mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

60年前の日劇-5 ジャズ*モダン&ファンキー

1960年6月というと高校2年生のときです。渋谷マリンバ、池袋ドラム、銀座ACBなどのジャズ喫茶へ行って、主にロカビリーを見ていました。ウェスタン・カーニバルはこの年にもやっていましたが、今度はジャズを聴きに行くことにしました。


ジャズ*モダン&ファンキー   日本劇場  1960(昭和35)年6月23日~29日
表紙


表紙の裏 広告 十日町 セキヨシのきもの

出演者 1
小野 満(ベース) 中村八大(ピアノ)  松本英彦(テナーサックス) 
白木秀雄(ドラム) 渡辺辰郎(アルトサックス) 福原 彰(トランペット)


(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。



(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。兄の中村二大はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。



(まつもと ひでひこ、1926年10月12日 - 2000年2月29日)は、日本の世界的テナーサックス奏者。ニックネームは「スリーピー松本」。享年73。甥に松本晃彦がいる。



(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月1日 - 1972年8月22日頃)は、日本のジャズ・ドラマー。1957年4月に白木秀雄クインテットを結成した。同年に制作された石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」では、石原のドラム演奏シーンにおいてドラムのアテレコを担当し、映画の主題歌「嵐を呼ぶ男」のシングル盤ではバック演奏も担当した(「白木秀雄とオールスターズ」名義)。


福原 彰(フクハラ アキラ)とは - コトバンク
昭和期のジャズ・トランペット奏者、昭和4(1929)年10月7日-平成3(1991)年6月28日、
出生地北海道、本名福原 資彰(フクハラ スケアキ)、経歴:日大附属高在学中にトランペットを始め、松本伸とニューパシフィック、原信夫とシャープス&フラッツなどで活躍。その後渡辺弘とスター・ダスターズ、白木秀雄クインテットなどに参加。一方、ネム音楽院講師として後進の指導にもあたった。


出演者 2
ファンキーについて  大橋巨泉
中島 潤   丸山清子  ファンキー・オールスターズ・ジュニア 


(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日- 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、放送作家、政治家(参議院議員)。本名:大橋 克巳(おおはし かつみ)。芸名の「巨泉」は元々は自身の俳号である。競馬評論家、音楽評論家、時事評論家としての活動を行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。ズ評論家・放送作家からテレビ司会者に進出、弁舌家のタレントとして人気を得る。


渡辺貞夫も参加していました

(わたなべ さだお、1933年2月1日 - )は、日本のミュージシャン・作曲家。栃木県宇都宮市出身。ナベサダの愛称でジャズ・フュージョンのサックスプレーヤー・フルート奏者として活動。


出演者 3
ハナ肇とクレージィ・キャッツ   藤木 孝   沢村みつ子   花井チズ͡子


元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが大受けし、“You're crazy!”と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。



(ふじき たかし、1940年3月5日 - )は、静岡県富士宮市出身の俳優、歌手。ホリプロ所属。本名は遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)。1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約。歌唱力とダンスの才を活かし、1960年代前半には「レージィ・ギター」「踊れツイスト」「ツイストNo.1」「ママのツイスト」「24000のキッス」などのヒット曲を連発し、「ツイスト男」の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。


沢村 美司子(サワムラ ミツコ)とは - コトバンク
職業:ジャズ歌手、本名:中島 満子(ナカジマ ミツコ)、昭和16年12月1日-平成20年 3月11日 (2008年)、出生地:沖縄県、経歴:26年「一人ぼっちじゃつまらない」でレコードデビュー。初め歌謡曲、のちジャズに転じて“天才少女歌手”と呼ばれ、28年の映画「スター誕生」をはじめ、多数の映画に出演。30年渡米してMGMと契約、フランク・シナトラ、マーロン・ブランドとも共演した。31年NHK「紅白歌合戦」に出場。


出演者 4
ファンキーとは何か?  いソノてルヲ

ファンキー・ジャズ - Wikipedia
ファンキー・ジャズ(英:funky Jazz)は、ビバップ、ハード・バップから派生したモダン・ジャズのジャンル。ソウル・ジャズと呼ばれる場合もある。1950年代後半から1960年代前半ごろまで流行した。ブルースのフィーリングを強調し、ゴスペルの要素も加わった演奏形態である。黒人ジャズ的要素が強く、ビバップやハード・バップに共通した要素である、コードを分解し、旋律を再構成する際に、「ペンタトニック」(五音階)や黒人音楽を意識したスケールを意図的に用いたものも多い。


演目
・ジャズ・ミー・ロー・ダウン           ピーター・クロス   沢村みつ子   中島 潤   丸山清子
                                                             ファンキー・オールスターズ
                                                             白木クインテット
                                           演奏:原 信夫とシャープ&フラッツ


・ラウンド・ミッドナイト                  丸山清子
・セントルイス・ブルース                  藤木 孝
・デイ・バイ・デイ                             花井チズ͡子
・ブルース・マーチ                             白木クインテット
                                           演奏:白木クインテット


・フォー・ブラザース                         丸山清子   中島 潤   沢村みつ子
                                           演奏:原 信夫とシャープ&フラッツ


・クレージィ・キャッツのジャズ講座
                                           演奏: ハナ肇とクレージィ・キャッツ


・ゼイ・キャント・テイク・ザット・アウェイ・フロム・ミー
                                                            中島 潤 
                                           演奏:原 信夫とシャープ&フラッツ


