念山 | 〇 | 寄り倒し | ● | 西前5 | 出羽錦 |
西関脇2張出 | 琴ヶ濱 | 〇 | 吊り出し | ● | 東前1 | 清水川 |
東前4 | 鶴ヶ嶺 | 〇 | 寄り切り | ● | 西前1 | 嶋錦 |
東前5 | 房錦 | 〇 | 突き出し | ● | 西前6 | 双ツ龍 |
東前8 | 若前田 | 〇 | 突き出し | ● | 西前7 | 荒岩 |
東前9 | 星甲 | 〇 | 寄り倒し | ● | 西前8 | 大起 |
東前10 | 若葉山 | 〇 | 外無双 | ● | 西前9 | 羽嶋山 |
西前10 | 若瀬川 | 〇 | 寄り倒し | ● | 東前11 | 成山 |
西前11 | 高錦 | 〇 | うっちゃり | ● | 西前12 | 大瀬川 |
東前13 | 潮錦 | 〇 | 下手投げ | ● | 東前12 | 宮錦 |
東前14 | 廣瀬川 | 〇 | ずぶねり | ● | 西前13 | 岩風 |
西前14 | 鳴門海 | 〇 | 寄り切り | ● | 東前15 | 國登 |
西前15 | 大晃 | 〇 | 叩き込み | ● | 東前16 | 及川 |
東前17 | 泉洋 | 〇 | 寄り切り | ● | 西前16 | 大ノ浦 |
西前17 | 八染 | 〇 | 押し出し | ● | 東前18 | 清惠波 |
西前18 | 福ノ海 | 〇 | 上手投げ | ● | 東前19 | 出羽湊 |
西前19 | 白龍山 | 〇 | 上手投げ | ● | 東前20 | 大田山 |
東前21 | 鬼竜川 | 〇 | 寄り倒し | ● | 西前20 | 小野錦 |
西前21 | 神錦 | 〇 | 出し投げ | ● | 東前22 | 東海 |
西前22 | 吉井山 | 〇 | 押し出し | ● | 東前23 | 鯉ノ勢 |
東十1 | 愛宕山 | 〇 | 寄り倒し | ● | 西前23 | 神生山 |
昭和32年秋場所番付
昭和32年9月15日~昭和32年9月29日
幕内の番付と成績
西 | 成績 | 位 | 東 | 成績 |
---|---|---|---|---|
鏡里 | 8勝7敗 | 横綱 | 栃錦 | 13勝2敗 優 |
千代の山 | 5勝8敗2休 | 張出横綱 | 吉葉山 | 9勝6敗 |
朝汐 | 11勝4敗 | 大関 | 若乃花 | 11勝4敗 |
- | - | 張出大関 | 松登 | 6勝9敗 |
安念山 | 9勝6敗 | 関脇 | 時津山 | 9勝6敗 |
琴ヶ濱 | 11勝4敗 技 | 張出関脇 | - | - |
若羽黒 | 8勝7敗 | 小結 | 北ノ洋 | 11勝4敗 |
嶋錦 | 0勝10敗5休 | 前1 | 清水川 | 6勝9敗 |
大内山 | 6勝9敗 | 前2 | 三根山 | 6勝9敗 |
海山 | 4勝11敗 | 前3 | 時錦 | 6勝9敗 |
玉乃海 | 0勝0敗15休 | 前4 | 鶴ヶ嶺 | 6勝9敗 |
出羽錦 | 4勝11敗 | 前5 | 房錦 | 7勝8敗 |
双ツ龍 | 8勝7敗 | 前6 | 栃光 | 9勝6敗 |
荒岩 | 11勝4敗 | 前7 | 信夫山 | 10勝5敗 |
大起 | 3勝12敗 | 前8 | 若前田 | 8勝7敗 |
羽嶋山 | 10勝5敗 | 前9 | 星甲 | 7勝8敗 |
若瀬川 | 12勝3敗 準敢 | 前10 | 若葉山 | 6勝9敗 |
高錦 | 7勝8敗 | 前11 | 成山 | 9勝6敗 |
大瀬川 | 10勝5敗 | 前12 | 宮錦 | 4勝11敗 |
岩風 | 8勝7敗 | 前13 | 潮錦 | 9勝6敗 |
鳴門海 | 9勝6敗 | 前14 | 廣瀬川 | 6勝9敗 |
大晃 | 10勝5敗 | 前15 | 國登 | 8勝7敗 |
大ノ浦 | 4勝11敗 | 前16 | 及川 | 8勝7敗 |
八染 | 5勝10敗 | 前17 | 泉洋 | 4勝6敗5休 |
福ノ海 | 8勝7敗 | 前18 | 清惠波 | 5勝10敗 |
白龍山 | 7勝8敗 | 前19 | 出羽湊 | 7勝8敗 |
小野錦 | 8勝7敗 | 前20 | 大田山 | 6勝9敗 |
神錦 | 7勝8敗 | 前21 | 鬼竜川 | 5勝10敗 |
吉井山 | 5勝10敗 | 前22 | 東海 | 7勝8敗 |
神生山 | 0勝2敗13休 | 前23 | 鯉ノ勢 | 8勝7敗 |
富樫 剛 (柏戸) 西幕下1 5勝3敗
納谷 幸喜(大鵬) 西三段目71 7勝1敗
柏戸・大鵬の比較 をまとめてみました
柏戸 | 大鵬 | |
---|---|---|
四股名 | 富樫 剛→柏戸 剛(昭和34年3月) | 納谷 幸喜→大鵬 幸喜(昭和34年5月) |
本名 | 富樫 剛 | 納谷 幸喜 (別名:住吉 幸喜/ イヴァーン・ボリシコ) |
生年月日 | 1938年(昭和13年)11月29日 | 1940年(昭和15年)5月29日 |
没年月日 | 1996年(平成8年)12月8日58歳 | 2013年(平成25年)1月19日72歳 |
出身 | 山形県東田川郡山添村 (現・山形県鶴岡市) | 北海道川上郡弟子屈町 (出生地は樺太敷香郡敷香町) |
