新宿区04 山手線内最高峰と漱石山房記念館をめぐる TOKYO Walking Map 2023.4.5
2023.4.5(木)晴 4.4m→4.6km
ルート: 若松河田駅【河田口】→抜弁天(厳嶋神社)→箱根山→漱石山房記念館→夏目漱石誕生の地→早稲田駅【出口2】
新宿西口駅から大江戸線で若松河田駅で降りました。大江戸線は何度も乗っていますが、右回りのこの区間は初めてです。
東京都福祉保健局のサイト
新宿区04 山手線内最高峰と漱石山房記念館をめぐる
最寄駅:神楽坂駅(東京メトロ) 牛込神楽坂駅前(都営バス) 所要時間:約62分 距離:約4.0km 消費カロリー:約186kcal 歩数:約5700歩
8:53 若松河田駅【河田口】 スタートしました
団子坂 新宿方面へ
profile/団子坂
昔この辺一帯が低湿地であり,この坂はいつも泥んこで,歩くたびにまるで泥だんごのようになったという。嘉永七年(1854)の『江戸切絵図』には「馬ノ首ダンゴザカト云」とある。
抜弁天交差点手前
9:01 抜弁天(厳嶋神社)
苦難を切り抜けられる弁天様として信仰されました。江戸時代、「生類憐れみの令」により神社の東一帯に犬御用屋敷が作られました。
厳嶋神社(抜弁天) | 一般社団法人新宿観光振興協会
抜弁天は今はもう地名のようになっていますが、その昔、源義家が戦勝祈願した厳嶋神社のことです。境内が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けられる弁天社、いわゆる抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天、新宿山の手七福神の一つに数えられました。
抜弁天交差点を渡り、抜弁天通りの反対側に行き戻ってすぐ左折
一方通行の道
新宿区立抜弁天北公園
総務省統計局角交差点 左折 大久保通りへ
戸山公園 大久保通り口 中に入ります 都営戸山ハイツアパートの間の道
戸山公園 スズカケの広場
箱根山入口
9:29 箱根山
江戸時代の大名庭園戸山山荘にあった築山の箱根山は、標高44.6m。戸山公園サービスセンターで登頂証明書がもらえます。
戸山公園(箱根山・大久保地区) | 一般社団法人新宿観光振興協会
緑豊かな都立『戸山公園』は、『箱根山』を中心とした一帯が桜の名所といわれています。『箱根山』は新宿区で一番高い山で、頂上からは新宿の高層ビルを一望できる絶好の展望ポイントですが、高さはわずか44.6メートルです。 もとは尾張徳川家の下屋敷で、通称「戸山山荘」といわれていました。
戸山公園サービスセンターで登頂証明書がもらえるというので、コース05の途中で寄ることにします
山頂から見た 戸山教会
陸軍戸山学校趾碑
東京都新宿区の歴史 陸軍戸山学校跡記念碑(戸山公園)
明治6年(1873)その地に兵学寮戸山出張所が設けられ翌明治7年(1874)陸軍戸山学校と改称されて以来約70年にわたって軍事の研究教育が行なわれ国軍精強の基を培ったばかりでなく国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地である
旧陸軍戸山学校 野外演奏場跡
箱根山西口
戸山公園 花の広場
戸山公園 アスレチック広場
戸山公園 せせらぎ広場
戸山公園 早稲田口から出て左へ
諏訪通りに出て右へ
早稲田大学 戸山キャンパス
高野山真言宗 光松山 放生寺 中へ入ります
一陽来福 創始の寺 放生寺 公式ホームページ
放生寺は寛永18年に高田八幡宮の別当寺として開創された寺院です。
金銀融通の御礼「一陽来福」創始のお寺として広く知られ親しまれております。
穴八幡宮 西参道鳥居 放生寺隣の入口から入りました
穴八幡宮 出現殿
穴八幡宮 鼓楼 前
穴八幡宮 拝殿
牛込高田鎮座 穴八幡宮
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。
穴八幡宮 隋神門
嘉永二年、清水喜助(後の清水建設創業者)により竣工。先の大戦により罹災した後、清水建設さんの施工により平成十年に再建されました。左右の柱の中にいらっしゃるのは隋神様です。
穴八幡宮 正面参道鳥居
地下鉄早稲田駅南交差点 直進
地下鉄早稲田駅
右斜め 漱石山房通りへ
新宿区立早稲田公園
10:13 漱石山房記念館
新宿区は、夏目漱石が生まれ育ち、その生涯を閉じたまち。晩年の9年間を過ごし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」跡地にできた、漱石にとって初の本格的な記念館。(※有料)
新宿区立漱石山房記念館
夏目漱石が暮らし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」の書斎、客間、ベランダ式回廊を、記念館内部にできる限り忠実に再現します。観覧料一般300円
館内は撮影禁止ですが、ここだけ撮影OK
