文京区02 ぶんきょう学問の道コース TOKYO Walking Map 2023.5.17
2023.5.17(水)晴 5.0km→6.0km
ルート:→本郷弥生→本郷三丁目→サッカーミュージアム入口→史跡 湯島聖堂→湯島聖堂前→<神田明神>→(湯島天満宮)~湯島天神入口→本富士警察署前→文京総合体育館→<三菱資料館>→(境稲荷神社)→本郷弥生→
文京区2日目は南北線東大前駅で降りて、スタート地点本郷弥生へ向います。
東大前駅 本郷通り
東大農学部正門「農正門」
本郷通り 本郷弥生交差点
東京都福祉保健局のサイト
文京区02 ぶんきょう学問の道コース
最寄駅:東大前駅(東京メトロ) 所要時間:約75分 距離:約5.0km 消費カロリー:約225kcal 歩数:約7143歩
9:17 本郷弥生 スタートしました
東大正門前 東大構内は文京区05で入る予定です
旧加賀屋敷御守殿門 (赤門)
9:31 本郷三丁目
信号を渡り 本郷通り 直進
サッカーミュージアム入口 右折 サッカー通り
順天堂前交差点 左折 外堀通りへ
東京メトロ御茶ノ水駅
聖橋 をくぐる
JR御茶ノ水駅
相生坂
profile/相生坂
神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。「東京案内」に,「元禄以来聖堂のありたる地なり,南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい,相生坂より聖堂の東に沿いて,湯島坂に出るものを昌平坂という。
9:55 史跡 湯島聖堂 斯文会館
史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
入場無料 ・午前9時半~午後5時まで(冬季は4時)・土,日曜,祝日には大成殿公開 (午前10時~閉門時間まで)
仰高門 -ぎょうこうもん-
鉄筋コンクリート造。平家建。切妻造り。延面積10.73m2、昭和10年(1935)4月竣工。
仰高門-仰高とは、「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」による。
門の下にあった「漢文検定」と「生涯学習」のパンフレット
壁にあった神田祭のポスター
孔子銅像
昭和50年(1975)中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈。11月3日除幕式を挙行した。
丈高15呎[4.57メートル]重量約1.5トンの孔子の銅像は世界最大。
孔子銅像建立の記
137 文京区の石碑-1-孔子銅像建立の記(湯島聖堂) - 石仏散歩
孔子ハ約二千五百年前ノ春秋時代ノ魯ノ國ノ人デアル 幼ニシテ父ヲ喪ヒ下級官吏ヨリ身ヲ起シ國王定公ニ用ヒラレ大夫トシテ國政ニ参與シテ十數年大イニ治績ヲ擧ゲタガ後ニ意見ガ合ハズ退任シ門弟ト共ニ諸國ヲ周遊シテ容レラレズ晩年故郷ニ歸リ人ノ人タル所以ノ道ヲ説イテ七十餘歳デ逝去シタ・・・
楷樹の由来
楷 かい 学名 とねりばはぜのき うるし科
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、初め子貢が(孔子の墓所に)植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
聖木・孔子の木~!東京・湯島聖堂の楷の木(楷樹/カイノキ) - ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログが好き😍
入徳門 -にゅうとくもん-
木造、平家建。切妻造り。延面積14.16m2 宝永元年(1704)建造。
入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」による。上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建時にも入徳門有り。曲阜の孔子廟には無い。江戸官学・朱子学の影響か。聖堂内、唯一の木造建造物。
杏壇門へ上る階段
杏壇門 -きょうだんもん-
間口20メートル、奥行4.7メートル、入母屋造り。
杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のこと。宋の乾興のとき、大殿(大成殿)を後方に移し、教授堂(講堂)の跡地を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、金の党懐英が「杏壇二字碑」を建立。のちそこに門扉が設けられ、杏壇門の名称が付けられた。
大成殿 -たいせいでん-
間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル、入母屋造り。 大成とは、孔子廟の正殿の名称。宋(北宋)の仁宗のとき命名。 「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づく。殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀る。
【湯島聖堂】孔子が教えた宥座の器(ゆうざのき)をやってきました yushima seido
