mesetaのブログ

ウォーキングとフラメンコ
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江東区13 深川、歴史と文化の散策 TOKYO Walking Map 2023.11.14

2023.11.14(火)晴  6.6km→7.3km
ルート:清澄白河駅(B1出口)→本邦セメント工業発祥之地碑→紀文稲荷神社→(深川東京モダン館)→法乗院・深川ゑんま堂→成田山深川不動堂→富岡八幡宮→門前仲町駅(2出口)


江東区七日目で、今日の2コースで江東区全コースを歩き終えます。


トウキョウ ウォーキング マップ 東京都保健医療局のサイト

江東区13 深川、歴史と文化の散策
とにかく見どころが多いのがポイントです。深川地区には多くの歴史・文化がつまっていることを再発見できます。
最寄駅:清澄白河駅(都営地下鉄) 清澄白河駅(東京メトロ) 清澄白河駅前(都営バス) 所要時間:約1時間39分 距離:約6.6km 消費カロリー:約297kcal 歩数:約9430歩


9:11  清澄白河駅(B1出口)  スタートしました


清州橋通り 清澄三丁目交差点 左折 清澄通りへ  


清澄庭園 千代田区05で中へ入りました 


清澄庭園児童公園  


海辺橋(仙台堀川)  渡って右折 


採茶庵跡  


芭蕉俳句の散歩道  


右折して清澄橋  


清澄橋交差点 直進  


清澄公園 へ入ります  


清澄公園を出て清川橋交差点 直進

アサノコンクリート 深川工場  


9:32  本邦セメント工業発祥之地碑  

明治5年、ここに日本初のセメント工場(官営工場)が設立されました。

セメント工業発祥の地碑 | 東京とりっぷ
仙台藩蔵屋敷跡を利用し、明治5年、大蔵省土木寮の摂綿篤(セメント)製造所を東京府下清住町に建設、明治7年に工部省の深川製作寮出張所に改められ、明治8年5月19日、技師・宇都宮三郎が本格的なセメントの製造に成功しています。


浅野セメント 初代社長 浅野総一郎翁像


上之橋 左折 佐賀町河岸通りへ  


平賀源内電気実験の地   交差点のすぐ右

清澄排水機場  


佐賀町河岸通り  


中之橋跡  


右折 隅田川テラスへ  


清洲橋方面


隅田川大橋 方面


隅田川大橋をくぐります  


潮位記録  


永代橋  

永代橋を左折  


すぐ左折 佐賀町河岸通りへ   


ここで 赤穂義士休息の地碑(赤穂浪士) を探しましたが、気がつきませんでした


Googleストリートビュー


右折  


御船橋 手前を右折  


9:55  紀文稲荷神社  

江戸の豪商・紀伊国屋文左衛門が、伏見稲荷神社より御霊を拝受して祀った神社です。

紀文稲荷神社
紀国屋文左衛門の店は八丁堀にあり、その下屋敷が現在第一勧業銀行(現、みずほ銀行)深川支店あたりにありました。当時この付近一帯は運河が縦横に走り、此処に紀国屋文左衛門の船蔵のあり、航海の安全と商売の繁昌を祈ってこの地にお稲荷様を祀ったものです。

突当り左折 永代通りへ  


佐久間象山砲術塾跡【江東区登録史跡】

東京都江東区の歴史 佐久間象山砲術塾跡(信濃国松代藩下屋敷跡)
この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。文化8年(1811)松代城下で生まれ、名は啓、通称は修理、雅号は「ぞうざん」と称したともいわれています。


福島橋  


渋沢栄一宅跡【江東区登録史跡】

渋沢栄一宅跡|観光情報 | 江東おでかけ情報局
https://koto-kanko.jp/tourism/detail_spot.php?sid=S00116
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、明治9年(1876)から明治21年にかけて当地に本邸を構えます。その後、中央区に本邸を移し、深川邸は別邸として利用されました。栄一と江東区との関係は深く、明治22年から明治37年まで深川区会議員および区会議長を務め、また、明治30年には当地に渋沢倉庫部(現:澁澤倉庫株式会社)を設立しました。


澁澤倉庫発祥の地  

渋沢倉庫発祥の地 - 発祥の地コレクション
渋沢倉庫は 渋沢栄一が起した企業の一つ。明治30年(1897) この地に「澁澤倉庫部」を創業。明治42年(1909)「澁澤倉庫株式会社」となる。平成16年(2004) この地に賃貸用高層オフィスビル(澁澤シティプレイス)を竣工した。


