mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
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墨田区01 幕末に活躍した偉人 勝海舟ゆかりの地をめぐる TOKYO Walking Map 2023.7.20

2023.7.20(木)曇時々晴  6.8km→6.5km
ルート:両国駅→勝海舟生誕の地(両国公園)→能勢妙見山別院→勝海舟像→牛嶋神社→(三囲神社)→弘福寺→曳舟駅


コース06のゴール両国駅西口から東口に移動しました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都福祉保健局のサイト

墨田区01 幕末に活躍した偉人 勝海舟ゆかりの地をめぐる
すみだが生んだ偉人・勝海舟ゆかりのスポットをめぐるロングコース。道中では、大横川親水公園と隅田公園の豊かな自然を親しめるのも魅力です。
最寄駅:両国駅(都営地下鉄) 両国駅(JR) 両国駅前(都営バス) 所要時間:約105分 距離:約6.8km 消費カロリー:約310kcal 歩数:約9700歩


12:09  両国駅  東口   スタートしました  左に見える横綱横丁に入ります


横綱横丁を出て京葉道路を左折  


芥川龍之介生育の地  

東京都墨田区の歴史 芥川龍之介生育の地
生後7ヶ月で、当時本所区小泉町15番地(両国3丁目)に住んでいた母ふくの長兄、芥川道章に引き取られ、13歳の時、芥川家の養子となりました。芥川家は江戸時代からの旧家で、道章は、教養趣味が深く、俳句や南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど、江戸趣味の濃い家庭でした。明治43年(1910)19歳で新宿に移転するまで過ごした両国界隈は、龍之介の精神的風土を形成しました。


両国三丁目交差点  右折  その先を左折


両国小学校の手前に芥川龍之介文学碑が見えています

  
芥川龍之介文学碑  

すみだスポット - 芥川龍之介の文学碑 | 一般社団法人 墨田区観光協会
平成2年(1990)文化都市づくりの一環として龍之介の文学碑が建立されました。場所は、出身校である両国小学校(当時は江東尋常小学校と呼ばれてました)の北西角です。龍之介の自署、と小学校ということから児童文学の「杜子春」の一節が刻まれています。

両国公園 の中に入ります

12:18  勝海舟生誕の地(両国公園)  

かつてこの地にあった父の実家、男谷家の屋敷で勝海舟は生まれました。公園内には、記念碑や案内板が建てられています。
すみだスポット - 勝海舟生誕の地 | 一般社団法人 墨田区観光協会
勝海舟は、文政6年(1823)1月30日、ここ本所亀沢の父小吉の実家である男谷家に生まれました。初めの名は義邦、幼名麟太郎といいました。蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、安政7年(1860)1月、咸臨丸艦長として邦人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげました。


両国公園  勝海舟生誕之地碑  由来碑  勝海舟幕末絵巻


両国公園を出ました


三菱UFJ銀行角  左折  清澄通りへ


緑一丁目交差点  右折   京葉道路へ

緑二丁目交差点  直進  


緑四丁目交差点  左折  


勝海舟居住の地 旗本岡野氏屋敷跡   

東京歴史さんぽ その23  勝海舟居住の地 旗本岡野氏屋敷跡 
文政6年(1823年)に両国で生まれた勝海舟は、天保2年(1831年)ごろにこのちにあった旗本岡野氏の屋敷に移り住み十代の後半までこの地で過ごしたといわれています。(所在地:墨田区緑4-35-6)


総武線ガードをくぐり  


北斎通りへ出て右へ  


大横川親水公園に入ります


大横川親水公園 長崎橋跡イベント広場

  

大横川親水公園(東京都墨田区)
遊具やじゃぶじゃぶ水路、釣堀、スポーツ施設などがあり、様々な楽しみ方ができます。総延長約1.8kmに及ぶ園内には北から順に「釣河原ゾーン」「河童河原ゾーン」「花紅葉ゾーン」「パレットプラザゾーン」「ブルーテラスゾーン」の5つの特色あるゾーンが配されています。


