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墨田区15 スポーツも!歴史も!自然も!いろいろ楽しめるよくばりコース TOKYO Walking Map 2023.8.17

2023.8.17(木)晴  4.8km→4.7km
ルート:(逆回り)鐘ヶ淵駅西口→多聞寺→墨田区総合運動場→木母寺(梅若伝説)→隅田川神社(狛亀)→白鬚防災団地→榎本武揚像→鐘ヶ淵駅西口


このコースは「すみだウォーキングマップ」2020年版に掲載されています。
コース25のゴールど同じ鐘ヶ淵駅西口からスタートします。
コースマップのルート線には矢印がないため、結果的に逆回りになってしまいました。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都福祉保健局のサイト

墨田区15 スポーツも!歴史も!自然も!いろいろ楽しめるよくばりコース
まるで要塞のような防災団地は圧巻! エリア内の東白鬚公園では四季を通じて様々な草花が楽しめます。
最寄駅:鐘ヶ淵駅(東武鉄道) 所要時間:約70分 距離:約4.8km 消費カロリー:約220kcal 歩数:約6800歩


12:36  鐘ヶ淵駅  西口 スタートしました


鐘ヶ淵通りへ出て右折し、鐘ヶ淵通りへ


この信号 右折  


円徳寺 へ寄ってみました 

円徳寺|墨田区墨田にある曹洞宗寺院
曹洞宗寺院の円徳寺は、醍醐山と号します。円徳寺は、駒込吉祥寺13世離北良重和尚が慶長18年(1613)に開山したと伝えられ、赤門寺とも呼ばれています。


12:48  多聞寺 に着きました  

狸にまつわる伝承があり、境内には狸塚もあります。


真言宗 智山派 隅田山 吉祥院 多聞寺
もと大鏡山明王院隅田寺(ぐうでんじ)といい、天徳年間(957-60)に隅田千軒宿(『多聞寺雑記』参照)に草創されたと伝えられています。平安時代の中期、藤原時代の頃です。開山にあたった僧や草創のはっきりとした年月については不明ですが、ご本尊として不動明王を安置したと伝えられます。天正年間(1573-91)多聞寺は現在地に移転します。


多聞寺 山門  

現代ではなかなか見られなくなった茅葺きの山門です。慶安二年(1649)に当山二世良賢大和尚により建立され、享保三年(1718)に焼失したが、再びその年に建立され以来、280年余りを数える区内最古の建造物です。

多聞寺 本堂  


多聞寺 六地蔵尊  

「坐姿六態地蔵」と呼ばれる都内でも珍しい形態の尊像です。仏教における地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるという地蔵尊です。



多聞寺 狸塚  

昔々、多聞寺がある辺りは、大きな池があり樹木や雑草が生い茂り、狸や狐たちの住処で、村人や旅人たちにいたずらし続けていました。鑁海(ばんかい)和尚さんは、お堂を建てて妖怪狸たちを追い払うことにしました。まず大きな松の木を切り倒し、穴をふさぎそれから池を埋めてしまいました。すると大地がとどろき空から土が降ってきたりといたずらは激しくなるばかりです。 和尚さんはご本尊の毘沙門天に祈り続けました。ある夜のこと和尚さんの前に大入道が現れ「ここはわしのものじゃ。さっさと出ていけ!」とおどかすのです。和尚さんは一心にご本尊さまを拝んでいると、毘沙門天に仕える童子が現れて大入道を打ちのめしました。翌朝、2匹も大狸が庭で死んでいました。和尚さんは哀れに思い、切り倒した松の木の根本に狸を葬り、塚を築いて霊をなぐさめたそうです。これが多聞寺の狸塚の由来です。

東武線手前を左折  線路に沿って進みます


隅田水門 手前を左折  水門の向うは荒川  上は首都高速6号線と向島線


国土交通省隅田水門管理所に沿って進みます


墨堤通り に合流します


鐘ヶ淵紡績発祥の地   鐘紡物流センターの前にありました


ビルの屋上にはカネボウ化粧品の看板があります


堤通二丁目交差点を右折  


13:17  墨田区総合運動場  

東白鬚公園 に入ります

東白鬚公園|公園へ行こう!
墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場です。
公園の東側には、13階建の高層住宅が並びます。公園と住宅、そしてリハビリ専門病院等をあわせ、この区域一帯は、江東デルタ地区の防災拠点。もし大地震や火災が起きた時には、公園は避難広場となります。

都営白鬚東アパート手前を右折


東白鬚公園 北池  防災用池


スロープを上ります


梅若橋 鐘ヶ淵通りを越えます


13:28  木母寺(梅若伝説)  

