mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
Walking,Flamenco&Guitar
Caminante,Flamenco y Guitarra

墨田区14 北斎が描いた隅田川沿いの名所を歩く TOKYO Walking Map 2023.7.27

2023.7.27(木)晴  4.9km→4.8km
ルート:本所吾妻橋駅→牛嶋神社→[三囲神社]隅田川テラス→白鬚神社→法泉寺→隅田川神社→木母寺→鐘ヶ淵駅


コース27のゴールと同じ本所吾妻橋駅ですが、三つ目通りの吾妻橋交番前交差点に移動してスタートします。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都福祉保健局のサイト

墨田区14 北斎が描いた隅田川沿いの名所を歩く
北斎が絵の題材とした様々な名所があります。 案内板の絵と実際の場所を見比べて見るのも一興です。
最寄駅:本所吾妻橋駅(都営地下鉄) 所要時間:約75分 距離:約4.9km 消費カロリー:約220kcal 歩数:約7000歩


11:37  本所吾妻橋駅   スタートしました  三つ目通りを北へ


源森橋交差点  直進  


源森橋  渡って東武線を越えすぐ左折

墨田区立 隅田公園 へ入ります  隅田川花火大会準備のため幕で覆われていました

すみだスポット - 隅田公園 | 一般社団法人 墨田区観光協会
 隅田川沿いにある公園で、墨田区側の左岸は向島1、2、5丁目の面積約8万平方メートルの広さを誇ります。春には屈指の桜の名所となり、夏には隅田川花火大会が行われます。公園内の庭園は水戸徳川邸内の池等、遺構を利用して造られています。


墨田区立 隅田公園 ひょうたん池  


11:48  牛嶋神社  コース01,27に続いて3回目です

本所の総鎮守。かつて近くに住んでいた北斎が「須佐之男命厄神退治之図」を奉納したと伝えられています。
牛嶋神社 / 東京都墨田区 | 御朱印・神社メモ

言問橋手前から墨堤通りを渡って


墨堤通りに沿って言問橋をくぐり


ここから隅田川テラスへ    隅田川花火大会のため明日・明後日は通行禁止です


11:52  隅田川テラス  


コースルートに 三囲神社 がありますが、こちらから入ることはできのでパスしました
隅田川沿いの名所の1つで、北斎の作品にも描かれています。
三囲神社(三圍神社) / 東京都墨田区 | 御朱印・神社メモ


コースルートに北斎案内板二つありますが、隅田川テラスにはありませんでした
帰ってから調べてみると隅田川テラスではなく、墨堤通りにありました
コースマップの線が隅田川にはみ出しているため、てっきり隅田川テラスだと思い込んでしまいました
あいまいなマップには悩まされます


Googleストリートビュー  北斎案内板 三囲牛御前両社之図  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
版元・伊勢屋利兵衛から板行された「新板浮絵」の一枚です。浮絵とは西洋の遠近法を取り入れた浮世絵技法の一つで、手前が浮き上がって見えることから名づけられました。文化(1804〜18)中期、葛飾北斎50歳頃の作品とされています。手前に鳥居のあたまだけ見えているのが特徴的な三囲神社は隅田川沿いの名所のひとつで、かつて田中稲荷と呼ばれ毎年2月の「初午の祭り」には多くの人出がありました。


桜橋   


Googleストリートビュー  北斎案内板 須佐之男命厄神退治之図   

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
葛飾北斎晩年期の傑作といわれている、縦1.2m余、横2.8mに及ぶ大きな板絵です。北斎は弘化2(1845)年頃、牛嶋神社(現在向島1丁目)付近に住んでいたと伝えられ、「須佐之男命厄神退治之図」を奉納しました。この作品は悪病をもたらす厄神たちに今後は悪事を働かないように須佐之男命が証文を書かせている場面を描いたものです。画面右下には「前北斎卍筆 齢八十七歳」の落款があります。