階段の上から見た入徳門
湯島聖堂を出ました
左折して 昌平坂へ
profile/昌平坂
湯島聖堂と,東京医科歯科大学のある一帯は,聖堂を中心とした 江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂を,ひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで,昌平黌を今に伝える坂の名である。
昌平坂を上りきって左折 湯島聖堂明神門の前を通り塀に沿って進みます
国道17号線の向うに神田明神の鳥居が見えます
10:14 湯島聖堂前 右折
コースルートにはありませんが神田明神へ寄ってみます
<神田明神> ここは千代田区外神田です
Home|江戸総鎮守 神田明神
社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
神田明神 隨神門
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。総檜・入母屋造。
神田明神 祭務所、神楽殿
神田明神 御百度石とだいこく様尊像
御百度石 - 二十度もお参りする毎に、百度石に五色紙垂を一色づつお供えすれば五色で百度参りするもの。
だいこく様尊像 - 石造りとしては日本一のだいこく像として建立。
神田明神 御社殿 5月17日は例大祭当日のためテントが設置されていました
昭和9年に竣功。権現造。鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿
神田明神 狛犬
関東大震災後に復興された現社殿とともに建立された、正面を向いている非常に珍しい狛犬。
神田明神 裏参道からでます
新妻恋坂を左に向い清水坂下交差点方面へ
清水坂下交差点を右折 清水坂へ ここでコース復帰しました
profile/清水坂
嘉永6年(1853)の『江戸切絵図』を見ると,霊山寺(りょうざんじ)の敷地跡のうち,西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になって,その敷地は清水精機会社の所有となった。大正時代に入って, 湯島天満宮とお茶の水の間の行き来が不便であったため,, 清水精機会社が一部土地を町に提供し, 坂道を整備した。
三組坂上交差点 直進 右側が三組坂
profile/三組坂
元和2年(1616)徳川家康の死去にともない,家康お附きの中間(ちゅうげん)・小人・駕籠方「三組の者」に,当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えた。その後,元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして 町名を「三組町」と改めた。この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられた。
10:39 (湯島天満宮) コース05で見学予定のため、今回は拝殿のみ
湯島天神公式サイト
湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、・・元禄十六年(1703)の火災で全焼・・明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。
湯島天神を出て塀沿いに歩いていたら、音をたてて突然目の前に何か落ちてきました
よく見ると梅の実です 見上げると大量の梅の木がありました
すぐに小畑実の「湯島の白梅」を思い浮かべました
湯島の白梅 / 小畑 実 - YouTube
湯島天神 唐門
湯島天満宮の例大祭は5月25日、27日、28日
10:42 湯島天神入口 左折 春日通りへ
麟祥院前交差点 直進
春日局之像 奥に見えるのが麟祥院
麟祥院 コース05で中へ入る予定
10:49 本富士警察署前 右折
10:51 文京総合体育館
東大 龍岡門 前右折 正面に見えるのは 東京大学本部棟
ここからコースを外れて 三菱資料館方面へ
10:58 <三菱資料館> 中へ入ります
史料館
三菱史料館は、1996(平成8)年に三菱経済研究所の付属施設として併設され、三菱の歴史に関する史料を収集・保存・公開するとともに、三菱および日本の産業発展史の調査・研究を行っております。開館時間 展示室は 10:00~16:30 無料 休館日 土曜日、日曜日、国民の祝日、年末年始
館内は全て撮影禁止でした
ここを右折してコースに復帰
講安寺
文京区 講安寺(こうあんじ)
慶長11年(1606)に湯島天神下に創建され、その後元和2年(1616)に現在地に移転した。外壁が漆喰で何度も塗り込められた土蔵造りの本堂(区指定文化財)は、火事に悩んだ江戸の人たちの防火対策の知恵である。
無縁坂
無縁坂 | 文京区観光協会
台東区との境にある坂で、鷗外の代表作『雁』の舞台となりました。主人公が散歩をする描写があります。
右の塀は 旧岩崎邸庭園 ですが、台東区のためコースに入っていません
無縁坂下 を左折 その先には不忍池が見えます
(境稲荷神社) 弁慶鏡ヶ井戸