新宿区立漱石公園 漱石山房記念館の裏手にあります
漱石公園 | 一般社団法人新宿観光振興協会
夏目漱石が明治40年(1907)から没するまでの9年間を過ごし、『三四郎』『これから』『こころ』などの代表作を執筆した漱石山房の跡で、現在は漱石公園となっています。
漱石公園 道草庵
道草庵|漱石公園 | てくてく 牛込神楽坂
道草庵は漱石や山房の資料を展示しています。正面には漱石の書籍が復刻本で7冊並んでいます。
漱石公園 夏目漱石像
夏目漱石終焉の地
東京都新宿区の歴史 夏目漱石終焉の地(新宿区立漱石公園)
この漱石公園一帯は、文豪夏目漱石が晩年の明治40年(1907)9月29日から大正5年(1916)12月9日に死去するまで住んだところで「「漱石山房」」と呼んでいた。
同じ道を戻り漱石山房通りの途中を左折
新宿区立早稲田小学校 前左折
新宿区立牛込第二中学校
新宿区立しらゆり児童遊園
夏目坂通りへ
夏目坂(新宿区喜久井町)
夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正四年)によると、漱石の父でこの辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった。
10:44 夏目漱石誕生の地
10:44 夏目漱石誕生の地
文豪夏目漱石(一八六七~一九一六)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生れた。
夏目家は牛込馬場下横町周辺の十一ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。
漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、二歳の十一月に再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、二十二歳のときに夏目家に復籍している。
夏目漱石誕生の地 | 一般社団法人新宿観光振興協会
昭和41年、漱石の生誕100年を記念して建てられ、文字は遺弟子である安倍能成氏によるものです。漱石は慶応3年(1867年)1月5日(新暦の2月9日)、この地に生まれました。現在の喜久井町1番地です。誕生の地から若松町の方へと上る坂を「夏目坂」と命名したのは、漱石の父・直克です。
10:47 早稲田駅【出口2】 ゴールしました
次のコース06の起点早稲田駅【出口3b】へ移動します
Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ
カシミール3Dのグラフ 4.4m→4.6km
新宿区04 山手線内最高峰と漱石山房記念館をめぐる のコースタイム
経由地 | 距離km | 累計km | 総h | 所要h | 見学h | 着t | 発t |
---|---|---|---|---|---|---|---|
若松河田駅【河田口】 | 0.0km | 0:00 | 8:53 | ||||
抜弁天(厳嶋神社) | 0.4km | 0.4km | 0:10 | 0:08 | 0:02 | 9:01 | 9:03 |
箱根山(戸山公園) | 1.4km | 1.8km | 0:38 | 0:26 | 0:02 | 9:29 | 9:31 |
漱石山房記念館 | 1.9km | 3.7km | 1:39 | 0:42 | 0:19 | 10:13 | 10:32 |
夏目漱石誕生の地 | 0.8km | 4.5km | 1:51 | 0:12 | 0:00 | 10:44 | 10:44 |
早稲田駅【出口2】 | 0.1km | 4.6km | 1:54 | 0:03 | 10:47 | ||
コース06へ | |||||||
2023/04/05(木)晴 | 4.6km | 1:54 | 1:31 | 0:23 |
新宿区04 山手線内最高峰と漱石山房記念館をめぐる の感想
山手線内最高峰とはどこなのかと思ったら、標高44.6mの戸山公園箱根山でした。千代田区コース06で行った愛宕山(港区愛宕1丁目)も確か「東京23区の最高峰」といっていたはずです。調べたところ、愛宕山は標高25.7m、天然の山としては都内23区で一番高い山ということでした。そんな箱根山で登頂証明書を発行しているというのです。コース05で戸山公園サービスセンター近くを通るので、もらうのが楽しみです。
漱石山房記念館のことは今回初めて知り、中へ入ってみましたが残念ながら撮影禁止でした。漱石山房記念館の裏に中庭があり、どうやって行くのか係員に尋ねたところ、表に出てから裏へ回り込むようにとのことです。そこが漱石公園で、開館中の時間は自由に出入りできるようでした。
以上です。
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