永代二丁目交差点 左折 葛西橋通り


伊能忠敬住居跡  

東京都江東区の歴史 伊能忠敬住居跡
伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡(高橋至時)に測量術を学び寛政7年(1795)幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した。その測量の原点は伊能忠敬の居宅であった。伊能忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した。伊能忠敬は文政元年(1818)4月13日74歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている。


信号右折 すると左に  深川東京モダン館 が見えてきました

10:10  深川東京モダン館  中へ入ります 

深川東京モダン館--深川東京モダン館のご案内
深川東京モダン館は、平成21年(2009)10月10日に開館した江東区の観光と文化の拠点です。江東区は、富岡八幡宮・深川不動尊で賑わう門前仲町、深川江戸資料館や東京都現代美術館などの文化芸術施設が集まる清澄白河、亀戸天神・香取神社などの神社仏閣が集まる亀戸、そして近年集合住宅やショッピングモールが建ち並ぶ豊洲など、さまざまな顔を持つ地域が集まっています。当館では、このような地域資源や江東区の情報を紹介しております。

ここで江東区の資料をいくつももらいました


深川モダン館通り 右折してすぐ左 清澄通りへ  


深川一丁目交差点 永代通りを越え 直進  


小津安二郎誕生の地  

観光情報 | 江東おでかけ情報局
小津安二郎は、明治36年(1903)12月12日に現在の深川1丁目で生まれました。大正12年(1923)松竹に入社、昭和2年(1927)「懺悔の刃」で監督デビューを果たしました。代表作は「東京物語」。「東京の宿」や「一人息子」など、江東区を舞台にした作品が数多くあります。昭和38年12月12日、60歳の誕生日に死去しました。


信号を渡り清澄通りを折り返しました  


心行寺  

浄土宗 双修山 心行寺
双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。


心行寺 福禄寿堂 (深川七福神•福禄寿) 

福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されています。福禄寿は星宿の神、南十字星の化身といわれて、長寿をつかさどる人望福徳の福神であります。

左 【影窓院地蔵】この石造地蔵菩薩立像は、当時に影窓院と正壽院の二つの塔頭があり、影窓院にあったので、この称号があります。
右 【宝筺印咒塔(川口直供養塔)】直は文化文政の頃の名妓、清元節の名人で、のちに『川口』という料亭を開いた。夫の忠七は笛の名手であった。


10:36  法乗院・深川ゑんま堂  

寛永6年に創建され、古くから「江戸三えんま」の一つとして親しまれています。現在のゑんま座像は平成元年に建立されました。

賢臺山法乗院 深川えんま堂
法乗院が開創されてから390年余。東京の下町、深川に建つこの寺院には、御本尊である大日如来さまを慕って今も多くの人々が集います。また、江戸時代から「深川ゑんま堂」としても地域の人々に親しまれ、広く信仰を集めています。


深川えんま堂 曾我五郎足跡石など石碑  


深川えんま堂を出ます

深川一丁目交差点 左折 葛西橋通りへ


冬木弁天堂 (深川七福神•弁財天)   

弁財天|冬木弁天堂
冬木弁天は、以前大きな池のある材木豪商冬木家の邸内の弁天堂に安置されていました。現在は境内が狭くなってしまいました。現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建されました。尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されています。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。



冬木弁天堂 岡野知十句碑  


葛西橋通りを戻り 信号左折   

和倉橋跡  

東京都江東区の歴史 和倉橋跡
この付近は、幕府賄方組屋敷があり椀をしまう倉があったことから「わんぐら」「わぐら」といった。明治2年(1869)からこの付近の町名を深川和倉町といい、油堀川に「わくらの渡し」があった。昭和4年(1929)、ここにはじめて和倉橋がかけられ、橋は長さ20.4mル、幅11mの鉄橋であった。


成田山深川不動堂  千代田区05と中央区12で来ています

ご本尊は不動明王です。

成田山 東京別院 深川不動堂
深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。古くより「深川のお不動様」と親しまれて参りました。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まります。


人情深川ご利益通り  

永代寺 

永代寺 - Wikipedia
1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄え、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。明治初年の神仏分離により廃寺となり、跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになった。その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺である。当地の地名・門前仲町はこの旧永代寺の門前という事で名付けられた。