梅若丸と母にまつわる悲話「梅若伝説」が伝わっています。

ホーム - 木母寺 公式ホームページ (天台宗 梅柳山 隅田川厄除大師)
木母寺は平安時代中期の貞元2年(977)天台宗の僧、忠円阿闍梨が梅若丸の供養のために建てられた念仏堂が起源で、梅若寺と名づけて開かれました。当寺に今も伝わる梅若伝説は、平安時代、人買にさらわれて、この地で亡くなった梅若丸という子供と、その子を捜し求めて旅に出た母親にまつわる伝説があります。


木母寺 【本堂】

木母寺のご本尊は、「慈恵大師良源」で、正月三日にご入滅されたことから、元日の元に、数字の三を取りまして「元三大師」と呼ばれています。


木母寺 三遊塚  

三遊亭円朝が先師初代円生追福のため、明治22年に建てた碑です。題字は山岡鉄舟。銘文は高橋泥舟の書です。


木母寺 【梅若念仏堂】

このお堂は、梅若丸の母、妙亀大明神が梅若丸の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設したものであるといわれています。


木母寺 【梅若塚】

能・歌舞伎・謡曲・浄瑠璃等の「隅田川」に登場する文化的旧跡です。貞元元年(976)梅若丸が亡くなった場所に、僧の忠円阿闍梨が墓石(塚)を築き、柳の木を植えて供養した塚です。


木母寺 天下の糸平の碑  

高さ5m、幅3mを越す都内一の巨碑です。明治の初め、貿易で成功を収めた田中平八(通称天下の糸平)の石碑です。親交のあった政治家、伊藤博文の書です。


木母寺 納骨堂  


木母寺境内之図「新選東京名所図会・墨田堤」 山本松谷画 木母寺蔵

スカイ姫のつぶやき・榎本武揚像入口~シルバープラザ梅若(街角北西部ルート3)
木母寺境内之図は明治三十一年(1898)、梅若塚の再興から二十年を経た風景です。春昼、俄か雨の中、傘をすぼめて足早に行く婦人を近景として絵の中央に梅若堂、右手に本堂、左奥に料亭、植半が描かれています。


東白鬚公園 北斎案内板 梅若の秋月-風流隅田川八景  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
梅若の秋月-風流隅田川八景-:「風流隅田川八景」シリーズの一枚です。「たずねきて 問わばこたえよ都鳥 すみだ河原の露ときえぬと」の辞世の句で有名な木母寺に古くから伝わる「梅若伝説」を題材にしています。


東白鬚公園 サービスセンター  


東白鬚公園 モニュメント「まとい」

公園の中央にそびえるシンボルタワーは、江戸時代の火消人足組が高く掲げた「まとい」をイメージしたもの。都民の安全を表すシンボルとして、纏のモニュメントを建造しました。(現在、一般社団法人江戸消防記念会のもとに11 区87 組があり、この纏は6 区7 番組のものをもとにしています。)

東白鬚公園 葛飾北斎・雪月花 隅田  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
雪月花 隅田:雪景色の隅田河畔を描いた作品で、月の淀川、花の吉野と共に選ばれた三名所の一枚です。画面中央の森の中には木母寺と料亭「植半」、手前には水神社と呼ばれた隅田川神社を配し、厚い雪を積もらせています。当時はいずれも雪景色の名所と言われました。


13:42  隅田川神社(狛亀)  

社殿の前には、狛犬の代わりに「狛亀」が鎮座しています。

すみだスポット - 隅田川神社 | 一般社団法人 墨田区観光協会
「水神社」と呼ばれ、かっては樹木が繁茂し「水神の森」とも称され、また隅田川の増水にあっても沈むことがなく「浮島」の名もありました。昔から、河川交通の要衝であり、海運・運送業者の尊崇を集めていました。祭神は速秋津比古ほか三神を主神とし、また水の神様らしく境内には石亀や「船の錨」など、水や川、舟に関するものが祀ってあります。

  


隅田川神社  水神の森跡  隅田川神社資料  

1513 水神の森跡(墨田区堤通2-17・隅田川神社) : 本牧jack『意外と身近にある歴史散歩』
水神の森は、『江戸名所図会』にも描写されているとおり、川岸にあった水神社(隅田川神社)の鎮守の森でした。川を下ってきた人々には隅田川の入口の森として、川をさかのぼる人々にとっては鐘ヶ淵の難所が近いことを知らせる森として、格好の目印となっていました。


東白鬚公園 隅田宿跡  

江戸史蹟散歩 東白鬚公園
当地は、古東海道の渡河地で、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。隅田宿は、治承四年(一一八○)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(『吾妻鏡』)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。


