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ウォーキングとフラメンコ
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新宿区02 見どころ満載の四谷で、歴史探索 TOKYO Walking Map 2023.3.30

2023.3.30(木)曇後晴  5.1km→5.7km
ルート:四ツ谷駅【赤坂口】→若葉東公園→須賀神社→<於岩稲荷陽運寺・於岩稲荷田宮神社>→消防博物館→新宿歴史博物館→四ツ谷駅【四ツ谷口】


コース01のゴール新宿三丁目駅から地下鉄丸ノ内線に乗り、四ツ谷駅で降りました。


東京都福祉保健局のサイト

新宿区02 見どころ満載の四谷で、歴史探索
最寄駅:四ツ谷駅(JR) 四谷駅(都営バス) 所要時間:約78分 距離:約5.1km 消費カロリー:約234kcal 歩数:約7300歩


11:07  四ツ谷駅【赤坂口】 スタートしました


外堀通り  を左へ


四谷中学校前の信号を渡り


11:13  若葉東公園  へ入りました

若葉東公園:新宿区
若葉東公園は、四ツ谷駅近くに位置し迎賓館と調和のとれるように設計された公園です。公園は、中央を通るユリノキの並木道を挟んで左右にひろがっています。


迎賓館北門前 右折  

迎賓館は港区コース03で中へ入ったので、今回は素通りします


学習院初等科前交差点 直進  


学習院初等科  


浄土宗寺院 服部半蔵開基 西念寺  

浄土宗西念寺|新宿区の四谷にある服部半蔵が開基したお寺です
専称山安養院西念寺(さいねんじは)、忍者として有名な服部半蔵正成公の開基によって、松平信康公(徳川家康公嫡男)の供養の為に開創されました。


左に見える 観音坂 上 

東京都新宿区の歴史 観音坂
この坂の西脇にある真成院の潮踏(塩踏)観音に因んでこう名付けられた。潮踏観音は潮干観音とも呼ばれ、また、江戸時代には西念寺の表門が、この坂に面していたため西念寺坂ともいう。

新宿区立四谷小学校 前通過

   
東福院坂(天王坂)  

東福院坂(天王寺坂) | 東京とりっぷ
坂の途中にある宝珠山東福院の名から東福院坂と呼ばれ、また坂の南側に牛頭天王社・南蔵院(現・須賀神社)があったため、天王寺坂とも呼ばれました。一帯は天王横丁で、現在は須賀神社へと直進する階段になっています。


東福院  


愛染院  

愛染院 | 東京とりっぷ
正式名は獨鈷山光明寺愛染院で、真言宗豊山派の寺。空海(弘法大師)ゆかりの寺を巡る御府内八十八ヶ所霊場18番札所。『群書類従』、『続群書類従』の編者として名高い国学者・塙保己一(はなわほきいち)の墓、内藤新宿を開設し、問屋・本陣を経営した高松喜六の墓があります。

  
左折  突当りに須賀神社 男坂 が見えます


観音坂


右折 戒行寺坂へ  

戒行寺坂 | 東京とりっぷ
四谷寺町にある戒行寺(かいぎょうじ)の南側を東へと下る坂道が戒行寺坂。坂の下が若二商店街。坂上には戒行寺があります。

宗福寺  

宗福寺 源清磨の墓 | 一般社団法人新宿観光振興協会
四谷正宗の異名を持つ名刀工源清麿の墓があります(区指定史跡)。清麿は信濃国(長野県)小諸の藩士山浦信風の次男で環といい、文化10年(1813)3月に生まれた。信濃国上田の刀工河村寿隆の門に入って鍛刀を学び、やがて江戸に出て幕臣窪田清音に師事しました。のち四谷伊賀町稲荷横丁(現在の三栄町辺り)に住み、名を源清麿と改めて、名刀を打ち出しました。


戒行寺    

戒行寺 | 東京とりっぷ
四谷寺町にある身延山久遠寺の末寺が日蓮宗の寺、妙典山戒行寺。文禄4年(1595年)に麹町に建立し、寛永11年(1634年)に江戸城外堀工事のため四谷に移転しました。旗本直参の宮重作兵衛の尽力で移転し、妙典山という山号は、宮重作兵衛の法名に由来。境内に『鬼平犯科帳』のモデル、長谷川宣以(長谷川平蔵)供養碑があります。


戒行寺坂 上  


西応寺  

西応寺|新宿区須賀町にある真宗大谷派寺院
真宗大谷派寺院の西応寺は、松雲山と号します。西応寺は、周桂和尚が麹町貝塚夫婦坂に慶長12年(1607)創建、江戸城外堀建造に伴い寛永12年(1635)当地へ移転したといいます。山号は、徳川家康が当寺に来た際、庭前の松に暮雲がたなびいているさまを見て松雪山とするよう命名されたといいます。


勝興寺  手前右折

曹洞宗法輪山「勝興寺」公式サイト|東京四谷にある曹洞宗寺院。
勝興寺は東京四谷にある曹洞宗の寺院。山号は『法輪山』と言い、約460年の歴史を誇ります。初代の東竹院四世雪庭春積大和尚が麹町清水谷に草庵を建てていましたが、寛永11年外濠を作成し、天正10年(1582)創建、江戸城外堀建造の拡張の際に伴い、寛永11年(1634)当地へ移転し現在に至ります。