「境稲荷神社と弁慶鏡ヶ井戸」の説明板 - 台東区、境稲荷神社の写真 - トリップアドバイザー
文明年間足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられ忍が岡と向が岡の境に鎮座するところから境稲荷と称され両村の総鎮守であった という歴史ある稲荷神社です。隣接して「弁慶鏡ヶ井戸」があり、源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝えられる名水で、昭和20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救った とのことです。
東京大学 池之端門 東京大学医学部付属病院
竹久夢二美術館
弥生美術館
東大弥生門 東京大学工学部
暗闇坂
profile/暗闇坂(弥生町)
江戸時代は,加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で,樹木の生い茂った 薄暗い寂しい坂であったのであろう。江戸の庶民は,単純明解に このような坂を 暗闇坂 と名づけた。23区内で同名の坂は 12か所 ほどある。区内では,白山5丁目の 京華女子高校 の裏側にもある。
言問通り に出て左へ
ドーバー海峡大橋
農学部キャンパス(弥生キャンパス) | 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
南門は、言問通りに面していて、根津や弥生坂からのアクセスに便利です。陸橋は、言問通りをまたいで本郷キャンパスと連絡します。陸橋周辺の言問通りは、学生から、通称「ドーバー海峡」と呼ばれています。
11:49 本郷弥生 ゴールしました
Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 5.0km→6.0km
文京区02 ぶんきょう学問の道コース のコースタイム
経由地 | 距離km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|
本郷弥生 | 0.0km | 0:00 | 9:17 | ||||
本郷三丁目 | 0.9km | 0.9km | 0:14 | 0:14 | 0:00 | 9:31 | 9:31 |
サッカーミュージアム入口 | 0.6km | 1.5km | 0:26 | 0:12 | 0:00 | 9:43 | 9:43 |
史跡 湯島聖堂 | 0.7km | 2.2km | 0:51 | 0:12 | 0:13 | 9:55 | 10:08 |
湯島聖堂前 | 0.5km | 2.7km | 0:57 | 0:06 | 0:00 | 10:14 | 10:14 |
<神田明神>千代田区 | 0.1km | 2.8km | 1:10 | 0:03 | 0:10 | 10:17 | 10:27 |
(湯島天満宮)~湯島天神入口 | 0.9km | 3.7km | 1:25 | 0:12 | 0:03 | 10:39 | 10:42 |
本富士警察署前 | 0.4km | 4.1km | 1:32 | 0:07 | 0:00 | 10:49 | 10:49 |
文京総合体育館 | 0.1km | 4.2km | 1:34 | 0:02 | 0:00 | 10:51 | 10:51 |
<三菱資料館> | 0.3km | 4.5km | 2:04 | 0:07 | 0:23 | 10:58 | 11:21 |
(境稲荷神社) | 0.6km | 5.1km | 2:15 | 0:10 | 0:01 | 11:31 | 11:32 |
本郷弥生 | 0.9km | 6.0km | 2:32 | 0:17 | 11:49 | ||
コース08へ | |||||||
2023/05/17(水)晴 | 6.0km | 2:32 | 1:42 | 0:50 |
文京区02 ぶんきょう学問の道コース の感想
今日は快晴で最高気温が30度を超える、とニュース・天気予報で盛んに言っているのを聞きながら出かけました。熱中症には十分気をつけるつもりです。
このコースは文京区と接する千代田区や台東区を通ります。コースルートにない千代田区の神田明神にも寄ってみました。本当はコースルートに近い台東区の旧岩崎邸庭園にも行きたかったのですが、調べて見ると入口が真反対で遠いためあきらめました。
湯島天神を出てすぐ道路上に落ちてきた梅の実を見て、すぐ「湯~島~通れ~ば~思~い~出~す~」というメロディーが出てきましたが、誰の歌か思い出せません。帰って調べてみると、昭和17年に発売の小畑実「湯島の白梅」でした。湯島天神には300本の白梅があるそうです。
湯島聖堂をはじめ神田明神、湯島天神、三菱資料館など初めてのところばかりです。まだ東大の構内にも入ったことがありません。他のコースで入る予定なので楽しみにしたいと思っています。
以上です。
文京区01 ⇦ 文京区02 ⇨ 文京区03
文学の道 文人の道
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