・ジェリイズ・ストーミイ・マンデイ・ブルース
                                                            ピーター・クロス
・ファンキー・キャッツ                    沢村みつ子
                                          コーラス:藤木 孝  花井チズ͡子
・ジャム・セッション                        ファンキー・オールスターズ・ジュニア
                                           演奏:ファンキー・オールスターズ・ジュニア


・マンティナ                                       原 信夫とシャープ&フラッツ
・リリアンズ・ブルース                     中村八大(ピアノ)
・ユー・ケイム・アローン                 渡辺辰郎(アルトサックス)
・ボデイ・アンド・ソール                 松本英彦(テナーサックス)
・満月                                                 小野 満(ベース)
・褐色のブルース                               福原 彰(トランペット)
・エル・クムバンチェロ                    白木秀雄(ドラム)
・テイク・ジ・エイ・トレイン         沢村みつ子
・ラブ・ミー・オー・リーヴ・ミー  中島 潤
・ブラック・コーヒー                        丸山清子
・ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイ・モア
                                                            ピーター・クロス
・フィナーレ                                       全員
                                            演奏:原 信夫とシャープ&フラッツ


出演者 5
原 信夫とシャープ&フラッツ   
白木クインテット:白木秀雄(ドラム) 松本英彦(テナーサックス)
                         福原 彰(トランペット)世良 譲(ピアノ) 栗田八郎(ベース)


1951年9月、10人編成でシャープス&フラッツをスタートさせた原信夫は、短期間で現在と同じ17人編成のビッグ・バンド・スタイルを取り入れ、コンサート・バンドとも言うべき、デューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団などの本場のトップ・クラスを射程におさめた音楽活動を繰り広げていく。
原信夫 - Wikipedia  原 信夫(はら のぶお、本名・塚原 信夫(つかはら のぶお)、1926年11月19日 - )は、日本のジャズミュージシャン。テナーサックス奏者。富山県富山市出身。


同時上映の東宝映画 1
太陽を抱け


青い野獣

日劇見取図

広告 松坂屋

裏表紙 広告 資生堂


ジャズ*モダン&ファンキーの感想
パンフレットに「提携 渡辺プロダクション」とあります。ナベプロは当時設立後一年ちょっとですが、既に業界では抜きんでた力を発揮していました。創業者の渡辺晋は1951年「渡辺晋とシックス・ジョーズ」を結成しており、ベースを弾いている姿をステージで見たことがあります。
ハナ肇とクレージーキャッツはテレビ「おとなの漫画」出演をきっかけに人気が出始めて、その後シャボン玉ホリデーで大ブレークしました。


渡辺プロダクション - Wikipedia
創業者は渡辺晋。晋の妻の渡邊美佐は名誉会長兼渡辺プロダクショングループ代表。代表取締役会長は晋・美佐夫妻の長女である吉田美樹(渡辺ミキ、ワタナベエンターテインメント社長)、代表取締役社長は次女の渡邊万由美(トップコート社長)が務める。1960年代から1970年代にかけて「渡辺プロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどの「独占状態」を呈していた。設立 1959年4月3日。
渡辺晋 - Wikipedia:(わたなべ しん、1927年3月2日 - 1987年1月31日)は、日本の実業家・芸能プロモーター。ベーシスト。日本の芸能事務所の草分け的存在にあたる渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者。


また、ジャズといえば日劇そばの高速道路下にあった不二家ミュージック・サロンにも何回か行ったことがあります。主に南里文雄とホット・ペッパーズが出演する日で、デキシーランド・ジャズの演奏を聞きに行きました。
アイ・マイ・ミー:不二家ミュージック・サロン,銀座で本格的なジャズ・ライヴ
不二家ミュージック・サロン」は1957年または1958年に開店したジャズ喫茶。不二家の経営により、ジャズ中心のライヴハウスとして営業を開始・・・
南里文雄 - Wikipedia
南里 文雄(なんり ふみお、1910年12月24日 - 1975年8月4日)はジャズ・トランペット奏者で、ルイ・アームストロングに「日本のサッチモ」とあだ名が付けられた。


<おまけ>
ジャズ*モダン&ファンキーを見に行ったときはもう高校に入っていましたが、このパンフレットをしまっていたボックスからまた中学時代の懐かしい物がでてきました。
中学3年の3学期、これが中学最後の試験という1959.3.7のことです。「社会科考査」と書かれた答案用紙に答えを書き終え、まだ時間があったので裏にこう書きました。


『3月7日土曜日「あと10分だよ、義務教育の試験もあと10分で終るよ」先生がこう言った。別に先生が言ったから書くのではないが、つくづくそうだなあと思う。「この10分間、がんばろう」といっても、「がんばってもしょうがない」というほうが強く感じて全然力がでてこない。この10分間でもう試験をしなくなる人もいるのだ。そういう人はどんな気持ちだろう。ぼくは高校で試験をやる、やりたくなくてもやらされるのだ。でも試験は楽しい、都立高校入試も楽しくやった。本当に試験は楽しい。』


これに対し、先生が絶妙な返事をくれました。そこには「楽しきかな 採点!」と書かれ、先生のサインも入っていました。この時のことははっきり覚えています。
中学最後の試験は本当に楽しいものになりました。


以上です。