須賀神社  男坂 上 


新宿区立須賀公園  

11:47  須賀神社  

四谷の総鎮守として崇敬されています。江戸時代の三十六歌仙絵(区指定文化財)が奉納されています。
東京四谷総鎮守 須賀神社 | 東京の御祈願
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座する、四谷十八ヵ町の鎮守様です。社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に、八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事に基づき名付けられた名称です。


須賀神社 飯塚正兵衛像

東京都新宿区の歴史 飯塚正兵衛翁顕彰胸像(須賀神社)
飯塚正兵衛翁は常に敬神崇祖の念を至上とし戦後の世情混乱期より幾多の困難を克服し30猶予年の長きに亘り歴代の責任役人及び氏子総代と共に終始当神社の為に神慮を畏み赤心の誠を以って氏子の代表として宮司を援け衆意を善く一にし堅忍不抜は言うに及ばず一意専心献身的な努力を重ね神社の復興を成し神威の高揚と神徳の顕揚に尽されし其の業績は多大たり


四谷の総鎮守「須賀神社」と三十六歌仙絵


須賀神社 を南側から出ました


本性寺  

四谷本性寺(ほんしょうじ)
東京都新宿区の本性寺は、下総国小金宿平賀(千葉県松戸市)あじさい寺でも有名な日蓮宗の本山、長谷山本土寺の末寺です。徳川家康の江戸入府に従ってきた三河の郷士、三田佐兵衛尉守綱が開基であり、生前営んでいた隠居所を、三田氏の没後、その菩提を弔うためこの地に本性庵として創建されたのが始まりです。

於岩稲荷 長照山 陽運寺  四谷怪談御岩さま縁の寺

陽運寺 – 縁結び お岩さまの寺
江戸時代、文政八年七月、歌舞伎作者 四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。この地にあったお岩様の霊堂が戦災にあったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し当寺が開山されました。境内にある秦山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。

どう見ても神社のようですが、お寺です


陽運寺 本堂  

本堂は宝暦七年(1757)建造の薬師堂を移築したものであり、寄木造りの貴重な建造物です。


お岩さま 縁の井戸  と  水かけ福寿菩薩

於岩稲荷田宮神社   於岩稲荷長照山陽運寺のすぐ近くにあり、こちらは神社です

田宮稲荷神社跡 四谷怪談の旧地 | 一般社団法人新宿観光振興協会
江戸時代後期の歌舞伎脚本作者、四代目鶴屋南北が書いた『東海道四谷怪談』で有名な田宮伊右衛門の妻・お岩をまつったお岩稲荷神社の旧地で、東京都指定旧跡です。政8年(1825年)、江戸浅草の中村座で上演し、大当たりしました。これは物語であり、幕府の御家人・田宮又左衛門の娘お岩は、養子伊左衛門の貞淑な妻で、代々家に伝わる稲荷を信仰していました。このお岩にあやかろうと、お岩稲荷の信仰が盛んになったといわれています。明治5年頃、『田宮稲荷』と改められ、現在は飛地境内社としてお岩稲荷の旧地を守っています。


拝殿前にあったコピーとお札  コピー代金として10円をお賽銭箱に納めました


外苑東通り に出ました 


四谷三丁目交差点  の角に四谷消防署があり、その中に  消防博物館 があります


12:15  消防博物館  へ入ります

消防の歴史や消防クラシックカーなどを集めた博物館。消防ヘリの操縦席に座る体験もできます。
東京消防庁<防災館・博物館><消防博物館>
消防博物館は、正式には東京消防庁消防防災資料センターといいます。東京の安全と安心を進める消防がまるごとわかる広報・教育施設として1992(平成4)年12月3日に開館しました。当館には、消防関係の資材、書籍などを含む、12,000点以上の資料を所蔵しており、江戸の消防に関する錦絵、瓦版、古文書、消火道具や明治時代から現在に至るまでの消防ポンプ、防火衣、消防活動資器材などの実物を中心に展示しています。入館料 無料


受付で入館証をもらいエレベータで5階へ

消防博物館 5階  消防の夜明け

江戸時代の火消の誕生や仕組みについて紹介するフロアーです。江戸時代の町並みを再現したジオラマでは、町人の様子や活躍する火消たちの勇ましい姿を詳細に再現しています。


屋外の消防ヘリコプター  操縦席に乗ることができます


消防博物館 4階  消防の変遷

明治時代から大正、昭和初期にかけての消防は、装備の近代化によってめざましい発展をとげました。時代の風俗を織り交ぜながら消防の移り変わりをたどります。

消防博物館 3階  現代の消防

現代の消防は、様々な災害から生命や財産を守るために広く活動しています。このフロアーでは、消火・救急活動をアニメと模型のショーステージにより学べるほか、映像などで災害への取り組みを紹介しています。