ここから階段を上ります  


土手の道はフェンスで囲まれていました

   
向島言問団子  

「北千島開拓の先駆者」郡司成忠大尉の墓と言問団子桟橋
江戸後期、向島で植木屋を営んでいた外山佐吉は、文人墨客に手製の団子を振舞う「植佐」という団子屋を開くと、花見客や渡船客の間でも人気となった。明治元年、長命寺に逗留していた歌人の花城翁より、在原業平が詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都島 わが想ふ人はありやなしやと」に因んだ命名の勧めを受けた佐吉は、「言問団子」と名づけ、業平神社を建て、都鳥が飛び交うこの辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。明治11年、佐吉が始めた灯籠流しによりその名は広く知られていった。後に「言問」は、言問橋や言問通りなどの名称で定着したが、ルーツは「言問団子」である。また、この裏手にある桟橋からは、明治26年3月20日千島開拓に向かう郡司大尉率いる5艘の端艇が出発している。隅田川両岸はこれを憂国の壮挙と称える群衆で埋まり、花火が打ち上げられ、歓呼の声と楽隊の演奏が響く中での船出であった。


左折して墨堤通りへ


墨田区立隅田公園 少年野球場  


向島高速道路入口交差点  直進  


志゙満ん草餅 (じまんくさもち)    

向島 志”満ん草餅
志”満ん草餅は、創業以来百十余年  「香り高い生のよもぎ」だけを使用しております。

向島艇庫村跡  

向島艇庫村跡 - Monumento(モニュメント)
明治から昭和にかけて、墨田川ではレガッタ(ボートレース)が盛んに行われました。この辺りには競技用のボートを収納するための艇庫が建ち並び、親しみを込めて「艇庫村」とも呼ばれていました。


信号を渡って左へ


吉備子屋 (きびこや)     本日休業でした

すみだスポット - 吉備子屋 | 一般社団法人 墨田区観光協会
懐かしのおやつを再現したのが「地蔵坂」バス停近くの吉備子屋。昔話『桃太郎』を読んだ息子さんの「きびだんごが食べたい」という願いを叶えるために作り始めたものです。茶屋風の店内に置かれたリアカーで、串に刺さったビー玉大の団子が作られています。


子育地蔵堂  

東京都墨田区の歴史 子育地蔵堂
この御堂に祀られている地蔵菩薩は、文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたと伝えられています。初めは村の子供たちが、神輿がわりにこの地蔵をかついでいたそうです。


旧墨堤の道  

東京都墨田区の歴史 旧墨堤の道
白鬚神社脇から地蔵堂へと続く湾曲した道は、今は姿をけしてしまった、旧墨堤の名残りです。春は花見、正月は七福神めぐりの人々で特ににぎわいました。


北斎案内板 白鬚の翟松 今戸の夕烟  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
『絵本隅田川両岸一覧』は隅田川両岸を中心に高輪から吉原までを描いた全3巻25作品からなる狂歌絵本シリーズで、この作品は下巻に収められています。秋の夕暮れが広がる画面の左では、今戸(現在の台東区今戸)の瓦焼きの真っ最中で、川縁で何やら言葉を交わしながら瓦を運ぶ二人と瓦を積んだ舟が描かれています。
  
西川春洞・寧住居跡   

2022/02/07 本所吾妻橋散歩 12 西川春洞・寧住居跡 - ovanの社会科見学
西川春洞は、肥前唐津藩医を父に弘化四年 ( 1847 ) 日本橋の家で生まれました。幼い頃、書を中沢雪城に学び、銭梅渓の書を習得しましたが、後に書風を一変し、徐三庚を中心とした江南の書風に拠り、わが国近代書道に新風をもたらしました。そして、この地 ( 寺島村 1207番 ) に居を構え、多くの弟子を養成しました。

12:29  白鬚神社  

かつて神社の鎮守の杜は名勝地として知られ、北斎もその作品に描いています。


白鬚神社 鷲津毅堂の碑  

東京都墨田区の歴史 鷲津毅堂碑(白鬚神社)
鷲津毅堂は幕末明治の漢学者です。文政8年(1825)尾張に生まれました。通称を毅堂または蘇州と号し、父、祖父ともに大変に徳望篤い人物でした。20歳のころ江戸に出て昌平黌に学び、嘉永6年(1853)久留米藩に仕え、次いで、尾張侯の招きに応じ侍読となり、さらに教授に進み、毅堂自身も子弟とともに学問に励みました。