大横川親水公園 ささのは児童遊園  

大横川親水公園 清水橋  


大横川親水公園 法恩寺橋  


大横川親水公園 紅葉橋  


大横川親水公園 紅葉橋過ぎてから一旦出て右折  


13:08  能勢妙見山別院  

大阪の『能勢妙見山』唯一の東京別院。勝海舟が篤く信仰をしていたことでも知られ、境内には胸像があります。四季の花々も見どころです。

東京別院 | 日蓮宗霊場 能勢妙見山
能勢頼直の代に江戸の下町本所に下屋敷を賜ったため、安永3(1774)年屋敷内に堂宇を建立し妙見大菩薩のご分体をお祀りしたのが始まりです。妙見山別院は明治初年には上地となりましたが、同7年に能勢頼哲が現在の地を購い寺となりました。妙見尊像は関東大震災や第二次世界大戦の厄をまぬがれ、今も能勢妙見山の東京別院として賑わっています。


春日通りに出て右へ  


横川橋手前から再び大横川親水公園へ  


大横川親水公園 たばこと塩の博物館  入りませんでした

HOME | たばこと塩の博物館
当館は、専売品であった「たばこ」と「塩」の歴史と文化をテーマとする博物館として、日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)により設立され、1978(昭和53)年11月、渋谷の公園通りに開館しました。 2015年4月25日墨田区横川に移転・リニューアルオープン。10時~17時  休館日 月曜日  大人・大学生 100円
 
大横川親水公園 平川橋    

大横川親水公園 魚釣り場  


大横川親水公園  案内図  


大横川親水公園 花壇の先は業平橋   


大横川親水公園    GTS(藝大・台東・墨田)観光アートプロジェクト

GTS観光アートライン 墨田区公式ウェブサイト
瓦:設置地域周辺はその昔、本所区小梅瓦町と呼ばれた瓦の生産が盛んな場所であった。作品は瓦に見られる伝統美を生かし、ここに座ることで屋根の上にいるような気分と変遷する地勢を味わうことを意図している。


業平橋から見た東京スカイツリー  


業平橋 左折 浅草通りへ   


南蔵院跡(しばられ地蔵と業平伝説)  

東京都墨田区の歴史 南蔵院跡(しばられ地蔵と業平伝説)
この一画には、しばられ地蔵でよく知られる南蔵院という寺院がありました。しばられ地蔵とは、大岡政談で一役買ったお地蔵様のことです。・・・一方、南蔵院の境内にはかつて業平天神社がありました。平安時代の歌人・在原業平をまつったものといわれます。


都営浅草線本所吾妻橋駅  


吾妻橋交番前交差点  直進  

本所吾妻橋商店街  


五差路  区役所通りを越えて 右上の浅草通りへ  


アサヒビールのオブジェ  こちら側から見るのは初めてです

浅草のアサヒビール本社ビルのとなりにある金色のオブジェは何を表わしているの? | お客様相談室 | アサヒビール
「聖火台の炎」です。金色の炎は「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表わしています。設計者は世界的に有名なデザイナーである、フランス人のフィリップ・スタルク(PHILIPPE STARCK)氏です。アサヒビール100周年の記念事業の一環として、1989年10月に竣工いたしました。


吾妻橋東詰交差点  右折  隅田公園へ


鬼平情景 吾妻橋船(大川橋)  

鬼平犯科帳ゆかりの高札を整備しました 墨田区公式ウェブサイト
安永3(1774)年、江戸時代明和の大火後に架けられた橋。当時は大川橋と呼ばれ、小説の中でもたびたび登場します。現在の橋は震災復興橋梁として昭和6(1931)年に架橋されました。


対岸の水上バス浅草発着場に「エメラルダス」が停まっていました


墨田区役所前うるおい広場  

13:46  勝海舟像  

新しい日本を思い描き、アメリカを目指そうとする勝海舟を表現した像。

すみだスポット - 勝海舟銅像 | 一般社団法人 墨田区観光協会
墨田区役所の脇に、右手を前に突き出した海舟の像があります。日展作家木内禮智の手になる銅像で、像高2.5m、台座も入れると5.5mにもなります。この海舟は壮年期、新しい日本を思い描き、アメリカを目指そうとする瞬間を捉えたものです。平成15年に建立されました。