身長 | 188cm | 187cm |
体重 | 143kg | 153kg |
所属部屋 | 伊勢ノ海部屋 | 二所ノ関部屋 |
得意技 | 突っ張り、右四つ、寄り | 左四つ、寄り、掬い投げ、上手投げ |
年寄名跡 | 鏡山 剛 | 大鵬 幸喜 |
最終場所 | 1969年(昭和44年)7月場所 | 1971年(昭和46年)5月場所 |
最高位 | 第47代横綱 | 第48代横綱 |
優勝 | 幕内最高優勝5回 十両優勝1回 幕下優勝1回 | 幕内最高優勝32回 十両優勝1回 三段目優勝1回 |
賞 | 殊勲賞2回 敢闘賞2回 技能賞4回 | 敢闘賞2回 技能賞1回 |
生涯戦歴 | 715勝295敗140休(84場所) | 872勝182敗136休(87場所) |
幕内戦歴 | 599勝240敗140休/832出(66場所) | 746勝144敗136休/881出(69場所) |
横綱戦歴 | 407勝147敗140休/547出(47場所) | 622勝103敗136休/716出(58場所) |
横綱昇進 | 1961年(昭和36年)9月場所後 | 1961年(昭和36年)9月場所後 |
大関戦歴 | 81勝24敗/105出(7場所) | 58勝17敗/75出(5場所) |
関脇戦歴 | 30勝15敗/45出(3場所) | 25勝5敗/30出(2場所) |
小結戦歴 | 17勝13敗/30出(2場所) | 11勝4敗/15出(1場所) |
小結昇進 | 1959年(昭和34年)11月場所 | 1960年(昭和35年)7月場所 |
前頭戦歴 | 64勝41敗/105出(7場所) | 30勝15敗/45出(3場所) |
入幕 | 1958年(昭和33年)9月場所 | 1960年(昭和35年)1月場所 |
十両戦歴 | 50勝25敗/75出(5場所) | 44勝16敗/60出(4場所) |
幕下戦歴 | 33勝15敗/48出(6場所) | 35勝13敗/48出(6場所) |
三段目戦歴 | 21勝11敗/32出(4場所) | 27勝5敗/32出(4場所) |
序二段戦歴 | 6勝2敗/8出(1場所) | 13勝3敗/16出(2場所) |
序ノ口戦歴 | 6勝2敗/8出(1場所) | 7勝1敗/8出(1場所) |
前相撲戦歴 | 1場所 | 1場所 |
初土俵 | 1954年(昭和29年)9月場所 | 1956年(昭和31年)9月場所 |
柏鵬 全対戦 | 16勝21敗 | 21勝16敗 |
横綱昇進以前 | 7勝3敗 | 3勝7敗 |
横綱同士の対戦 | 9勝18敗 | 18勝9敗 |
昭和32年9月 大相撲秋場所の番付と取組 感想
当時住いに近い三軒茶屋の空き地に街頭テレビがあり、相撲やプロレスを友人と二人でよく見に行きました。そんなとき彼から「今度相撲を見に行こうよ」と誘われました。
この頃、国技館は蔵前にあり、現在の両国に移ったのは1985年(昭和60年)1月場所からです。
安い席で土俵から遠いため、何度か通路から下へ見に行ったりもしました。一番驚いたのは大きな体格です。トイレに行ったときに大柄な元小結の大起(おおだち)関が入ってきました。身長194cm、体重180kgで、失礼な話ですが、これまで見たことのない化け物のように思えました。この場所で最も大柄だったのは元大関の大内山で、身長202cm体重152kgでした。
昭和32年はまだ年5場所で、年6場所になったのは翌昭和33年からです。横綱は栃錦、鏡里、 吉葉山、千代の山と4人いましたが、その後の栃若時代と騒がれた若乃花はまだ大関でした。
番付を見直しているうちに柏戸と大鵬が載っていることに気付きました。後の柏鵬時代を築く二人の戦績をみると、横綱昇進以前は柏戸の7勝3敗と大きく勝ち越しています。大鵬がいかに柏戸を苦手にしていたかが分ります。それでも、同時昇進して以降の横綱同士対戦では大鵬が18勝9敗と差を付けました。
友人は1991年(平成3年)病気で亡くなりました。今から29年も前のことです。
この友人とはいろんなところに行きました。なかでも一番の思い出は友人の母方実家埼玉県比企郡小川町へ自転車で行ったことです。どこをどう走ったかは忘れてしまいましたが、地図をみながら7時間ほどかけて約70kmを走りました。農家の一角には蚕を飼う場所がありました。翌日道路を渡ったところにある川で泳いだり、近くの峠を歩いたりしました。その時家の人がひときわ高い山を指して「あれが笠山だよ」と教えてくれました。ここのところ5年連続で参加している「外秩父七峰縦走ハイキング大会42km」で通るあの笠山です。小川町駅をスタートしてしばらく行くと川を渡ります。毎年もしかするとあの時泳いだ川ではないか、と思いながら歩いています。その大会は昨年の台風19号の影響で早々と中止が発表されました。もし台風の被害がなかったとしても 3,000人も参加する大会なので、新型コロナウイルス感染症の関係で中止になったことでしょう。来年の開催を期待して、またあの川を渡るのを楽しみにしたいと思っています。
以上です。
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