白鬚神社 「墨田三絶」の碑 

東京都墨田区の歴史 墨多三絶の碑(白鬚神社)
墨田川の風物を詠じた佐羽淡斎の詩碑で、大窪詩仏が筆をとったものです。「墨多三絶(←絶の古字)」の篆額は巻菱湖の筆になります。建立年に当たる壬午は、文政5年(1822)のことです。なお、絶とは五字または七字の四句で一体をなす漢詩のことで、三詩からなるので三絶と呼びます。


白鬚神社  黒人塚  

2021/3/20【白髭神社】黒人塚の正体と名前のゆらい : 揺りかごから酒場まで☆少額微動隊
浜辺黒人は本芝の書籍問屋の商人で本名を斯波孟雅、シバの姓。芝浜の頭目であり、当時流行っていた万句合同様、狂歌募集して選を出版する興行を始めたという。応募者は入花料を収める。この塚は歌碑とのこと※。


白鬚神社 山玉向島講社の碑  

[ID:101132] 山玉向嶋講社の碑(白鬚神社) : 資料情報 | データベース | すみだ文化財・地域資料
山玉向島講社は、かつて向島地域で活動した富士講(ふじこう)の一つで、講印(こうじるし)の特徴から山玉深川元講(もとこう)の枝講であったと考えられています。これまでに確認された関連資料から、明治8年(1875)7 月頃にはすでに活動しており、構成員は主に寺島・中ノ郷・須崎の3 地区に分布していたようです。

白鬚神社上交差点  右折 


右折して 法泉寺へ


12:39  法泉寺  

新田義貞ゆかりの寺。北斎がこの寺を訪れる参拝客の様子を描いた「寺島法泉寺詣」は区の指定有形文化財になっています。


北斎案内板 葛飾北斎・寺島法泉寺詣  

文政中期(1780〜90年)頃の摺物(すりもの)です。摺物とは狂歌師などが知り合いに配るために絵師に注文して作ったプライベートな版画で、売り物とは違い、採算を度外視した豪華な作品が多いのが特徴です。葛飾北斎が為一(いいつ)と名乗っていた60〜70歳代中頃の作品で、墨田区東向島の法泉寺を訪れる参詣客の様子が描かれています。


縁起 – 晴河山法泉寺
法泉寺は、大本山永平寺と大本山總持寺を両本山と仰ぎ、諏訪山吉祥寺を本寺とする曹洞宗のお寺です。今から約八百年前に奥州を支配した葛西三郎清重が、父母の追善供養のために建立し、壮麗な伽藍が整えられていました。当山過去帳には清重の子孫と目される灌頂法泉大禅定門が記載されています。


法泉寺 千鳥庵鳥奏の歌碑  

4027 千鳥庵鳥奏句碑(短冊塚)(墨田区東向島3-8-1・法泉寺) : 本牧jack
「短冊塚」の篆額のもとに、三世千鳥庵 ( 川崎重亮・肥前唐津の人 ) の次の 4句が刻まれています。 
・「散日から ちるを盛りや 花の山」   ・「思ひきって 飛姿なり ほととぎす」
・「我を山に 捨て名月 入りに鳧」      ・「夕煙 雪の野末に 里ありや」

法泉寺 石造地蔵菩薩立像  

[ID:101533] 法泉寺の石造地蔵菩薩立像 : 資料情報 | データベース | すみだ文化財・地域資料
寛文2(1662)年1月に設置。舟形光背をもち、彫像上部中央には、中世から「回向文」として用いられてきた「妙法蓮華経化城喩品(げじょうゆぼん)第七」の一節を刻んでいます。


法泉寺 銅造地蔵菩薩立像  

[ID:101462] 法泉寺の銅造地蔵菩薩立像 : 資料情報 | データベース | すみだ文化財・地域資料
享保2年(1717)年9月に設置。境内左手の覆屋に祀られる地蔵菩薩は、円光背(えんこうはい)をつけ、手に錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)を持ち、蓮台(れんだい)の上に立っています。蓮台に「奉造納東海道武蔵國葛飾郡西葛西領寺島村佛頂山法泉禅寺」の銘が確認できます。


法泉寺 窪俊満「故郷の」の歌碑   

窪俊満歌碑(東京都墨田区・法泉寺) : 好奇心いっぱいこころ旅
江戸時代後期の浮世絵師・戯作者の窪俊満(1757~1820)を偲び、彼の友人たちが文政4年(1821)6月に建立しました。正面には俊満の作品で狂歌作品集にも掲載された和歌が刻まれています。
「故郷の おやの袖にも やどるかと おもへば月は ふたつなきもの」