東武伊勢崎線鉄橋  手前はすみだリバーウォーク


墨田区役所前交差点  左折  


枕橋の由来  

枕橋 - 江戸観光案内
東京スカイツリーのそばを流れる川を北十間川と言います。その北十間川が隅田川に合流するところに架かる橋が枕橋です。江戸時代には、枕橋は源森橋とも呼ばれていました。古地図には、「源森橋」の文字に添えて「枕橋トモ云」と記されており、むしろ「枕橋」の方が通称でした。現在では、「枕橋」の方が正式な橋の名前になり、一つ東隣の橋の名前が「源森橋」になりました。


枕橋  東武伊勢崎線のガードをくぐり


墨田区立隅田公園 に入ります

墨田区立隅田公園 富田木歩終焉の地    

すみだスポット - 富田木歩終えんの地 | 一般社団法人 墨田区観光協会
明治30年、向島小梅町(向島3丁目)に生まれた俳人、富田木歩は幼くして両足の自由を失い、小学校にも入学できませんでした。「犬猫と同じ姿や冬座敷」、「死装束縫ひ(い)寄る燈下秋めきぬ」等の句を残しています。木で義足をこしらえ歩くことを工夫した願いが「木歩」の号に表されています。


墨田区立隅田公園 日時計  


墨田区立隅田公園 明治天皇行幸所 水戸徳川邸舊阯の碑  と 由来記  

向島 隅田公園③
明治天皇行幸所 水戸徳川邸舊阯碑:「昭和十三年三月建設」
由来記:東京両国ライオンズクラブが墨田区へ寄贈した由来記です。昭和五十四年四月設置。


墨田区立隅田公園 明治天皇御製歌碑    

(表面)「明治天皇御製 花ぐわし 桜もあれど 此やど乃 よ々のこころを 我はとひけり」
(裏面)「明治八年四月四日 明治天皇先臣昭武の邸に臨ませられ畏くも 宸筆の御製を賜ふ此地は
             當年の邸趾にして大正十二年の大震火災後帝都の復興に際し隅田公園となれり圀順此光榮
             ある遺蹟を永く世に傳へんと欲し 御製を謹書して茲に此碑を建つ
        昭和五年三月        公爵 徳川圀順 」


墨田区立隅田公園 ひょうたん池  


13:59  牛嶋神社  

若き日の勝海舟が、剣術の稽古を行ったとされる神社。境内にある“撫牛”を撫でると病気が治ると伝わっています。
牛嶋神社 / 東京都墨田区 | 御朱印・神社メモ
旧社格は郷社で、本所一帯(墨田区の南半分)の総鎮守。最近では東京スカイツリーの氏神としても知られる。須佐之男命を祀り、かつては「牛御前(うしのごぜん)」と称された。古くから撫牛信仰がある神社としても有名。


牛嶋神社 三輪鳥居  

全国的にも珍しい三ツ鳥居・倒壊も再建される:社殿の前には全国的にもかなり珍しい、両脇に小規模な2つの鳥居を組み合わせた立派な三ツ鳥居(みつとりい)。三輪鳥居(みわとりい)とも呼び、当社のシンボルの1つ。平成三十年(2018)台風24号によって倒壊したものの、令和元年(2019)に再建を果たした。


牛嶋神社 社殿  

昭和七年(1932)に再建された社殿が現存。都内でも屈指の大きさの社殿で、総檜権現造りの見事な造り。


牛嶋神社 神輿蔵  



牛嶋神社 立派な狛犬です

 

立派な獅子山の上に狛犬。文政十年(1827)に奉納された獅子山で、躍動感のある見事な造り。毛並みも立体的で美しい造形美、阿吽で雌雄となっている。
近くには凛々しい表情の狛犬。文化八年(1811)に奉納されたものでこちらも古い。