永代寺 先左折


11:05  富岡八幡宮 (深川七福神•恵比須神)   西参道から入ります

江戸時代より続く「深川の八幡様」。


富岡八幡宮 鳳凰の手水舎  

成田山 東京別院 深川不動堂
千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。古くより「深川のお不動様」と親しまれて参りました。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まります。

富岡八幡宮 令和6年辰年用・干支大絵馬    


富岡八幡宮 横綱力士碑  

相撲と富岡八幡宮
明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。この碑には初代明石志賀之助から72代稀勢の里関までの四股名が刻まれていますが、その大きさは高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンに及び、横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる石碑です。


八幡橋(旧弾正橋)  

東京都江東区の歴史 旧弾正橋(八幡橋)
八幡橋(はちまんばし)は、東京市で最初に架けられた鉄橋である。長さ15.2m、幅2m、単径間アーチ橋の形式をとる。アーチは鋳鉄製で五本の直材をつなぎ、その他の引張材は錬鉄製の鋳錬混合である。もとは、京橋区(中央区)の楓川に架けられていたものである。


深川八幡橋東交差点 右折 琴平通りへ  


三十三間堂跡   

東京都江東区の歴史 三十三間堂跡
三十三間堂は、南北66間(約118.8m) 東西4間(約7.2m) 四面廻り緑の堂でした。
下の矢の絵は1間(約1.8m)の長さを表しています。(一般的な矢の長さは、左手を真横に上げ、指を伸ばし、のどより中指先までの長さに、約5~10cmを加えた長さです。)

永代通りを越え 東富橋(大横川)  


松平定信海荘跡 (はまやしきあと)  

松平定信海荘跡|江東区
寛政期に老中として幕政改革に取り組んだ松平定信が、文化13年(1816)に入手した抱屋敷です。「はまやしき」と呼ばれます。定信は庭園家として有名で、この屋敷も桜やツツジなどを植えた瀟洒な庭園でした。


東富橋を振返ったところ  


琴平橋 (下は古石場川親水公園)


ここを右折  


江東区古石場文化センター の先を右折  

古石場川親水公園へ入り左折   


古石場川親水公園 小津橋  


古石場川親水公園 関口橋 右折   


巴橋(大横川)   


左折して狭い通りへ   


右折   


深川不動前交差点左折 永代通りへ  


11:42  門前仲町駅(2出口)  ゴールしました


次のコース14はゴールした場所と同じ門前仲町駅(2出口)からスタートします


Google マイマップで作成 SUUNTO のトラックデータ 


カシミール3Dのグラフ  6.6km→7.3km


江東区13 深川、歴史と文化の散策 のコースタイム

経由地 距離km 累計km 総h 所要h 見学h 着t 発t
清澄白河駅(B1出口)   0.0km  0:00    9:11
 本邦セメント工業発祥之地碑    1.3km   1.3km  0:22  0:21  0:01    9:32    9:33
紀文稲荷神社   1.2km   2.5km  0:46  0:22  0:02    9:55    9:57
(深川東京モダン館)   0.7km   3.2km  1:10  0:13  0:11  10:10  10:21
法乗院・深川ゑんま堂   0.8km   4.0km  1:28  0:15  0:03  10:36  10:39
成田山深川不動堂   1.1km   5.1km  1:48  0:19  0:01  10:58  10:59
富岡八幡宮   0.3km   5.4km  2:01  0:06  0:07  11:05  11:12 
門前仲町駅(2出口)   1.9km   7.3km  2:31  0:30  11:42 
コース14へ
2023/11/14(火)晴   7.3km  2:31   2:06  0:25


江東区13 深川、歴史と文化の散策 の感想
このコースも既に訪れたところが多かったです。初めて行った中では「深川東京モダン館」が印象に残りました。名前を聞いたときは何をするところかさっぱり見当がつきませんでした。1階はよくある観光案内所のようですが、江東区文化観光ガイドが常駐して観光情報を案内したり、館周辺の無料まちあるきツアー(1時間程度、1日2回)を行なっているそうです。食のイベントや落語・講談などの催しが開かれ、2階には貸会議室・多目的スペースがあります。驚いたことに昭和7年(1932)に建築された建物自体が国登録有形文化財建造物に登録されていました。名前の由来についていろいろ調べてみましたが、はっきりしたことは分りませんでした。
門前仲町という町名由来の寺が永代寺だとは知りませんでした。深川不動堂の方が有名であり、深川不動堂参道の途中にある永平寺が町名の由来になっていたというのは意外です。


以上です。
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