墨東通りへ出て右へ


白髭橋東詰交差点  左折  明治通りへ  

東白鬚公園 へ入ります  

東白鬚公園|公園へ行こう!
墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場です。
公園の東側には、13階建の高層住宅が並びます。

東白鬚公園 南池  


東白鬚公園 花の見どころ案内  


桜堤中学校  


東白鬚公園 隅田宿跡  

江戸史蹟散歩 東白鬚公園
当地は、古東海道の渡河地で、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。隅田宿は、治承四年(一一八○)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(『吾妻鏡』)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。


13:03  隅田川神社  

かつては「水神社」と呼ばれ、雪景色の名所といわれていました。

隅田川神社 水神の森跡  

1513 水神の森跡(墨田区堤通2-17・隅田川神社) : 本牧jack『意外と身近にある歴史散歩』
水神の森は、『江戸名所図会』にも描写されているとおり、川岸にあった水神社(隅田川神社)の鎮守の森でした。川を下ってきた人々には隅田川の入口の森として、川をさかのぼる人々にとっては鐘ヶ淵の難所が近いことを知らせる森として、格好の目印となっていました。

境内には神使である亀の像が置かれていて、狛犬ならぬ狛亀が置かれている。

隅田川神社 / 東京都墨田区 | 御朱印・神社メモ
旧社格は村社で、旧隅田村の鎮守、隅田川一帯の守り神とされる。古くは「水神社」「水神宮」「浮島宮」などと称し、「水神さま」と呼ばれ崇敬を集めた。水上安全の守護神として船頭や荷船仲間など川で働く人たちの信仰を集めただけでなく、「水神」の名から水商売の人々にも信仰された。


隅田川神社 北斎案内板 雪月花  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
雪景色の隅田河畔を描いた作品で、月の淀川、花の吉野と共に選ばれた三名所の一枚です。画面中央の森の中には木母寺と料亭「植半」、手前には水神社と呼ばれた隅田川神社を配し、厚い雪を積もらせています。


東白鬚公園  シンボルタワー「纏(まとい)」  

公園の中央にそびえるシンボルタワーは、江戸時代の火消人足組が高く掲げた「まとい」をイメージしたもの。都民の安全を表すシンボルとして、纏のモニュメントを建造しました。(現在、一般社団法人江戸消防記念会のもとに11 区87 組があり、この纏は6 区7 番組のものをもとにしています。)


東白鬚公園 サービスセンター   園内マップをもらいました


東白鬚公園 少年野球場  


木母寺 北斎案内板 梅若の秋月 (風流隅田川八景)  

すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎 が描いた風景をたどろう
「風流隅田川八景」シリーズの一枚です。「たずねきて 問わばこたえよ都鳥 すみだ河原の露ときえぬと」の辞世の句で有名な木母寺に古くから伝わる「梅若伝説」を題材にしています。京の方から騙されて連れられてきた梅若丸は、病に倒れ、隅田宿あたりで僅か12歳の生涯を閉じました。

13:15  木母寺  

この寺に伝わる「梅若伝説」を題材にして「梅若の秋月」が描かれました。
ホーム - 木母寺 公式ホームページ (天台宗 梅柳山 隅田川厄除大師)
木母寺は平安時代中期の貞元2年(977)天台宗の僧、忠円阿闍梨が梅若丸の供養のために建てられた念仏堂が起源で、梅若寺と名づけて開かれました。当寺に今も伝わる梅若伝説は、平安時代、人買にさらわれて、この地で亡くなった梅若丸という子供と、その子を捜し求めて旅に出た母親にまつわる伝説があります。


木母寺 境内の諸碑  


木母寺 身がわり地蔵尊  

1143 身代わり地蔵尊(墨田区・木母寺) : 本牧jack『意外と身近にある歴史散歩』
この地蔵尊は、木母寺が旧地にあった頃、門前に安置されて多くの人々から深い尊信を寄せられ、民衆守護の願いを聞き届けられた、ゆかりの深いお地蔵様です。