牛嶋神社 狛牛  

 

境内には多くの狛犬が置かれているが、中でも特徴的なのが狛牛の存在。「牛御前」と称され、牛への信仰が篤い当社ならではの信仰。
狛牛の奥にあるのが享保十四年(1729)に奉納された墨田区最古の狛犬。


牛嶋神社 小梅稲荷神社  

小梅稲荷神社と云うお稲荷様で、旧向島小梅町に鎮座していたが、当社に遷座し祀られている。


牛嶋神社 撫牛  

江戸後期に奉納された撫牛・病気が治る撫牛信仰、現在の撫牛は文政八年(1825)に奉納されたもので、それ以前は牛型の自然石だったと云う。


牛嶋神社 包丁塚の牛像   

三竹会により昭和三十七年(1962)建立されたもので、食用になった牛を慰霊するための碑。


牛嶋神社 烏亭焉馬「いそかすは」の狂歌碑   

東京都墨田区の歴史 烏亭焉馬「いそかはすは」の狂歌碑(牛嶋神社)
「いそかすは 濡れまし物と 夕立の あとよりはるゝ 堪忍の虹」談洲楼烏亭焉馬
この狂歌碑は裏面にあるとおり、初世烏亭焉馬自身が文化7年(1810)に建てた碑です。江戸落語中興の祖と称された烏亭焉馬は本名中村利貞、字は英祝、通称は和泉屋和助です。寛保3年(1743)生れ、本所相生町5丁目(現 緑1丁目)の大工の棟梁で、狂歌や戯文をよくする文化人としても有名でした。

 
言問通り のトンネルを越えます  


墨田区立隅田公園 魚つり場  


墨田区立隅田公園 児童コーナー  小梅小学校が見えます


墨堤通りの信号  右折  


小梅小学校 信号左折


鬼平情景 三囲神社の高札(鬼平犯科帳)  

鬼平犯科帳ゆかりの高札を整備しました 墨田区公式ウェブサイト
三囲神社の高札:鬼平犯科帳をはじめ、剣客商売などでもおなじみの寺。鬼平「迷路」では、玉村の弥吉が妙法寺の九十郎と出会い、盗みに誘われる舞台となっています。


14:14  (三囲(みめぐり)神社)  

三囲神社(三圍神社) / 東京都墨田区 | 御朱印・神社メモ
旧社格は村社で、旧小梅村の鎮守。稲荷信仰の神社で古くは「三囲稲荷(みめぐりいなり)」と称された。正式には旧字体の「三圍神社」だが、現在は「三囲神社」と表記される事も多い。江戸時代より三井家(現・三井グループ)の守護社として庇護された神社で、今も三井家からの崇敬が篤く、三井グループと関わりのある奉納物が多いのが特徴。


三囲神社 三圍のライオン像  

「池袋三越」店頭に設置されていたライオン像。平成二十一年(2009)に同店の閉店に伴い当社に奉納・移されたもの。


三囲神社 宝井其角「ゆうたちや」の句碑(雨乞の碑)

「遊ふた地や  田を見めぐりの  神ならば」(宝井其角)
元禄六年(1693)、小梅村では旱魃(かんばつ)が発生。地域の農民が当社で雨乞い祈願をしていたところ、偶然参拝に訪れた俳諧師・宝井其角が、農民から哀願され句を当社の神前に奉納。この句は「遊ふ田地」と「夕立」、さらに「三囲」と「見巡り」が掛け言葉となっている。


三囲神社 宗因白露の句碑  

東京都墨田区の歴史 宗因白露の句碑(三囲神社)
 「白露や  無分別なる  置きどころ」と刻まれています。文化9年(1812)、西山宗因の流れをくむ素外らが発起人となり、始祖宗因の作品中でもっともすぐれたこの句を選んで建立したものです。宗因は慶長10年(1605)肥後(現熊本県)に生まれた江戸時代初期の著名な連歌師、俳人です。