消防博物館 地下1階  消防自動車の変遷・ミュージアムショップ
このフロアーでは、大正から平成までに活躍した消防自動車7台を展示し、消防自動車などの変遷を解説しています。ミュージアムショップでは、消防博物館の来館記念品グッズなど販売しております。ご来館の際はぜひお立ち寄りください。


消防博物館 1階  エントランス
昭和57年まで現役で活躍した消防ヘリコプターが皆様をお迎えします。また、ミニシアターでは、防災アニメや、消防隊の紹介映像などをご覧になれます。


消防博物館 を出ました


外に出て見上げると、先ほど操縦席に座ったヘリコプターが見えました


四谷三丁目交差点から 新宿通り を四谷方面へ


津之森坂入口交差点 左折 津之森坂通りへ


三栄町交差点 右折 三栄通りへ

新宿区立三栄公園  手前 左折


12:57  新宿歴史博物館  

旧石器時代からの新宿の歴史や文化が大集合。江戸時代のジオラマや懐かしい市電車両の模型にわくわく。(※有料)
新宿歴史博物館
新宿歴史博物館は、新宿区の歴史・文化に関わる資料を収集・保管する郷土博物館です。古代から近現代までの新宿の移り変わりが分かる常設展示のほか、年数回の特別展・所蔵資料展を開催しています。一般300円

新宿歴史博物館は 2020.12.6 JR「駅からハイキング」明治神宮外苑の散策と文化施設巡り で来ました  撮影場所が指定されています
撮影スポット(2020.12.6)


四谷見附橋 高欄    新宿歴史博物館入口脇にあります

東京都新宿区の歴史 四谷見附橋 高欄(新宿歴史博物館)
大正2年(1913)10月に開通した四谷見附橋の欄干の一部です。四谷見附橋は、現在の国道20号線(甲州街道)にかかる橋で、JR中央線四ッ谷駅を跨ぎ、新宿区と千代田区を結んでいます。この橋がかかるまで四谷見附は、江戸城防備のため甲州街道の要衝として築かれたコの字状の枡形の名残をとどめ、麹町方面には直進することができませんでした。そこで東京市は、甲州街道を直行する橋を計画し、明治44年(1911)3月に着工、大正2年(1913)10月に完成しました。


新宿歴史博物館 全景


左折 右折 津之森坂通り

合羽坂交差点 右折 靖国通りへ


市谷本村町交差点 直進  防衛省前


市谷八幡町交差点 左折 外苑通りへ


お濠の向うに総武線が見えます


高力坂  

外濠公園  に入りました


外堀通りに出ると駅は目の前です


四ツ谷駅【四ツ谷口】ゴールしました


次のコース03に向うため、地下鉄四ツ谷駅から南北線に乗り、飯田橋駅で東西線に乗換えて神楽坂駅へ行きました。


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  5.1km→5.7km


新宿区02 見どころ満載の四谷で、歴史探索 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
四ツ谷駅【赤坂口】  0.00km  0:00  11:07
若葉東公園  0.20km  0.20km  0:06  0:06  0:00  11:13  11:13
須賀神社  1.50km  1.70km  0:45  0:34  0:05  11:47  11:52
消防博物館  0.80km  2.50km  1:27  0:23  0:19  12:15  12:34
新宿歴史博物館  1.20km  3.70km  1:53  0:23  0:03  12:57  13:00 
四ツ谷駅【四ツ谷口】  2.00km  5.70km  2:28  0:35  13:35 
コース03へ
 2023/03/30(木)曇後晴   5.7km  2:28   2:01  0:27


新宿区02 見どころ満載の四谷で、歴史探索 の感想
経由地の若葉東公園、消防博物館、新宿歴史博物館は 2020.12.6 のJR駅からハイキング「明治神宮外苑の散策と文化施設巡り」で来たことがあります。
須賀町、若葉の界隈は寺院が軒並みにあり、さながら寺町といった様子です。いつもならできるだけ中へ入って本堂や周辺を眺めるのですが、さすがにこれだけ続くと門の前をただ通り過ぎるだけという状態でした。
経由地にはありませんが、このコース一番の注目は於岩稲荷長照山陽運寺と於岩稲荷田宮神社です。陽運寺に「於岩稲荷」ののぼりがあったので、最初ここが於岩稲荷神社だと勘違いしました。説明板を読んで寺院だと分り、そういえば元赤坂の豊川稲荷も寺院だったとすぐに思い浮かべました。於岩稲荷田宮神社の説明文コピーを読むと、「お岩さん」は健気な一生を送った女性で、鶴屋南北作「四谷怪談」のお岩とは全く違う人物だったということです。お岩の評判を知ったうえで、死んでから200年も経っていることと、人気があるお岩の
名前を使って歌舞伎にすれば大当たり間違いないと台本を書いたというのですから驚きです。しかも善人ではおもしろくない、江戸で起きたいくつかの極悪事件を題材にしようと、空想力で操り脚本を完成させたとのこと。しかも「東海道四谷怪談」として、四谷とは関係ない東海道を付けて、創作であることを示したというのです。「お岩さん」の立場からすればとんでもないことをしてくれたと、思わず同情したくなるような話でした。


以上です。
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