木母寺 梅若堂  

【梅若念仏堂】このお堂は、梅若丸の母、妙亀大明神が梅若丸の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設したものであるといわれています。


木母寺 梅若塚  

能・歌舞伎・謡曲・浄瑠璃等の「隅田川」に登場する文化的旧跡です。貞元元年(976)梅若丸が亡くなった場所に、僧の忠円阿闍梨が墓石(塚)を築き、柳の木を植えて供養した塚です。


木母寺境内え図(明治31年)/ 木母寺の変遷  


木母寺由緒沿革  


木母寺 天下之糸平の碑  

[ID:101094] 「天下之糸平」の碑 : 資料情報 | データベース | すみだ文化財・地域資料
天下の糸平とは、慶応元年(1865)に横浜に糸屋平八商店を開業した信州出身の商人田中平八(1834~84)のことです。平八は、明治維新期に生糸の売込と洋銀の売買で巨富を貯え、その後、金融や貿易で成功を収めました。伊藤博文(1841~1909)を資金面で支援した政商としても知られています。


木母寺 納骨堂 墨堤霊廟  

隅田川の陽だまりに包まれた静寂の中で故人の御霊が安らげる墨堤霊廟を落成いたしました。陽当たりのよい、三階建ての納骨堂です。


木母寺 他の碑  

ここが本堂です  

木母寺のご本尊は、「慈恵大師良源」で、正月三日にご入滅されたことから、元日の元に、数字の三を取りまして「元三大師」と呼ばれています。


ここでミス  スロープを上ってしまい、梅若橋の上に出てしまいました

下りる階段がありません
ルートは梅若橋の下を右折するはずでした   
仕方なく団地の方へ下り、遠回りして戻ってきました


鐘ヶ淵陸橋交差点  直進  墨堤通りを越えます 


東武線踏切手前 左折

13:36  鐘ヶ淵駅   ゴールしました


武蔵・下総を結んだ古代東海道   鐘ヶ淵駅前にあります

佳景探訪 - 鐘ヶ淵 (東京都墨田区)
鐘ヶ淵駅の付近には、かつて武蔵国と下総国とを結ぶ古代の官道があったという。9~10世紀頃に官道に定められ、京の都から常総へと至る幹線道路として多くの人々に利用されていたと考えられている。


次のコース02は鐘ヶ淵駅前の同じ場所からスタートします


Google マイマップで作成 Geographica のトラックデータ


カシミール3Dのグラフ  4.9km→4.8km


墨田区14 北斎が描いた隅田川沿いの名所を歩く のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
本所吾妻橋駅  0.0km  0:00  11:37
牛嶋神社  0.5km  0.5km  0:11  0:11  0:00  11:48  11:48
[三囲神社]→隅田川テラス  0.2km  0.7km  0:15  0:04  0:00  11:52  11:52
白鬚神社  1.6km  2.3km  0:57  0:37  0:05  12:29  12:34
法泉寺  0.3km  2.6km  1:06  0:05  0:04  12:39  12:43
隅田川神社  1.1km  3.7km  1:29  0:20  0:03  13:03  13:06
木母寺  0.2km  3.9km  1:43  0:09  0:05  13:15  13:20 
鐘ヶ淵駅  0.9km  4.8km  1:59  0:16  13:36 
コース02へ
2023/07/27(木)晴  4.8km  1:59   1:42  0:17


墨田区14 北斎が描いた隅田川沿いの名所を歩く の感想
コースマップを見て、疑いもなく隅田川テラスを歩くとばかり思っていました。しかしマップに書かれている北斎案内板がいつまでたっても出てきません。本当は一本上の土手の道をいかなければならなかったのです。コースルートの線は明らかに隅田川をはみ出していて、誰が見ても川に最も近いテラスだと思うでしょう。線が太すぎて、どの道か判別できないので、せめて注意書きくらいあってしかるべきだと思います。
さらに土手の道を進んだとしても、このルートからでは三囲神社へ寄ることはできません。それなのにオススメポイントになっているのはどうしてでしょうか。
東白鬚公園の梅若橋もスロープを上るのか下を進むのか迷うところです。ルート線だけでは分らないので、メモ書きがあった方が親切です。
これまでの墨田区のコースのなかで、一番「いらつき」の多いコースでした。


以上です。
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