東白鬚公園 南池  

東白鬚公園を出て左へ  


白鬚橋東詰交差点 左折 墨堤通りへ  


13:59  白鬚防災団地   

1.2kmにわたって、防災機能を備えた住宅が立ち並びます。

【まるで要塞!】イケメンすぎる防災団地・「白鬚東アパート」を歩く。【昭和の団地】|昭和レトロ研究所
【防災拠点としての団地】1.2kmにも及要塞団地!「白鬚東アパート」
白鬚東自治会連合会 1 : 防災情報のページ - 内閣府
・白鬚東自治会連合会は東京都墨田区堤通2丁目全域の8つの自治会(人口約4,800人、世帯数約2,100)で構成されている。当地区の建物は「都営白鬚東アパート」(11棟)及び東京都供給公社の分譲マンション「コーシャハイム」で、全て大規模な集合住宅である。
・当地区の成り立ちはユニークだ。このあたりは江東デルタ地帯で最も災害危険度の高い地域であったことなどから、隅田川沿いの大規模工場跡地を東京都が買収、都の「防災拠点」構想のもとに再開発が行われた。


隅田川神社鳥居  隅田川神社参道碑  


14:09  榎本武揚像  

幕末、明治に活躍し、晩年向島に屋敷を構えました。隅堤を馬で散歩する姿や向島百花園で草花を愛でる姿が見られたそうです。

すみだスポット - 榎本武揚像 | 一般社団法人 墨田区観光協会
榎本武揚は幕末から明治にかけて活躍し、晩年は向島で過ごしました。本銅像は大正2年5月、旧幕臣のち代議士江原素六などの発起により、府会議員本山義成らが中心となって建立されたもので、彫刻家藤田文蔵の秀作です。


梅若公園  

梅若公園(堤通二丁目6番10号) 墨田区公式ウェブサイト
梅若公園は歴史にゆかりのある公園であり、榎本武揚像や梅若塚跡があることから、平成28年度に歴史文化公園整備事業により整備


鐘ヶ淵陸橋交差点 右折  


鐘ヶ淵由来の記碑(鐘ヶ淵陸橋碑)   

鐘ヶ淵由来の記碑のレビュー - Trip.com
隅田川が大きく蛇行している場所が淵になっており、この場所の淵が「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになった由来を示した記念碑です。鐘ヶ淵ではお寺の引っ越しにより移送中の梵鐘がこの淵に落ちて沈んだという伝説によって鐘ヶ淵と呼ばれるようになったとの説がありました。


鐘ヶ淵通りを進みます  


東武線踏切を左折  


14:21  鐘ヶ淵駅 西口  ゴールしました


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  4.8km→4.7km


墨田区15 スポーツも!歴史も!自然も!いろいろ楽しめるよくばりコース のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
鐘ヶ淵駅 西口  0.0km  0:00  12:36
多聞寺  0.7km  0.7km  0:17  0:12  0:05  12:48  12:53
墨田区総合運動場  1.1km  1.8km  0:39  0:21  0:01  13:14  13:15
木母寺(梅若伝説)  0.6km  2.4km  0:59  0:13  0:07  13:28  13:35
隅田川神社(狛亀)  0.4km  2.8km  1:08  0:07  0:02  13:42  13:44
白鬚防災団地  0.9km  3.7km  1:23  0:15  0:00  13:59  13:59
榎本武揚像  0.5km  4.2km  1:34  0:10  0:01  14:09  14:10 
鐘ヶ淵駅西口  0.5km  4.7km  1:45  0:11  14:21 
2023/08/17(木)晴  4.7km  1:45   1:29  0:16


墨田区15 スポーツも!歴史も!自然も!いろいろ楽しめるよくばりコース の感想
墨田区のコースマップ全般にいえることですが、コースルートに矢印がありません。スタートとゴールが同地点の周回コースではどちら回りかマップを見ても分らないのです。しかもマップには経由順を示すものがなく、区間距離の表示もありません。分岐点まできたときに前回コース19と同じと勘違いして、迷うことなく多聞寺方面へ進んでしまいました。うっかりミスですが、他区のように矢印があればこのような誤りは防げると思います。
この辺りは全く来たことがなく、コースマップを見て隅田川と荒川が水路で結ばれているのを初めて知りました。荒川の向うは葛飾区、水路の向うは足立区になります。
白鬚防災団地という案内板を探しましたが、見つかりませんでした。Googleマップで「白鬚防災団地」と入力して検索したところ、都営白鬚東アパートが出てきました。東白鬚公園の公園マップにはただの「防災団地」と書かれています。試しに「防災団地」だけで検索しても同様でした。確かに高さ40m、13階建てのビルが1.2kmにわたって続いているのは壮観でした。最近防災公園というのが増えてきましたが、昭和57(1982)年頃にこのような防災団地ができていたとは驚きです。


以上です。
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