三囲神社 隅田川七福神 大國神・恵比寿神  


他にも句碑がいっぱい


三囲神社 日比翁助 石垣の歌碑 

東京都墨田区の歴史 日比翁助 石垣の歌碑(三囲神社)
いしがきの 小石大石持合ひて 御代は ゆるがぬ 松ヶ枝の色   日比美勲
日比翁助は号を美勲と称し 三越呉服店の会長 わが国 近代的百貨店の創始者であった
茲来100年 松を新たに植え 旧観を復した


見番通りへ  


14:28  弘福寺  

勝海舟が青年期に禅を組みに通っていたとされるお寺。

隅田川七福神の一つ| 黄檗宗 牛頭山 弘福寺
弘福寺は日本三禅宗の一つ黄檗宗に属する寺院であります。開山は鐵牛禅師(1628~1700)、開基は稲葉美濃守正則公です。鐵牛禅師は印旛沼や手賀沼の干拓事業指揮した事で有名な方で、稲葉美濃守正則公は春日の局の孫であり徳川家光公の側近であった方です。御本尊は松雲作の釈迦如来坐像であります。


弘福寺を出ます


淡島寒月 旧居跡  弘福寺の門の脇にあります

淡島寒月(梵雲庵)旧居跡
父の淡島椿岳は、江戸時代に大流行した軽焼きせんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で大地主であった。また、知識欲が旺盛で、画を学び、ピアノを買って演奏会を開く趣味人でもあった。1884(明治17)年、向島の弘福寺地内に隠居所を建てて住んだ。息子の寒月は西鶴再評価のきっかけをつくり、・・・1893(明治26)年頃、父の使っていた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。「梵雲庵寒月」と号し、悠々自適な生活に入る。


信号 右折  


向島交番 左折  水戸街道へ


東向島一丁目交差点 右折    


左は鳩の街通り商店街


細い道を進みここを左折

   
ふじのき公園   海抜は何と0.5m  


14:47  曳舟駅  西口  ゴールしました  ピンボケでした


曳舟駅 半蔵門線直通14:55 発に乗りました


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  6.8km→6.5km


墨田区01 幕末に活躍した偉人 勝海舟ゆかりの地をめぐる のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
両国駅  0.0km  0:00  12:09
 勝海舟生誕の地(両国公園)  0.4km  0.4km  0:14  0:09  0:05  12:18  12:23
能勢妙見山別院  2.2km  2.6km  1:00  0:45  0:01  13:08  13:09
勝海舟像  1.6km  4.2km  1:38  0:37  0:01  13:46  13:47
牛嶋神社  0.5km  4.7km  1:55  0:12  0:05  13:59  14:04
(三囲神社)  0.4km  5.1km  2:12  0:10  0:07  14:14  14:21
弘福寺  0.4km  5.5km  2:22  0:07  0:03  14:28  14:31 
曳舟駅 1.0km  6.5km  2:38  0:16  14:47 
2023/07/20(木)曇時々晴  6.5km  2:38   2:16  0:22


墨田区01 幕末に活躍した偉人 勝海舟ゆかりの地をめぐる の感想
両国公園はそれほど広くないのですが、勝海舟生誕の地の説明板だけでなく立派な石碑と由来記、さらに勝海舟幕末絵巻のパネルなどの展示が際立っています。
たしか大河ドラマでも「勝海舟」をやっていたと思い、調べてみました。
大河ドラマ 勝海舟|番組|NHKアーカイブス によれば、1973~1974年度に放送ということなので、今から丁度50年前のことです。解説によれば「途中、主演の渡哲也が急病で降板し、松方弘樹が代役を務めた。」となっています。全42回のうち渡哲也は9回目までで、10回目から松方弘樹に代りました。能勢妙見山別院にある胸像と墨田区役所脇にある立像の顔を見ると、どちらかというと渡哲也のほうが似ていると感じました。


以上です。
墨田区01  ⇨  墨田区02
  両国駅          鐘ヶ淵駅